いつかの約束



「……勇者様って、ほんとに世界を救えるお人なんですかねぇ」



 ポツリと呟いたカラムに視線が集まる。

 カラムはそれに気付いているのか、窓から見える空をどこか遠い目で見ながら言葉を続けた。



「お袋はすっかり『勇者様が何とかしてくれる』って信じてるんですけど、俺はそうは思えなくって」



 吐き出すように紡がれたのは、勇者に対する不安だった。



「実際にお姿を拝見したわけでもないし……勇者様がどこかを浄化したって話を聞いてないから実感が湧かないって言うんすかね。

 お袋や他のみんなみたいに『勇者様が何とかしてくれる』って思えないんすよ」



 自分のコップを指で突き、カラムは小さく溜息を吐く。

 暗い色を灯すその瞳はトリスへと向けられた。



「トリスも、普段は明るく振る舞ってっけど本当は怖がってる。

 この間なんか村に出た魔物を見た後、泣きながら『魔物はどうしてあんなに苦しいの』って聞いてきたぐらいっすよ」



 すやすやと眠るトリスの寝顔は酷く穏やかだ。

 今日一日共にいて、トリスからはそんな様子は見受けられなかった。

 明るく元気な子供。それが俺から見たトリスの印象だった。


 けれど、それは幼い子供の努力の現れだったようだ。



「色んなお方が俺じゃ想像もできないような努力をなさってるってのはわかってるつもりっすよ?

