第二章 闇の悲喜
誓いの宝
水の精地を飛び立ち、数時間。
途中握力が無くなって来たのもあって休憩を挟んだが、俺達は空を飛び続け、ようやくラノールの王都、ランディリアが見えてきた。
晴れ間の見えていた空はいつの間にか雲が覆い始めていて、ここまで来た頃にはすっかり日が沈み、空は夜の色を宿した雲が覆っている。
完全に夜になってしまう前に着いて良かったとレンスの背からランディリアを見下ろすと、得体の知れない違和感を感じた。
一体何だ。この、見えない壁を挟んでいるような感覚は。
それはセラやレンスも同じようで、レンスはランディリアから少し離れた空中で留まった。
《キョーヤ、何か様子が変だ》
「レンスもそう思うか」
《あぁ……前に来た時と随分雰囲気が違う。音も聞こえない》
羽ばたきを繰り返して高度を保ち、訝しげに街を見下ろすレンス。
距離からして音が聞こえないのは普通に思えるが、彼はドラゴンだから人間よりも五感に優れている。
だからこそ音が聞こえないという違和感を感じ取ったのだろう。
戸惑った様子で街を見下ろすレンスに、俺も違和感の正体を探るため、レンスの鱗をしっかりと掴み、落ちないように注意を払って街並みを見下ろした。
灰色の城壁に囲まれた都。
家々に灯りが点いているので誰かはいるのだろうが、通りに人の姿はほとんど無い。
大通りと思われる通りには少々いるが、どこか重苦しい雰囲気が漂っているように見える。
そうして中央にそびえ立つ城へと視線を向けた時、僅かに風景が歪んで見えた。
「あれは……結界、か?」
《結界? 今までそんな物なかったぞ》
《ちょっと見て来るわ。二人はここで待ってて》
「気を付けてくれ」
隣で同じように様子を窺っていたセラが城壁へと飛んで行く。
その姿を視線で追った視界の端で、人が集まっているのが見えた。
どうやら馬車や人などからなる長蛇の列ができているようだ。
全く動く気配が無く、並んでいる人々は道の端に座り込んでいたり、列から抜け出し王都から離れていく馬車まである。
人々の動きを辿っていけば大きな門が見え、結構な数の人が集まっている。
街道に繋がっているという事はあれが王都の正門だろう。
日が沈んだために閉じてしまったとしても、人の数が多すぎる。
見た限り列の中には大規模な隊商もあるようだ。
個人の商人ならば、道中で問題が起きて到着が遅れたというのも有り得るかもしれないが、複数の商人達が集い、集団で行動している隊商がそんな失態をするとは思えない。
《ダメね、精霊も拒んでる。私でも中に入れないわ》
「精霊でも駄目か……」
王都の警備のための結界ならば、精霊をも拒むような代物を張る事はあまり無い。
そんな結界を張れば、魔力の流れが滞るだけでなく、病や邪気といった悪い物まで溜め込んでしまい、警備どころでは無くなるからだ。
《どうする、キョーヤ》
「そうだな……あそこに降ろしてくれるか」
レンスがこちらに視線を向けて指示を仰いでくるのを見て、俺は辺りを見渡し、ある場所を指差す。
俺が指差したのは街道から離れた丘の反対側で、街道沿いにいる人々からは角度的に見えない場所だ。
邪龍なんて存在がいる以上、ドラゴンが近くに降り立つと混乱を招きかねない。
今のところ俺達の存在は夜の闇に紛れて気付いていないようだから、このまま気付かないままにしておく方が良いだろう。
念のため魔法で霧を生み出して姿を隠し、丘の反対側へと静かに降下してもらう。
音も無く地上へと降り立ったレンスから飛び降りれば、一瞬だが足下がふらついてしまった。
久しぶりの飛行で、足の感覚がおかしくなってしまったのだろう。
心配そうに俺を窺ってくるセラに大丈夫だと軽く手を振っていると、背後で魔力が動いたのを感じた。
見ればレンスが人型を取ろうとしているようで、俺はすぐにレンスの名を呼んでそれを止めた。
「お前は水の精地に戻ってカレウスの傍に付いていてやってくれ。ここは俺達でどうにかする」
《中で何が起きているかわからないんだぞ? 取れる手段は一つでも多い方が良いだろう》
「わかってる。だが正気に戻れたとはいえ、今のカレウスには邪気の影響が深く残ってるはずだ。水の精地も完全には浄化できていない。
今のあいつには、邪気に囚われないように傍で支えてくれる誰かが必要なんだ」
カレウスは魂の奥深くまで邪気に侵されていた。
魂が癒えるまで、彼は邪気に侵されやすい状態になっている。
中心部分にいるなら安全だろうが、精地は依然として邪気に侵されている。
あまり長い時間カレウスを一人にするのは心配だ。
「俺の友を、守ってくれ」
迷う素振りを見せていたレンスだが、俺の言葉に納得してくれたらしい。
青く輝くドラゴンの瞳を瞬かせ、俺の目を見つめてしっかりと頷いてくれた。
《……わかった。長の事は俺が守る。今度こそ》
強い意志が籠った言葉に、俺とセラはそれぞれ頷き返す。
レンスが飛び立てるように距離を取ろうとすると、それを引き止めるようにレンスが俺の名を呼んだ。
《キョーヤ、手を出して欲しい》
求められるまま手を差し出せば、人一人軽く食い殺せるだろう大きな頭を手の平へ口付けるようにゆっくりと垂れる。
人間である俺の体温よりも低いが、確かにある温もりが手の平に触れた後、少し離れ、口が僅かに開かれた。
《──【貴殿の旅路に、我が水の加護を】》
レンスの呟きに呼応し、俺の手の平の上に青い輝きが集い、形を成していく。
