水の懇願
セラの膝を借り、しばらくの間体力や魔力管の回復に努め、ようやく熱が治まって来た頃、カレウスが目を覚ました。
邪気は浄化したとはいえ、酷く体力を消耗しているからだろう。
ドラゴンの姿でふらつきながらも立とうとするカレウスを、レンスがドラゴンの姿で支える。
俺も起き上がり、服に染み込んだ水を取り除きつつセラと共にカレウスの元へと近寄れば、カレウスは見るからに戸惑った様子で俺を見下ろした。
《本当に、ジーク、なのか?》
《長、落ち着いてください。彼はキョーヤです。彼の英雄ではありません》
《違う、違うのだレンス。この者は確かに……ジークの魔力を宿している》
《ですが……彼の英雄は金の髪をした青年だったと聞いています》
《あぁ、その通りだ。あいつは、太陽の髪と蒼空の瞳を持っていた……。
だが、この者の魔力はジークその物だ。見間違えなどしない……!》
俺とセラを置いて頭上で行われる会話に思わず苦笑いが零れる。
レンスやカレウスの言う通り、ジークだった頃の俺は金の髪に青の瞳をしていた。
だが今の俺は黒の髪に黒の瞳をしている。
例え魔力が全く同じだとしても、姿形が全く違えば混乱もするはずだ。
俺も、生まれ変わってすぐの頃は自分の顔や色に慣れず、精神的に苦痛だった事もあった。
俺と過ごした事のある存在ならまだしも、生前に会った事の無いレンスは特に信じられないだろう。
「まずは色々説明した方が良いか」
《そうね、私も色々聞きたいわ》
早くカリアについて聞きたかったが、こうも混乱しているのを目の当りにすると先に説明が必要だな。
俺の呟きに賛成してくれたセラが、平行線を辿っていた二人を呼び止める。
そうして全員の視線が俺に向けられたところで、俺は今までの事を振り返りながら言葉を口にした。
「俺は、正真正銘セラ達と共に生きた、あのジークだ。
あの日死んだ俺は、別の世界にジークとしての記憶を保有したまま新たな生を得て、御影響夜として生きてきた」
全員に聞こえるように声を少し張り、言葉を紡いでいく。
それと同時にここに来るまでの17年間が脳裏に過ぎり、俺は少し目を伏せた。
あの国は、常に死が隣り合わせではない、穏やかな国だった。
平穏な国に、戦いしか知らない人間が生まれ変わればどうなるか。
俺のような存在が馴染む事など、できるはずもなかった。
「生まれ変わったとしても、俺は俺にしかなれなかった。
……世界が違って、魔法なんて無い世界だった」
伏せた視線の先にある手を握り締める。
何度空を見上げただろう。
何度空に手を伸ばしただろう。
あの世界の空は、狭かった。
俺にとっての空は、もっと広く、もっと高かった。
「それでも、ずっとこの世界に戻る方法を探し続けていたんだ」
──あの空を、カリアと共に、精霊達と共に飛びたい──カリアに、会いたい。
その願いだけが俺を歩かせた。
例え誰かに気味悪がられようと。例え誰かに嫌われようと。
あの願いだけが俺を支えてくれていた。
「そんなある日、俺の学友の足下に召喚の魔法陣が現れたんだ」
あれは、まさしく奇跡だった。
あの世界に何十億といる人間の中から、世界を救う勇者に選ばれる。
それに立ち会う事ができるなど、一体どれほどの確立だったろうか。
もしあの時、俺が友人へノートを作っていなければ。
もしあの時、俺が日向達とろくに話もせずに去っていれば。
──きっと俺は今も空を見上げて、彼女の幻を見続けていた。
そんな自分が容易に想像できてしまい、今更ながらに背筋が凍えた。
何か感情が溢れそうになって咄嗟に口を閉じ、歯を食いしばる。
息を整えて少し落ち着いた俺に、カレウスが口を開いた。
《それは、もしや女神が遣わしたという勇者の事か?》
「……あぁ。この世界に勇者として召喚された子供達は、あちらの世界で俺の学友だった。
とは言っても、顔見知り程度の仲だ。向こうが俺もこちらに来ていると知っているかどうかもわからない」
《一緒に召喚されたんじゃないのか?》
カレウスの問いに答えると、次はレンスから問いがなされる。
それに関しては俺の予想でしかないが、言えばどんな反応が返ってくるか、想像に難くない。
それでも言わなければならないとわかっているので、俺は苦笑い交じりに、明るく聞こえるよう声を発した。
「まぁ、普通はそうなるんだが……ちょっと事情があってな。
召喚が成立する前に割り込もうと魔法陣に飛び込んだからか、色々とズレが生じたらしく、彼等とは全く別の場所に飛ばされたんだ」
《魔法陣に飛び込んだぁ!?》
俺の言葉を聞き、レンスが驚きの声を上げる。
他の二人は目を瞬き、セラに至っては心配そうに俺の頬へと手を滑らせてきた。
《何であなたはいつもそんな無茶を……!
