友であり、心の師である王よ
内装など装飾品に変わりはあるものの、城の造りはあの頃と何ら変わらないようだ。
覚えのある道をジーアスに案内されながら進んでいると、ジーアスが顔を少しだけこちらに向けた。
「陛下は今、床に臥せっておいでです。
貴方が訪れたと聞き、何とか起きている状態なので、陛下の自室での面会となります」
「……わかった」
半ば走っているのではないだろうか。
そう思うほど早足で進むジーアスは、速度を緩めるどころか徐々に早めながらそう告げられ、短く頷き返す。
魔王は、一体どのような状態なのだろう。
言葉の端々から窺う限り、思わしくない状態なのはわかる。
それに城内に幾重にも張られている結界を越える度、邪気が少しずつ濃くなっている。
王都に比べれば何倍も薄いが、一国の王の自室ともなれば最優先で守られているはずだ。
だというのにそこへ向かうにつれて邪気が濃くなっているなど、何かがおかしい。
「ジーアス殿、聞かせてくれるか。
闇の精地はどうなっている? 魔王は、どのような状態だ?」
速度を速めてジーアスに並び、その横顔に問いかける。
ジーアスは一度目を伏せ、悲哀に満ちた金色の瞳をこちらに向けた。
「闇の精地を侵している邪気は、城を通して王都へと流しています。そのため精地の中は王都よりまだ邪気が少ない状況です。
ですが大精霊は眠りに着き、英霊様もまた、精地を維持するために精地を蝕む邪気を取り込まれました。
……英霊様と陛下のおかげで精地はしばらく持つと思いますが、このままでは精地の崩壊は免れないでしょう」
「陛下の、おかげ?」
英霊の事──ダルクの事はセラからも少し聞いていた。
ダルクは精地を守るために邪気を取り込んだ、と。
だが、彼の事は何も聞いていない。
肩の辺りに感じるセラの気配へと視線を向けるが、セラからは何も聞こえて来ない。
ジーアスがいるからか、それとも何か話せない理由があるのか。
沈黙を決めるセラから視線を外し、ジーアスへと戻す。
俺が理解しきれていないのが伝わったのだろう。
ジーアスは眉を下げ、大きく瞳を揺らしたかと思えば、唇を噛み締め、ゆっくりと息を吐き出すように言葉を続けた。
「……陛下は英霊様と同じ行動をなさいました。意味は、わかりますね?」
英霊と同じ行動。
つまり、それは──
「詳しい事は後でご説明いたします。どうぞ、中へ」
愕然としている間にも、目的の部屋に辿り着いていたらしい。
ジーアスが示した扉は昔と変わらぬ銀の装飾が施されていて、キリエと同じ軍服を身に纏った騎士らしき魔族が二人立っている。
二人の騎士は見知らぬ存在である俺に警戒する素振りを見せたが、ジーアスが手の振り一つでそれを止めさせ、扉を開けさせる。
ゆっくりと開かれる扉からは懐かしい魔力が漂ってくるが、それと同時に感じ取れたのは、都を満たすそれと同じほど深い邪気だった。
「父と、話をしてあげてください……ジーク様」
その言葉が耳に入ったかどうか。
俺は奥から溢れる邪気に誘われるかのように足を進める。
職人達の技術が盛大に取り入れられた家具によって機能的且つ格調高く飾られている。
そんな中で特に目に入ったのは、大きな天蓋付きのベッドだった。
天蓋は降ろされておらず、はっきりと見えるそこには老人が一人、クッションに埋まるように横になっているのが見える。
横を見れば壁を埋め尽くすほど棚があり、何かの小さな欠片から、俺の身の丈ほどある剣など、様々な物がそれぞれの特徴が一目でわかるように並べられているのが見えた。
そういえば、一度共に旅をした時、寝相が悪すぎて毎晩のようにベッドから転がり落ちていたか。
こっそり城を抜け出して、色々と持ち帰ってきては、幼馴染であり側近であるテナー殿にこっぴどく怒られていたな。
お前が俺を共犯者に仕立て上げるようになってから、抜け出す時はその都度ダルクを通して連絡を入れるよう頼まれていたんだぞ。知っていたか?
