友の国

 少しずれていたフードを被りなおし、静かに門番の元へと近付くと、一人の門番がこちらに気付いたようだ。

 げんなりとした様子を見せたがそれは僅かな間で、すぐさま俺へと身体を向けて姿勢を正した。

 一瞬俺の背後へ視線を向けた辺り、何かいるのには気付いているようだが、それが何かはわからないらしい。

 彼はそれ以上気にする事も無く、顔を隠している俺へ怪訝な視線を向けた。



 以前と変わらないのなら、魔族は魔力に長けた種族のはず。

 そのため精霊の気配などにはエルフ並に敏感なのだが、それ以上に彼女が気配を消すのが上手いのだろう。


 門の前はどうあっても視線が集まる。

 今ここで騒がれずに済んでいることに安堵して、俺は門番の青年へと声を掛けた。



「中に入ることはできないのか?」


「申し訳ありませんが、現在入国を制限しているのです。どうかお引き取りください」



 まるで定型文を繰り返すかのように、門番の青年は視線すらろくに合わせようとせずにスラスラとそう告げる。

 想定はしていたが、やはり取り付く島も無い様子で断られてしまったが、これで引き下がるわけにはいかない。

 ここで諦めれば不法侵入しなければならなくなるんだ。

 後で問題になりそうな方法はなるべく避けたいというのに、このままでは『ろくに取り次いでもらえず致し方なかった』と、言い訳することになってしまう。



「急いで会わなければならない友人がこの中にいるんだ。

 せめて門を閉じている理由だけでも教えてくれないか」


「申し訳ありませんが、それはできま……!?」



 少し詰め寄り理由を尋ねた俺に、門番の青年が面倒くさそうにしながら拒絶の言葉を紡ぐ。

 言い切る直前、魔族の特徴の一つである金色の瞳と目が合ったかと思えば、彼は突然息を呑んだ。



「その、瞳は……」



 呆然と呟かれたその言葉に、一歩後ずさりフードを引っ張る。

 どうやら彼は俺の瞳を見て驚いているらしい。

 この色は教会に忌避されているとは聞いていたが、魔族もそうだったのだろうか。


 もしもの時のため、すぐにでもその場を離れられるように身構える。

 だがそれは杞憂に終わった。



「……もしや、キョーヤ・ミカゲ殿、でしょうか?」


「あ、あぁ。そうだが……」


「ようこそランディリアへ。貴殿の来訪を、ずっとお待ちしておりました……!」



 先ほどまでの拒絶の空気が一変し、門番の青年が詰め寄るように俺に近付き笑みを浮かべる。

 まるでずっと背負っていた重い荷物を下ろせたのかと思うほど解放感に満ち溢れた表情だ。

 門番の青年の豹変ぶりに戸惑う俺に構う事無く、彼は俺を門の端に備え付けられた扉を示し、進むよう促してきた。



「ここでは何ですからどうぞ中へ。すぐに案内の者を呼びますので、少々お待ちください」



 その前に色々と聞きたいのだが、こちらの異変に気付いた人々に騒めきが広がっているのが聞こえて来ている。

 これ以上ここに踏みとどまっていても騒ぎに巻き込まれるだけだろう。

 教会の人間もいる以上、この色が露呈しかねない行動は避けたい。


 何より、セラの情報と青年の表情からして彼らはずっと俺を待っていたようだ。

 何故俺を探していたのか。何故俺を知っているのか。

 引っかかる事が幾つかあるが、無理をせずに入れるのなら断る必要も無い。



「……わかった」



 特に何かした覚えは無いが、色のこともある。

 もしこれが俺を捕らえる罠だとすれば力ずくで逃げ出す心積もりだけはしておき、俺とセラは青年に促されるまま扉へと向かった。




 扉の奥は門番達の詰所になっていたようだ。

 門の前に立っている二人とは違う、先ほどの騒ぎでも見かけた門番達が思い思いに休憩していた。

 彼らも最初は怪訝な顔をして俺を見ていたが、俺を連れて来た青年の説明と、俺の目を見てすぐさま行動を起こした。



「ほ、ほんとに来た!? 城に連絡してきます!」


