水の如く
背後から飛び出したレンスがカレウスへと飛びかかる。
レンスの鋭い爪がカレウスに突き立てられ、唸り声を上げたカレウスは水の刃をレンスへと向けて放った。
レンスはそれを水の壁で防ぎ、そのままカレウスを離れた場所へと押しやってくれた。
レンスとカレウスの咆哮が響く中、俺とセラは魔力を合わせる。
淀まぬように、乱れぬように。
丁寧に互いの身に流れる魔力を混ぜ合わせ、別々の魔力を一つに合わせる。
セラの身を侵していた邪気が俺に流れてくるのがわかるが、この程度なら問題無い。
レンスが時間を稼いでくれている間に精霊化できるよう、俺達は一つになるために互いの魔力へと意識を集中させた。
精霊と魔力を同調させ、精霊の力をその身に宿し、一時的に精霊その物と化す──それが精霊化だ。
精霊化すれば精霊として周囲の魔力を自在に使う事も、人の限界を超えた魔力を操る事もできる。
精地であるここは邪気が多いが、それでも魔力に満ちているため精霊化できれば思う存分に力を発揮できるだろう。
だが精霊化するには魔力を合わせ、波長を揃えなければならない。
少しでもズレが生じれば互いの魔力が反発し合い、弾かれてしまう。
どちらかが合わせるのに集中すれば難しい物でもないが、それでは最大限の力は引き出せない。むしろ魔力の消耗が激しくなるだけだ。
これほどの邪気を浄化するほどの力を使うには、精霊化した状態での最大限の力が必要だ。
それには精霊との相性はもちろんの事、それ以上に強い信頼が必要になる。
お互いがお互いの魔力の波長を、癖を、何もかもを理解し、難なく合わせられる強い絆が必要なんだ。
セラは俺がジークだと名乗る前に気付いてくれた。
俺の魔力を感じ取り、俺が帰って来たのだと気付いてくれた。
それは俺がいなくなった後も、ずっと俺の全てを覚えていてくれた何よりの証拠だ。
セラの魔力もあの頃と何ら変わらない。
普段は穏やかな流れの川のように静かにしようと努めているが、それでも奥には激流のような感情を持ち合わせている。
俺の姉として冷静でいようとするけれど、何かあればすぐに流れが強くなってしまう。
そんなセラの性格が反映されているような、水に満ちた魔力。
互いに変わらぬまま、互いの魔力を魂が覚えている。
例え邪気に侵されていて障害があろうとも、魔力を合わせるのは造作も無い事だ。
セラの身体が魔力となり、繋いだ手を伝って俺の中へと流れてくる。
水が流れるように自然に、そして緩やかに満たされていく感覚に目を閉じる。
────身体が軽い。
いや、満たされた水に浮かぶように、沈むように、揺れるように──ただそこに、俺達はいる。
目を開けて自分を見下ろせば、セラが着ていた服と似た装飾の服が身を包んでいるのが見えた。
他にも目に見える変化はあるだろうが、確認する必要は無い。
腰にある鞘から剣を引き抜き、俺達の魔力を通わせれば、剣に眠っていた浄化の力に加えて可視化した水属性の魔力が剣に宿る。
そしてその剣を、今まさにレンスへと降り注ぐ邪気の刃に向けて振り抜いた。
剣に宿っていた水と浄化の力が巨大な斬撃となり、カレウスの放った邪気を浄化しながら飛んで行く。
降り注ぐ邪気の刃を消し去りながらそのままカレウスへと迫る刃に、カレウスは自分の身を守るために翼を折り曲げて丸くなり、大量の邪気を混ぜ合わせた穢れた水の壁で受け止めた。だが──
「《その程度で防げるとでも?》」
《【グルァアアアアアアァアアアアアアア!!?】》
斬撃を受けた途端、まるでガラスが割れるようにカレウスの作った壁が壊れる。
壁を壊した斬撃は勢いを弱める事も無くぶつかり、カレウスは驚愕が入り混じった怒号を発して岩壁へと叩きつけらた。
──魂の深いところまで邪気に侵されてるわ。
──あまり一気に浄化するとカレウスの魂まで壊しかねないな。
──そうね、まずは邪気を減らすのが先かしら。
──そうだな。全体的に邪気を減らして、それからカレウスの魂を壊さないように浄化しよう。
一体化しているセラと軽く会話を交わし、一歩踏み出す。
精地を満たす魔力を介してレンスの元へと転移すれば、レンスは俺達が一瞬で距離を詰めた事に驚いたらしく、目を見開いて俺達を見上げた。
《キョーヤ、なのか?》
「《待たせたな、レンス。もう大丈夫だ》」
戸惑いを露わに俺達を見るレンス。
無理をさせてしまったためその身体には再び傷が幾つかできている。
治療してやりたいが、今はカレウスを救うのが先だ。
伸ばしかけた手を押さえ、俺達は安心させるためにゆるりと笑みを浮かべる。
「《後は俺達に任せてくれ》」
それだけを言い残し、俺達は再び魔力を介してカレウスの元へと飛んだ。
宙に流れる魔力を伝って行われる精霊の転移。
この程度の距離であれば一瞬で行われるそれに、カレウスはしっかりと反応できたようで、俺達が姿を現すとほぼ同時に俺達へと向けて邪気を放って来た。
邪気に堕ちていようとも、水龍の長なだけあって水の魔力には反応が早いらしい。