純度の高い、強い魔力が一点に集中していき──俺の手の平に、淡く輝く青の鱗が一枚現れた。
「これは……宝鱗、か?」
宝鱗は長く生きたドラゴンのみが持つ特別な力の結晶だ。
その身に宿る強い生命力が心臓に集い、何十年、何百年と長い時をかけて結晶化し、宝鱗が形成される。
それ故、力の持ち主に応じた力を宿した物になると聞いている。
──俺も、以前カリアから宝鱗を授かり、取り込む事で浄化の力を得て、戦った。
《俺はまだ未熟だ。長ほど強力な加護は贈れないが、水中で自由に動ける程度の加護はあるだろう。
何より、それを通して俺に呼びかけてくれれば、お前がどこにようと駆け付ける》
手の平に輝く宝鱗に目を剥いている俺に、強い意志を宿した言葉が降って来る。
見上げればレンスの顔がすぐそばにあり、青い瞳が一等星のように強く輝いていた。
《改めて感謝を。
キョーヤのおかげで長を救う事ができた。この恩、生涯忘れはしない》
大きな額が俺へと近付けられ、そろりと身体にすり寄せられる。
相手が人間だから恐る恐るといった様子だが、それはドラゴンが親しい者へと行う愛情表現の一つだ。
受け入れるために両手を伸ばし、その額へと自分の額を重ね、鱗を持っていない方の手でレンスの顎を撫でた。
《何かあれば遠慮せず呼んでくれ。
何があろうと、何と戦う事になろうと、俺は……キョーヤを信じ、力となる》
重なった額から強い意志を宿した声が響く。
その言葉が俺の中へと染み込み、溢れた感情から抱きしめる腕の力を強めた。
この世界で、何が起きているかほとんどわからないままここまで来た。
俺が死んだ後、遥かな時が流れたのだけわかっている。
変わらない、確かな絆が繋がっているとわかっていても、それでも俺は不安だった。
今の俺は、前の俺のように戦えるほど身体ができていない。
現に全てを浄化しきれないまま水の精地を立っている。
セラが居てくれるとしても、本当にダルクを、カリアを助けられるのか。
何があろうと、それこそ再び俺の身が滅びようと、全て助けるつもりだ。
そう決意していても、不安を抱かないほど俺は強くない。もう何も知らない頃の俺ではないのだ。
だから、レンスが俺へと贈ってくれた全てが、弱りかけていた俺の心を再び強くしてくれた。
「ありがとう、レンス……心強いよ」
宝鱗はドラゴンにとって一生に一度しか作られない、唯一の物だ。
その宝鱗を与えるという事は、ドラゴンにとって命に等しい物を託す事を意味する。
それほど大切な物を、前の俺では無く今の俺を信じ、託してくれた。
その信頼を、期待を、思いの全てを裏切らないために、俺は俺のできる全てをしよう。
何よりも、俺はもう一人じゃない。
セラが傍に居てくれて、レンスが力を託してくれて、カレウスが再会を望んでくれている。
求めるだけではなく、共に歩んでくれる友がいる。
だから俺は、何があっても歩き続けられるんだ。
どちらともなく、互いにゆっくりと離れる。
上へと離れて行く青の瞳を見上げると、輝きの奥に惻隠の情を宿して見つめ返された。
《……俺は、銀龍様の事を存在しか知らない。お前が生きた時代から後の者のほとんどがそうだろう。
だから、俺が言ったところでおかしな話かもしれないが……あの方を救うのは、お前であって欲しいと思う》
「それは、どういう……?」
《詳しい話は英霊様から聞いてくれ。俺も詳細は知らないんだ》
世界を救った銀龍であるカリアの事を存在しか知らないとはどういう事だろうか。
カレウス達が全く話をしなかったとでもいうのか。あの、カリアを崇拝していたカレウスが。
きっとセラが「まだ話せない」と告げたのもあるのだろう。
レンスはそれ以上は何も言わず、俺から顔を離して翼を大きく広げた。
邪魔にならないよう一歩下がると共にセラの様子を窺う。
その瞳は水の精地で見た時と変わらず揺らいでいて、俺も何も言えず、ただレンスへと視線を戻した。
《全てが落ち着いたら、水龍の里を案内しよう。
約束だ、忘れてくれるなよ》
「……あぁ、わかった。またな」
飛び立つ直前、一方的に告げられた約束に頷けば、レンスは嬉しそうに目を細める。
そして俺とセラへ向けて深く頭を下げ、力強く羽ばたいた。
風を起こし、勢いよく飛んで行くレンス。
その姿は夜の闇に紛れ、まだ効力を持っている霧に覆われ、すぐに見えなくなってしまう。
それでも魔力の流れで大体の位置はわかるが、最後まで見送る事はせず、水の精地へ向けて遠く飛んで行くレンスへと背を向けた。
「行こう、セラ」
呼べばすぐさま隣に寄り添うように傍へと来てくれたセラと共に丘を登る。
丘の上からは少し遠くに街道に並ぶ多くの人々が見え、俺は迷う事無くそちらへと歩き出した。
《どうやって入るつもりなの?》
「まずは情報を集めたい。門番やあそこに並んでいる人達の話を聞いてみよう」
《わかったわ。行列の方は任せて、適当に探って来るから》
「頼んだ」
俺の肩を撫で、セラが行列の方へと飛んで行く。
途中、ふわりと水色の髪がなびいたかと思えば、霧になったように姿が霞み、肉眼では見えなくなる。
突然精霊が現れて混乱を招くのを避けるためだろう。
セラの魔力が行列へと紛れていくのを見て、俺も情報を集めるために門の方へと急いで向かった。
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