一つの雫

 決して広くは無い空間だがカレウスは止まる事無く精地を飛び回り、後ろを飛ぶ俺達を堕とそうと水の刃を放ってくる。

 様々な方向から飛んでくる斬撃に俺達も止まる事無く、襲い掛かる攻撃全てを剣で斬り捨てる。

 斬った途端周囲に散る邪気は剣の力で浄化し、次の攻撃を放とうとするカレウスの後ろへと転移して一気に距離を詰めた。


 目の前に広がる穢れた翼へと手を伸ばす。

 強過ぎず弱過ぎないように調整した浄化の力を叩きつければ、翼を侵す邪気が薄れていく。

 そのまま背中へと手を伸ばそうとする俺達に向け、カレウスの尾が叩きつけられた。



《【ヤメロォォォオォォォオォオオォオ!!!】》


「《くっそ……!!》」



 咄嗟に水の障壁を張ったため直撃は防げたが衝撃は殺しきれず、俺達の身体は弾丸のように吹き飛ばされる。

 せめてもの反撃としてカレウスの尾へ浄化の力を込めた水を放てば、カレウスが悲鳴を上げた。



《英霊様っ! キョーヤ!!》



 カレウスの悲鳴とレンスの声が聞こえる中、身体を捩じって反転させ、魔力を操り勢いを殺して体勢を立て直す。

 そんな俺達の僅かな隙を逃すわけもなく、カレウスは纏わりつく水をその身体から溢れさせた邪気で打ち消し、その全てを攻撃として俺達に向けた。



 ──私の中の邪気がジークに流れて魔力を乱してる。これ以上維持するとあなたが危ないわ……!


 ──あともう少しなんだ。頼めるか?


 ────私を誰だと思ってるのよ。ジークのお願いぐらい、簡単に叶えてあげる!



 目の前に迫る邪気の波動に魔力を練る。

 セラの声が沈み、俺達の深くへと潜っていく。

 精霊化維持の方に意識を割くためだろう。それでいていつも通りの力を発揮できるようにしてくれている。



 ──やっぱり姉さんは強いな。



 俺の言葉に応えるように魔力が底から溢れだす。

 邪気が今まさに俺達へと牙を突き立てるその瞬間、腕を前へと伸ばし、浄化の力で全ての邪気を受け止めた。




 俺達の前に張られた光の壁に当たり邪気が浄化されていく。

 カレウスは余程俺達を殺したいのだろう。

 大量に向けられた邪気は浄化しても暴風となり、光の壁を越えて俺達へと吹き荒れた。



 勢いだけで痛みは無いが、いかんせん風が強すぎる。

 衰えぬ邪気の波動に浄化の力を保ちながら、腕で顔を庇い前を見る。

 風の強さに薄くしか目を開けられない視界の中で、邪気の波動とは違う何かが向かってきているのが見えた。


 それはあの光線で、咄嗟に浄化の力を一か所に集めて受け止める。

 もう少しで防ぎ切れると思ったその時、カレウスが光線が放ちながら飛んで来た。



 光線はそのままに、俺達を貫かんと尾が向かってくる。

 避けようと後ろへ身を引かせるが、これでは間に合わない。

 邪気を纏う尾が脇腹へと突き刺さりかけたその瞬間、別の青が視界を走った。



《長ぁあああ!!!》


《【キ、サマァアァァアァアアアア!!!?】》


「《っ、レンス!》」



 俺達へと向かっていたカレウスは横から飛んで来たレンスによって遠くへと離される。

 カレウスは苛立ちを露わにレンスへと邪気の刃を突き立てるが、レンスはそれを水で防ぎ、勢いをつけてカレウスを壁へと吹き飛ばした。



《俺だって、戦えんだよ!!》



 そう叫んだレンスは魔力を瞬時に練り上げ、カレウスが放った物と似た光線を放つ。

 少し青の濃い光線は体勢を整えようとしていたカレウスの腹に当たり、壁を大きく削るようにカレウスが押し潰されていく。

 だが、よく見れば寸でのところで障壁を張って防いでいたようだ。

 カレウスは唸るような咆哮を上げ、レンスの光線を邪気で消し飛ばした。



《【オ前カラ消エロォオォォォオォォオオ!!!】》


《いい加減っ、正気に戻れよジジィ!!》



 二体のドラゴンの咆哮が響く。

 それと同時に精地の小さな空間を埋め尽くすほどの大量の邪気の刃と水の刃が放たれ、互いの間でぶつかり合い、散っていく。

 レンスを見上げれば彼の青い瞳と目が合った。



 ──俺じゃ無理だ……お前がやってくれ……!


