其は誰の嘆きか

 陽が沈み、星が輝き始めた空の下、俺達はある村に着いた。

 漂う邪気を感じながらも入ったその村は、俺達のように王都へ向かう途中で寄る者が多いらしく、宿や旅人向けの店が幾つも設けられている。


 宿を取った後、ハンスは俺達に自由時間を与えてくれた。

 見張りは良いのかと尋ねれば、寝る前まではハンスと御者達が順番にするそうだ。

 その代わり夜の見張りは護衛で回すため、自由時間といっても体力温存のために休めというわけだった。



 道中と同じように、ここでも二人一組で回す事になっていて、ジグとエリン、俺とクランクの順番で行う事になっている。

 見張りの開始時間と、ハンスから知らされた明日の出発の時間を照らして考えれば、一組4時間程度が目安だろうか。

 その辺りはこちらで互いに調整するしかない。




 互いに一人旅をしているため、今回の仕事は基本的にクランクと組むことになっている。

 元々四人パーティーのアリオ達を無理に分ける必要もないからな。


 そのクランクだが、あまり他人と関わりを持ちたくないらしい。

 村に着き、ハンスから説明を聞き終えたかと思えばすぐにどこかへと行ってしまった。

 時間があるなら話を聞きこうと思っていたのだが、仕方ない。



 俺も馬車で休んでいたとはいえ、常に気を張っていたからかまだ疲れが残っている。

 今夜だけでなく明日も護衛は続くんだ。こうも邪気が多いといつどこで魔物が現れるかわからない。

 不足の事態に備え、休める時は休んでおくべきだ。


 その前に、この邪気の量だと一通り浄化しないと休息にならないな。

 村に漂う邪気は濃くは無いが量が多い。これだと常に微量の毒を吸っているような物だ。

 俺は周囲の目を気にしながら、より強く邪気を感じる方向へと足を進めた。





 

