伝わる温もりの煌めき

 これほど語気を荒げるのはいつ以来だろうか。

 後で考えると、邪気の影響を受けて正常な状態ではなかったのかもしれない。

 最期の気力を振り絞っているのか、震えながらも俺に縋り付くガヴェインの腕を掴み、俺は感情のままに声を荒げた。



「最期まで、諦めないでくれ……!」



 魔族の王としての務めも、一人の魔族としての自由も、どちらも諦めなかった。

 人間を強く拒絶する魔族達の思いを背負いながら、道を違えたとはいえ元は同じ種族だと、人間と魔族の共存共栄を諦めなかった。


 どんな苦難にも、最期まで足掻いてやると、お前は笑って言っただろう。

 なのに、お前が諦めるのか。自分が生きる事を、お前が。



「それが、お前の信条なんだろ……! お前の戒めなんだろ……!!」



 そんなお前だから、まだ人形でしかなかった俺と友になろうとしてくれたんだろう。俺に友という存在を教えてくれたんだろう。

 そんなお前だから、残った四か国の王達の中で、最後まで俺が生きる道を諦めないでいてくれたんだろうが。



 世界が滅びる目前だったあの時に、俺が死ねば丸く収まるあの時に、お前は王でありながら、俺が生きる道を探そうとしてくれた。

 世界の存続のためには私情など捨てなければならない王でありながら、お前は俺の逃げ道を作ろうとしてくれた。

 そんなお前が、自分が生きる道を諦めるというのか。

 ようやく、こうして会えたというのに、お前はもう逝くと言うのか。



「俺はまだ、お前と話したい事が山ほどあるんだ!」



 生まれ変わっても求め続けた。

 世界が異なると知っても手を伸ばし続けた。

 無理だと知りながら諦めることができなくなっていた。


 そしてようやく、あの時から長い時を経てしまったこの世界で、カリアや精霊達と違い、寿命のあるお前とこうして会えたというのに。



「もっとお前と、みんなと……っ……みんなと……」



 会いたかった。

 話したかった。

 同じ時を過ごしたかった。


 俺は、もっと──



「──もっと、生きていたかった……!」



 俺だって、生きていたかったんだ。

 死にたくはなかった。

 皆と共に、カリアと共に、滅びを乗り越えた世界を生きたかったんだ。


 それに気付いたのは、全て終わった後、世界の狭間で彼と話してようやくだったけれど。

 それでも俺はあの時、生きていたかったと、そう思ったんだ。




 閉じかけていた金色の瞳が見開かれ、俺を見据える。

 力が入っていた手は緩み、薄く開いた唇が音も無く俺の名を口にする。



「頼むガヴェイン……必ず助けるから、ダルクもお前も、この国も……全て助けてみせるから……!」



 枯れ枝のような腕を掴む手に自然と力が入る。

 先ほどまではガヴェインが縋り付いていたというのに、今度は俺が縋り付くようだ。

 これ以上力を入れれば折れてしまいそうで、歯を食いしばって行き場の無い力を分散させ、叫びたくなる声を必死に抑えて願いを言葉にした。



「生きて、俺を助けてくれよ……!」



 例えいずれ消える定めだとしても、最期の時まで灯し続けて欲しい。

 その温かな煌めきで、俺を、この国を照らして欲しい。


 それでも死ぬというのなら。その輝きを消すというのなら。

 騒がしいのを好むお前には、こんな静寂に満ちた場所での死など似合わないから。

 あの頃と同じ、邪気の無くなった賑やかなラノールの王として──俺が命と引き換えに望んだような、滅びに怯えることの無い、平穏な世界で死んでくれ。



「……一度、死んで……ようやく、そう思ってくれたのか……?」



 ぽつり、と掠れた呟きが漏れる。

 誰に問うわけでも、言って聞かせるわけでもない、ただ漏れてしまっただけの言葉。

 だがそれは、俺にずっと諦めないで欲しいと願っていた彼にとって、ようやく願いが叶ったと知ったがための言葉だった。



「お前らしいなぁ……お前らしいよ、ジーク……」



 細められた目には涙が浮かび、皺だらけの頬を伝っていく。

 どこか面白そうに、どこか嬉しそうに、しみじみと感慨深げに言葉を零したガヴェインは、俺の肩に縋り付いていた手を離し、俺の手を取ろうと手を動かす。

 請われるまま震える手を取れば、老いた魔王はゆっくりと、深く頷いた。



「……わかった」



 掠れているが、強い意志を内包する声が静かな部屋に響く。

 ジーアスと護衛の騎士二人が息を呑む音が聞こえたが、そちらに構う事無く、俺は真っ直ぐ向けられる輝きを灯した金色の瞳を見返す。



「守るためでなく、生きるために……お前と共に生きるために、俺も戦おう……」