 ──わかった!



 魔力を通した会話を切り、俺達は一気に後ろへと下がる。

 そして精地の舞台へと足を着けて腰を下ろし、周囲の魔力を剣へと送り込んだ。



 今のカレウスは自分を顧みずに邪気を放ち続けている。

 それこそ自らを侵す邪気が減る事も気にせずに。


 今まで浄化した分を考えれば、カレウスの身に残る邪気は僅かな物だ。

 更にレンスのおかげで周囲に散った邪気もまとめて全て浄化すれば、外と遮断されている今の精地では邪気を集める事もできない。

 そうなれば、カレウスを救うのも目前だ。



 流れ込む魔力の量に剣に刻まれた魔法陣が浮かび上がる。

 どうやら剣に仕込まれていた補助の魔法陣のようで、送り込んだ魔力が外へと漏れ出る事なく溜まっていく。

 この魔法陣の構成であれば問題無く浄化の力を引き上げてくれるだろう。

 心の中で彼の神父へと感謝の言葉を告げ、魔法陣の限界まで魔力を注いだ。



《【人間ガァアァァアア!! 許サン、許サン、許サンゾォオォォオオォオオオ!!!】》


《逃がしてたまるかぁあああああ!!!》



 急速に膨れ上がる光と力にカレウスが俺達の策に気付いたようだ。

 俺達の邪魔をするために翼を動かすが、それをレンスが大量の水を操り動きを抑える。


 纏わりつく水を散らし、取り憑かれたように荒れ狂うカレウス。

 その姿を中心に見据え、俺は白く輝く剣を手に水を蹴った。




 カレウスの放った僅かな邪気が、周囲の邪気を連れて俺達を阻むように襲い掛かる。

 だがそれは、後ろ手に構えた剣の輝きに触れた瞬間浄化されていく。


 俺達を阻める物など、元の精地としての機能を取り戻しつつあるこの場所には何もない。

 むしろ精地は俺達へと力をくれているのか、光は更に強さを増していく。



 あと数メートルと言ったところか。

 薄い霧のような邪気を全て浄化しながら向かってくる俺達に、カレウスが目を見開いていた。



 ──カレウス。



 その穢れた青い目と目が合う。



 ──もう、大丈夫だ。



 その身体へと、俺は剣を突き立てた。



《【ガ、ァァアァアアアア!?】》



 突き立てた剣は光を伴いカレウスの身体へと埋まっていく。

 身体の内に浄化の力が注ぎ込まれ、カレウスの苦しげな声が耳を貫く。

 それでも俺達は剣へと魔力を注ぎ、浄化の力を更に強めた。



 強く、深く、カレウスの魂を壊さないように、カレウスの肉体を消さないように。

 意識を集中させ、今持てる力全てを使い、カレウスの全てを浄化する。


 彼の中を侵していた邪気が、最後の足掻きか道連れにしようと彼の魂へ手を伸ばす。

 それを浄化の力で防ぎ、セラの精霊としての魔力を注いでいく。



 ドラゴンの魔力は俺のような人間や生物ではなく、魔力の塊である精霊に近い物だ。

 それ故、ドラゴンにとって最も馴染む魔力は精霊の魔力だ。


 カレウスの魂も肉体も、邪気に侵され弱っている。

 それを癒やすには、精霊の魔力が一番良いんだ。



 深いところまで、一欠けらの邪気も残らないように。

 丁寧に、ゆっくりと、それでいて手早くカレウスの全てを浄化する。

 傷付いたところには満ちるように精霊の魔力を注ぎ、俺達は剣を引き抜いた。



《あ、ぅ……? じー、く……》



 穢れの消えたカレウスの瞳が俺達を捉え、ゆっくりと瞬きを数回行う。

 焦点の合った瞳が俺達を見て、涙を溢れさせていく。



「《……良く、頑張ったな》」


《じー……く、じー、く…………ぅ……》



 言葉をかけると、カレウスは幼いあの頃と同じように俺の名を呼ぶ。

 そして力の入っていない手を伸ばそうとして、その身体が傾いた。

 瞬時に水を操り、穢れの無い青いドラゴンが落ちてしまわないようしっかりと受け止める。



「《……疲れたんだな……良く頑張った。本当に、良く……》」



 俺としての言葉と、セラとしての言葉が入り混じる。

 駆け付けたレンスと共に、俺達はカレウスがゆっくり休めるよう精地の舞台へと運んだ。




 カレウスを舞台に横たえ、心配そうに寄り添うレンスに頼み、俺達はそのまま精地の中心へと向かう。


 カレウスの身を侵す邪気は浄化した。だが、まだ周囲の邪気は色濃く残っている。

 それを浄化しなければカレウスは同じ事を繰り返すだろう。

 精地を守るために、邪気を取り込みその身を再び堕としてしまう。


 今回は助けられたが、また邪気に堕ちるような事があればどうなるか。

 一度染まった魂は容易く染まってしまう。


 二度目はもう無いだろう。



 それを防ぐために、この地を浄化しなければ。

 此処にいる中で今それができるのは、俺達だけだ。




 祭壇の前に立ち、巨大な魔晶石を見上げる。

 どうやら中で精霊が一人眠っているようだ。

 青く長い髪を揺らして眠るその精霊はどこかセラに似ているが、男型を取っているのがわかった。



 ──彼は水の大精霊、セヴィオンよ。


 ──起こすか?


