老人の嘆願
家の中に駆け込み、幾つか扉を開けて青年を寝かせられるような場所を探す。
彼から俺の背中を伝って血が流れていくのが感じ取れ、焦りを覚えながらも三つ目の扉を開いた時、ようやく小さなベッドがある部屋を見つけた。
すぐさま部屋の中に入り、青年をベッドへと横に寝かせる。
腹部には相変わらずあの触手が蠢いており、浄化の力が込められた布を退けようと動いているようだ。
彼の鮮血に染まる布が不規則に蠢く様は不気味そのものだった。
とにかく先に浄化と結界を張らなければこの触手を取り除けない。
部屋の窓が閉まっているのを確認し、魔力を練り上げて部屋全体を中心に魔法陣を展開させる。
その時、開いたままの扉から先ほどの老人が顔を覗かせた。
「若いの、その様子では……」
杖を突き、恐る恐る魔法陣や青年に視線を向ける老人の表情には戸惑いが見て取れる。
老人には悪いが、今は相手をする余裕が無い。
後で説明する事を視野に入れ、すぐさま他人も入れるように結界が弾く対象を邪気だけに設定し直す。
建物の中とはいえ邪気はある。
少なからず影響を受けるだろうが、彼の治療が終わるまで保てればそれで良い。
少しでも長く邪気に対抗できるよう大量の魔力と浄化の力を注ぎ込み、部屋の壁に沿うように結界を形成させた。
「爺さん、悪いが今から見ることは誰にも言わないでくれよ」
突如張られた結界に驚き、部屋を見渡す老人に軽く声をかけてから青年に向き直る。
限界が近いのだろう。顔は生気の無い土気色をしていて、息をするのも絶え絶えだ。
人前で使わない方が良いと言われたが、人の命がかかっている状態でそんなの気にしていられない。
俺は蠢く触手へと右手を押し付けて一気に大量の浄化の力を注ぎ込んだ。
「うわっ!?」
浄化によって発せられる目が眩むほどの光に老人が驚く声が耳に届いたが、それを無視して浄化の力を結界の中全てに行き渡るように放つ。
強力な浄化に、触手は周囲に邪気が無いため復活もできず端から消え始めるが、最後の足掻きのつもりか、傷の一番深い場所へ密集し、一番奥にある触手を守ろうと別の触手が蠢いている。どうやら体内の奥へと入り込もうとしているようだ。
触手によって傷口をさらに抉られているのか、青年が呻き声を上げる。
これ以上負担がかかれば浄化できても青年の命が持たない。やるしかない。
浄化の力を使う右手はそのままに、左手へ魔力を集める。
十分な魔力が満たされたのと同時に、俺はその言葉を発した。
「【ラピアレイオ】!」
浄化とは違う淡い光が左手から溢れるように輝きだす。
光は青年の傷へと染み込み、みるみるうちに奥深くから塞がっていく。
それに伴って潜っていた触手が表に押し出されて来たので、それらを消すために浄化の力を強めた。
これは、俺が使える中で最も高位の治癒魔法だ。
大量の魔力を消費してしまうが、その分どれだけ深い傷も瞬時に治す事ができる。
浄化をしながら使うには不安があるが、今は一秒を争う状態だ。無茶だろうが何だろうがやるしかない。
傷を広げようとする触手を浄化で消し、腹部以外にも腕や足など別の箇所にもある傷を全てまとめて治癒していく。
傷が塞がり、青年を脅かす邪気の全てを浄化し終えたのを念入りに確認して、俺は手を離した。
「もう、大丈夫そうだな……」
大量に魔力を消費したため、気怠さを感じるものの、青年の容体を念入りに確認する。
どうやら相当丈夫な身体をしているようだ。
意識を失い、顔色も血の気が無いが、先ほどまでの苦悶の表情は無く、息も穏やかになって脈も既に安定してきている。
これならすぐにでも意識が戻るかもしれない。
その時、彼の髪に隠れていた耳が見え、俺は手を止めた。
「この耳は……」
水色の髪から覗く耳は人間の形はしておらず、一見魚のヒレのように思える。
覚えのある形にそっと左手で触れれば、感覚があるのかピクリと小さく震えて反応を示した。
作り物ではない。ならばこの青年はまさか。
俺達の様子を窺っていたのだろう。
髪色と似た色合いのその耳を見て、老人が息を呑んだ。
「龍人が、なぜ」
──あぁ、やはりこの青年は龍人のようだ。
触れるか触れないかの位置で固まる俺の手に、煩わしそうに反応を示すその耳を再度見る。
カリアはその在り方故に、完璧に人の姿を取れていた。
だが、普通のドラゴン達はそうはいかない。
彼等が人型を取る時、いつも耳だけが残っていた。
恐らくこの世界でも似たような物なのだろう。
この世界の人間が龍人だと言っているのだから間違いない。
「まさか、水龍様を助けに来たのか……?」
戸惑いそう呟いた老人の言葉に俺は血を拭うのも忘れて老人へと振り向く。
今の俺は青年の血に塗れているのだろう。
彼は小さく悲鳴を上げたものの、意を決したように口元を引き締め、俺へと歩を進めた。
「お前さんが、王都に召喚されたという勇者殿、か?」
「俺は勇者じゃない。ただの、旅人だ」
「勇者であろうとなかろうとこの際なんでも良い!
