今は無き思い出の日常

 黒い濃霧に包まれた街は恐ろしいほど静かで、石畳を打つ三人分の足音は邪気に呑まれ消えていく。

 王都を塞ぐ結界のせいで、邪気は流れ動くことなくこの都に留まり続けているのだろう。

 水の精地で触れた物とは少し違う、沼地に沈み込むような重苦しい邪気が淡い結界の外を蠢いている。


 蠢く邪気に夜の暗さも合わさった視界は、結界が淡く光を放っているというのに少し先も見えないほど暗い。

 辺りを見回しても灯り一つ見えず、本当に城に向かっているのかと疑問に思ってしまうほどだ。



 前を歩くゲルベーテは先ほどから一言も話そうとせず、声を掛けることも拒むような様子を見せている。

 そんなゲルベーテの斜め後ろを行くキリエは、こちらを気にしてはいるようだが、人間を嫌っているらしいゲルベーテの気分を害したくないのか口を噤み、ただ黙って周囲の警戒に当たっていた。



 本当ならなぜこんなにも邪気に溢れているのか聞きたかったのだが、ゲルベーテは俺の声すら聞きたく無いらしい。

 俺が一言でも声を出そう物なら刺すような視線を向け、無言で黙るように圧を掛けて来た。


 移動式の結界を維持させるには意識を集中させ続けなければならない。しかもそれが浄化の結界となれば、難易度は各段に上がるはず。

 結界を張ってもらっている以上彼女の意識を乱したくは無いため、あの扉から出た時以来、話を聞けずにいる。

 ただ、進むにつれてどんどん濃くなっていく邪気に、確かに城へと向かっているのはわかっていた。



 何故これほどまでに邪気を留めているのだろうか。

 王都を侵す邪気の濃さは水の精地よりも酷いように思える。

 浄化の力を持つ俺でさえ気分が悪くなりそうなほど濃い邪気に、自然と顔を顰めてしまう。



《キョーヤ、大丈夫?》



 そんな様子に心配してくれたのか、セラが耳元で囁き様子を窺ってくる。

 俺よりも魔力の集合体である精霊のセラの方が辛いだろう。



《俺は大丈夫だ。セラこそ大丈夫なのか?》



 精霊化はお互いの魔力を共有し、均整を保たなければならない。

 強い力を使うためには、その分お互いに同じ量の魔力を使わなければならなかったのだ。

 場所が彼女のホームである水の精地だったため、水の精霊であるセラは勿論、精霊化していた俺も周囲からほぼ無制限に力を集めることができたが、それは魔力の消費を抑えただけだ。

