その名前を
闇の中に入り込み、離れて行こうとする闇を魔力で包み込んで引き止める。
それでも俺を遠ざけようと蠢くダルクに両手を伸ばし、触れることのできない彼にそっと触れる。
「大丈夫だ」
意識を保つ事すらままならない状態で、俺の言葉を理解できているかはわからない。
それでも俺の想いが伝わるように言葉を続ける。
「俺は大丈夫だから、離れないでくれ」
【《ぅ、ぅぁ……じぃく、じー、く……》】
精霊になって間もない頃を思い出す。
俺の言葉を理解したのか、ただ反応しているだけか。
拙く俺の名前を呼び、離れようとしていた動きから俺に縋り付くように集まり出す。
形を成せない闇は集まってもすぐに崩れるしかないのだろう。
集まっては崩れる闇を魔力で覆う事で支え、俺は後ろの二人へ振り返った。
「セラ、これ以上邪気が入って来ないよう入り口を抑えていてくれ。
ジーアス殿はできる限りで良いから俺とダルクの周囲を浄化してほしい」
《キョーヤ、あなたまさか……!》
「あぁ、ダルクと精霊化する」
何年も離れていたとしても、この世界にジークとして生まれた頃からの付き合いだ。
俺が何を考えているか言わずともわかってくれるセラに頷き返すと、彼女は泣きそうに瞳を揺らがせて俺の傍へと飛び寄った。
《ダメよ! 今のダルクは大量の邪気を取り込んでる。
そんな状態で精霊化すれば、あなたの魂に直接邪気が流れ込むことになるってわかってるでしょう!?》
悲痛な声で訴えるセラに、その危険を知ったジーアスが目を丸くしてこちらを見る。
精霊化は術者と精霊が一心同体になるといっても過言ではない物だ。
肉体や魔力、魂など全ての境界がなくなり、術者と精霊は混ざり合い、融け合い、繋がり合い、一つとなる。
邪気に抗い戦い続けていたセラとは違い、ダルクは邪気を取り込み抑え込んでいる。
すっかり邪気と混ざり合ってしまったダルクと精霊化なんてすれば、たちまち俺の魂へ直接邪気が流れ込んでしまうだろう。
だから、セラの言葉は尤もだ。だが──
「わかっている。でも、これ以外ダルクを救う方法は無い。それはセラもわかってるだろう?」
縋り付く闇を振り払わず、冷静にそう告げた俺に、セラは返す言葉が思いつかないのか何も言わずに息を呑んだ。
「浄化しようにもここまで邪気と同化しかけているんだ。
どれだけ慎重に浄化しようがダルクの魂を傷付けてしまう。
何よりも、ダルクはもう限界だ。浄化に耐え切れず消失するだろう。
でも、精霊化すれば俺に邪気を移せるし、ダルクの魂を守りつつ邪気を引き剥がせる」
セラの言う通り、俺がしようとしているのは危険な行為だ。
邪気を取り込み抑え込むという行為と違い、魔力や肉体などの守りを取り払って自ら邪気へ堕ちるような行為だ。
だが精霊化して一つにさえなれば、意識を保つ事すらままならないダルクに代わってダルクを守り、自分を侵す邪気を浄化することができる。
自分の一部と化したダルクの存在を欠片も傷付けずに拾い上げ、魂まで侵入しているだろう邪気を塵一つ残すことなく浄化できるんだ。
問題は、俺の魂へ邪気が流れ込むのを避けることはできない、ということだろう。
邪気を拒絶するのはダルクを拒絶するのも同じ。
例え魂が侵されようと、俺はそれを全て受け入れなければならない。
俺がそれに耐えられるかどうか。
流れ込む邪気に負けず、ダルクを浄化できるか。
危険なのは承知しているが、これ以外方法は無い。
「ダルクを救うには、精霊化する以外方法は無いんだよ、セラ」
セラはきっと、怖いんだ。
この状況はまるで、あの時のようだから。
世界を浄化するために、俺が命を懸けたあの時と似ているから。
あの時と同じく俺の提案を否定することができずに手を握り締め、俯く彼女の名前を呼ぶ。
他の方法なんて、あの時散々探した。世界中を探し回って、あらゆる文献を調べて、あらゆる方法を模索して。
だからわかっている。
例え邪気に堕ちるかもしれなくとも、ここまで邪気に侵された者を救う方法は一つだけ。
精霊だから、力の結晶だから、俺と深い繋がりを持っているからできること。
