水との再会

 仄かな灯りを頼りにレンスと共に暗い洞窟内を急ぐ。

 洞窟の奥からは邪気と共に水龍の咆哮が聞こえて来ていた。



「水龍も中にいるようだな」


「あの姿でも入れる道がいくつかある。きっとその道から入ったんだ」



 水に濡れた岩場を半ば滑るように進み、洞窟の奥へと視線を向ける。

 進めば進むほど邪気は増え、背筋を凍らせるような悪寒が強くなっていく。

 同時に宙に満ちる魔力が増えていくのもわかるが、生気の感じられないそれはあまり良い魔力ではないだろう。



「後どれぐらいだ?」


「もうすぐのはずだ。長がいつ襲い掛かってくるかわからないから気を抜くんじゃないぞ」


「お前もな」



 俺の問いに少し視線を送って答えたレンス。

 先を行く彼の背を追いながら考えるのは先ほど見た水龍の事だった。



 俺の知っているカレウスは、あんなにも大きくなかった。

 抱きかかえる程度の幼いドラゴンだった。

 ドラゴンが成体に育つには少なくとも50年はかかるはず。


 あのカレウスに孫ができるほどの時間が流れているとすればおかしくは無いだろう。

 だが、そうだとすれば、俺が死んでから一体どれほどの時間が流れているのだろうか。



 例え千年の時が経っていようとも、カリアは生きているだろう。

 彼女は力その物だ。寿命など無い、唯一の存在だ。


 でも、他のみんなは──?



