闇との再会

 精地の魔力を求めて邪気が流れ込んで行く中、俺達は足を進める。

 踏み込んだ先には小さな踊り場があり、そこから緩やかなカーブを描く螺旋階段が下へと続いているのが目に入った。



「螺旋階段か」



 以前はただ精地へと続く深い穴があっただけだが、俺がいなくなった後に作られたようだ。

 魔法で灯りを灯し、傍らに浮かべて手すりに近寄り下を覗き込んでみるが、深くまで続いているからか、暗闇に遮られ底は見えそうにない。



「ここは250年ほど前に女神によって大精霊が産み落とされた際に作られたと聞いております。

 以前とは違い人の出入りが必要になるから、との事でしたが……」



 感じ取れる魔力からして、この底に精地があるわけではなさそうだ。

 恐らく螺旋階段を下りた先に、更に道が続いているのだろう。



「ジーアス殿、失礼する」


「ジ、ジーク様?」



 ジーアスの説明に耳を傾けつつ、彼の手を掴んで引き寄せ、胴体に腕を回す。

 時間が惜しい今、一々階段を下りて行くよりも、飛び降りて魔法で着地した方が良い。

 それにセラの事を考えると、バラバラに飛び降りるのは邪気を払う範囲を広げなければならなくなるので避けたい。

 驚いているジーアスを横目に、俺達の少し後ろで邪気を払い退けてくれているセラへと視線を向ければ、俺の考えなどわかっていたのかすぐに頷き返してくれた。



「しっかり掴まってくれ」


「っ、!」



 全身に身体強化を掛けながらジーアスへとそう声を掛けると、聡い彼はすぐ理解したのか俺の背中を掴む。

 それを確認した後、俺は床を蹴り、ジーアスを抱えたまま手すりを飛び越えた。




 風を切る感覚に目を細め、傍らに浮かぶ灯りを頼りに下を注意しながら周囲にも意識を向ける。

 螺旋階段の途中に扉でもあれば止まらなければと思ったが、そういったものは無いようだ。

 落ちるにつれて強く感じる邪気の中に混ざって懐かしい気配が強まっているのが感じ取れ、俺は意識を下へと向けた。



 ダルクは精地を守るために邪気を取り込んだと聞いている。

 ダルクは闇の精霊だ。精地に留まる事で自分の魔力を少しでも高め、邪気を支配下に置こうとしたのだろう。

 あいつの性格を思えば、いざとなったら取り込んだ邪気ごと自分を消し去ることも視野に入れているはず。


 そうなる前にダルクを助けなければ。

 早く早くと逸る気持ちを歯を噛み締めて押さえつけ、灯りに照らされた床が見えたところで左手を振って魔法を使い、底にぶつかる寸前に勢いを緩める。

 俺の足先がコツンと音を立てて石畳の床に着き、一拍置いてジーアスの足が石畳に着いたのを見計らってジーアスの胴体を離す。

 ジーアスが俺の背を掴んでいた手を離したのとほぼ同時に身体強化を解くと、俺から離れたジーアスが口を開いた。



「ありがとうございますジーク様」


「急にすまなかったな」


「あぁいえ、この程度なら陛下で慣れていますから。

 精地はあの扉の先です。行きましょう」



 ジーアスも俺のようにガヴェインに色々と巻き込まれてきたようだ。

 我ながら急ぎ過ぎたと思っていたが、ジーアスはふらつく様子も見せずに一人で立ち、すぐに螺旋階段の先にある扉の方へと駆け寄って行く。


 魔族は生まれ持った魔力に応じて寿命や成長速度が変わってくる。

 正確な魔力量はわからないが、感じ取れる魔力からして100歳は越えているだろう。

 少なくとも5年ほどしか共にいられなかった俺とは違い、長い付き合いのはず。

 何年もあのガヴェインの行動を見ていたのなら、この程度では動じなくもなるだろう。



 あいつらしいというかなんというか。

 何とも言えない感情が湧くが、ジーアスが扉を開けた音と共に思考を切り替え、闇に包まれた通路へと向かった。



「この通路を抜けた先が精地です!」


「わかった」



 ダルクが邪気を取り込み、結界で閉ざしていたからか、思っていたより邪気が薄い通路を駆ける。

 セラの居た水の精地やレンスと出会った村並の邪気を想定していたが、奥からは邪気とは別にどこか清らかな気配まで溢れて来ていて、むしろ後方から漂ってくる邪気の方が濃く思えた。


