勇者の出立
何台もの馬車や多くの人、そしてジークだった頃にも見たような多種多様な種族。
それらが行き交う整備された大通りはジシスの何倍もの賑わいに満ちていた。
検問を終えて門を潜った馬車は少し大通りを進み、路地へと止まる。
御者から降りるように言われて剣を手に下り、周りを見れば同じように止まっている馬車が何台かあり、商人と傭兵と思われる組み合わせが幾つか見られた。
どうやら護衛はここで終わりのようだ。
「キョーヤさん、こちらにどうぞ」
人の賑わいに消えないように声を張ったハンスに呼ばれ、剣帯に剣を付けながらそちらへ向かう。
馬車の傍に立つハンスの傍にはクランクとアリオ達が既に揃っていた。
各々身体を伸ばしたりとしている彼等を視界に入れ、俺は少し距離を取ってその近くへと立ち止まる。
「はい、では皆さま本当にありがとうございました。これにて今回の依頼は無事完了となります。
何事もなく王都まで来れたのは皆さまの幸運のおかげでもあるでしょう。またご縁がありましたらよろしくお願いしますね。
ではお約束の報酬をお渡ししますので……まずはクランクさんとキョーヤさん、こちらへ来てください」
言われるままハンスに近寄れば、クランク、そして俺の順で小さな布袋が手渡される。
渡される際に金属が当たる音がしたのでこの中に報酬が入っているのだろう。
念のため確認するよう言われて中身を確認すれば、依頼を受けた際に書かれていた報酬分がしっかりと入っていた。
「はい、じゃあアリオさん、こちらに」
彼等はパーティーを組んでいるから、四人分まとめて受け取るのだろう。
ハンスと共に馬車に硬貨を並べ、確認している後ろ姿を眺めながら俺は少し彼等と距離を取る。
俺の存在は王都では色々と厄介だ。
俺が傍にいる事で彼等に危害が及ぶのは避けたい。
だからもう離れたいのだが、行ってしまっても良いのだろうか。
全員の様子を窺いながらタイミングを計っていると、クランクがチラとこちらを見た。
黒いフードから僅かに覗いた金の輝きと目が合い、小さく頷かれる。
どうやら後を任されてくれるようだ。
頷き返し、俺は最後にアリオ達を一瞥してからフードを軽く被りなおして歩き出す。
クランクの後ろを通り過ぎようとした時、クランクが微かにこちらへと視線を向けた。
「ギルドは大広場から西側だ」
周囲の喧騒に消えてしまうほど小さな低い声は確かに耳に届く。
それに俺も小さく礼を返し、行き交う人々の波へと身を滑り込ませた。
「あれ? おっさん、キョーヤは?」
「……色を考えればわかるだろう。ハンス殿、くれぐれも」
「わかっておりますよ。アリオさん達も、彼に少しでも情を持たれたのなら、黙っていてさしあげてください」
──そんな会話がなされているのを知らないまま、俺は前へと進んでいった。
まずは拠点を作るために、ギルドから遠く、人通りもそう多くない通りに面した小さな宿で一部屋取る。
宿を営んでいる老夫婦はフードで顔を隠している俺に対しても態度は柔らかく、一つ一つ丁寧に案内してくれた。
この宿には5部屋しか無く、泊まっている者も俺以外には一人しかいないそうだ。
夕食はどうするか聞かれ外で済ませる事を伝えれば、案内してくれた亭主は俺に鍵を手渡してゆっくりしていくよう告げてから部屋を出ていった。
部屋は一人用のベッドが一つ、それと小さな棚と窓がある程度で他には家具は無い。
手入れは行き届いているようで、軽く見た限り埃は見当たらないしベッドのシーツも清潔そのものだ。
狭いといえば狭いが、俺一人が休む分には十分すぎるぐらいだな。
ふと窓の外を見れば、丁度通りに面していたようだ。
通りの反対側の建物のさらに奥、茜色に染まった空を背景にした大きな城がそこに在った。
あそこに日向達はいる。
世界を背負うなど、酷く不安な事だろう。
それも自分が決めたのではなく、半ば強制的にされているのだ。
無事に保護やしっかりとした援助を受けられていると良いのだが。
窓の外をしばらく眺め、俺はそのまま部屋を出て、もらった鍵をかけて宿を後にする。
さて、また護衛系の依頼があれば受けたいところだな。
依頼を受けるか受けないかで今後の方針に大きく変化するだろう。
そのためまずはギルドへと向かって歩き出した。
掲示板を見たがこれといった依頼は無く、受付にも尋ねたが精地のある方面への護衛依頼は今のところ全く無いようだ。
探してくれた受付の青年の話では魔物の被害が多く、わざわざ危険な場所へ向かうような人間は全く居ないとの事だった。
その代わり討伐依頼数多くはあったが、それを受ければ報告のためにこのギルドへ戻って来なければならない。
受付の青年がせっかく紹介してくれた依頼だったが、そのまま水の精地へ向かえないので断り、俺はギルドを足早に後にする。
俺のように顔を隠している者は少なくないが、やはり相当目立つらしい。
依頼を探している間も探るような視線が向けられ続けていた。
これだと情報を集めるのも一苦労しそうだな。
ギルドの外は既にほとんど夜に染まっていて、空の端に僅かに紅が残っているだけだが、王都というのもあってかまだ多くの店が開いている。
このままなら水の精地へは歩いて向かう事になるだろう。道中野宿をする事も視野に入れてしっかり準備をしておかなければ。
「おーいそこのフードの兄ちゃん! 良かったら見ていっとくれ! もうじき閉めちまうからちょっと安くしてやっても良いよ!」
「……じゃあ、少し見て行くよ。ところで尋ねたい事があるんだが、良いだろうか?」
「買ってくれるならね! さぁさぁ見てらっしゃいな!」