 みんな表に出さないだけで不安なのは変わらないってのも。

 俺みたいな凡人にできるのは家族とあの村を守るぐらいだって、わかってるっす」



 この世界の未来は決して明るいわけでは無く、今日を生きる人々は心のどこかで誰もが不安を抱いている。

 希望が現れたとしても、何か明確な結果をもたらせなければその憂いは消せない。

 いつの時代も、どこの世界もそれは変わらないのだろう。



「でも、どうしても考えちまうんですよ。この世界は本当に助かるのかって」



 誰の応えも求めていない、そんな響きを持った声だ。

 膝の上に置いた自分の手の平へと視線を落とすカラムの表情には、諦めを孕んだ笑みが浮かんでいた。



 どう声をかけるべきなのか。

 前世の俺のままだったなら、実績に基づいた希望のある言葉をかけられただろう。

 だが、今の俺は英雄でもなければ勇者でもない、ただの旅人だ。

 そんな俺に彼の憂いを払う事ができる言葉などあるのだろうか。




 言葉を探していると魔力が動いた気配を感じた。

 そういえばトリスにかけた魔法が発動した頃合いか。


 そちらへと視線を向ければやはりトリスは目を覚ましたようだ。

 もぞもぞと動き、身体にかけていたシーツをずり落としながら起き上がっていた。



「んぅ……カラムにぃ?」


「おっと起きたかトリス、良く寝てたなー」



 寝ぼけた声で呼ばれ、カラムはすぐにトリスの方へと近寄って行く。

 横から見えた表情にはさっきまであった暗い笑みは無く、兄としての明るい笑みだけがあった。



「うー……ごはん……?」


「そっかそっか、腹減ったかー。って事なんすけど、良いっすか?」


「そうだな。行こうか」



 まだ眠いのか、腹に抱き付き頭を押し付けるトリスを撫で、俺達に確認を取るカラム。

 そんな二人の様子にディルはそう言って席を立ち、俺とジェシカもそれに続く。

 ついでにコップや水差しも持って行く事になり、三人で片付けながらそれとなくカラム達の様子を窺う。




 勇者を信じる親と魔物に怯える弟を持つ彼に、胸に溜まった不安を吐き出せる場所はあまり無いのだろう。

 眠たげに目を擦るトリスを笑って抱き上げるカラムの瞳には、影など微塵も見当たらない。

 この兄がいてあの弟がいるというわけか。



 心配かけまいと不安も恐怖も抑え込むのは酷く心が疲れる行為だ。

 それに気付いても無理に暴かずにいるのも同じだろう。

 それでもこの二人はそうする事を選んだ。


 言葉は何も見つからないまま、俺はディル達と共に部屋を後にした。






 俺達が一階の食堂に降り、食べ終わる頃には食堂は賑わいに満ちていった。

 宿に泊まらずとも食事をしに来た人も多いようで、時間が過ぎるに連れ酒の入った人々の騒ぎ声などが響くようになっていく。

 聞けばこの宿はいつもこんな感じだそうで、空いている席が無いぐらい人で賑わう頃には、いつ来たのか旅の芸人が奏でる竪琴の音色も微かに耳に届いていた。


 眠たげだったトリスも食べ終える頃にはすっかり目を覚ましたらしく、芸人の奏でる音色に合わせて楽しげに身体を揺らしている。

 この世界の生活水準を見ている限り、あまり娯楽らしい娯楽も無いのだろう。

 周囲を見ればトリスのように耳を傾けている者も多かった。




 しばらく場の雰囲気を味わいながら芸人の行う演目を眺めていると、ディルがわざとらしく音を立てて席を立った。

 どうやらそろそろ部屋に戻るようだ。



「さて、明日も早いんだ。そろそろ部屋に戻るぞ」


「「はーい」」



 ディルの指示にカラムとトリスが間延びした返事を返す。

 名残惜しいようだが本人達も早く寝なければならないとわかっているのか、文句は言わず席を立つ。


 ラタリス村はそう大きな村では無く、村人だけで形成されている自警団の人数もそう多くは無い。

 そのため魔物が活性化している今、村から長く離れるのは避けたいそうだ。

 先ほど、明日の朝、門が開くとほぼ同時に出発する予定だと教えてくれた。



 俺も部屋に戻るためディル達と共に食堂を後にして上の階へと上がる。

 まだ余韻が残っているのか、芸人が奏でていた旋律を口ずさむトリスの前を歩いていると、途中で一番前にいたジェシカが止まった。

 女性なので一人部屋を取ったと聞いてはいたが、どうやらここだったようだ。案外近かったな。

 鍵を開けてドアノブに手を掛けるジェシカは、思い出したようにカラムとトリスへと声をかけていた。



「二人共、明日はちゃんと起きてよね?」