頼む、村はどうでも良いんじゃ! 水龍様を助けてくれんか!」
ベッドの横に片膝を着いたまま答える俺に、老人は杖を握り締めて叫ぶように告げる。
村どうでも良いから水龍を救って欲しい。
さっきまで村を守るように俺に立ちはだかっていたのに、その行為と矛盾するような言葉に内心首を傾げる。
そんな俺に構う事無く、老人はまるで吐き出すように言葉を続けた。
「水龍様はずっと精地を守り、この村も守ってくださった。
何もできんワシらが邪気に堕ちんよう、その身を盾として邪気を受け止めてくださっておった……そのせいで、堕ちてしまわれたんじゃ……」
よろよろと俺の隣へと膝を着き、老人は両眉を寄せて懺悔するように言葉を紡ぐ。
そして血で汚れている俺の右手を両手で掴み、縋るように額へと引き寄せて握り締めた。
老いた手は皺だらけで、力は弱く痛みも無い。
ただ小さく震えるその両手に俺は何も言えず、言葉の続きを待った。
「この村はもう良い。残っとるのは邪気に侵され動けん者と、その者らの傍に寄り添うと決めた者。そしてワシのようにこの村で死ぬ事を選んだ者だけじゃ。
皆、この村と終わる覚悟はできておる……だが水龍様は違う。
あの方は、ワシらを守らずにただ精地を守っておられたら、堕ちなかったはずなんじゃ……!」
どの世界にも命を賭して誰かを守ろうとする者はいるようだ。
似たような事を行った存在が脳裏に過ぎり、自然と空いている左手に力が入る。
俺はあの時、彼女を救えなかった。
民を守るために瘴気をその身に取り込み、魔物となり果て、愛し守ろうとした母国を破壊していく彼女を。
瘴気に呑まれ苦しみ続けていた彼女を救えなかったんだ。
「お前さん、浄化の力があるんじゃろう!? 頼む、あの方だけでも救ってくれんか……!!」
彼女を終わらせてやる事しかできなかった。
最期に戻った彼女が流した涙を、俺はまだ覚えている。
──救えるのだろうか。
カリアも、精霊達もいない、俺だけの力で。
何も答えない俺に、老人はハッと息を呑み、俺の手をゆっくりと離していく。
そしてだらりと腕を力無く垂らし、小さく首を横に振った。
「……すまん、すまん……忘れて、くれ」
掠れた声で、自分に言い聞かせるように呟く老人に思わず手を伸ばす。
だがその前に老人は立ち上がり、俺に背を向けて扉の方へと歩き出した。
「もう、あの方を救えるのは……誰もおらんのじゃった……」
俺に向けてではない言葉を独りごちり、老人は扉へと手を掛ける。
「この家は好きに使うと良い。そしてその龍人が目を覚ましたら、お前さんはそいつと一緒に村を離れるんじゃ。
例え浄化できるとしても、こんな村に長居し続ければ死ぬしかないからの……」
そう言い残して扉が閉められ、老人は姿を消す。
数秒、意味も無くただ扉を見つめて、俺はどっと湧いた疲れからその場に座り込む。
邪気の蔓延る道を進むのは想定以上に体力を奪っていたようだ。
体内に入れないようにはしていたが、あれは触れるだけで魔力を奪う。
だというのに浄化や治癒などで魔力を消費したので、思っていた以上に疲れが来てしまった。
どのみち今日はもう休むつもりだったが、その前に一仕事しなければならない。
視界のあちこちに映る紅に、床に手を突き力を入れて立ち上がる。
まずは彼がゆっくり休めるように彼の周りからどうにかしよう。
眠っている青年を起こさぬように魔法で浮かせ、俺は真っ赤に染まっているシーツを引き剥がした。
粗方の掃除を終え、青年の眠る部屋へと戻れば彼は相変わらず眠っていた。
安定した寝息を確認し、俺はベッドの近くの壁へと身を寄せ、剣を外し、壁に背を預けて座る。
彼の血が付いてしまった物は全て洗ったものの、服にはあちこち染みが残ってしまった。
他人が見ればすぐに血の跡だとわかるためもう着られないだろう。
マーク神父に貰った物だったので申し訳なさを感じながらも、荷物を増やさないために火で処分した。
他にもベッドのシーツなど、洗っても落ちないほど汚れてしまった物もまとめて処分してある。
老人に一度確かめておきたかったのだが、家に彼の姿は無く、あまり部屋を離れると結界を保てないので、諦めて勝手に処分させてもらった。
ここを離れる前に会っておきたいが、あの様子では再び会ってくれるかどうか怪しいな。
老人の言葉を思い返し、ベッドで眠る青年へと視線を向ける。
何故あのような場所で倒れていたのか、何故あのような傷を負っていたのか。
気になる事は幾つもあるが、聞いている時間も惜しい。
青年が目を覚ませばすぐに村を離れるように告げよう。
実際に見てみなければ判断できないが、ドラゴンであれば邪気に堕ちても多少は猶予があるはず。
あまり長く邪気に堕ちていれば戻れなくなってしまうが、その前に浄化を施せれば助けられるはずだ。
カリアも精霊達も傍にいない今、俺にできる事は何も無いかもしれない。
それでも休息を取って万全の状態で挑むしかない。
日本という平穏な国に生まれ、頼られる事も減り、前世とは全く異なる多種多様な価値観を見てきた。
それで少し治ったかと思っていたが、昔からみんなに注意され続けた悪い癖はまだ俺の中に根強く残っているようだ。
俺は、求められた。
救ってほしいと頼まれた。
──ならばその求めに応じ、救わなければならない。
異空間から毛布を取り出し、床に敷いてその上に寝転がる。
何があっても対応できるよう剣の持ち手に手を置き、俺は目を閉じた。
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