邪気を移し、存在を繋ぎ止め、浄化する──それ以外方法は無いのだ。
けれど、あの時と違う事がある。
あの時俺は消える覚悟をしていた。
今は消えるつもりなど一つも無い。
ようやく戻って来れたんだ。
カリアに再び会うその日まで、俺は消えたりしない。消えてたまるものか。
「俺は、カリアにまた会うまで消えたりしない。
だから信じてくれ」
だから必ず、ダルクと共に戻って来る。
また消えるなんてことはせずに、ちゃんと帰って来る。
そう思いを込めてセラに告げれば、セラは苦い表情を浮かべたまま小さく頷いた。
《……わかったわ、わかったわよ。
ジーアス、ダルク以外の邪気を一か所に集めるから、浄化頼むわね》
半ば怒ったようにそう言ったセラは通路へと振り返り、魔力を操り周囲の邪気を一か所に集め出す。
流石というべきか、ダルクが入り混じった邪気は全て俺の元へと送ってくれているのを見て、俺は小さく礼を言って今度はジーアスへと視線を向けた。
セラとのやりとりでジーアスも俺が何をしようとしているかはわかっているだろう。
俺の視線を受けたジーアスは剣を握り締め、神妙な面持ちで頷いた。
「……ご武運を」
短くそう告げた彼にしっかりと頷き返し、自分の周りに集まる闇へと意識を集中させる。
邪気が俺を蝕もうとしてくる感覚に、反射的に浄化の力が漏れ出そうになるのを抑え、邪気に混ざる闇と魔力を馴染ませる。
呑み込むように俺を包んでいく闇の先、見えなくなっていく視界でセラの淡い青の裾がふわりと舞った。
《……っ、ちゃんと二人で戻って来なさいよ! 私だって、あなた達ともっと生きていたいんだから!》
きっと泣きそうに瞳を潤ませているのだろう。
蝕まれていく全身を貫く痛みに声が出せず、すっぽりと覆っていく闇に阻まれ彼女の顔を見ることもできない。
返事の代わりにまだ闇の薄い場所から見えるように軽く片手をあげ、完全に閉ざされた闇の中、目を閉じて意識を集中させた。
思い出すのはみんな幼かったあの日々。
俺は何もできない赤子で、魔力と共に声を上げるしかできなかった。
その声を、魔力につられて集まった、意思を持たない力達。
お互いに幼く、満足に言葉を交わすこともできなかったあの頃。
お前は一番最初に人の言葉を学び、俺や精霊達に教えてくれた。
【《じー、ぅ……じーく……》】
俺の名前を何度も呼んでくれたダルクの声は、時が経つにつれて少しずつ変わっていったけど、根本的なところは何も変わらない。
慈愛に満ちた静かで暖かな声。その声が、最初に俺を呼んでくれた声だった。
「ダルク」
今度は、俺がお前の名前を呼ぼう。
何度も、何度でも、この声が嗄れようと呼び続ける。
だから俺の手を取ってくれ。
俺の手を掴んでくれ。
「ダルク、手を」
何も見えない冷たい闇の中、手を差し伸ばす。
少しずつ馴染み、自然と同調していく魔力を伝い、邪気と共に誰かの想いが流れてくる。
「怖いよ」《悲しいの?》【行かないで】「死にたくない!」【裏切ったのか】「誰か、誰か!」《守らなきゃ》【忘れたんだな】「戦うしかないんだ」《行きたくない》【信じたのに】「行かないで」《さよなら》「置いていかないで」【どうして】《行かないで》「帰らなきゃ」《怒ってる》【嘘だ】「苦しいよ」《いつまで続くの》「もう終わればいい」【壊してやる】《帰りたい》「逃げろ」《逃げてくれ》【逃げるな】「あれはなに?」《あれは違う》「剣を取れ!」《崩壊させてはならない》《もう嫌だなぁ》「守るしかないだろ」【壊せない】《待つっていつまで》「抗ったところで終わりだよ」【 】
人間も、魔族も、精霊も、邪気に取り込まれ混ざり合う闇の中では関係ない。
誰かの想いが誰かの想いを呼び、誰かの想いに反響する。
侵された暗い感情はノイズ交じりの叫びとなって俺を蝕んでいく。
──《……い》
頭に直接叩き込まれる叫び達。
その中で不思議と埋もれずに聞こえた小さな声。
──《一緒に、いたい》──【ジークと、一緒にいたい】──
それは紛れもないダルクの声だった。
ダルクと想いを同じくする誰かの声だった。