王都なだけあって邪気の被害も少ないのだろう。
品揃えの良い店で客を引き込むふくよかな女性に促され、異空間にしまってある物を思い出しながら必要な物を手に取っていく。
ポーチから硬貨を出すフリをして異空間から硬貨を取り出し、商品の包装が終わるのを待つ間にカリアや水の精地、そして勇者について話を聞かせてもらった。
そうやっていくつか店を回り、装備品から調理器具や調味料といった物を買い揃えた頃には街はすっかり夜に染まっていた。
夕食も済ませて宿へと戻れば、宿の老夫婦がのんびりとお茶をしているところだったようだ。
一緒にどうかと誘われたが両手にある荷物を理由に断り部屋へと戻る。
片手でランプを灯し、適当に荷物を置きながら窓へと近付く。
窓に近付いて覗こうとしない限り見えないだろうが、念のためにカーテンをしっかりと閉める。
そこでようやくフードを取って一息ついた。
「髪、染めるか……?」
ベッドに腰かけ、視界に入った前髪をつまんでぼんやりと呟く。
こうしてずっと顔を隠すのに気を払わなければならないというのは酷く気疲れする物だな。
不審に思われて店の人に警戒されたりと少々難儀な事も多い。
とはいえ、髪を染めたとしても目の色はどうにもならないので大差ないか。
魔法でどうにかできないか頭の端ででも考えておこうか。
少なくとも王都にいる間はどうにもならない。
色については諦め、気を取り直し、今日買った物が詰まった袋から一枚の大きな羊皮紙を取り出す。
くるくると巻かれたそれを広げれば、そこにはユニエル周辺の地図が描かれていた。
地図、といっても日本などで見るような正確な物ではなく、距離も大雑把であれば街の規模なども大雑把だ。
「この方向に何日ぐらい進めばこの街に着く」程度の物だが民などにとってはこれぐらいの情報でも十分生活できるため、こういった物は色々な店で取り扱われていた。
聞いた話では専門の店にはもっと正確な地図や別の国の地図などもあるそうだが、そのどれもが高価なんだそうだ。
前世、空からあの世界を何度も見ていた。
見えるあの景色を地図として描き、赴いた場所での記録を描き込んだ事もある。
それを友に見せ、友の話を元に描き加えて……そうやって友と共にいくつか地図を描いた事があった。
だからこの世界の世界地図を一度見てみたかったが、生憎店の店主は仕事でしばらく留守にしており、店を開けていないそうだ。
噂では王命で新たな地図を勇者のために作成しているそうだが、本当かどうかは定かでは無いと、教えてくれた男性は笑っていた。
いずれにせよ、この王都でもカリアに繋がるような情報は相変わらず手に入らなかった。
だが、他の情報は色々と仕入れる事ができた。
日向が王城にいる事。そしてもうじき出発する事がわかったのだ。
何でも、今朝勇者一行の出発パレードが催されると知らされたそうだ。
それによれば5日後に勇者一行は王都を出発し、すぐに水の精地を目指すとの事だった。
水の精地は邪気の発生源と噂されるほど邪気に満ちており、水龍が堕ちてしまったのもあり非常に危うい状態に陥っている。
さらに先日、精地を守護していた大精霊という存在が堕ちかけた。
かろうじて水の英霊が精地を維持し、大精霊も何とか耐えているようだが、このままではそう遠くないうちに水の精地は崩壊する。
それを防ぐために、勇者一行が王都を発つのだと。
地図によれば、王都から水の精地へは歩いても3日あれば着くようだ。
邪気が広まっていなかった頃には巡礼も頻繁に行われていたようで、道も整備されていると聞いた。
邪気と魔物のせいで以前より酷く荒れているらしいが、それでも一度でも人の手が入った道は進みやすいだろう。
勇者一行はおそらく馬車などで向かうはず。
事は一刻を争う事態だ。全行程を歩きで行く事はまずない。
俺はまだ彼等と合流するわけにはいかないし、水の精地が崩壊すればこの世界そのものが危うい。
例え女神の加護が有ろうと無かろうと、彼等が水の精地に着くまでの時間稼ぎぐらいならできるだろう。
今日の買い出しで準備は整えてある。
明日の朝にでも宿を出よう。
地図を閉じ、今日買った物を異空間へと順に入れていく。
魔法で服や身体を洗ったりと用事を済ませ、戸締りを確認してからランプの灯りを消した。
翌朝、宿で婦人の作った温かい朝食を頂き、老夫婦に見送られて宿を後にする。
まだ人がまばらな大通りを進み、水の精地がある方角に設けられた門へと向かえば、長い列が見えた。
邪気の発生源なんて噂されている水の精地へ向かうこの門でも、俺以外にもこの門から王都を出る人はいるようだ。
門の前では旅の装束をした人々が順に門番の検問を受けていた。
滞りなく進んでいく列に並んでいる彼等に倣い、俺もその列の最後尾へと並ぶ。
数分もしないうちに俺の番となり、ギルドカードの提示を求められてポーチから取り出す。
門番の男性は夜勤明けなのだろうか。眠たそうに目を擦り、俺のギルドカードを確認した後、特に止められる事もなく通行を許可してくれた。
「気ぃ付けてくださいねぇ」
「あんたも、早めに交代してもらった方が良いんじゃないか? 今にも倒れそうだ」
「あはは、あと数分なんすよ。お気遣いどーも」
少しやり取りをしつつギルドカードを返してもらい、門番に会釈をしてギルドカードをポーチへとしまいながら門を離れる。
途中、道の横に立てられた看板が水の精地への道を示していて、先を行く人々の後を追うように俺はその方向へと歩き出した。
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