俺達はそれを剣で斬り裂き、カレウスを包む邪気へと浄化の力を弱めに放つ。
《【ガアアアアァアァアアアア!!】》
痛みに叫ぶような咆哮と共に、カレウスはそこから離れようと翼を動かし飛び上がる。
本能的に悟ったのか、カレウスは俺達から逃れようと外へと通じる洞窟へ向かって勢いよく飛んで行く。
その翼が届く前に、俺達は周囲の魔力を操り、蓋をするように外に繋がる洞窟全てを水の壁で閉じた。
水の壁にぶつかりそれ以上進めないとわかったカレウスが怒りの咆哮を上げる。
ここで戦うのは不利だとわかっているのだろう。
カレウスの魔力からは先ほどまでは無かった焦りの色が見え始めていた。
今の精地はカレウスが邪気を取り込んだ事によって邪気が減り、その分を満たすかのように中央の結晶から魔力が溢れだしてきている。
邪気に満ちたあの湖で戦うよりも、魔力に満ち始めたここで戦った方が精霊化している俺達には戦いやすい。
後はカレウスが大人しくしてくれればいいのだが、そうはいかないだろう。
魂までも邪気に侵されている今のカレウスにとって、邪気は自分の身体も同然だ。
それが浄化されるとなれば、身体の一部を消されているようなものに他ならない。
少しでも正気が残っていれば説得して大人しくさせる事もできるかもしれないが、今のカレウスには無理な話だろう。
だが、それ以上に問題なのがカレウスの魂だ。
精霊化して見えた彼の魂は深い所まで邪気に侵されている。
その状態で魂ごと全て浄化すれば、カレウスの魂まで削れてしまい、彼の存在ごと消滅させてしまう。
身体が削れても治療してしまえば良いが、削れた魂を癒やし、維持させることなど俺達にはできない。
それはもはや神の領域だ。
俺達がカレウスを救うには、魂の奥深くに根付く邪気が全て表に出てくるまで少しずつ浄化し、そこから魂を傷付けないよう一気に浄化するしかない。
少しの傷なら身体の傷と同じように自然と治ってくれるが、深く傷ついてしまうと魂は存在を維持できずに消滅してしまう。
そうなれば神でしか救えない。
もう誰も、そうならないようにしなければ。
──魂が消えていく感覚なんて、誰も知らなくて良いんだ。
逃げる事を諦めたのか、カレウスが俺達へと向けて邪気の刃を放つ。
転移を行えば簡単に避けられるがそうはせず、剣を手に邪気の刃へと向かって飛ぶ。
真っ直ぐ、避ける事もしない俺達に邪気の刃は止まる事なく襲い掛かるが、俺達はその全てを浄化の力を宿した剣で斬り捨てた。
魔力を注げば注ぐほど力を発揮するこの剣は、精霊化した俺達の魔力を受けて眩しいほどの清らかな光を宿している。
その力は大した力も入れずに邪気の刃を軽く浄化してしまうほどで、剣を振るえばまるで溶けるように邪気が浄化されていく。
カレウスの放つ邪気の刃を全て斬り捨て、息をする間も与えぬようにカレウスへと浄化の力を混ぜた水の弾丸を放つ。
再び壁を張ったカレウスだが、何百と放たれる弾丸を受けて壁は粉々に砕け散った。
周囲に飛び散る邪気を一欠けらも逃さぬように、捩じれを加えて剣を振るい、浄化の力を振りまく。
その波動はカレウスにも届き、再び痛みに喘ぐように唸り声を上げた。
《【ガァアアァァアァヴァァアアアアア!!!】》
そのまま水でカレウスを捕まえようとするが、カレウスの口から大量の魔力が溢れだしたのが見え、舌打ちを一つして後ろへと飛びのく。
次の瞬間、俺達が今いたところへとカレウスの放った水色の光線が貫いた。
邪気を纏ったそれは岩を貫き、外まで穴が開いたのか水が音を立てて流れてくる。
カレウスが通れるほどの大きさではないが、外から余計な邪気が流れてこないように蓋をし、今度はレンスへと向けて同じ攻撃をしようと魔力を溜めているカレウスの元へと飛ぶ。
きっとレンスを狙えば俺達に隙ができるとでも思ったのだろう。
カレウスは嗤うように目を歪め、俺達が姿を現した途端ぐるりと顔の向きを変え、レンスではなく俺達へと光線を放った。
──そんなの予想できてたわよ。
セラの声に応じるように転移と同時に手を上げ、あらかじめ練っていた魔力を使って浄化の壁を作り、光線を受け止める。
壁に阻まれ浄化され、無力化していく光線をそのままに、隙だらけのカレウスの胴体へと水の鎖を放つ。
浄化の力が籠められている鎖に縛られ、再び叫び声を上げたカレウスはそこから逃れようと翼を大きく動かした。
《【人間如キガ私ヲ見クビルナァアァアアアア!!】》
どうやら浄化の甲斐あってカレウスの意識が少しずつ戻って来ているようだ。
今までの本能に近い叫びとは違う、意思を持った叫びが響き、鎖が力任せに引き千切られ、カレウスは俺達から距離を取ろうと精地を飛んだ。
魂を侵していた邪気が減ってきているのだろう。
ここまでくればもう少しだ。
精地を飛びながら体勢を整えようとするカレウスを追いかけ、俺達も精地を飛んだ。
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