勇者の噂

 無事に買い物を終えた俺達はギルドからそう遠くない場所にある宿へ来ていた。

 『コーリット』というこの宿はディル達ラタリス村の自警団がジシスへ来た時にいつも利用する宿だそうで、俺も一緒に泊まらせてもらう事になっている。

 俺個人で一部屋借りるよりも、ディル達と割り勘で出させてもらう方が安く済み、ディル達からしても俺が自分の分を出す事で総合的には安くなる。

 こうした方がお互いに得があるわけだ。


 カラムとジェシカはまだ来ていないようだが、ディルに聞けば彼等自警団にとってここは集合場所でもあるそうだ。

 仕入れやそれぞれの用事が終わればここに来る手はずになっているとのことだった。




 部屋で下の食堂へと飲み物を取りに行ったディルを待っていると、トリスが案内してくれた礼にと俺が買った菓子を手にソファでウトウトとしだす。

 何度か軽く声をかけてはいるが、返事にならないような返事しか返って来ない。



 村からジシスに着くまでの間、俺が手伝っていたとはいえずっと魔力操作の練習をしていた。

 それにこちらに着いてからも俺の案内をしてくれたり、買い物に付き合ってくれたんだ。疲れて眠ってしまうのも無理ない。

 幸い、二人が案内してくれたおかげで買い物は早く終わり、夕食までしばらく時間がある。

 これはもう寝かせておいた方が良いだろう。



「少し眠っておけ」


「んぅ……?」



 かっくりと前後に揺れる小さな頭を撫で、その額に人差し指と中指を当てる。

 眠たげに目を擦るトリスを魔法で眠りへと誘えば、僅かに残っていた意識はすぐに眠りへと落ちた。

 眠りに誘うだけの弱い魔法だというのに、こうも簡単に眠ってしまうという事はよほど眠かったんだな。



 クッキーのようなその菓子を手から抜き取り、備え付けのテーブルにあった皿に置いてからトリスを抱き上げてベッドへと寝かせてやる。

 丸くなるトリスに、先ほどと同じように額へと指を当て、別の魔法をかけておく。

 そして風邪をひかないようにシーツをかけていると、丁度ディルが戻って来た。

 手にある盆には大きな水差しと幾つかの空のコップが乗っていて、ベッドで眠るトリスを見て納得したように小さく頷いていた。



「やはり寝てしまったか」


「頑張ってはいたんだが……寝かせた方が良いと思って眠らせた。夕食には起きるようにしてある」


「……魔法か?」


「あぁ」



 俺の言葉に片眉を上げたディルはその魔法に見当がつかないらしい。

 中へ入って盆をテーブルへと置きながら聞かれた言葉に、手短に返事を返す。



 眠ったトリスにかけた魔法は目覚めを促す魔法だ。

 目覚まし時計のように音で起こすわけではなく、自然な目覚めを促す魔法のため、無理矢理起こされた感覚は全く無い。

 更に籠める魔力量で時間を設定できるので、俺も仮眠を取る時に良く使っていた。


 とはいえ、普通に起こせば起きる状態だ。

 寝入ったばかりでまだ完全には眠っていないかもしれない。

 俺はディルに小声でそういった内容を説明し、なるべく音を立てないように注意を払ってトリスから離れた。



「隣に移るか?」


「……いや、トリス達は一度寝たら中々起きないから大丈夫だ」



 寝息を立てて眠るトリスを慈愛に満ちた表情で見るディルの言葉に、俺は一人頷く。

 そういえば村を出発する時も寝坊していたか。

 わざわざ『達』と言うぐらいだ。おそらくカラムもそうなのだろう。

 俺の反応に気付いたディルは苦笑を浮かべて肩をすくめた。




 それから微かに聞こえる宿の賑わいと、トリスの落ち着いた寝息が聞こえる部屋で、俺はディルに断ってから今日買った物の整理を始めていた。

 ギルドカードや手の平に収まる短剣など、すぐに取り出す必要がありそうな物は小さい鞄や腰に付けるタイプのポーチへとそれぞれ仕込んでいく。

 傷薬や毛布、保存食など使うタイミングが限られている物は異空間へと入れ、残っている硬貨もまとめて入れておけば、荷物の整理はほとんど終わりだ。




 異空間魔法を始め、ディルからすれば俺が扱う魔法はどれも見た事が無い物だったらしい。