下手をすれば世界の狭間で彷徨うかもしれなかったのよ……!?》
「あれを逃せば、こうして君に会えなかったさ」
白い手を自分の手で包むように重ね、大丈夫だと意思を伝えるために蒼の瞳を見据える。
確かめるように頬を撫でるセラに頷いて見せれば、彼女は泣きそうに眉を下げた後、もう離れないとばかりに横から抱き付いてきた。
俺の存在を確かめるように動く手にもう一度自分の手を重ねる。
ひんやりとした手はあの頃と変わらなくて、俺はそっと息を吐いた。
危険はあったが、あの瞬間を逃せば、きっと俺はここに戻れないままだったろう。
それを思えば、もし世界の狭間で彷徨う事になっていても、俺はあの時魔法陣に飛び込んだのを後悔しないだろう。
世界の狭間は魔力に満ちていた。
ならば魔法の無い世界よりも、この場所に戻れる可能性が高いのだから。
「それから、色々な人に助けてもらってここまで来たんだ」
考えてしまうもしもの可能性を振り払い、俺は再び言葉を紡ぐ。
「水龍と呼ばれる存在が邪気に堕ちているとは聞いていたが、それでも精霊達に力を借りたかった──カリアに、会いたかったんだ」
俺の嘘偽りの無い願いを告げる。
その願いを聞いたセラの手は小さく震え、カレウスは瞳を暗くさせ、レンスは耐えるように口を真一文字に閉じてしまう。
彼等のその反応を見て、俺は一人腑に落ちるような感覚がした。
薄々とではあるが、わかっていた。
ずっと疑問には抱いていたが、歩き続けるために無視してきた。
「教えてくれ」
もしかしたらと、ずっと心のどこかでは考えていた。
聞かなければと、ずっと頭のどこかでは思っていた。
緊張から声が震えそうになるのがわかり、落ち着かせるために息を吸う。
これを聞けば、聞いてしまえば──そうわかっているから、聞きたくないと叫ぶ俺が居る。
それでも俺は、三人へ問いかけた。
「カリアに、何があった」
俺の言葉に沈黙が広がり、水が流れ落ちていく音だけが響く。
数分にも思える時間の中、俺の肩に手を回していたセラが小さく呟いた。
《ごめん、なさい……》
その声は震えていて、ゆっくりと身体が離れていく。
ふわりと隣に浮かんだ彼女を見上げるが、その顔は俯いていて良く見えない。
《ごめんなさい、ジーク……今は、まだ話せない》
哀しげな響きと共に拒絶の言葉が耳に届き、一歩下がった足が水音を立てる。
「どうして……っ!」
何故だ。何故教えてくれない。何故話してくれない。
他でもない、家族であるセラの拒絶に声を荒げてしまうが、それは彼女の表情を見て止まった。
《ごめん、なさい……今は駄目なの……!》
唇を噛みしめ、身体を小さく震わせるセラは今にも泣き出しそうな様子で眉を寄せ、俺を見つめる。
その瞳は酷く揺らいでいて、胸を抑えるように胸元で握り締めている手は、強く握り締めているのが見て取れる。
激しい苦痛を耐えているようなその表情は、俺が死を選んだ時と同じだった。
《お願い……何も言わず、まずはダルクを救けて……!