 ──……別に起こさなくても良いんじゃないかしら。あまり波長が合わないし。



 セラのどことなく不機嫌な声に頷き、魔晶石から視線を外す。

 元々俺達の目的は魔晶石ではなく、その下から湧き出ている水だ。

 力を借りれるなら借りようかと思ってはいたが、セラがそう言うなら借りない方が楽にできるだろう。

 彼女と波長が合わないというのなら、俺とも合わないだろうからな。



 祭壇の横を通り、一人でに浮かぶ魔晶石の下へと潜り込む。

 少し人の手が入っているようだが、そこは俺の記憶と違わず、以前来た時のように小さな窪みがあった。



 俺の両手で塞げる程度の小さな窪みからは、留まる事なく清らかで魔力に満ちた水が湧き出ている。

 その水は周囲に広がり、静かに、けれど勢い良く水を満たしていく。


 水の精地の中心であり、この世界を流れる全ての水の源。

 自然にできたままだったあの頃とは違い、人の手が入ったのか整えられてはいるが、記憶と変わらぬまま機能しているその様子にほっと息を吐いた。



 ──さぁ、浄化しようか。



 俺の魔力、セラの魔力、周囲に満ちる魔力──精霊化した状態で使える全ての魔力を操り、集める。

 もっと強く、もっと深く、もっと、もっと、もっと。

 俺達の身体が限界だと叫ぶぎりぎりまで魔力を一か所へと集中させる。




 ────水は、満ちた。



「《命の雫よ》」



 俺達の言葉をきっかけに全ての魔力が形を成していく。

 上へと向けて開かれた手の平に、一滴の雫が現れた。



「《華開け》」



 手の平に浮かぶたった一滴の雫。

 それを精地へと向けて落とす。


 雫は重力など感じさせない速度でゆっくり、ゆっくりと落ちていく。

 やがて精地に揺れる水へと落ちた時、雫がもたらした波紋は淡い青の輝きを放った。




 たった一滴の雫が生んだ光。

 それは精地全てに広がり、その輝きはこの精地に繋がる全ての水へと光をもたらしていく。

 全てを包むような眩い光に俺は目を閉じた。






 ────水面が揺れる────



 陽の光を受け輝く水面。

 そこへ白い、小さな手を差し伸ばす少女が一人。



 ────小さな手が水に濡れ、少女が笑う────



 水面から現れた水の精霊達に向け、可愛らしい笑みを見せる少女。

 金の髪が揺れ、その瞳がこちらを見る。



 ────虹色に輝くその瞳は、俺が求めてやまない彼女の物で────



「『    』」



 ────俺の隣に立つ誰かが、少女の名を呼んで──────




《ジーク!!》



 膜が張られたようにぼんやりとした声が聞こえ、どこか遠くへ行っていた意識が戻る。

 精霊化が解けたのだろう。力の入らない俺の身体が、一人重力に従って倒れていくのがわかる。


 見えた地面の近さに目を閉じ、衝撃を待ち受けるが、誰かが俺を後ろから抱き止めたようだ。

 ぐっと掛かる重力に目を開け、自分の身体を見下ろすと、セラの手が見えた。



《ジーク、ジーク! しっかりして!》