 俺には見えないように羊皮紙を読んでいたはずのディルはいつの間にか羊皮紙を片付け、宙にぽっかりと空いている異空間への入口を興味深そうに眺めていた。



 俺の使う魔法は家族である精霊達やカリアから教えてもらった物がほとんどだ。

 前世でも色々と聞かれることは多かったため、ディルが珍しいと思うのも無理はない、はず。


 もしかすれば、この世界に無かった魔法の可能性もある。

 聞けばディルはそこまで魔法に詳しくないそうだから、単に知らないだけというのもあり得る。

 どちらにせよ今は確認の術が無いのだから、これ以上考えるのは止めておこう。



「異空間魔法か……しまったな、ナタリアをこっちに入れるべきだったか」



 しみじみとそう呟くディル。

 話を聞く限りディルにとって魔法は専門外で、火を起こす程度の物しか扱わないようだ。

 だからこその呟きだろうが……この魔法はさほど難しくないんだが。



「コツさえ掴めば誰でもできるぞ」


「何!? っと……」



 気を抜いていたのか、ガタリと椅子を揺らして身を乗り出すディルは、しまったとばかりに口を押さえる。

 思っていたより大きな声が出てしまったようだ。

 トリスの方を窺うディルに釣られて俺もトリスの方を見るが、トリスは変わらずベッドで丸くなっていた。



「……本当か?」



 中々起きないとは言っても、傍で騒いでいれば起きてしまうだろう。

 寝かせておいてやりたいのはディルも同じで、軽く咳払いをしてから小声で俺に聞いて来た。



「異空間の広さは魔力の量が関係するが、それだけだ。魔力さえあれば誰でも作れる。

 ディルの魔力量だと……そうだな、この部屋の半分程度か?」


「充分すぎる。頼む、教えてくれ」


「わかった」



 この魔法は簡単に言ってしまえば、自分専用の異空間を作り、そこに繋がる入口を開くだけの魔法だ。

 異空間さえ作れれば後は自分の魔力を元に入口が繋がるので、特に難しくもなければトリスが起きるような物音もしない。


 まずはどこまで魔力を操れるか確認してからにしよう。

 その後様子を見て補助を行うなり何なりすれば良い。



 俺は段取りを考えつつ、ディルに異空間の作り方を教えていった。






 無事に成功させ、この魔法についての諸注意を説明も終えて色々と試すディルを見ていると、部屋の扉がノックされた。

 続いて聞こえた声はカラムの物で、俺は席を立って扉へと向かう。

 ノブを回し、扉を開けばそこにはカラムだけでなくジェシカも居て、何やら荷物を持っている二人が口を開く前に、俺はトリスが寝ている事を告げた。



「あの子、いつになくはしゃいでたもの。仕方ないわね」


「いやぁ……面倒を見させて申し訳ないっす」


「いや、トリスの案内はとても助かった」


「弟がキョーヤさんの役に立てたなら良かったっすよ。あ、団長居ます?」


「中にいる」



 少し小さめの声で会話し、二人を中へと迎え入れる。

 二人と一緒にディルの方を見る頃にはディルは異空間を閉じていて、二人へとねぎらいの言葉をかけていた。



「団長。言われてた話、結構仕入れてきましたよ。今報告します?」


「そうだな……」



 カラムの言葉にディルが腕を組み、顎に手を当てる。

 自警団での話があるのかもしれない。

 いつでも部屋を出られるように扉の傍で様子を窺っていると、ディルは俺へと視線を向けた。



「キョーヤ、お前も聞いてくれるか。できればお前からも聞いておきたい」


「構わないが……何についてだ?」


「この世界に来てくれたという、勇者についてだ」



 即座に頷く俺にそう答えたディルの瞳には、怒りにも似た真剣な色が宿っていた。




 ラタリス村は特産品も観光地も無い村だ。

 地理的にも外部と繋がるのは俺達が通って来たジシスへの道だけ。

 そのため情報源となるのがたまに来るという商人か、ディル達自警団が街に行った際に仕入れる他無いという。


 そんなあの村でも、邪気については関心が高い。

 何せ邪気の存在には世界の滅亡が掛かっているんだ。

 恐らくマーク神父の事もあるのだろうが、ディル達自警団は街に来ればいつも邪気や教会、各国の動きなどの聞き込みをあちこちで行っている。