──そうだった。
あの時、俺はお前にみんなを頼むと言った。
俺が居なくなった後も、みんなのことを頼むと願った。
その願いをお前はずっと叶えてくれていたんだ。
こんな風になってしまうまで、ずっと。
一緒に居たいと、お前も思ってくれていたのに。願ってくれていたのに。
今度は、俺がお前の願いを叶えるよ。
これからはもう離さないから。
お前達を置いていかないから。
共に逝くことを止めたりしないから。
「《今度は──最期まで一緒に》」
そう願ってくれるなら、それを許してくれるなら。
俺はお前の手を、二度と離さない。
一緒に行こう。
こんな寂しい場所ではなく、みんながいるあの暖かく賑やかな場所へ。
【「《一緒に、行こう》」】
指が、足が、腕が、脚が、胴体が、身体全てが闇へと溶けていく。
感覚すらわからなくなった手に、誰かの手が重なる。
朧なその手を二度と離さないと強く握りしめ、繋ぎ止めた存在を抱きしめた時、浄化の力が闇を照らしだした。
内から溢れる浄化の光に、同化していた邪気が悲鳴をあげる。
いくら精霊化していても、邪気の根本はダルクの元に留まっている。
少しずつ意識が強くなっていくダルクにどれだけ負担がかかろうとお構いなしに逃れようとする邪気を繋ぎ止め、浄化から逃れられないよう自分の中へと抑え込んだ。
【「《っあ……ぐぅ……!》」】
より一層強まった誰かの叫びが脳を揺るがす。
体内に在る邪気が【浄化されてたまるか】とばかりに死に物狂いで暴れるせいで、息もできないほどの痛みが襲い掛かる。
それでも歯を食いしばり、離してしまいそうになる手を握り締め、乱れてしまいそうになる魔力を落ち着かせ、浄化の力を使い続ける。
今ここで精霊化を解いてしまえば、弱った邪気が力を求めてダルクを貪るだろう。
今ここで浄化の力を弱めてしまえば、その隙をついて邪気が逃れるためにダルクを襲うだろう。
ダルクは精霊の中でも強い力を宿す存在。
ましてや邪気に侵されて弱り切っている今、そちらに引きずり込みやすく抵抗もできそうにないダルクは恰好の餌だ。
同化した力の濁流へと意識を向け、浄化を行うのと同時に邪気に紛れて散り散りになってしまったダルクの欠片を探す。
浄化されながらも逃げ場が無く、抵抗するために力を求める邪気にじわじわと呑み込まれているダルクの欠片。
その一つ一つを拾い上げ、一つに繋ぎ止め、何物にも脅かされないように大切に包み込む。
これ以上穢されないように。
これ以上傷付けられないように。
全身全霊でダルクを守る俺へと、邪気がその刃を向けた。
【「《か、はっ……!》」】
《キョーヤ!!》
外からではなく内から貫く鋭い痛みに込み上がる物を吐き出すと、口から紅い鮮血が溢れ出る。
べしゃっと嫌な音を立てて吐き出したというのに、まだまだ込み上がって来る不快感に呼応するようにズクズクと鈍い痛みが繰り返し脈を打つ。
セラの悲痛な声が聞こえたがそちらに意識を向ける余裕は無く、その場に崩れるように膝を着き、満足に息ができない状態のまま咳き込み続け、二度、三度と血を吐き出した。
邪気の悪足掻きと言った所か。
体内に同化していた邪気が、浄化を止めさせようと俺の内臓かどこかを傷付けたのだろう。
通常の状態であればすぐに治療しなければならないほどズタズタにされたが、この程度なら問題無い。
ダルクを守ることも、浄化することも止めずに魔力を全身へと巡らせる。
闇に溶けたり明確な形を保ったりと朧で歪な状態ではあるが、精霊化している今の俺は人間より精霊に近い存在となっている。
そのため傷口へ魔力を集めるだけで傷は瞬時に塞がる。
溢れ出た血だけはどうにもできないが、それは吐き出せば済むことだ。
──残念だったな。
そう、今も繰り返される鋭い痛みの発生源へ、口の端から垂れる血をそのままに歪む顔で無理矢理哂ってやる。
胸に抱いたダルクがはっきりと俺の名を呼んだ時、俺は抑えることなく浄化の力を解き放った。
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