「大丈夫だって、団長いるし。なートリス」


「ねー」



 ジェシカの言葉にカラムとトリスは顔を見合わせ、そう笑い合う。

 仲が良いのは良い事だろうが、果たしてそれは良いのかどうか。

 隣に立つディルが小さく溜息を吐くのが聞こえた。



「自力で起きなさいよ全く……おやすみなさい」



 呆れたように首を振ったジェシカはそう言って部屋へと入って行く。

 そんな彼女にそれぞれ声をかけ、俺達も自分達の部屋へと入って行った。




 寝る支度を整え、後はもう寝るだけだったが、最後だからとせがまれてトリスの魔力操作の練習を見てやる。

 朝とは違って補助も少な目だが、コツを掴んだのか何とか形になっていた。これなら村に帰っても問題無く練習ができるだろう。

 助言や注意点を言いつつ補助を徐々に減らして様子を見ていると、明日の準備を終えたディルが俺の名前を呼んだ。



「俺達の事は気にせずキョーヤはゆっくりしていて良いんだぞ?」


「俺がそうしたいんだ。迷惑でなければ見送りぐらいさせてくれ」


「迷惑なわけないだろう。むしろ嬉しいさ」



 肩をすくめて返せば、ディルは僅かに眉を下げて隣のベッドへと腰かける。

 その表情から迷惑だと思っていないのが読み取れ、俺は内心ほっとした。


 俺も依頼で早く出る予定ではあるが、ディル達より二時間ほど遅い。

 だから彼等に合わせて部屋に戻らなくとも良かったのだが、これだけ世話になったんだ。見送りぐらいはしたい。



 その時不意に大きな欠伸が聞こえ、欠伸の主と思われるカラムを見れば、彼はベッドに倒れるように寝転がっていた。



「じゃあ俺は寝るっす……おやすみなさいー……」



 そう言い残したカラムはすでに限界だったらしく、シーツに潜ったかと思えばすぐに寝息が聞こえて来た。

 反対側を向いて寝ているため顔は見えないが、すっかり眠っているようだ。

 人はそんなに早く眠れるものだっただろうかと思ったが、朝早くから起きていてずっと働いていたのだから無理もないか。



「トリスもそろそろ寝ろ。また寝坊する気か?」


「んー僕さっき寝ちゃったから眠くないんだ。どうしよう?」


「おいおい……」



 眠ったカラムを見て、ディルがトリスに向けて声をかける。

 だがトリスはすっかり目が冴えているようで、水の球を消して困った様子で頬を掻いていた。

 あの時寝かせたのは俺だ。ディルのためにも責任を持って寝かせるとしよう。



「トリス」



 膝の上に乗るトリスを呼べば、トリスはこちらを見上げる。

 そうして見えた額に手の平を当て、寝かせる時にかけた物とは違う魔法を発動させた。


 俺の手の平とトリスの額の間から薄紫の淡い光が漏れ出る。

 魔法を使って数秒の内に不思議そうに見上げていたトリスの瞼が落ち始めた。



「なんだか、ねむく……?」



 トリスの小さな身体から力が抜け、俺へともたれてくる。

 瞳はもう閉じられていて、眠りに落ちたのか夕方に聞いたのと同じ寝息が聞こえて来た。



「さっきの魔法か」


「いや、これは強制的に眠らせる物だ。系統は同じだが少し違う」


「ほぅ……」



 ディルの問いに返しつつトリスを持ち上げベッドへと運び、起こさないよう慎重に横たえる。

 そっとシーツをかけてやれば、落ち着く場所を探してか身じろぎをし、小さく丸くなっていった。

 夕方もその体勢で寝ていたから、きっとこの体勢が落ち着くんだろうな。



「目覚ましの魔法もかけておこうか?」


「……カラムにも頼む」



 冗談のつもり言ったのだがどうやら二人は想像以上に起きないようだ。

 溜息を吐くディルに笑っておき、俺は順番に魔法をかけるため、まずはトリスの額に指を当てた。




 カラムにも魔法をかけ、俺とディルも明日に備えてそれぞれのベッドへ横になる。

 仰向けになり目を閉じて呼吸を落ち着ける事しばらく、もう少しで眠れるだろうというところで布が擦れる音が聞こえ、反射的に落ちかけていた意識が浮上した。


 周囲を確認するが特に異変は無い。

 誰かが寝返りを打っただけだろう。

 あまり働かない思考が出した結論に、俺は数回瞬きをしてからまた目を閉じる。



 だが、次いで聞こえた声に俺は目を開けた。



「……キョーヤ、起きているか?」


「……どうした」



 ディルの小さな声に僅かに掠れた声で返す。

 返事が来るとは思っていなかったのか、微かに息を呑む音が聞こえる。