 大量の魔力を操るために俺が消耗したのと同じだけセラも消耗しているはず。


 それ以前に、セラは邪気に侵され崩壊寸前だった水の精地を守り続けていた。

 カレウスが邪気に堕ち、大精霊と呼ばれる精霊が眠りについてしまった後も、ただ一人戦い続けていたんだ。


 事実、精霊化した時に邪気が流れ込んで来るほど侵されていた。

 あの時にまとめて浄化したとはいえ、セラは万全の状態では無い。むしろこんなところに居てはならない状態だ。



《あなたに浄化してもらったんだもの。これぐらい平気よ》



 今からでも遅くない。セラは外で待っていてもらうべきか。

 そう考えながらも魔力を通して言葉を伝えれば、俺の考えまで読み取ってしまったのだろうか。

 先も見えないほど邪気に覆われたこの街には似合わない明るい声色で返された。



《……あまり俺の傍から離れないでくれ》



 ゲルベーテが張っている結界もあるが、今の俺が持つ浄化の力は恐らくカリアに並ぶほど強い。

 何故か以前よりも強くなっているこの力なら、自然と邪気を遠ざけることができるだろう。

 それはセラもわかっているようで、姿は見えないものの彼女の気配がさっきよりも近い位置に移動する。




 その時、不意に邪気が流れているのに気付いた。

 どうやら道の先から邪気が流れて来ているらしく、ゲルベーテは迷う事無く流れに逆らうように進み続けている。

 今までは行き場の無い邪気が留まり蠢いていたというのに、何故急に流れができているのだろうか。

 疑問に思いながらもついて行けば、一瞬、流れる邪気の隙間から何か見覚えのある物が見えた。



「あれは……!」



 温存しておかなければならないというのに、ほとんど無意識に魔力を手に集め、大きく振るう。

 俺の手から放たれた魔力が邪気を押し流し、一時的に視界が晴れ、

 篝火一つ灯されていない道には、客人を迎え入れるように石の柱が幾つも並んでいる。

 その先には灰の城壁がそびえ立ち、漆黒の装飾がなされた紅の門が開かれていた。


 誰一人居ない、無人の開かれた門の先。

 流れる邪気に遮られ、一瞬しか見えなかった荘厳な城。



 その城は忘れるはずがない。

 俺が俺だった頃、何度も迎え入れられ、何度も見送られた魔王城の姿だった。




 ──俺の知る魔王城は、とても賑やかな場所だった。

 兵士達が訓練する音、魔導士の実験が失敗する音、使用人の誰かが食器を割る音、親衛隊の護衛が魔王を探し回っている音。

 そんな音が日常に溢れる賑やかな場所だった。


 最初の頃こそ人間である俺も嫌悪され、拒絶されていたが、友好を深め、信頼を得た後はいつも喜んで迎え入れてくれた。

 城に仕える年配の魔族は良く菓子をくれたりしたし、血気盛んな若い兵士達は会う度に手合わせを願ってきて、他の国の話を聞きたがる使用人と話すことも良くあった。

 この国をもう一つの母国と思えるほど、俺達は長い時をここで過ごしたんだ。



 それが、どうだ。



 城を守るはずの門は開かれ、警備に付く者はおろか、歩く者など誰も居ない。

 兵士も、魔導士も、使用人も、誰も居ない。


 警備は邪気のせいで致し方ないのかもしれないが、それならば門を閉めているはず。

 そもそも、流れる邪気の出所は、どう見てもその門の先。あの城だ。

 城が邪気を放っているかのようなその有り様に、俺だけでなくセラも言葉を失くし、その場に立ち止まってしまった。



「キョーヤ殿」


「……すまない」



 呆然と立ち止まってしまったが、その間もゲルベーテは先へと進んでいる。

 困った様子でキリエに声を掛けられ、少しだけ離れてしまっていた結界の中へ入り込むと、ゲルベーテは歩く速度を速め、城の中へと進んでいく。



 城の中は一体どうなっているのだろうか。

 ダルクはどうしているのだろうか。


 早く知りたいと思うのに、これ以上は見たくないと思ってしまう。

 それでも進むしかないと、足取り重くゲルベーテの後を追った。




 二人の後を黙って着いて行き、城の中へと入る。

 門だけでなく、城内の警備もほとんど機能していないようだ。

 城内は街と同じように静けさに満ちていて、誰かにすれ違うことも無いまま進んでいく。

 そして角を曲がった先に、廊下を塞ぐようにゲルベーテの結界と似た光を放つ結界が現れた。


 邪気を寄せ付けないその結界に、ゲルベーテとキリエは足を止めることなく近付き、通り抜けていく。

 俺もそれに従い結界を通り抜けると、先ほどまで周囲を蠢いていた邪気は薄れ、ただの静かな廊下が続いていた。



 良く見ればこの廊下には同じ結界が幾重にも張られているらしい。

 一つ、また一つと結界を通り抜ける度に空気が清浄化されていくのが感じ取れる。

 そして三つ目の結界を通り抜けた時、ゲルベーテは立ち止まり、小さく腕を振るって結界を解いた。



「私はここで失礼する。

 これ以上人間と共にいるのは御免だ」


「ですが、ゲルベーテ殿」


「私には私の役目がある。それはお前も重々承知のはずだな?」


「……はい」



 そう言ってゲルベーテは一瞬俺へと視線を向け、ローブを翻してどこかへと去って行く。

 礼を言おうにも一瞬向けられた視線は鋭く、感謝の言葉すら拒絶しているのがすぐにわかるほどだった。

 そのため何も言えないまま、廊下を右へと進んだその姿が見えなくなるまで見送ると、何故かキリエが俺へ頭を下げた。



「申し訳ありませんキョーヤ殿。どうかゲルベーテ殿の非礼をお許しください」



 何事かと思えばゲルベーテの態度についてか。

 元はただの村人だった俺にとって、相手が魔族であれ人間であれ、あのような態度をされるのは良くある事だった。