あの頃と変わらない、彼らしい部屋だからだろう。
一歩進む度に、脳裏にあの頃の思い出が甦ってきて、胸が締め付けられる。
ベッドの横に立ち、横になる老人の顔を覗き込む。
先ほどの騎士達だろう。背後から鋭い視線を感じたが、そんな事構っていられない。
声を出そうと口を開くが、緊張で喉が酷く乾いていて思うように声が出ない。
そんな俺の気配を感じ取ったのだろう。
閉じていた老人の瞳が薄く開かれ、その金色の瞳を俺へと向けた。
「……本当に、お前なのか……」
俺を映した途端、瞳を大きく見開き、しゃがれた声でうわごとのように呟く老人はよろよろと俺に向けて手を伸ばす。
──最期に会った時は、俺と変わらない容姿をしていたというのに、なぁ……。
声にできない思いを唾ごと飲み込み、小さく息を整え、その皺だらけの手を取る。
そして震えそうになる声を必死に抑え、その名を口にした。
「──ガヴェイン……!」
「──ジーク……!」
どれほど老いていようとも、どれほどしゃがれていようとも、何も変わらない。
俺の友、魔王ガヴェイン・アル・ガイスト・ラノールが、最期に別れた時と変わらぬ泣きそうな声で俺の名を呼ぶ。
繋いだ手は隠しきれない邪気を帯びているが、それでも確かな力と温もりを持つ勇士の手だった。
「夢の、ようだ……お前にこうして、再び会えるなど……」
「ガヴェイン……」
「神の国で、会う事になる……そう、思っていたのに……」
夢の中で微睡むかの如く、ガヴェインは俺の手を弱々しい力で握り締めて呟く。
それは自分に夢ではないと言い聞かせているかのようだ。
その言葉に、その温もりに──俺も、夢なのではないかと思ってしまうのは愚かか。
強い力を持つ魔族は、ドラゴンと同じように長い時を生きる。
その容姿も、その寿命に応じて変化していくと聞いていた。
けれど今目の前にあるその姿は、記憶にある姿からは随分と老いた物だ。
抱えられるほど幼かったドラゴンが長と呼ばれるまでに成長し、強い力を持つが故に魔族の中でも長い時を生きる運命にあった友が老人になっている。
俺が死んだあの日から、一体どれほどの時が過ぎたのだろう。
一体どれほどの別れがあったのだろうか。
もしもを考えても意味が無い。
戻ってこれただけでも、こうして生きてガヴェインに会えただけでも幸福な事だとわかっている。
だが、俺はあの頃と変わらず欲深いのだろう。むしろもっと欲深くなってしまっている。
夢であれば、どれほど良かっただろう。
もっと、早くこの世界に帰って来ていたら、他の友にも会えたのだろうか。
家族を、大切な存在全てを、苦しめずに済んだだろうか──なんて、考えてしまう。
これは夢では無い、これは現実だ──俺は、今この時に帰って来たんだ。
そう伝えるために、自分自身に言い聞かせるためにその手を力強く握り返す。
その時、ガヴェインが急に咳き込んだ。
「ガヴェイン!」
「陛下!」
顔を横に背け、苦しそうに咳き込む彼の身体を起こさせその背を支える。
ジーアスが騎士達と共に駆け寄ってくるのが音でわかっていたが、それよりもガヴェインの口から吐き出されたそれに目が行く。
ガヴェインが咳き込み、シーツへと吐き出したのは──結晶化した邪気だった。
「お前、身体が……!」
シーツに転がる結晶は、周囲に溶けていくように黒い霧と化していく。
まさか、体内で結晶化するほどの量の邪気を、ガヴェインはその身に内包しているというのか。
背に当てた手に魔力を集め、老いた身体を軽く診れば、その身体の中は最早邪気の巣窟と言ってもおかしくないほど邪気に満ちていた。
「……そうだ……この身は邪気に侵され……もう、動く事もままならん……」
結晶化した邪気をある程度吐き出し、少し落ち着いたガヴェインは苦しげに眉を下げ、自嘲する笑みを浮かべる。
声自体はガヴェインそのものだ。顔も、年老いたとはいえあの頃の面影が強く残っている。
だがその声には、あの頃の快活な響きも、王としての覇気も無く、弱り切ったその表情は病に臥せる老人のその物だった。
「っ、すぐに浄化を」