 睡魔で重い瞼を何とか開け続け、隣のベッドへと視線を向けるが、彼は俺に背を向けて横になっていてその表情は見えない。


 眠れないのだろうか。

 霞む思考でそう考えていると、ディルはそのままの状態で言葉を続けた。



「さっきの事だがな、お前がそんな風に気に病む必要は無い」



 さっきの事と言われて、真っ先に思い至ったのがカラムの事だった。



「力を持っていようが成せない事もある。力を持っていなければ尚更だ。

 例えお前があの力を持っていてもいなくても、誰もお前を責めはしない。

 人ができる事など高が知れている。人は一人で生きる事も出来ないんだ」



 吐き出すように、思い出すように紡がれるその言葉は重く、実感が籠っているように感じれた。

 ディルは、何かを成せなかったことがあるのだろうか。



「それにあいつは強い。他のみんなも、苦しくとも辛くとも、強く逞しく生きている」



 確かにカラムは強い。

 裏に不安を隠し続けるその明るい笑顔は、周囲も明るくしている。


 トリスもジェシカも、マーク神父やアリシア、村だけでなく街で出会った人々も、皆何かを抱えながらも助け合い、終わりに瀕したこの世界で必死に生きている。

 それぞれの苦しみや悩みは違っても、それに違いは無いのだろう。



「だから……なんだ。他人の苦しみまでも全て背負おうとしなくて良いんだ。

 お前のその在り方は素晴らしい物かもしれないが……いつか壊れかねん」



 その言葉に、遠い昔の記憶が掘り起こされる。




 遠い、幼い頃の記憶。

 もう顔も覚えていない、父と母の最期の言葉。


 『自分のために生きて』と遺し、逝ってしまった最初の両親。

 俺に怯えていたというのに、最期まで俺を愛そうとしてくれた人。




 ──二人の想いを理解できたのは、彼女と出会ってしばらくしてからだった。



「……あぁ、知っている」



 昔、俺は壊れていた。

 壊れた子供は戦う事しか知らず、感情すら持たない守り人として生きていた。

 けれど彼女と出会って、俺は俺として生きる事を知った。



 彼はあの頃の俺を知らない。

 だというのに、そうならないか心配してくれている。


 ありがたい事だ。

 俺は本当に周囲に恵まれている。



「俺は、もう壊れない」



 幾多の出会いと別れ。

 彼女と、家族と、そして多くの友人達と作った数多の思い出。

 その思い出がこの魂に刻まれている限り、俺はもう壊れない。



 微睡みの中、夢か現かわからないまま呟き、俺の意識は眠りに落ちていった。






 まだ眠りの中にある静かな街を通り抜け、門の近くまで来たところでトリスとジェシカが馬車の荷台へと乗り込んで行く。

 その間にカラム、トリス、ジェシカと順番に別れの挨拶を交わしていき、最後に一台目の御者台に乗るディルへと近付けば、目の前に大きな手が差し出された。



「世話になった」


「こちらこそ。機会があればまた村に来てくれ。

 教会だけでなく、村のみんなもいつでも歓迎する」


「あぁ、どうか元気で」


「お前もな。探しているドラゴンが見つかるよう、祈っている」



 ディルと硬く握手をし、短く言葉を交わしてから手を離す。

 そしてゆっくりと馬車から離れれば、ディルは鞭を弱く打った。

 遅く動き出した馬車を追うように俺も歩き出す。



「次、村に来たら稽古をつけてよね!」


「あー! 別れ際に言うとかずるいぞ! 俺も俺も、キョーヤさん、俺も! 槍だけど良いっすか!?」



 荷台から顔を出したジェシカが声を張り、それに続いてカラムが手綱を握りながらも声を張る。

 それに手を振りながら俺は大きく頷いてみせる。



「わかった、次にな」



 次があるのかは誰もわからないけれど、それでも約束を交わす。

 二人も朧な約束と分かっているのだろう。

 それでも嬉しそうに笑ってそれぞれ俺に手を振ってくれた。


 馬車は徐々に速さを上げ、カラムの操る二台目の馬車が前を行く。

 その荷台からトリスが身を乗り出し、俺に向けて両手で大きく手を振った。



「キョーヤさん! いっぱいいっぱい、ありがとう! またね!」



 遠ざかっていく小さな少年の姿に、足を止めて手を振る。



「また、な」



 真っ直ぐな道を行く彼らに聞こえるはずもない呟きは日が昇り始めた空へと消えていく。

 しばらく道を行く馬車を眺め、俺は宿へと戻るために踵を返した。

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