ダルクが精地を守るために、自ら邪気を取り込んでしまったの……もう、どれだけ持つか……!》
軽い衝撃が胸に響く。
セラが俺の胸に縋り付き、悲痛な声で願う。
俺はただ、呆然と彼女の水色の髪を見下ろした。
ダルクが、邪気を取り込んだ。
それはカレウスと同じ事をしたという事だ。
だがそれだけじゃない。
精霊は端的にいえば魔力でできている。
世界を満たす魔力が集まり、意思を持った時、精霊となるのだ。
魔力を奪い糧とする邪気を、魔力でできている精霊が取り込めばどうなるか。
いくら力の強い精霊だとしても、それでも終わりは目に見えている。
何故、そうしなければならないほど、この世界は追い込まれたんだ?
まさか──カリアは、もう──?
不意に過ぎった考えに、足場が崩れていくような感覚がする。
確かな物に触れたくてセラの肩へと手を伸ばせば、小さく冷たい肩が小刻みに揺れていた。
《ダルクを救けなきゃ……本当にカリアを救けられなくなる……!》
セラが苦悩に満ちた声色でそう叫ぶように告げる。
その言葉に、俺はいつの間にか入っていた肩の力を抜いて、小さく呟いた。
「カリアは……生きて、いるのか」
《……生きては、いるわ。でも……》
俺の呟きを聞き、顔を上げたセラがそう言い淀む。
言葉を選んでいるのか、それとも俺には言えないのか。
蒼の瞳が彷徨っているのを見て、俺は詰めていた息を吐いた。
それにセラは身体を跳ねさせ、泣きそうな顔で見上げて来る。
そんな顔をさせたくなくて、俺はその身体をしっかりと抱きしめた。
《ジー、ク》
「……今は、良い」
言えないのなら、今はそれで良い。
彼女が生きているとわかっただけで、この世界にいるとわかっただけで、今は良い。
「ダルクはどこにいる?」
意識を無理やり切り替え、ダルクの事だけを考える。
セラをゆっくりと離して問えば、言葉を詰まらせるセラに代わってカレウスが答えてくれた。
《……彼は闇の精地にいる。
場所も昔と変わらない。魔族の暮らす国、ラノールだ》
「ここからは距離があるが……精霊化すれば何とかなる、か」
ダルクがどんな状態にいるか、明確にはわからない。
とにかく急いでダルクの元に向かわなければならないだろう。
今使える移動手段で最も速いのはおそらく精霊化だが、精霊化すると魔力の消費が激しい。
少し回復しているとはいえ、精霊化した上に浄化を行った今の俺では少し難しいだろうか。
黙って思考を巡らせる俺を見て、カレウスも同じ事を考えたのだろう。
少しふらつきながら俺の方へと顔を寄せて来た。
《私が運ぼう》
「馬鹿を言うな。こうして話すのすら辛い状態だろう」
《これぐらいしかできる事など無いのだ。構わん》
《長、それならば俺が飛びましょう》
無理をしようとしているカレウスに首を振っていると、隣からレンスが声を上げる。
それに視線を向けると、レンスは少し緊張した様子で俺を見つめた。
「頼めるかレンス」
《お任せください英雄ジーク。必ずあなたをあの地へとお連れしましょう》
先ほどまでと打って変わった態度に苦笑いが零れる。
魔力で判断できるセラやカレウスはともかく、レンスはジークとしての俺とは出会った事が無い。
だから信じられなくとも仕方ないとは思っていたが、彼はこんな突拍子も無い話を信じてくれたようだ。
だが、こんな風に態度を改められるとは、思ってもみなかった。
「……俺はそんな大層な存在じゃない。普通にしてくれ」
《で、ですが……》
「そういった堅苦しいのは苦手なんだ。頼む」
《……わかった》
俺が戦えたのはカリアが居たからであり、精霊達や皆が居てくれたからだ。
俺自身はそんな風にされるような存在では無い。
渋るレンスに押し通せば、レンスは仕方ないとばかりに頷いてくれた。