「騒がしくてすみません。しばらくこちらでお待ちください」


「おいフェル! お前も行くぞ! 隠れるな!」


「これで何回目っすかぁ……やだぁ……!」



 ある者はどこかへ連絡し、ある者は座れる場所へと案内し、ある者は表が少し騒がしくなっているのを聞きつけ外へと出て行く。

 騒ぎの原因は十中八九俺が中に入れられたことだろう。

 嘆きながら出て行く門番の後ろ姿に何とも言えない感情が湧くが、俺にできることなど無い。

 そのため大人しく言われた通り待っていると、少しして俺が入って来た扉とは別の扉が開き、そこから黒い軍服のような姿をした青年が現れた。



「あなたがキョーヤ殿ですね。 私は魔王軍親衛隊所属、キリエと申します。

 どうぞこちらへ。城へとご案内致します」



 親衛隊とはまた大層な人が来たものだな。

 門番達とは違い、お堅い印象を与えるその青年は、俺に向けて一度目礼してからそう告げた。



「城に? 俺をか?」


「はい。魔王陛下のご命令です」



 ──魔王というと、一人の友人が思い浮かぶ。

 世界が終わりに近付いたあの時、俺に「逃げ道を作るから生きてくれ」と言ってくれた、王になるには優しすぎた友。

 あの頃は彼が魔族の王として治世を行っていたが、今もそうなのだろうか。


 だとしても、彼が今の俺を呼ぶ理由がわからない。

 今この世界で俺が俺であることを知っている存在はセラ、レンス、カレウスの三人だけだ。

 精霊すら拒む結界で囲われていたこの王都に、俺のことが伝わっているとは思えない。



 思考を巡らせる間にも、急いでいるのかキリエが無言で圧をかけて来るのを感じる。

 精地は城の地下にあるはず。王城ともなれば警備は厳重だろうが、正式に案内してもらえるならこれに越したことはない。

 少し警戒しているのか微かに魔力を揺らがせるセラに目配せを行い、キリエの案内に従って詰所を後にした。






 キリエに案内されるがまま薄暗い廊下を歩くと、やがてさっき通った扉とは違う、赤い装飾のされた扉が見えて来た。

 扉の前には見張りなのかキリエと同じ軍服姿の魔族が二人と、黒いローブ姿の魔族が立っている。



「ゲルベーテ殿」


「あぁ、来たか。貴様が陛下がおっしゃっていたキョーヤ・ミカゲだな?」



 キリエがそう呼ぶと、ローブ姿の魔族がこちらを向く。

 ゲルベーテと呼ばれたその魔族は、ローブから僅かに見える顔と声から判断するに女性のようだ。

 篝火の灯りを受けて輝く鋭い金色の瞳がすぐさま俺へと向けられ、怪訝そうに顰められる。



「見たところただの人間だが……その後ろのは精霊か。なるほど、その程度の価値はある、と」



 探るような視線を向けていたゲルベーテは俺の後ろを見て一人納得するように呟く。

 どうやら彼女は魔族の中でも特に魔力に長けた、魔導士のような存在のようだ。

 精霊という単語に他の三人がそれぞれ片眉を上げたりと反応を見せていたが、ゲルベーテは構う事無くローブを翻し、扉へと向き直った。



「時間が無い。私の傍を離れず着いて来い。理由は見ればわかる」



 ゲルベーテは俺に向けてそれだけ告げ、扉の前に立っていた二人に扉を開けるように指示を出す。

 どうやら彼女は俺を嫌っているらしい。

 離れるなと口では言っているが、その顔は嫌悪の色で溢れているのがわかる。

 出会ったばかりなので俺個人では無く、単純に人間が嫌いなのだと思うが、その対応にセラが気分を害してしまったようだ。



《……沈めてやろうかしら?》



 傍にいる俺にだけ聞こえる程度の音量で、そう小さく呟く。

 本気なのかセラから微かに冷気が漂ってきていて、咄嗟に右手で彼女の手を取った。


 この程度、銀龍の使者としてラノールに訪れた頃に比べれば可愛い物だ。

 それはセラも覚えていると思うのだが、俺が居ない間に随分と短気なってしまったのだろうか。

