魔族の覚悟

 他に音が無いから余計に聞こえてしまうのだろう。

 背後から遠く、喧騒の音が響いてくる。

 何を言っているか、誰が駆け回っているかなどは全くわからないが、その音の中心にいる者は例え遠ざかっていてもわかっている。


 騒ぎから外れ、人気の無い通路を先導するジーアスは、迷うことも立ち止まることもなく城の地下へと向けて進み続けている。

 そんなジーアスへ俺は静かに問いかけた。



「この国に、何があった」



 俺の問いに反応して、ジーアスの肩が小さく揺れる。

 時間が無いのはわかっているからこそ立ち止まることはしなかったが、多少遅くなった足取りに、俺は彼の横へと並ぶ。

 横から窺えるその表情は硬く暗い物だったが、先ほど話すと言っていた通り、ジーアスは感情を押し殺したような声で静かに語り出した。



「……今から3年ほど前に邪龍が現れて以降、人の多い場所には魔力を求めて邪気が集まるようになっていました。それはこのランディリアでも変わりません。

 ラノール城の地下には闇の精地がありますし、ラノール自体、魔力を多く持つ魔族達が住まう国だというのもあって、邪気にとっては恰好の餌だったのでしょう。

 各地とは比べ物にならないほどの大量の邪気がこの地に集まってきていました」



 コツコツと二人分の靴音が鳴り響き、それと共に淡々とした口調でジーアスはこの国に起きた事を語り出す。

 その言葉を一つも聞き逃さないように、俺は黙ってその言葉に耳を傾けた。



「英霊ダルク様と大精霊ルクスニーシェ様は力を合わせ、精霊達と共にこの地を守るために邪気を払い、浄化していました。

 我ら魔族も陛下の指示の下、持てる力を使って精地を、この国を、この世界を守ろうとしました」



 歩く足は止めずにそっと窓へと向けられた視線に従いそちらを見ると、窓からは邪気に包まれる王都の街並みが見える。

 邪気さえ無ければ、きっとあの頃と同じ、活気あふれる景色が広がっていたのだろう。

 ジーアスの金の瞳にはそれが映っているのか、どこか遠い目をしていた。



「邪気が発生した当初はまだ大きな被害もなく、皆、普通に暮らすことができていたのです。

 まだ大丈夫。まだ戦える。まだ、生きていられる。そう誰もが思っていました。

 『ラノールは邪気に堕ちない』そう、思っていた。


 ──けれどそんな甘い願いは、あの日、崩れ去った」



 そう語ったジーアスは言葉を区切り、手を強く握り締めて窓から視線を背ける。

 陰りを宿す金色は一体何を目の当たりにしたのだろう。

 苦しげに歪められた表情のまま、ジーアスは続けた。



「女神の啓示により、勇者召喚の儀を行うことが決まりました。世界を救うため、邪龍を倒すために。

 召喚の儀には数多くの魔導士の力が必要でした。それこそ国など関係なく協力しなければならないほどです。

 そのためユニエルの使者として巫女殿が直接この国へ訪れ、女神の言葉を伝え、勇者召喚の儀への協力を求めてきましたが……その時、精地から大量の邪気が溢れたのです」


「精地から、だと?」



 思わずセラへと視線を送れば、下唇を噛みしめた苦痛を滲ませる表情で小さく頷き返される。

 事実だとしても、そんな事ありえるのだろうか。


 精地には精霊達が集い、ダルクの他に大精霊と呼ばれる存在が居たはずだ。

 未知の力ならまだしも、瘴気と似た性質を持つ邪気に気付かず侵入を許したとでもいうのか。

 いつも冷静な性格で自然と精霊達のまとめ役をしていたあのダルクが?