 精地に近付いているから余計にはっきりとわかる。

 崩壊していない精地の魔力か、眠っているという大精霊の魔力か。

 どちらにせよ清らかなその気配の中にはダルクの魔力を感じ取れない。

 むしろダルクの魔力は信じ難いほど邪気と混ざり合って漂って来ていた。



 勇者が召喚されてから既に20日近く経っている。

 知らせを受け、ガヴェインの邪気が暴走し、闇の大精霊が眠りにつくまで多少のタイムラグはあるだろうが、ダルクが邪気を取り込んでから随分時間が経っているはずだ。

 どれだけの邪気を取り込んだかわからないが、こんなに混ざり合ってしまうほどダルクは一人で邪気を抑え込んでいる。


 それは一体どれほどの苦行か。

 脳裏に過ぎる彼の姿に、どうあがいても苦い感情が込み上がって来て、思わず両手を握り締めた。



 ガヴェインに再会した時といい、今といい、妙に後ろ向きな思考になってしまっている。

 いくら浄化の力を持っていたとしても、これだけ邪気に触れているのだ。

 俺も少なからず邪気の影響を受けているのだろう。



 駆ける脚は止めず、セラとジーアスの様子を窺う。

 ジーアスは浄化の力を持っているからまだ心配は無いが、セラは浄化の力を持っていない。

 しかも水の精地を浄化した後、十分な休息を取らずにここまで来ている。


 繋がりを切っている今、セラが表に出さない限り僅かな変化を察することはできない。

 無理はしていないだろうか。魔力に濁りは無いだろうか。

 黙って様子を窺うが、魔力で邪気を払うセラに陰りは見えない。



 セラのことだ。今更戻れと言っても聞いてくれないだろう。

 それなら傍で守る方がこちらとしても安心できる。


 だが、ここまで邪気と混ざり合っているダルクを救うのと同時に二人を守れるのか。

 無視できない不安に息が震えそうになるが、通路の先から薄っすらと灯りが見え、俺はただ前を向いた。




 通路から開けた空間の中央へと伸びる銀の装飾が施された紫紺を基調とした道の先。

 水の精地でも見た巨大な魔晶石の塊が柱に支えられるように浮かび、薄紫色の淡い光を零している。

 洗練された魔力に満たされながら、どこかおぞましい気配をも満たす空間に、一歩踏み入れた足が止まる。


 まだマシな状態なのだろう。目覚めが近いのだろう。

 弱まってはいるが精地はまだ機能している。

 水の精地では感じなかった大精霊らしき気配も魔晶石の塊から強く感じ取れる。


 だが、それなのに、淡い光を今にも掻き消さんとする闇の中に、何か恐ろしいモノが蠢いているような気がする。

 そしてその気配は、忘れもしない、大切な家族であるダルクの魔力とそっくりだった。



「……ダルク」



 精地は、本来精霊の力に満ち溢れた場所だ。

 それぞれの属性の魔力に満ち、多くの精霊が暮らす場所だ。

 つい先ほど浄化してきた水の精地も、以前のように穢れの無い、生命力溢れる水が湧き続ける場所に戻っていた。


 精地に精霊の力が満ち溢れているのはどの精地も変わらない。

 俺の知る闇の精地は、装飾など一つもなく、闇の精霊達が集う深淵があるだけの場所だった。

 多くの生きる物が眠りにつく夜のように、穏やかな静寂に満ちた、どこか心落ち着く神聖な空気を溢れさせる場所だった。



 ──それが今はどうだ。



 以前と変わらぬ穏やかな静寂を保ちながら、命など呑み込み消し去ってしまうような静寂が襲い掛かってくる。

 特に魔晶石の下にある深淵には、背筋が震えそうなほど冷たく恐ろしい邪気が蠢いている。


 一瞬でも気を抜けば、何かに乗っ取られてしまうのではないか。