「見えたぞ……!」



 耳に届いた声に無理矢理思考を止める。

 前にいたレンスが水龍に見つからないように小声で俺を呼び、先を指差す。

 示された先は洞窟内を照らす仄かな灯りとは比べ物にならないほどの明かりが満ちていて、明らかに空間が違うのが目に見えてわかる。きっとあそこが精地なのだろう。


 その時再び咆哮が響き、その音に洞窟の天井から小さな石が転げ落ちていく。

 同時に何かがぶつかるような音が響いてくる。そのどちらもレンスが示した先から響いていて、精地に水龍がいるのは明白だった。



 レンスと共に頷き合い、音を立てずに洞窟の終わりへと向かう。

 そして岩に隠れるように中を覗き見れば、そこにはどこか見覚えのある水の世界が広がっていた。




 村が一つは入りそうなほど大きな空間の中央に、円形の舞台と共に祭壇のような物が設けられている。

 祭壇の前にはここに来るまでもあった魔晶石の巨大な塊が浮かんでいて、この空間を満たす邪気を物ともせずに空間内を明るく照らしている。

 その周りを囲うように上から止めどなく水が流れ落ち、舞台をぎりぎり浸すほど満ちた水面へとぶつかり、音と波紋を広げていた。


 邪気に満ちながらも、どこか清らかさを保つ場所。

 冷たい氷のような鋭い魔力に満ちたその景色に、脳裏にあの景色がよぎる。



 セラが案内してくれた、水の精霊達が集う場所。

 あんな舞台も、祭壇も、大きな魔晶石も何も無い、ただ清らかな水と生命力に溢れた魔力が集う場所。


 似ても似つかない、あの景色とかけ離れた景色だというのに、俺の記憶は叫んでいる。



「──似て、る」



 小さく呟いた声は水龍の咆哮に掻き消え、誰に届く事も無く俺の胸に落ちていく。

 邪気によって遮られてはっきりとは見えないが、何かと争っているようだ。

 水柱を気にも止めず舞台上に姿を現した水龍が、殺意の籠った水の刃を繰り出すが、別の水の刃によって相殺されている。



「きっと英霊様だ……!」



 今にも駆け出しそうと腰を上げたレンスの腕を掴み、こちらへと引き寄せる。

 抗議の声を上げかけたレンスの口を押さえ、静かにするよう指示を出せば少し冷静になったのか黙って腰を下ろしてくれた。



「落ち着け。闇雲に突き進んでも水龍に襲われるだけだ」


「……すまん」



 小声で会話を続けつつ、レンスへと浄化の結界を施す。

 きっと、レンスにとってどちらも大切な存在なのだろう。

 焦ってしまう気持ちもわかるが、あの濃さの邪気に何も準備せず突っ込めばこちらが危ない。

 浄化の力で身を守るにしても、この程度では気休めにしかならないだろう。


 レンスに浄化の結界を張り終え、自分にも結界を施し、見つからないよう下を見下ろす。

 水龍は水の精地を守っている英霊すらも敵と認識しているようで、祭壇の周りでは激しい攻防が繰り広げられていた。



「英霊と合流しようにも水龍をどうにかしないと……魔法で動きを封じてもこの邪気じゃあまり効果は期待できないだろうな」



 水龍がそうしているのか、それとも精地の魔力がそうさせてしまっているのか。

 理由はわからないが精地の中央に近付くほど邪気が濃くなっている。

 あれでは魔法を使った所で周囲の邪気に魔力を奪われてしまうだけだろう。



「浄化はできないか?」


「……俺一人じゃ魔法陣を使わなければ無理だ。しかもあの状態では魔法陣を構築する隙が無い」



 この量の邪気を浄化するには魔法陣の補助が欲しい所だが、水龍が暴れている以上それも難しいだろう。

 急いでも魔法陣の構築に数秒はかかるんだ。あれほどの力を持つドラゴンがそれを許すとは思えない。


 何か使える物はないか周囲を見渡していると、レンスが俺の肩に手を置いた。

 水龍と英霊の戦いを真っ直ぐ見下ろすその横顔にはもう焦りなど見えず、決意だけが灯っている。



「ならば、俺が長の気を引く。その間にお前は英霊様の元へ行ってくれ。

 あの方は精地の要たる大精霊様を守るためにあの祭壇から離れられない。だが周囲の邪気を浄化すれば少しは自由に動けるようになるはずだ」


「……わかった。英霊と合流してこの辺りを一気に浄化する。それまで頼めるか」


「あぁ、任せろ」



 頷き合い、俺は自分の身体に魔力を巡らせ加減無しの身体強化を施す。

 その間にレンスは一足先に精地へと勢い良く飛び降り、一瞬の輝きと共にドラゴンの姿へと変えて咆哮をあげた。


 レンスが咆哮と共に放った幾つもの水の刃が英霊へと意識を向けていた水龍に飛んで行く。

 幾重もの斬撃に水龍の体勢が崩れ、その瞳がレンスへと向けられた。



《──頑固ジジィ! 俺が相手だ!!》


《【クルナクルナクルナ、クルナァアアアアァアアアアアア!!】》



 英霊からレンスへと攻撃対象を変えた水龍が邪気の籠った刃を振りかざし、レンスも応戦するために水の刃を振りかざす。

 二体のドラゴンが放った攻撃が精地を満たす邪気を斬り裂くように飛び交い、激しい飛沫と共に消えていく。

 水龍の意識が完全にレンスに向けられたその隙に、俺は岩場を蹴って精地へと飛び降りた。



 精地の壁を蹴り、魔法で作った足場を蹴り、身体強化を施した脚で速度を上げながら邪気を掻き分け先へと進む。

 水龍もその動きを捉えたのか、幾つか攻撃が飛んでくるが、レンスが間に入り攻撃を防いでくれる。


 吐く息が小さな氷の粒になって流れていく。

 刺すような冷たさに指先の感覚が無くなっていくのがわかる。

 それでも、レンスが水龍へと体当たりをして作ってくれた機会を逃さず、俺は祭壇へと飛び込むように駆けた。



《あなた、は》



 舞台を満たす水を揺らし、転がるように祭壇の前へと着地すると、鈴のように凛とした響きを持つ声が聞こえた。

 それが英霊と呼ばれる精霊の声だと頭の端で理解しながらも、すぐさま周囲に魔法陣を展開させる。

 背後では水龍の咆哮が響いていて、視界の端でレンスが壁へと吹き飛ばされているのが見えたのだ。


 レンスが作ってくれた時間は10秒も無い。

 だが、それだけあれば十分だった。



《【グルァアアアアアアァアアアアアアア!!】》



 水龍が俺へと向けて邪気の刃を放たれる。

 その刃が俺に突き刺さるその前に、円形の舞台全体に展開させた魔法陣を使い、今俺が使える最大の浄化の力を放った。



「【クラレイエス・リハイン】!」



 瞬間、爆発するような光が俺を中心に放たれる。

 魔法陣によって効力を高めた浄化の力は、白く穢れなき輝きと共に周囲を清めていく。

 その輝きは俺に迫っていた邪気の刃を欠片も残さず浄化し、水龍をも弾き飛ばした。



 岩が崩れていく音が響く中、光が消えていく。

 浄化された事により周囲の邪気は消え、霧が晴れたように視界がクリアになった。

 とはいっても浄化の力が届かなかった場所から邪気が大量に流れてきている。あまり時間に余裕は無いな。


 水龍が再び襲い掛かってくる前に英霊に力を貸してもらおうと立ち上がる。

 その時、上にふわりと何かが降りて来た気配がし、顔を上げた。

 目に映ったその姿に、俺は息を呑む。



「君、は──」


《そんな、まさか──》



 細やかな装飾が施された淡い青の裾がふわりと揺れる。

 それに寄り添うように、澄んだ水を思わせる色の柔らかな髪がなびいている。

 邪気に侵されていながらも清らかな輝きを宿す深海の瞳が、俺を真っ直ぐ捉えて離さない。



「君、なのか」



 足下を満たす水が俺の一歩に揺れる。

 震える声で呟いた囁きに彼女の手が伸ばされる。


 あの頃と変わらず白く、細い女性の手を取り、その柔らかく冷たい手を握り締めた。



「──セラ」



 強大な力を持って生まれた俺と共に育ち、最期まで家族として傍にいてくれた水の精霊。

 俺の姉なのだと笑い、傍にいる事を選んでくれた、大切な家族の一人。


 名前の無い彼女に贈った、澄んだ水を意味するその名を告げれば、繋いだ手に力が入った。



《──ジーク、なの……?》



 小さく、それでもはっきりと告げたその響きに、彼女は大粒の涙を一つ、また一つと零していく。

 次々と流れていくその涙に、俺は衝動的に繋いだ手を引いて彼女を抱きしめる。



「──ただいま、セラ」



 重力を感じさせずに浮かぶ彼女──セラを胸に抱き、心のままに言葉を紡ぐ。

 その言葉にセラは詰めていた息を吐き出し、震える手を俺の背に回した。



《ジー、ク……ジーク、なのね……! 私達の、愛しい子……!!》



 俺の前の名を繰り返し、涙を零すセラ。

 確かなその存在を胸に感じながら、俺はゆっくりその髪を撫でる。




 ──この世界にはセラがいる。



 ──この世界は、俺(ジーク)が生きたあの世界なんだ。




 ずっと心に刺さっていた杭が抜かれたような気がして、深い息を吐く。

 けれど感傷に浸っている間も無く、飛んで来た邪気の気配にセラを抱きしめたまま飛び退いた。



《【ガァアアアアァァァアアアアアアアァアアア】!!!》



 俺達が居た所に水龍の鋭く穢れた尾が突き刺さる。

 続いて放たれた水の刃に、魔法で足場を作って別の方向へと飛んで攻撃を避ける。

 そのままレンスの近くへと着地すれば、水龍は攻撃を止めて唸り声を上げた。


 どうやら先ほどの浄化が効いているようだ。

 纏っていた邪気の量が減り、心なしか息も荒い。

 この隙に一度体勢を整えるため、セラを連れてレンスの元へと駆け寄った。



《英霊様! キョーヤも、無事か!?》


《レンス!? あなたまでどうしてここに……!》


《詳しい話は後です! 今は長を救うために力を貸してください……!》



 背中を強く打ったらしいレンスが顔を顰めながらセラへと叫ぶ。

 レンスの身体のあちこちから流れる血を見て、セラは泣きそうになりながら俺から離れてレンスへと両手を伸ばす。

 そしてその手の平に淡い青の光を浮かべたかと思えば、傷口が徐々に塞がり始めていた。



 セラの邪魔をさせないよう、二人に背を向けて水龍へと向き直る。

 水龍は浄化された邪気を補おうとしているのか、翼を大きく広げて周囲の邪気を集めていた。

 俺達の周囲にあった邪気が水龍の方へと流れて行き、徐々に水龍へと取り込まれていくのが見える。


 傷を負っても治せるが、魔力には限界がある。

 それに対してあちらの邪気はほとんど無尽蔵だ。

 浄化によって確実に減っているとはいえ、これではキリが無い。



 セラと一緒なら、一つだけ方法がある。

 だが、その前に確かめなければならない事が一つある。



 セラの治療が終わったのを見計らい、セラの名を呼ぶ。

 俺の隣へと来たセラを見上げ、俺はここに来たあの時から抱いていた問いを投げかけた。



「あのドラゴンは、俺の知るカレウスなのか?」



 ただ短く問う。

 その問いに、セラはその表情を曇らせて頷いた。



《……えぇ、間違いなくカレウスよ……》


「そう、か」



 セラの返答に何も言えず、俺は黙って水龍へと──友へと視線を向ける。

 邪気に堕ちたその姿はあの頃の面影など無く、ただただ荒れ狂う存在でしかない。

 俺が守りたかった存在の一つが、あのように狂ってしまったのだ。


 他のみんなは、一体どうしているのだろうか。


 幼かったカレウスがあれほど成長しているという事は、恐らくあの日から何百年も経っているだろう。

 その事実が考えたくない想像を脳裏に過ぎらせ、心臓が凍るような感覚に唇が震える。

 それでも、俺の肩に触れるセラの手に、俺は緩く頭を振って前を向いた。



《キョーヤ。お前、英霊様と知り合いなのか?》


「……色々と事情があって、な」



 俺達の様子を見て初対面ではないと悟ったのだろう。

 体勢を整え、俺の後ろへと立ったレンスが不思議そうに問うのに苦笑いで返す。


 カレウスが邪気を集めている今、話している時間は無い。

 すぐに行動しなければ消耗戦になるだけだ。



 一度深く息をし、余計な思考を取り払う。

 そして頭上にあるレンスの顔を見上げ、俺は声を張った。



「レンス、まだ動けるか?」


《勿論、まだまだ戦えるとも!》


「少しで良い、時間を稼いでくれ」


《何か策があるのか?》



 目を見張り、俺を見下ろすレンスに頷き、セラへと手を差し出す。



「あいつがまた邪気に堕ちないよう、この辺り全てを浄化する。

 セラ、俺に力を貸してくれるか?」



 セラは何度か瞬きを繰り返す。

 そして懐かしい笑みを浮かべて俺の手を取った。



《──もちろんよ!》



 俺達が同時に魔力を練り上げると、カレウスが咆哮を上げる。

 見れば周囲の邪気を取り込み切ったのか、先ほどよりも深い邪気を纏っていた。



「──必ず助けるぞ!」



 俺のその一言に、レンスが飛び上りカレウスへと立ち向かう。

 その背を見送り、俺とセラは互いに魔力を合わせ始めた。

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