 精霊がいないからか、上手く魔力が巡らなくなっていたのだろう。

 邪気の気配を追って歩けば、村からそう遠くない小さな泉を中心に邪気が蠢いていた。



 しかも、どうやら俺はとても良いタイミングだったらしい。

 腰の剣を引き抜くと、それに反応するように邪気が意思を持ったかのように激しく渦巻き出した。


 これはもう時間が無いな。

 自身に身体強化を施し、周囲に被害が及ばないように結界を張り、ついでに気付かれないように音も遮断しておく。

 張り巡らせた結界に阻まれ、外に行く事ができない邪気は泉の上に集まり、渦が更に大きくなっていった。



 黒く、暗い邪気の塊が、徐々に形を成していく。

 おぞましいほどの寒気が身体を刺す感覚に懐かしさを覚え、つい笑ってしまう。


 そういえば、周りに誰も居ない状態でこれと戦うのはあの日以来か。


 脳裏に過ぎる彼の姿に、俺は剣を握り直す。

 ボチャン、と水に物が落ちる音がした。



「これはまた、酷い姿だな」



 小さな泉は落ちたそれを受け止めきれずに水を溢れさせる。

 この泉はそう深くないのだろう。

 泉に落ちたそれは、半分ほど水に浸かりながらも動きを見せた。



 俺の魔力を求め、水に浸かっていない胴体と思われる部分から幾つもの黒い手がゆらゆらと伸びている。

 それらはかろうじて人の手を成しているが、どれもが形を維持できないのかボトリボトリと泉に垂れていく。

 落ちたそれは水には溶けず、水面に浮かんでは大きな泡と共に邪気を吐き出し、徐々に宙へと溶けている。


 人二人分は優にある大きな身体の部分には、人のような顔が幾重にも浮かび上がっては消え、そのどれもが人ならざる声を出している。

 足が無いのか立つことは無く、代わりに四つある短く巨大な腕を伸ばして地を這い、邪気をまき散らしながら俺の方へと近付いていた。



 恐らくこの邪気の元となったのはこの村に訪れる人々の魔力なのだろう。

 食い過ぎたのか何なのか、邪気が生み出した魔物は人間に近い形をしていた。



【アァアアァアアアアアアァァアァイィアアぉアァアアアザァアアアアアア】

【イィィィィイイイイィイイイイァァァァアアァアアアアア】

【ガァアァアアアアアアアァァァァアァアゥウウゥウゥウウウウウウ】



 魔物の身体に浮き出る幾つもの顔が幾重にも叫ぶ。

 最早言葉にすらならないそれは、邪気の元となった誰かの負の感情だろう。


 邪気は魔力を奪って増えていく。

 その魔力の持ち主の負の感情が、この叫びをあげているのだ。



「……さっさと消えてもらうぞ」



 俺の言葉に反応したのか、今までゆらゆらとだけ伸ばされていた小さな黒い手が、俺を貫かんと凄まじい速さで伸ばされる。

 それら全てを剣で斬り裂き、同時に浄化の力を込めた水の刃を何十と生み出し魔物へ放つ。

 何十もの水の刃が当たった場所は斬り裂かれると同時に浄化され、魔物は苦しみもがき、また叫ぶが、俺はそれどころではなかった。



 どうやらマーク神父がくれたこの魔剣の力は、浄化の力だったようだ。

 浄化した覚えは無いのに、黒い手を斬ったかと思えば勝手に浄化されていた。

 試しに魔力を注げば、魔力に比例するように浄化の光が剣に灯り、周囲の邪気を自然と浄化している。


 貰ったあの日以来使わずにいたから気付けなかった。

 あんなにも邪気に苦しんでいたというのに、彼はなぜこれを使わなかったのだろう。

 俺の思考を遮るように伸ばされた巨大な腕に、俺は咄嗟に後ろへ飛び退く。



 もう会うかもわからない彼の事だ。

 何か止むに止まれぬ事情があったのだろう。


 今はこちらに専念しようと、迫りくる手を斬り払い、魔物の全方位に浄化の力を込めた水の刃を作り出し、一斉に放った。




 宙に漂うだけの邪気ならば単に浄化してしまえば良いのだが、一度魔物として形を成すと、まるで鎧を着たかのように浄化がしにくくなる。

 本来ならあの程度の魔物、一気に浄化しようと思えばできるのだが、まだ本調子ではない今無理をするのは避けたい。

 護衛の仕事がある以上、あの時のように倒れるわけにはいかないのだ。



 全体を斬り裂かれ、暴れ狂う魔物はより一層叫びをあげる。

 そして振り上げられた腕へと浄化の力を宿した剣を振るえば、切り落とされた腕が音を立てて泉へ落ちた。

 浄化の力を持って斬られた切り口からは大量の邪気が溢れだし、魔物はバランスが崩して地面へと倒れ込む。


 もう十分だろう。


 俺は地を蹴って飛び上り、重力をも利用しつつ魔物の胴体へと剣を突き刺す。

 そして剣を媒体に魔物の体内へと浄化の力を注ぎ込んだ。



【ウゥゥウウウゥゥウァイアイイイイアアアアアア……】



 断末魔が耳を貫く。

 邪気が集まってできた身体は、浄化の力によって崩れるように光の粒子になっていく。

 ふわり、ふわりと浮かんでは宙に消えていく光達は、僅かに吹く風に揺れて、消えた。



 浄化された魔物の身体は崩れ、最早僅かしか残っておらず、先ほどまで魔物の上に乗っていた俺の足が音を立てて泉へと着く。

 僅かに残っていた、丁度剣が突き刺さった部分に浮かんでいた顔が小さく声を上げた。



【ア、アァアア……】



 ──浄化を通して伝わるその感情は、どこか安らかな物だった。






 魔物が消え、泉に突き立てる形になっていた剣を手に立ち上がる。

 もう魔力を注いでいない剣は輝いていないが、その刀身に一切の鈍りは見えない。



 浄化の力は貴重な物だと、彼はそう言った。

 だからこそ彼は、あのような状態にまでなっていたはずだ。


 なのに、何故俺にこの剣を渡したのだろう。



 また会えるかもわからない、そんな人物について考えても答えが出るはずも無く。

 俺は黙って露を払い、剣を鞘へと納めた。




 泉から上がり、辺りを見渡す。

 なるべく被害は抑えたつもりだったのだが、魔物が暴れたために少々地面が崩れてしまっている。

 俺がやったと思われると後が面倒だ。誰かに見つかる前に片付けておかなければ。



 濡れたままの手を崩れた場所へと当て、地を操って崩れた部分を元通りに戻す。

 元から草が生えていない場所で良かった。

 一見、元通りになったところで、今度は火と風を操って濡れた服や身体を乾かしていく。


 そうやって一通り片付いたのを確かめ、俺は肺に溜まった息を全て吐きながら結界を消した。



「……疲れたな」



 やはりまだ魔力が身体に馴染んでいないのだろうか。やけに疲れを感じて思わず肩を回す。

 あの時のように倒れるわけではないが、早く休まないと護衛に支障が出そうだ。



 しかし本当はちょっと浄化するだけのつもりだったのだが、まさか魔物になってしまうとは。

 つい浄化してしまったが……結界を解いた今、外側にあった邪気がここに流れてきている。

 見た限りこの辺りはあまり人が立ち寄った形跡は無かったんだ。明日の出発までは誤魔化せるだろう。


 やってしまった事は仕方ない。

 俺は問い詰められた時の言い訳を考えながら、来た道を戻って行った。






 食事を済ませてたっぷりと休息を取り、俺はジグ達と交代してクランクと共に見張りに付いた。

 馬車の周囲を見張るため、クランクは茂み側を、俺は通り側に向いて荷台に腰かけ、いつでも手に取れるように横に剣を置く。



 この辺りの村では盗賊による窃盗が相次いでいるそうだ。

 この村もつい先日被害が出たばかりだったそうで、今夜の見張りは主にそれに対する物だった。


 人の多い街ならば警備隊などがいるため滅多な事は無いのだが、村となるとそういった組織は村の有志でできた自警団ぐらいしか無い。

 その自警団すらないこの村に泊まるとなれば、見張りを付けたくなるのも頷ける。



 とはいったものの、深い眠りの中にある村はとても静かで、虫や動物の鳴き声がたまに聞こえる程度で異常は無い。

 人の気配も反対側で見張っているクランクの物だけだ。

 浄化した甲斐あって邪気も減っている。少なくとも魔物は出ないだろう。


 何もする事はなさそうだな。

 馬車に寄りかかり、俺は頭上高く輝く満天の星空をぼんやりと見上げた。




 邪気で穢れていようとも、空は変わらず広がっている。

 月の輝きと共に、ただただその光を輝かせる星々。



 これほどの星空をこの目で見るのはあの頃以来だ。

 最期の夜に見上げた星空は、どんな輝きを放っていただろうか。


 微かに覚えている星座を探して星を見つめるが、数え切れないほど輝く星から探すのは困難を極める。

 例え見つけられてもそれは、俺の願望による気のせいではないと言えるのか。

 それでも縋りついて探し続けるのは、いつもと変わらない。


 流れる星が、一つ。


 彼女が、みんながこの空を見上げている事を願い、俺は空を見上げ続けた。

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