 今にも姿を現してしまいそうなほど怒気を露わにするセラに、魔力を通して落ち着くよう伝え、どうにか宥めながらキリエと共にゲルベーテの後ろに立つ。




 ──そしてゆっくりと開かれた扉の先の光景に、俺もセラも、怒りなど消え失せた。




 レンスの背に乗って上空からこの都を見下ろした時、通りに人の姿がほとんど無かったとはいえ、確かに人は歩いていたし、建物には灯りが点いていた。

 だというのに、今この目に映る街中に見える人影は一つも無く、夜の暗闇に浮かぶ光は今しがた出て来た扉の両側にある篝火しかない。



 ──いや、違う。これは夜の暗闇ではない。

 黒い霧のようなそれは、見紛う事無い──邪気その物だ。



 思わず後ろを見上げれば、先ほどまでどう越えようかと考えていた城壁がそびえ立っている。

 俺達は今、間違いなく城壁の内側に立っている。

 まさかあの結界は幻影も映し出していたのだろうか。

 再び辺りを見渡し目を凝らすが、目に映るのは街並みを当たり前のように漂う邪気だけだった。



「これ、は」


《まさか……そんな……!?》



 悍ましい光景に俺もセラも言葉を失くす。

 これは、つい先ほど見た、邪気に侵された水の精地とほぼ同じだ。


 まさか、友が愛したこの国が──ラノールの王都ランディリアが、邪気に堕ちたのか。

 俺とセラが呆然と呟くとほぼ同時、背後で扉を閉じる音が不気味に響き渡った。




 閉じられた扉の前で呆然と辺りを見渡していると、前に立っていたゲルベーテが唐突に詠唱を行い始める。

 聞いた事の無い詠唱にゲルベーテを中心に広がる魔法陣へと視線を向ければ、次の瞬間、淡い光を放つ結界が広がった。


 半径一メートルほどだろうか。

 ゲルベーテを中心に張られたその結界は小さいが、周囲の邪気を寄せ付けない確かな輝きを放っている。

 見た限り、術者を中心に展開される移動式の浄化の結界のようだ。



 傍を離れず着いて来い、とはそういう事か。

 どこか冷静な頭で解析していると、キリエが慣れた様子で結界の中に入っていく。

 そしてそれを確認したゲルベーテが顔だけこちらに向け、眉を顰めたまま口を開いた。



「見ての通り、今王都は邪気に満ちている。そのため、城までは結界を張って向かう。

 貴様らが離れようがはぐれようが構わんが、これは私を中心に広がる。離れた場合貴様らの命は保障しないぞ」



 冷たい声でそう告げたゲルベーテは俺達が結界に入るのを待つ事無く歩き出す。

 キリエは困った様子でゲルベーテと俺に視線を彷徨わせたが、先行くゲルベーテへと付き従うように歩き出した。



《キョーヤ……》


「……行こう。今は無理できない」



 セラと短く言葉を交わし、二人の元へと駆け寄り、黙って結界の中へと入り込む。

 結界の中は少し狭いものの、それ以上に邪気が無いため息がしやすく、そっと詰めていた息を吐き出した。



 本音を言えば、今すぐにでも浄化を行いたい。

 例え俺の知る街並みとは違っても、それでもこの地は俺と彼が出会い、戦い、友となった思い出の地だ。

 それがこんなにも穢されているのをただ見ているだけなどしたくはない。


 だが、俺はここへダルクを助けに来たんだ。

 ただでさえ水の精地を浄化した後で、多少なりとも消耗している。

 ダルクが今どのような状態かはっきりとわかっていない以上、できる限り力は温存しておかなければ。



 ゲルベーテの結界からはみ出ないように一定の距離を保ち、黒い霧に霞む街並みを歩き続ける。

 城の中に精地があるからだろう。

 結界越しとはいえ、進むにつれて邪気が濃くなっているのが目で、音で、耳で感じ取れる。



 闇の精地は、ランディリアは一体どうなっているのか。

 彼は──魔王ガヴェインは、生きているのか。



 言い知れぬ不安に心が騒めくが、淡い結界からはみ出ないように歩みを止めることなく邪気の中へと進んだ。

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