 一国の王としては許されない決断だろう。

 あの時もそうだった。お前は王としてはしてはならない決断をした。

 世界の存続がかかっているというのに、たかが一人の命など捨てるべきだと、俺もそう思っていた。

 だが俺は、その決断をしてくれたことが嬉しかったんだ。



「ジーアス」



 ガヴェインに呼ばれ、傍で控えていたジーアスがベッドに近付く。

 悲痛な表情をしているがそれでも気丈に振る舞うジーアスを見て、ガヴェインが少し微笑んだ。



「ジークを、闇の精地に……それから、浄化の力を持つ魔導士達を、ここへ……」



 邪気に蝕まれ出し辛そうにしているが、それでもはっきりとした口調でガヴェインは指示を出す。

 それを聞いたジーアスは目を丸くして息を詰め、まるで絶望の中から微かな希望を見出したような様子で震える唇を動かした。



「父上……では……!」


「……足掻いて、みせるさ……ジークがいるなら、きっとこの国は助かる……」


「っ、畏まりました! 伝令を! 結界を解いても構わない、陛下の浄化を!」



 ガヴェインの言葉に一瞬泣きそうに顔を歪めたが、すぐに切り替えたジーアスは騎士に指示を出す。

 指示を受けた騎士が慌ただしく部屋を出て行くのを横目に、俺はガヴェインの背を支え、身体に衝撃が来ないようゆっくりと寝かせた。



 ガヴェインの身体と彼等の様子からしか判断できないが、ガヴェインは浄化を拒んでいたようだ。

 強力な魔力を持つ彼ならば、その魔力量で体内に邪気を押しとどめ、そういった浄化の力を持つ者達は城や国を守るための力として充てていたとしてもおかしくない。


 俺がここに来ないまま、俺が生きる事を願わないまま限界を迎えていたらどうなっていたか。

 考えたくもないが、お前なら、邪気と共に消滅するための力ぐらい残していただろうな。

 あの時俺がそうしたように。



「ジーク」



 宙を漂う邪気に少し流れが生じたかと思えば、ゲルベーテを始めとする魔導士達が転がり込むように部屋の中へと入って来る。

 魔導士達の表情に違いはあったものの、皆、ガヴェインが浄化を受け入れた事に喜びを感じているらしい。

 泣きそうになりながらもベッドの周りに駆け寄り、それぞれ魔力を練り始めるのを見て、邪魔にならないよう離れようとした時、ガヴェインが俺の名を呼んだ。


 ゲルベーテや周りの魔導士達が怪訝な顔をするのが視界に入ったが、気にせず今も繋がる手に再び力を入れてそれに答える。

 疲れてしまったのか深く細い息を吐き出し、一呼吸置いた後、ガヴェインは手の力を強めた。



「お前に、また背負わせる俺を……許してくれ」



 眉を寄せ、葛藤を滲ませた声で許しを請うガヴェイン。

 その手からは温かな魔力が流れて来ていて、歪みそうになる顔を必死に抑え込んだ。



「……お前も一緒に戦ってくれるんだろ? それで、十分だ」


「……あぁ、今度は俺も……戦うぞ」



 邪気をその身に抑え込み、最期の時のために溜め続けていた魔力。

 それを俺に譲渡するという事は、そういう事だろう。

 こんな状態なのだから全て自分のために使えばいいのに、本当にお前は変わらない、お人好しだ。


 場所は違えど、力だけだとしても、共に戦うために。

 ガヴェインは自分の命の全てを俺に託す事を選んだ。

 その信頼に応えるために、俺は注がれる魔力を黙って全て受け止めよう。



「ガヴェイン、すぐに戻る」



 だからそれまで、死なずに待っていてくれ。

 繋いだ手から流れて来る魔力を受け取り、願いを込めた言葉を告げる。



「待ってるぞ、ジーク」



 寸分違わずに俺の想いを読み取ってくれたのだろう。

 力強く背中を押すように魔力を注ぎ、確かな言葉で応えてくれた友の手を離す。


 正直、あれほど邪気に蝕まれているガヴェインをここにいる魔導士達の力で浄化しきれるかと問われると、怪しい所だ。

 軽く見た程度だが、今いる魔導士達の力だけでは足りないように思える。

 ガヴェインがどれほど正気を保っていられるかによるだろう。



 本当なら、俺に魔力を渡さず自分のために使ってほしかった。

 だがガヴェインは俺に全てを託し、邪気と戦う事を選んだ。俺なら、この国を救えると信じて。

 ならば俺も、俺の戦いの場に赴かなければ。友の信頼に応えなければ。



 後ろ髪を引かれる思いがするが、ジーアスと頷き合い、俺達はガヴェインの部屋を後にする。

 向かうは闇の精地の最深部。

 邪気に蝕まれようと、それでも精地を守るために俺の家族──闇の精霊ダルクが戦っているその場所だ。

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