 そのため気にしていなかったのだが、キリエにとっては重要な事のようだ。

 一部の乱れも無く姿勢を正し深々と頭を下げるキリエに対し、頭を上げてもらおうと口を開くが、その前にキリエが頭を下げたまま言葉を続けた。



「あの一件で人間達に失望してしまい、あのように人間を突き放すようになってしまいましたが、本来はとてもお優しい方なのです。

 邪気を防ぐ日々に疲弊し、精神を蝕まれ、制御できない負の感情に苛まれているだけで……あなた方人間達を心の底から嫌っているわけではありません。

 今もきっと、心の奥底では人間達に深い友愛の情を抱いているはずです」



 それはまるで、希うかのような響きを持っていた。

 苦悩を滲ませるその言葉からはゲルベーテへの彼の感情が見え、俺は下げられたままの頭を見つめる。



「全て邪気によっておかしくなってしまっただけなのです。

 だからどうか、あの方をお許しください」



 きっとキリエはゲルベーテにそう在って欲しいと願っているのだろう。

 そしていつか、彼女が彼の希う元の彼女に戻った時、人間である俺が彼女を嫌悪し拒絶しないように、こうして頭を下げている。



 ──俺も、そうなるのだろうか。



「許すも何も、彼女には結界を張ってもらい、ここまで連れて来てもらったんだ。感謝こそあれ怒りなんて無いさ」


「……ありがとうございます」



 俺の言葉にキリエはもう一段階深く頭を下げる。

 そしてゆっくりと上げられた彼の表情は、先ほどより少しだけ柔らかな物だった。




 城に入るまでとは打って変わり、棘の無くなった空気の中、キリエを先導に城を歩く。

 道中ゲルベーテと同じ格好をした魔族とすれ違ったりもしたが、基本的には会話も無く、静かな物だ。

 だがそれは決して居心地の悪い物では無く、今なら色々と話を聞けるだろう。



「キリエ、あの一件とは何があったんだ?」



 邪気についても聞きたいが、今一番気になるのは先ほどキリエが言っていた『あの一件』についてだ。

 キリエの言葉を信じるならゲルベーテは俺の知る魔族達のように人間達と良好な仲を築いていたはず。

 そんなゲルベーテが人間達に失望し、拒絶する原因となった一件とは一体何なのだろうか。


 これは勘だが、恐らくそれはこの王都を蠢く邪気とも関係があるだろう。

 そう思い訊ねれば、キリエは手を強く握り締め、さっきとは全く違う、感情を押し殺した声で答えた。



「……勇者召喚です。あれのせいで、我らがラノール王都ランディリアは邪気に包まれてしまう事態に陥りました」


「……何だと?」



 俺がこちらの世界に戻るきっかけとなった勇者召喚。

 あれはこの世界を救うために、女神が指示して行われたと聞いている。

 だというのに、どうしてランディリアが邪気に包まれる原因になったんだ?


 思考を巡らすが点と点は繋がらない。

 詳細を聞こうとしたが、その時廊下の先から微かに誰かの魔力を感じ、そちらへと視線を向ける。

 俺の様子に小首を傾げたキリエもそちらへと視線を向けると、廊下の角から一人の青年が現れた。



「キリエ」



 魔族は人間と違い魔力の強さで寿命が異なる。

 姿を見せた青年は人間でいえば20代後半の容姿に見えるが、その魔力の質は高く、完璧なまでに制御されている。

 はっきりとは判断できないが、150か、180歳程度だろうか。


 ──どこか友に似た魔力と、友と同じ黒に近い紫の髪をしたその青年は、友とそっくりな金色の瞳を俺に向けた。



「で、殿下……!?」



 キリエが驚きに満ちた声でそう呼んだ彼は、慌てて礼を取るキリエに笑みを向ける。



「そちらが件の、キョーヤ・ミカゲ殿ですね?」


「はっ」


「良くここまで案内してくれました。

 彼は私が連れて行きます。貴方は持ち場に戻ってください」


「……はっ」



 青年にそう告げられ、キリエは一瞬迷いを見せたが頷き下がる。

 そして一度青年と俺に向け礼を行い、どこかへと去って行った。




 キリエの足音が遠ざかり、自然とキリエに向けられていた青年の視線がこちらへ戻る。

 一度俺の背後へと視線を向けた後、彼は納得したように頷き、俺へ一歩近付いて再び笑みを浮かべた。



「申し遅れました。

 私はジーアス・アル・ガイスト・ラノール。この国の王子です」


「キョーヤ・ミカゲと申します。殿下」



 ジーアスと名乗った彼へ向け、フードを外し左胸に右手を当て、深く頭を下げる。

 こういった態度を取るのはいつまで経っても慣れないが、一国の王子に対して無礼を働くわけにはいかない。

 どこかおかしい所は無いか内心不安になっていると、ジーアスは慌てて手を振り顔を上げるよう促してきた。



「そう畏まらないでください。キリエやゲルベーテと同じような話し方で構いませんよ。

 ……セラ様がご一緒ということは、そういう事なのでしょう?」



 一体どこから見ていたというのだろう。

 そんな疑問も、セラの名前を言われて吹き飛んだ。

 顔を上げてジーアスを見れば、その金色の瞳には涙が浮かび、その表情には微かな緊張と強い喜びが浮かんでいた。


 彼はセラを知っているんだ。

 そして、俺の事もわかっている。



「本当ならば貴方様には心より感謝を述べたいのですが、生憎そうしている時間がありません。

 さぁ、こちらに。陛下の自室へとご案内いたします」



 眉を下げ、俺に対し確かな親愛の情を見せるジーアスはそう告げて先を歩き出す。

 一度セラと顔を見合わせた後、少し早足で進む彼とはぐれないよう俺達も歩き出した。

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