龍人の覚悟
耳に届いた物音に眠っていた意識が浮上する。
固まった身体を起こし、剣を手に周囲を窺うが、部屋の扉は閉じたままで他の人間の気配も無い。
窓から見える外は相変わらず邪気に満ちていて見通しが悪いが、明るくなっている。どうやら日が昇り始めたようだ。
さっきの物音はどこから聞こえたのだろうか。
立ち上がり、青年が眠っているベッドへと視線を向けた時、うっすらと開いた目と目が合った。
「目が覚めたか」
近付いて声をかければ、僅かに見える深い青の瞳が何度か瞬きを繰り返す。
視界が霞んでいるのかもしれない。
青年が俺を認識できるよう、その手を取り、自分がここにいる事を伝える。
そうしてようやく俺を捉えたのか、青年はその血の気の少ない口を動かした。
「……た」
「ん?」
「はら、へった……」
同時に大きな音が青年の腹から聞こえ、俺は小さく噴き出した。
まさか開口一番そう言われるとは思っていなかったな。
「すぐに何か用意する。食べられそうな物はあるか?」
「に、く」
「わかった、少し待っていてくれ」
龍人なだけあって丈夫なのだろうか。
俺は異空間に入れておいた食材を確認しながら、台所を借りるために部屋を後にした。
余程空腹だったのだろう。
次々と空になる皿を見ながら、俺は何とも言えない感情を抱きつつ、自分の食事を済ませる。
がつがつと音を立てて食べ続ける彼は、明らかに人間の許容量を超えた量の食事を軽々と体内に収めていた。
人の姿をしているとはいえ彼はドラゴンだ、人間と身体の造りが違ってもおかしくない。
出血によって失った血、そして邪気によって奪われた魔力を補うために大量の食事を必要としているのだろう。
俺も魔力を消費し過ぎて、大量の食事をしなければならなかった事が何度かあるため、理屈はわかっている。
だが、異空間に入れておいた食料のほとんどが彼の腹に収まってしまう事になるなど思ってもみなかった。
彼は一人で約10日分の食料をその身体に収めている。
王都で多めに食料を仕入れていて良かったな。
本心からそう思い、俺は引き攣る顔を抑えて茶を啜った。
「はーーー食った食った! 助かったぞ人間!」
「それは良かった」
ようやく落ち着いたらしい。
茶を一気に飲み干した青年は満足気に口元を拭う。
一瞬、まだ足りないと言われたらどうしようかと思ったが、杞憂に終わって良かった。
「片付けるから少し待っていてくれ。茶のおかわりはこれから自分で淹れてくれるか?」
「すまんな」
テーブルに置いてある水差しを指差してから席を立ち、空いている皿をまとめて持って台所へと向かう。
台所には既に桶に調理器具や皿などが幾つも浸けてあり、それらもまとめて汚れた物を全て水球の中へと入れていく。
一つも欠けさせないように注意を払って一枚一枚丁寧に洗い、順に火と風を使って乾かし、俺の物とこの家の物が混ざらないように仕分けていった。
何せ10日分の食料を盛り付けなければならなかったんだ。
俺の持っている食器や調理器具だけでは間に合わず、仕方なくこの家にあった物も使わせてもらった。
本当なら老人にでも一言かけてからにしたかったが、生憎と彼はこの家にいなかったので他にも色々と勝手に使わせてもらっている。後で謝罪の書置きでも置いておこう。
間違えてもこの家の食器は持ち帰らないように一つ一つ確認して異空間へと入れていき、使わせてもらったものを全て元の場所へと片付ける。
最後に台所も軽く掃除して汚れが無いか確認してから、青年の待つ部屋へと戻った。
部屋に戻るとすっかり元気になったのか、青年は身体を伸ばしたりとしていた。
ボロボロになった服の代わりに俺の予備の服を着せておいたんだが、少し窮屈そうだな。
そんな彼を椅子に座らせ、俺はこの村の事と、倒れていた青年を治療した事を端的に話した。
「俺の中からお前の魔力を感じるからもしやとは思っていたが、やはり助けてくれたのはお前だったのか!」
喜びを露わに、笑みを輝かせて俺の手を取った青年は、がっしりとしたその両手で俺の手を握り締める。
どうやら俺が浄化や治療をしたのは既にわかっていたらしい。
あれだけの浄化と魔法を使ったのだから体内に俺の魔力が残っていても無理もないだろう。
少しすれば彼の糧になるだろうが、相性によっては他人の魔力に不快感を抱く事もある。