「……すまない……少し、疲れたみたいだ」


《……仕方ないわよ。ただでさえ久しぶりの精霊化だったのに、こんなにも浄化したんだから》



 ふらつく身体をセラに支えてもらい、何とかその場に座り込む。

 足下まで満ちていた精地の水に服が濡れていく。

 その心地よい冷たさに、大量の魔力を消費したのに伴い熱を孕んでいた身体が少し楽になっていった。



「君は大丈夫なのか?」


《大丈夫。やっとあなたに会えたんだもの。精地の魔力が尽きても消えたりしないわ》



 隣に浮かぶセラを見上げれば、懐かしい笑みが返される。

 やっと帰って来たんだ。

 そう思うと同時に、過去の俺では在り得ない今の状態に手の平へと視線を落とした。



 思うように、戦えなかった。

 精霊化したあの状態で、以前と同じようには動けなかったのだ。


 やはり俺の身体はあの頃とは違い過ぎているのだろう。

 少し焼けたのか、熱を持ち続ける魔力管を治めるため、俺はその場に寝転んだ。




 精地は魔力に満ちている。

 それはこの水の精地も同じで、ここの場合揺れる水全てに魔力が満ちていた。


 精地の中心に近付けば近付くほど魔力に満ちた水が溢れている。

 その高い魔力は癒やしの力を宿すほどだ。

 現に寝転んだ俺に触れる水は、ゆっくりとだが俺の魔力管を癒やしてくれている。



 少しずつ治まっていく熱に目を閉じ、俺は言葉を紡いだ。



「……どれぐらい浄化できた?」


《んー……7割方ってとこかしら。後は精霊達で何とかできそうね》


「そうか……7割だけ、か」



 ぼんやりとセラを見上げれば、彼女は機嫌良さげに俺の隣へと降り立ち、その服を揺らして俺の頭の上へと座る。

 伸ばされた手は俺の頭を持ち上げ、その膝へと乗せた。



《カレウスを浄化するのに魔力を消費してたし、あなたの身体も色々と変わってるみたいだもの。仕方ないわ。

 むしろその状態でここまで浄化できたなんて十分すぎるでしょ》


「……あの頃の俺なら、全て浄化しても倒れなかっただろうさ」


《そりゃあ、ね》



 額に触れる手の冷たさに再び目を閉じ、身を任せる。

 額から流れてくる魔力が焼けた魔力管を癒やして行くのを感じながら、俺は深く息を吐いた。



 恐らく魔力管が上手く機能していないのだろう。

 いくら魂がこの世界の物で、それなりに強い力を持っていたとしても、肉体はあの世界の物だ。

 魔法など空想でしかない、御影響夜が生まれ育った世界。

 そこからこの世界に戻って来て、まだ10日程度しか経っていない俺の身体には、俺の魔力は強大過ぎる。



 こればかりは時間をかけて慣らすしかないだろう。

 使えば使うほど魔力管は魔力に適応し、強くなってくれる。


 カリアに会うまでに元通りにしておかないと、怒られそうだ。



 彼女の怒った姿が脳裏に浮かび、俺は小さく笑みを零した。

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