そして俺に背を向け、乗りやすいように身を屈めてくれる。
早速出発しようとレンスへ近寄るが、隣に浮かんでいたセラが来ないのに気付き、後ろを振り返る。
振り返った先には、精地の中心である魔晶石を背に、セラが立ち止まっていた。
何か思い悩んでいるのか、ふわりと揺れる淡い青の服を握り締め、瞳を揺らいでいる。
きっと俺に関する事で悩んでいるのだろう。
精霊達があの瞳をするのは、いつも俺の事だったから。
今回のそれは、カリアの事が深く関わっている。
こんな風に言い淀む事など、思い当たるのは一つだけだ。
カリアに何かあったんだ。
俺が膝を着いてしまうかもしれないほどの、何かが。
──ここまで来て、今更止まる事など無いのに。
俺は緩く笑みを浮かべ、いつものように右手を差し出した。
「行こう」
《……えぇ》
差し出した手に、白い手が重なる。
少し迷いを振り払えたようだが、今だに彼女の瞳は不安気に揺らいでいる。
俺はただ、その小さい手をもう離さないように握り締めた。
レンスの背に乗り、しばらくここで休んでいるというカレウスにアリシアの伝言を頼む。
どうやら今セラ以外の水の精霊は精地を守るために眠りについているらしく、目を覚ますまで少し時間がかかるようだ。
時間が惜しいため直接は伝えられないが、これで大丈夫だろう。
《世話をかけた。ありがとうジーク》
「気にするな。だが、もう無茶はしないでくれよ」
《わかっている》
顔を近付けてくれるカレウスに、俺はその鼻筋を撫でつつ釘を射しておく。
今回は何とか助けられたが、また似たような事があればもう助けられない。
それをカレウスも理解しているようで、重く、しっかりと頷いた。
《……お前も、くれぐれも無茶はしないでくれ。我らは、もう二度とお前を失いたくない》
「……あぁ。またな、カレウス」
《また、な》
次に会えるのはいつになるだろうか。
全く見当もつかないが、それでも次があると信じられる。
それがどれだけ幸福な事か。
湧き上がる喜びをしっかりと噛み締め、俺はカレウスと笑って別れた。
セラのおかげで自由に息ができる状態になった俺は、レンスの背に乗って水中にある洞窟を進む。
ほとんどの邪気が浄化された水は穢れ一つ無く透き通り、陽の光を通して輝いていて、来た時とは全く別の美しい世界が広がっていた。
まだ完全とは言えないだろうが、これが元の景色なのだろう。
水面に上がり、晴れ間の見える空へと飛び上る。
そのままラノールの方角へと向かっていると、横を飛んでいたセラが不意に俺の傍へとやって来た。
《ジーク》
「……どうした?」
ジークと響夜。
それはどちらも俺の名前だ。
だが、長い間ジークと呼ばれていなかったからか、少し反応が遅れてしまった。
一瞬、間を空けて返事をした俺に、セラが眉を下げる。
《……キョーヤって呼んだ方が良い?》
本当に僅かな間だったというのに、やはり家族には隠せないのだろう。
鋭い問いに、今度は俺が眉を下げてしまった。
「そう、だな……どちらも俺だから、呼びやすい方で構わないよ」
《そう……》
これからはジークと呼ばれてもすぐ反応できるように気を付けなければ。
羽ばたきに揺れ、レンスの鱗に掴まり直していると、セラが俺の腕に手を添えた。
《キョーヤ》
その口から出たのは今の名で、風が突き刺すとしても構わずに目を見開く。
《……後でちゃんと、話すから。今は……ごめんなさい》
「……あぁ。ありがとう、セラ」
小さいけれど、風に掻き消えない強さを持った声が俺の耳にしっかりと届く。
それに頷き、俺はただ前を見据えた。
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