 そう思えてしまうほど深まり蠢く邪気は、間違えることのない、家族の気配を宿している。



「ダルク」



 闇に足を踏み入れ、小さく零した声は邪気に呑まれて消えていく。

 こんな深い邪気の中に彼がいるのか。

 こんな、気が狂いそうな闇を、一人で抑えていたのか。



 魔力を暴走させてばかりいた俺と共に力を高め、最期まで家族として傍にいてくれた闇の精霊。

 一歩引いたところから静かに俺を見守り続けてくれた、大切な家族の一人。



「──ダルク!!」



 名前の無い彼に贈った、夕闇を意味するその名を叫べば、邪気を孕んだ闇が蠢いた。



【《────》】



 俺や後ろにいる二人の物ではない、覚えのある声が深淵から響く。

 深淵から溢れるように這い出た闇は、俺へと手を伸ばすように近寄って来た。

 ゆらりと俺の頬を撫でたその闇は、形を成そうとしているのか俺の前に集まっていく。

 けれど闇は集まるだけで形を成すことはなかった。



【《────ぅ、……》】


「ダルク……お前……」



 目の前に形を成せない闇が集まる。

 そこから微かに聞こえる音は、記憶にある声と変わらない。


 邪気と混ざり過ぎているからか。

 人の形だけでなく精霊としての形も取れないのか。

 満足に意識すら保つ事ができないのか。



【《──く、じー……く……》】



 うわ言のように繰り返す声は、確かに俺の名を呼んでいた。



【《ぁ……──じーく、じーく》】


「っ、そうだ、俺だ。ジークだ……!」




 俺の名を呼ぶ闇へ応え、手を伸ばして触れる。

 だが闇に触れても実体など無く、俺の手は闇に呑まれるように埋もれていった。


 内包する邪気が埋もれた俺の手から魔力を奪おうとしているのがわかるが、ダルクは今、邪気と同化している。

 浄化の力を使えばダルクを傷付けてしまうだけだ。

 このまま魔力を奪われても邪気に力を与えるだけだ。

 そうわかっているのに、確かに感じる懐かしい魔力に離れる事ができずにいると、闇が俺を避けるように離れていった。



「ダルク……」


【《──ク、ぅ……な……くる、ぁ……》】



 あぁ──いっその事、邪気に堕ちてしまえたらどれだけ楽だったろう。



 闇に触れ、感じ取れた邪気の量は、カレウスの魂を侵していた邪気と変わらないほどだった。

 大量の邪気を取り込み、意識を保つ事すら困難な状態で、それでも俺を案じ、声を振り絞り「来るな」と告げるダルク。


 一体どれほどの苦しみが襲い掛かっているのだろう。

 内から削り取られ、狂気に苛まれ続け、まるで自分という存在が徐々に消失していくようなあの苦痛。



 俺は最期の数時間だけだった。

 それをダルクは、何日もの間耐え続けている。



 堕ちてさえしまえば、絶望によって苦痛を忘れることができるのに。

 存在が消失してしまう時まで、湧き上がる衝動のまま何もかも破壊するだけなのに。


 苦痛も、衝動も、狂気も、絶望も。

 ダルクは全てを抑え続け、全てに耐え続け、精地を守っている。



 もしダルクが邪気に堕ちれば、弱まっている精地も、眠りについている大精霊も、ランディリアも、全て崩壊していただろう。

 どれだけ苦しくとも、突き動かされても、狂いかけても、希望など無くとも、それでも耐えなければならない。

 そうわかっているからこそ、一人苦しみ続ける事を選んだダルクの姿に胸が締め付けられた。




 大切な家族が苦しむ姿など、もう見たくない。

 今度は俺からダルクの元へと近付いた。

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