「じわじわと蝕まれていたのに誰も気付けなかった。

 ……あるいは、心のどこかで受け入れてしまっていたのかな」



 俄かに信じられずにいる俺を知ってか知らずか、ジーアスは小さく呟く。

 自嘲するような笑みと共に呟かれた言葉は、心の奥に押し込み見てみぬ振りをしていた彼自身の想いだろうか。

 伏せられた視線が振り切るように上げられ、ジーアスは俺へと視線を向けた。



「女神と深い繋がりを持つ巫女殿の気配を察知し、巫女殿を始末するために溢れたのではないかというのが我々の見解です。

 巫女殿はいわば、女神の代行者のような者。

 世界を滅ぼしたい邪気からすれば、一刻も早く始末したい存在でしょうからね」



 あの頃と変わらぬ女神であるならば、神と名乗る以上この世界を守る責務がある。

 例え対となる彼が消え、たった一柱になったとしてもそれは変わらない。

 だからこそ女神は巫女という自身の声を伝える者を選び、その者を通じてこの世界を救うために勇者として彼等をこちらに呼んだのだろう。

 彼と共にカリアを──銀龍を生み出したように。


 そしてそれは邪気にとって邪魔でしかない。

 神とそれに連なる者達はいわば世界の守護者だ。

 この世界を滅ぼすつもりなら、どういった経緯であれ唯一の神となった女神と戦う必要がある。



 邪気に明確な意思があるのかはわからないが、神に連なる者にはほぼ無条件で襲い掛かるようになっているのかもしれないな。

 女神に力を授けられた以上、日向達も狙われる事になりそうだが……そうなると疑問が幾つかある。とはいえ、それは後回しで良いだろう。

 思考を巡らす間に続けられた言葉に、俺は疑問を頭の隅へと追いやった。



「精地から溢れた邪気は城の者達も巻き込み、巫女殿へと襲い掛かりました。

 ですがそれを、陛下が全て受け止め、その身に取り込んだのです」


「……どうしてガヴェインはそんな事をした。

 いくら強い力を持っていたとしても、そんな事をすれば……!」


「何故そんな事をしたのか……陛下の真意は、私にもわかりません。

 あの方の事ですから、咄嗟に動いたと言われても不思議ではありません。

 でも、陛下がそうしなければ巫女殿は勿論、城の者の大半が命を落としていたでしょう」



 陰りある笑みのまま答えられた言葉に唇を噛み締める。

 そうだ、あいつはそんな性格だ。

 国のためなら、民のためなら、友のためならどんな無茶でもしてしまう王。


 だから魔族はみんな、どんなに絶望の淵にいてもあいつに光を見ていたんだ。



「陛下は倒れ、しばらく意識が戻らない状態に陥りました。

 けれどダルク様やルクスニーシェ様、そしてゲルベーテを始めとする浄化の力を持った者達の努力の甲斐あって、二週間ほどで目を覚ましたのです。

 きっとすぐ元気になる。そしていつものように私に政務を押し付け、城を抜け出すのだろう、と思っていたんです。


 ──でも、私達には……悪化する道以外無かったんでしょうね。

 ユニエルより『勇者の召喚が成功した』と報せが来た時、陛下は……邪気に呑まれかけました。

 陛下の身を蝕んでいた邪気が暴走し、陛下は邪気に堕ちかけたのです」



 言葉を選ぶように、時折口を震わせるジーアスが酷く苦々しげに語り続けるのを聞きながら、俺は一人手を握り締める。

 俺がこの世界に来たのは勇者が召喚されてから少なくとも10日は過ぎた頃だ。

 ズレが生じた事は仕方ない事だとわかっている。割り込む事ができただけでも奇跡だとわかっている。


 だが、どうしても、何故もっと早く帰ってこれなかったのかという考えがちらついてしまう。

 気遣うように俺の肩に触れるセラの優しくひんやりとした魔力に、息を呑み込みちらつく考えを胸の奥へと押し込んだ。



「駆け付けてくださったダルク様のおかげで陛下は一命を取り留め、自我は失わずに済みましたが、その隙を狙ったかのように邪気はルクスニーシェ様に襲い掛かりました。

 その結果、ルクスニーシェ様は大幅に力を失い、消滅の危機に瀕し、眠りにつく事で消滅から逃れました。

 そして長い間この地を守り続け消耗していたダルク様だけでは抑えることはできず、精地に邪気が溢れる事となりました」



 階段を下り、先へと進むにつれ邪気が強くなっていくのを肌で感じる。

 その中に微かに覚えのある懐かしい魔力を感じ、胸がきつく締め付けられる。



「『何があろうと精地だけは守らなければならない』

 『だが精地を満たす大量の邪気を浄化できるほどの力を持つ者はこの国に居ない』

 『例え他へと押し流したところで、既にどこもかしこも邪気に溢れているこの状況では世界そのものが終わるだけ』

 ……そう判断した陛下とダルク様は覚悟を決められました」



 とある大きな扉の前でジーアスの足が止まる。

 大きく開かれた扉には結界が施してあり、奥から邪気がゆっくりと流れ出ているが、こちらからは邪気が入らないようになっているのがわかった。



「ダルク様は邪気を取り込み、取り込み切れなかった邪気は精地から王都へと押し流しました。

 そして陛下が王都全体に結界を張る事で、闇の精地から溢れた邪気を全て王都に留めました」



 一歩先も見えない闇の奥を見つめて言葉を続けるジーアス。