そういった様子も無いから、おそらく俺と彼の魔力の相性は悪くないんだろうな。
幾つか問診をして体調を確認したが、もう彼は健康体そのもののようだ。
回復力が高いのは人の姿をしていても元がドラゴンだからだろう。
一通り確認し終えると、彼は姿勢を正した。
「本当に助かった。心から感謝を」
真剣な表情で頭を下げる彼の礼を受け取り、青年に顔を上げてもらう。
今は時間が惜しい。すぐにでも事情を説明して、とにかく村を早く離れるように告げなければ。
そう思って口を開こうとした時、それより先に彼が言葉を続けた。
「本来ならば礼を尽くさなければならないんだが……時間が無い。
この村には他にも人間が残っているんだろう? お前はそいつらを連れて逃げておくと良い。
これからここは荒れる。今度は家が一つ二つじゃ済まないぞ」
その言葉の意味と、その決意が見える表情から俺は喉に出かかっていた言葉を呑み込む。
代わりに出たのは一つの問いだった。
「何をするつもりだ?」
「……俺は、長を助けるために来た」
「長、とは邪気に堕ちてしまった水龍の事か」
「そうだ」
音が聞こえてくるほど歯を軋ませた青年は窓へと視線を投げる。
彼の視線の先は邪気に満ちていて何も見えない。
だが、彼は何かが見えているようだ。
横顔から窺えるその瞳には、死を覚悟した戦士の意志が灯っていた。
「長を助ける。あの方を失うわけにはいかない。
例えこの身が邪気に堕ちようと、あの方だけは救ってみせる……!」
自分の両手を握り締め、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
その決意は俺が彼へ──救えなかった彼へ抱いていた決意と同じなのだろう。
だとすれば、彼の決意への応えはとうに決まっていた。
「俺も行く」
「……何を言うかと思えば。
たかが人間に何ができる。邪気に堕ちた長を相手に俺と共に戦うとでも?
例え強い浄化の力を持っていようが、足手まといになるだけだぞ」
まるで悪者のような口ぶりで俺を突き放そうとする彼の瞳が微かに揺れた。
ドラゴンと共に戦うのは、彼等に比べれば小さな身体でしかない人間にとって酷く難しい事だ。
もっともらしい理由だが、きっと彼は俺を巻き込まないようにワザとそう告げたのだろう。
「ドラゴンを相手にするのも、ドラゴンと共に戦うのも慣れているんだ。足手まといにはならないさ」
だが生憎と俺はドラゴンの扱いには慣れている。
そうでなければカリアと契約など結べるわけがない。
俺が嘘を吐いていないとわかったのか、青年は目を軽く見開き、言葉を探すように俺から視線を外す。
邪気に堕ちた存在を救いたければ浄化の力が必要不可欠だ。
水龍を助けに来たというならば彼も浄化の力を持っているだろう。
だが、より多く力があった方が確実なのは彼もわかっているはずだ。
数秒悩み、出て来た言葉は最後の確認だった。
「……俺の腹を貫いたのは、他でもない長だ。
長は、孫である俺でも容赦なく襲い掛かってくるんだぞ。この意味が分かっているのか?」
昨日治癒した辺りに手を当て、俺を真っ直ぐ見つめる彼の深い青が揺らめく。
けれど根底にある芯は変わらず真っ直ぐで、それが彼の人柄を表しているようだった。
「命の保証はできないぞ。良いんだな?」
「死ぬつもりはないさ」
はっきりとそう告げれば、彼は一度唇を噛み締め、しっかりと頷いた。
剣帯をしっかりと結び直し、剣が外れないかしっかりと固定されているのを確認する。
すぐ取り出せるようにポーチにいくつか薬が入っているのも確かめ、割れないように保護魔法を掛けておく。
そして異空間から念のために買っておいた茶色のグローブを取り出し、しっかりと身に着けて馴染ませるように手を何度か握り締めた。
ドラゴンと戦うとなると、その背中に乗って落ちないように掴んでいなければならない。
俺がカリアに乗る時は特製の手綱を付けてもらっていたが、今回はそういった道具が無い。
そのため道具無しで彼の背に乗る事になる。
ドラゴンの身体を覆う鱗は鎧にも用いられるほど強固な物だ。素手で掴もうものなら手に傷を負いかねない。
このグローブ程度では少々不安だが、無いよりかはマシだろう。
準備を整え、家主へ家を使わせてもらった礼と感謝の言葉を簡単に書き残し、外に出る。