今すぐにでも浄化しなければ、ガヴェインの命は無い。
しかもこの邪気の量だ。魔力の量とその精神力で正気を保っているようだが、カレウスの時のように魂まで邪気に侵されていると思って良い。
この世界に生まれる者は俺のような例外はいるが、基本的にそれぞれ得意な属性を持って生まれる。
そしてその属性はその者にとって主となる属性だ。
闇の精地で生まれて育ったというガヴェインは強い闇属性の魔力を宿していたはず。
本当なら闇の精霊であるダルクと精霊化すれば最も効率良く浄化できるが、それでも普通に浄化するより精霊化した方が強い浄化の力を使う事ができる。
セラに目配せを行い、精霊化を行うために魔力を練り上げようとしたが、ガヴェインは俺の腕を掴み、それを遮った。
「構うな、ジーク」
「だが……っ」
「自分の身体だ……自分が一番、わかっている……」
手を取った時と変わらず弱々しく、だがしっかりと俺の腕を掴み留めるその手に自分の手を重ねる。
あぁ、そうだ。そうだろう。これほどの邪気に侵されていながら、正気を保ち、今もこうして生きているのがおかしいほどだ。
浄化したとしても、浄化しきれたとしても、ガヴェインの命の灯火はすぐに消えてしまうほど弱り切っているはずだ。
自然と重ねた手を繋ぎ、痛くならない程度に力を込めて握り締める。
浄化したところで僅かな時を稼ぐだけ。ガヴェインはいずれ死を迎える。そう、わかっている。
──だからといって、そう簡単に友の死を受け入れられるはずがないだろう……!
「……そんな顔を、するな……ジーク」
あまり自覚は無いが、俺は今、酷い顔を晒していたらしい。
どこか嬉しげな声に指摘されて少し俯いていた顔を上げる。
なぁ、ガヴェイン。
邪気に侵され今も苦しんでいるというのに、どうしてそんな、穏やかな顔をしているんだ?
「お前が居なくなったこの世界で、300と、3年……。
私は……俺は、もう……十分過ぎるほど生きた……。
だというのに、またお前に会えたんだ……こんなにも嬉しい事は無い……」
声を出すのも辛いだろうに、ガヴェインは穏やかに、満足そうに言葉を紡ぐ。
どこか晴れやかに細められた金色の瞳が一度閉じ、ゆっくりと開いてこちらを映す。
そして驚いた様子で見開かれたその瞳に、俺の顔がどのように映っているのかなど、わからなかった。
「そう、か……それほど、経っていたのか……あの日から、そんなに……」
道理で知らない国が建国されていたわけだ。文字や通貨が異なるわけだ。道理で、家族や友の姿が変わっているわけだ。
御影響夜となってからの17年。
その間に、こちらではそれほどの長い年月が流れていたのか。300年もの、長い時が。
予想はしていたが、想像以上に長い時が流れていたのを知り、呆然と呟く。
そんな俺にガヴェインは目を細め、緩く首を振って独り言ちた。
「……そうか……セラはまだ、話せていないのか……」
セラが話せないと言った事についてはガヴェインも知っているのか。
動揺から手に込めた力を緩めるが、今度はガヴェインが力強く、俺の手を握り締める。
「セラを、精霊達を許してくれ……彼らは、責務を背負わされただけなんだ……俺達が、そうさせた……」
身体を無理矢理動かして俺に縋り付き、まさしく懺悔するかの如く訴えるガヴェイン。
無理をしたせいか、再び咳き込み黒い結晶を吐き出した彼を支えれば、ガヴェインは俺の肩を掴み、苦痛の滲む声で更に願った。
「ジーク……ダルクを、頼む……今ならまだ、間に合うはずだ……」
──お前は、王だ。
この国を慈しみ、守り、繁栄をもたらす責務にあり、そのためには死をも覚悟していると、昔語っていたな。
「頼む、ジーク……ダルクを、精地……を……この、国を…………!」
「──諦めるなよ……!」
その思いも、覚悟も何ら変わらないんだろう。
だが、だがな──俺に『最期まで諦めないでくれ』と、最初に言ったのはお前じゃないか。
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