 俺もその隣に立ち、邪気の中に融け込む家族の魔力を辿って奥を見つめた。



「勇者が召喚された以上、その力を使わない理由も無い。

 勇者がラノールに辿り着くまでの時間稼ぎさえできれば良い、と」



 確かにそうだろう。

 強い魔力を持つ魔族が住まうという特徴から、多くの邪気が集まっていたというラノール。

 精地の守りだけは強化し、ラノールを餌に大量の邪気を一か所に閉じ込めることができれば、他の場所での負担が減り、世界全体での勝利を得る可能性は上がるだろう。


 だがそれは、ただの生贄だ。王都を丸ごと人柱に捧げたようなものだ。

 邪気に勝てるとしても、ラノールはただでは済まない。

 世界が救われても、ラノールという国が滅びることになりかねない決断だ。



「……民は、反発しなかったのか」


「……精地が滅びるよりも、一国の王都が滅びただけなら、また立て直せる────それが我々魔族の総意です」



 魔族は、全て覚悟を決めたというのか。

 この世界が生きのびるためなら、自らを差し出すと、そう決めたのか。


 俺の問いかけにジーアスは確固たる決意を感じさせる笑みを浮かべ、そっと手を上げる。

 すると扉に施されていた結界が淡い音を立てて崩れ去り、周囲の邪気が一気に中へと流れ始めた。



 浄化の力を持つ俺がいるからだろう。

 俺達やジーアスではなく精地に残る魔力を求めて奥へと流れていく邪気を横目に、俺はセラへと視線を向けた。



「闇の大精霊はどんな精霊だ?」


《あんまり会ったことはないけど……ダルクに懐いていたと思うわ》


「……少なくとも相性は悪くなさそうだな」


《ルクスニーシェの力を借りるの?》


「できればダルクが良いが……この状況だ。あいつがどうなっているかわからない。

 それに今の俺はガヴェインの魔力を宿している。

 この状態じゃ君と精霊化するのは難しいだろうし、闇の精地なら闇の精霊の力を借りた方が浄化しやすい」



 大精霊とは初めて会う上に、力を消耗して眠りについている。

 起こしたところで精霊化は無理だろうが、協力を仰ぐ程度の事は出来るだろう。

 不思議そうに聞いて来たセラにそう答えれば、納得してくれたのか少し不機嫌な様子で頷く。



《わかったわ。じゃあ私はダルクの所まで邪気を払うから、キョーヤは力を温存してて》


「あぁ、頼む」



 するりと俺の頬を撫でたセラは俺から少し離れ、手を前へと差し出すように上げる。

 そして暗く不気味な気配に満ちたこの空間では異常なまでに清らかなその魔力で邪気を払い退け、精地の奥へと続く道を露わにしてくれた。


 水の精地の浄化と、ここに来るまでに触れた邪気を思えば、時間がかかればかかるほどセラが危険になる。

 ならばすぐに終わらせる他無い。

 そう思い、ジーアスに戻るよう告げるために振り返ると、彼は真っ直ぐな瞳を俺へ向けていた。



「ジーク様、私も同行します」



 強い決意の籠った声でそう告げたジーアス。

 見ればその手にはいつの間にか一本の剣が握られていて、刀身からは俺の持つ剣のように淡く浄化の力が溢れていた。


 見たところ魔剣ではあるが、浄化の力を宿しているわけではないようだ。

 という事はジーアス自身が持つ浄化の力が魔剣を通して溢れているのだろう。

 浄化の力を持っているなら、共に来てもらえると俺としても助かるが……。



「……わかっているのか? ダルクが正気を保っている確証はないんだぞ。それに君は……」


「王の血筋は私以外にもおります。

 それに私は、魔族の中で最も浄化の力を有する者。足手まといにはなるつもりはありません」



 俺の言いたい事などわかっていたようだ。

 はっきりと告げられた言葉には、随分前から決めていたとわかる確固たる覚悟が秘められていた。



「……本来であれば、私がこの精地を守らねばならなかった。

 王の血を引き、浄化の力を生まれもった私がやるべき事だった。

 でも、ずっとできなかった。私だけでは、ダルク様もルクスニーシェ様も助けられなかった……!」



 震える声に宿る想いは懺悔か、後悔か、激情か。

 握り締められた剣の輝きが強まるのを横目に、俺はジーアスを見据えた。



「……お願いですジーク様。貴方に比べれば弱いこの力ですが、それでも、共に戦わせてください……!

 私も、友を守りたい。ルナを、あの子を助けたいのです……!」



 揺るがない意志を抱いた金色。

 その瞳は、かつて俺に何度も諦めないでくれと願った彼の瞳と同じだ。

 その願いは、俺が幾度も願ったものと変わらぬものだ。


 ──ルナという存在が誰かはわからないが、ジーアスにとって大切なのはわかる。それだけで十分だ。



「……何が起きようと自分の命を優先してくれ。少しでも危険だと思えばすぐに逃げるんだ。良いな?」


「……はい」



 ここで押し問答をしている時間は無く、俺も万全な状態とは言い切れない。

 それに何より、この青年はあいつの息子だ。俺ではその意志を曲げることはできないだろう。

 最低限の約束だけはしてもらい、俺達は精地の奥へと足を踏み入れた。

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