相変わらず邪気に満ちた村は静かで、じっと湖があるという方向を見ていた彼はすぐに俺が来た事に気付いて振り向いた。
「準備は良いようだな」
「あぁ」
頷いた彼が歩き出したのに従い、俺もその隣へと駆け寄る。
黙って歩いた先にあったのは村の広場と思われる場所だった。
「少し離れていてくれ」
そう手を横に出した彼に従い、後ろへと下がる。
十分な距離が取れたからだろう。
彼の身体から魔力が放出し、空気を震わせ風が巻き起こった。
目を開けられない程の強風に咄嗟に顔を腕で覆う。
僅かに見えた視界では、周囲の邪気が強風で薙ぎ払われ、村の広場から急速に邪気が晴れていく。
そしてその中心にいた人の肉体が、光に包まれ姿を変えていった。
彼の髪と同じ水を思わせる鮮やかな水色の翼。
同じ色と輝きを放つ長く鋭い尾。
人など一踏みで潰せるだろう大きな身体。
──それら全てが青く輝いていた。
水のように清らかなその姿がまさに水龍と呼ばれる所以なのだろう。
広場の邪気が全て払われ、邪気の無い視界に、一体の青いドラゴンが現れた。
焦がれていた。
ずっと、その姿を探していた。
けれど、けれども。
銀の輝きでなければ──彼女でなければ意味が無いんだ。
《さぁ、俺の背に乗れ》
「──あぁ」
その大きな背へ向けて、脚に身体強化をかけて飛び乗る。
カリアとは違う乗り心地に、自分の乗りやすい場所を探すのに少々時間がかかったが、何とか良い場所を見つけて合図を出す。
すると彼は思い出したように背に乗る俺へと顔を向けた。
《そういえば名乗っていなかった。俺は水龍のレンス。お前の名は?》
「キョーヤだ。キョーヤ・ミカゲ」
《不思議な響きの名だな。
……頼む、キョーヤ。俺と共に長を、カレウス様を救けてくれ……!》
そう言って飛び立つレンスの背で、反射的に彼の首へと捕まる。
青い鱗の感触に懐かしさを覚えながら、俺は頭の中でレンスの言った言葉を繰り返した。
──【カレウス】と言った。
間違いなく【カレウス】と。
────小さな、幼い一体のドラゴン。
活発で、いつもどこかに行っては一族の皆を困らせていた幼いドラゴン。
悪戯好きで、いつも誰かに怒られていた幼いドラゴン。
カリアに懐いていて、契約者である俺へと何度も勝負を挑んでいた幼いドラゴン。
けれど泣き虫で、俺が逝くと知った時、泣いて離れなかったあの、【カレウス】なのか────?
《キョーヤ》
「……どうした?」
邪気に包まれた空の中、はっきりと聞こえたレンスの声に意識を戻す。
俺の意識が自分に向けられたのがわかったのだろう。
羽ばたきを続けてその場に留まっているレンスは顔で湖を指し示した。
《これからだが、長は湖に潜っている。湖に近付けば長は相手が誰であろうと襲い掛かってくるだろう。
俺達だけでは救えるかどうかわからない。だから水の精地を守ってくださっている英霊様の助けを得ようと思う》
「英霊、か」
《あぁ。お前も知っているだろうが、英霊様達は浄化の力こそ無いが、誰よりも各属性に長けておられる。
幸い水龍様の属性は水だ、水の英霊様の力を借りれば浄化の力も届きやすいはずだ》
そこまで淀みなく言葉を繋げていたレンスだが、そこで一瞬言葉を詰まらせた。
どうかしたのかとその横顔を窺えば、レンスは湖から俺へと視線を移す。
《あの時、俺は長に阻まれ水の精地へ辿り着けなかった。
だからお前は魔法で長の動きを少しでも抑えてくれ。今度は必ず辿り着いてみせる……!》
「わかった。後ろは任せてくれ」
《……ありがとう》
一度辿り着けなかったゆえの迷いを持ちながらも、強い意志の宿ったレンスの瞳に俺は迷いなく頷き返す。
そんな俺にレンスは泣きそうに瞳を揺らし、瞬きをした。
次に見えた瞳にはもう迷いなど無く、ただ水の精地がある湖を見据えていた。
《──行くぞ、キョーヤ!》
「──あぁ!」
レンスの力強い声に俺も負けじと声を張る。
強い羽ばたきと共に、俺達は邪気を斬り裂くように空を駆けた。
──会って、確かめよう。
全て、会って確かめるしかないんだ。
似ているけれど何かが違う空を斬る感覚に違和感を覚えるが、それでも俺は邪気に満たされた湖へと意識を向けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます