蝕む毒の在処

 王都を出て早四日。

 俺は所々崩れた道に足を取られないよう注意を払いながら、今日も先を急いでいた。



 本当ならもう水の精地が見えている頃だろうが、道中の川が氾濫していて周り道をしなければならなかったり魔物が現れたりと少々時間を食ってしまった。

 それでも進むにつれて濃くなる邪気に着々と水の精地に近付いているのが目に見えてわかる。


 目的の村まではもうそろそろ着くと思うのだが、看板や道が壊れていてどれぐらいの距離なのか計りにくい。

 地図はあるものの、これは大雑把な物なので方向はわかるが距離は当てにできそうにない。

 既に日は傾き始めている。できれば今日中に村に着いてしまいたいんだが……どうなる事やら。



 水の精地は大きな湖の中心にあり、その湖に隣接するように村があるそうだ。

 何でも水の精地の傍にあるため多大な恩恵を受けていたのか、農作物が良く実り、魚も良く取れ、精地に一番近い村なので観光地としても栄えた豊かな村だったらしい。

 だが、精地が邪気に侵されてからというもの人々は近付けなくなり、村人も王都などに避難している。


 そのため行ったところで人は居ないだろうが、それでも精地に一番近い村なのに変わりはない。

 どのみち今日はもう日が暮れるので水の精地へは向かうのは避けた方が良い。

 森の中で野宿するより、人の手が入った場所で野宿した方が気が楽だ。



 邪気を吸い込まないよう鼻と口を覆っている浄化の力を込めた布を上げ直し、大きな山と地図を見比べて崩れた道を進んだ。






 倒木を乗り越えると遠くに人の手が入ったような拓けた場所が見えて来た。

 駆け寄った先に見えた景色に俺は息を呑む。



 草一つない畑、壊れた囲いと放置された大きな動物の骨。

 端の方には何かに潰されたかのように崩れている幾つもの家だった物が在る。

 それらを視界に入れながらも広く作られた道へと近付いた。


 何よりも異様なのがその静けさだ。

 人々の生きる音も、風の音も何も聞こえない。ただ生気の無い静寂のみがそこに在る。


 数軒先の家が見えにくいほどの邪気が満ちているその惨状に、意識せずとも眉間に皺が寄る。

 入口らしき場所に建てられた看板には掠れた文字で「リカーナ村」と書かれているのが確認できた。

 目的の村に着いた事を理解したと同時に、脳裏に過ぎったのは俺(ジーク)の故郷だった。



 ──懐かしい。


 何故かわからないけれど、懐かしいのだ。

 あの村とは似ても似つかない大きな村だというのに。



 その理由を知ろうとしてその場に立ち止まり村を見渡す。

 けれどやはり何故そう感じたのかわからず、俺は思考を切り替えるために緩く頭を振った。




 もうとっくに日が沈んでいる。

 今はとにかく休める場所を探さなければ。



 村の中へ足を踏み入れようとした時、近くに建てられた家の扉が一人でに開いた。

 軋むような音を立てて開かれる扉にすぐ視線を向ければ、中から腰の曲がった老人が現れる。


 まさかこの状況で村の人間が残っていたというのか?

 驚きと警戒を持って剣に手を掛けると、その老人は俺を見たかと思えば杖を振り上げた。



「帰れ! この村に近寄るな! すぐに帰らんか馬鹿者!!」



 怒鳴り声を上げて杖を振り回す老人に俺は剣から手を離す。

 邪気に堕ちたというわけではなく、俺を盗賊か何かと勘違いしているようだ。

 フードこそしていないが顔の半分を布で隠しているんだ、誤解されても仕方ない。


 誤解を解こうと、振り回される杖を手で受け止め、動かないように力を込める。

 なおも暴れる老人が落ち着くよう、すぐに言葉を紡いだ。



「俺は盗賊じゃない、ただの旅人だ。

 あんたはこの村の人間だろう? 俺の話を」


「良いから去らんか! 離れろ、わしらにも近付いてはならん!!」


「それはどういう……」


「去れ! お前の話など聞いてやる時間は無い! 去るんじゃ!!」



 声を荒げて俺を追い出そうと、より一層暴れる老人は杖が使えないと悟ったのか、杖から手を離して俺を突き飛ばそうとしてきた。

 これ以上興奮させるのも憚られ、それを避けつつ距離を取る。


 周囲の邪気に呑まれたかとも考えたが、自我がハッキリしているようだし老人から感じる邪気はこの村にいたとしては不自然なほど少ない。

 もしや浄化の力でも持っているのだろうか。



「爺さん、頼むから少し落ち着いて」


「去れと言っとるのがわからんのかこの若造が! ぐっ……ゴホッ、ゲホ」


「大丈夫か?」



 手を振り上げて俺へと向かって来ようとしたが躓き、その衝撃か怒鳴ったからか、その場に手を突き咳き込む老人。

 すぐさま駆け寄りその背に手を当てて様子を窺うが、老人は息を荒げたまま俺の手を勢いよく払った。



「良いから去れ! この村に近付くな! 王都にでも行け!」



 声と表情とは裏腹に、俺に向けるその瞳に怒りの色が無い。

 怒っているわけではないようだがどうしたものか。


 これ以上刺激すれば老人の身体に障るだろう。

 邪気にあまり侵されていないとしても、その感情の起伏を触媒に、邪気へ堕ちてしまいかねない。

 俺は一旦村を離れるべく、手にある杖を老人の傍に置いて、わけもわからないまま村の外へと走り出した。




 村から少し離れたところで振り返れば、入口にあの老人が立っていた。

 どうやら俺が戻って来ないように見張るつもりらしい。その場に座り込んだ様子が見え、思わずため息を漏らす。



 あの様子ではしばらく離れてくれなさそうだ。

 これはもう、村に入るのは諦めてどこか野宿できそうな場所を探した方が良いか。

 明日の朝すぐに精地へ向かえるように、できるだけ精地に近い場所を探すとしよう。


 しかし、水の精地がある湖へはあの村を通るのが一番早かったはず。

 あの老人がいる限り通してはくれないだろう。

 他の道となると、村の外を迂回して行くしかないのか……。



 道を確認するために地図を広げていると、茂みの奥から物音が聞こえた。

 この邪気の多さだ。いつどこで魔物が形を成してもおかしくは無い。

 また俺の魔力に誘われたのかもしれない。老人に襲い掛かるようなことになる前に始末しておかなければ。


 地図を異空間へと入れて剣に手を掛ける。

 相手の出方を窺いつつ風を生み出して邪気を払い、少し晴れた視界の中、慎重に茂みへと近付く。



 ──そこには、水を思わせる鮮やかな水色の髪をした青年がうつ伏せに倒れていた。



「っ、おい! 大丈夫か!」


「……ぉ…………さ……」



 剣から手を離し、駆け寄って声をかけるが、青年は声にもならない音を出すだけだ。

 草と邪気で見えにくいが、よくよく見れば青年を中心に地面が赤く染まっている。


 この血の量からするに、相当深い傷を負っているはず。

 背中には傷は見当たらない。前か。


 急いで青年を抱き起こすと、それは腹部に在った。

 黒い触手のような何かが青年の腹部の傷を貪るように蠢いている。

 まるで蛆虫のようなそれは、見ているだけで吐き気を催すような、深く、おぞましい邪気を放っていた。



「っ……」



 これは、魔物なのか。

 近くにいる俺には見向きもせずに青年の命を貪っている。

 正体はわからないが、このままではこの青年が死んでしまうのはわかる。



「【浄化の光】!!」



 とにかく浄化しようと、俺は浄化の力を傷口へと向けて放つ。

 傷口に蠢くそれらは浄化の力を受け、徐々に動きを止めて消えていく。

 そのまま触手が全て無くなるまで力を注ぎ続け、貫かれたような傷が露わになったところで、次は傷の手当てをしようと魔力を練る。

 その時、周囲の邪気が傷口へと集まり、再び大量の触手となって青年の命を貪り出した。



「無尽蔵というわけか……!」



 苛立ちから一度舌を打つ。

 恐らくいくら浄化してもこの触手は周囲の邪気を糧に復活してしまうのだろう。

 全て浄化できれば一番良いだろうが、ここは邪気に侵された水の精地の近くだ。

 浄化しても別の場所から邪気が流れ込み続けるだけだろう。


 結界で邪気の侵入を防ごうにも辺りは濃い邪気に満ちている。

 これでは結界を張ったところで魔力を奪われて崩れるだけだ。



 せめて閉鎖的な空間なら、何とかなるかもしれない。


 邪気が瘴気と似たような性質ならば、外と隔離された空間には入り込みにくいはず。

 そこに青年を運び入れ、結界を張った後、結界内の空間全てを浄化すれば復活できなくなるだろう。



「ぅ……ぅう……」


「意識をしっかり保て! 必ず助ける!」



 口元を覆っていた布を取り、更に強い浄化の力を込める。

 それを青年の傷口に巻きつけ、黒い触手ごときつく縛り上げた。

 蠢く触手が浄化の力によって弱まっているのを確認しつつ青年を背負い、俺は村へと走り出す。


 俺が茂みに入っていたのを見ていたのだろう。

 老人は先ほどとは違い、立って俺を待ち構えていた。



「お前、また」


「爺さん頼む、部屋を一室貸してくれ!」


「な、なんじゃ!?」



 全速力で向かってくる俺に、老人はまた杖を振り上げて怒鳴りつけようとしたが、それを遮るように声を張る。

 俺の様子と背中にいる青年に気付いたのか、老人は杖を振り上げたままの体勢で固まった。

 それに構わず俺は老人の元へ駆け寄り、老人に詰め寄った。



「人が死にかけているんだ!」


「あ、あの家を使え!」



 背中の青年と俺を見比べ、老人は驚いた様子を見せつつ振り上げていた杖で一軒の家を指し示す。

 礼を言う間も惜しみ、青年を背負い直してすぐさまその家へと駆け込んだ。

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