 そして今回は特に勇者についての聞き込みを行ったそうだ。



「私は主に主婦とか若い女の子が集まるお店とかで聞き込みをしてるの。

 勇者については、みんな興味はあるけどそれより日々の暮らしをどうにかしなきゃって話の方が多かったわ。

 聞けたのは『まだ王都にいる』って事ぐらい。後は『貴族が揉めてて勇者の出発が遅れてる』って噂話だけね。

 理由は色々上がってたけど、一番有力なのは権力争いみたいよ」


「俺は子供達とかに聞いてるっすよ。子供の扱いには慣れてるし、トリスの兄貴って事で割と顔が知られてるんで。

 子供達もやっぱし勇者様に興味津々みたいだけど、ジェシカと似たような情報しかなかったっす。聞けたとしても『これが俺の理想の勇者様!』みたいな話ばっかでした。

 でもま、勇者様のおかげで明るい表情をした子が増えてましたね。街も、全体的に前よりも明るくなってたっす」


「俺も報告がてら支部長に聞いてみたが、勇者に関してはほとんど情報が入って来ないようだ。支部長も頭を抱えていた。

 勇者がまだ王都にいる理由は幾つか思い浮かぶが……時期が悪かった。勇者が召喚された三日後に水龍様が邪気に堕ちてしまったからな。

 どこもその話で持ち切りで探ろうにも探れん」



 流れるように行われる情報交換に、特に情報を持っていない俺は聞き手に徹していた。

 ディルのような実力者が率いる自警団だ。

 予想はしていたが、やはり例え小さな村の自警団だったとしても人材はしっかりと育っているらしい。

 俺という部外者にもわかるように説明を交えて交わされる情報は、たった数時間で集めた物としては十分な物だろう。



「理由って?」



 不思議そうに首を傾げるカラムに、ディルは持っていたコップを音を立ててテーブルに置く。

 そして僅かに眉間に皺を寄せ、呆れたような声色で自身の考えを話し出した。



「勇者が浄化の力を扱えていない、もしくは噂でもある権力争いだな。

 浄化の力は女神に与えられた力だと聞いている。元々は持っていない力を誰もがそう易々と扱えるはずがない。例えるなら初めて剣を握った子供のような物だ」


「あーわかりますわかります。俺も最初上手く槍を扱えなくて怪我しまくりましたもん。それと一緒っすよね。

 でも権力争いってなんすか? 争ってる場合じゃないっすよね?」


「勇者の助けになれば、直接的に世界を救う事に繋がる。

 勇者に同行でもしてみろ。そいつはこの国の英雄として称えられ、歴史に名を遺せる。

 同行せずとも、援助すればするほど世界を救うのに貢献した事になり、各国の要人からの覚えもめでたくなるだろうな」


「へぇー……要するに?」


「貴族が手柄を奪い合っていて、勇者は足止めを喰らっている」


「お上の頭は詰まってるんすか?」


「可能性の話だ。そうではないと信じたい」


「ねぇ、団長の読みが外れたことってあったかしら?」


「俺が覚えてる限り無いっす」



 どうやらディルは貴族を嫌っているようだ。

 貴族の話になるとディルの言葉には隠せないほどの苛立ちが漏れ出ていた。



 前世でも覚えのある光景だから珍しくは無いだろうが、ディルのそれは少々違和感を覚える。

 何というか、前世で宰相をしていた友人を思い出すのだ。

 手柄を取り合う貴族たちのせいで、面倒事に良く巻き込まれていた友人の表情と重なって見える。


 だが友人はそういった立場だったからこその物であり、ディルはただの小さな村を守る村人だ。

 自警団を率いてはいるが、腹の探り合いが常だった彼とはかけ離れた存在のはずなのに、どうしてそんな風に見えるのだろうか。

 単なる気のせいだとはわかっているが、少々気になってしまった。



「魔物が活発化してるってのに、上の人は手柄争いっすかぁ……」



 黙って様子を窺っていた俺は、隣に座るカラムが背もたれに背を預けながら口にした言葉に思わず顔をそちらへ向ける。



「魔物が活発化してるのか?」


「あれ、知りませんでしたか? ここ最近、頻繁に魔物が現れてるんすよ。

 ラタリス村はまだ何とか被害は出してないっすけど、西の方の村じゃ死人も出たって話っす」


「やっぱり邪気が増えたのかしらねぇ……色々聞くけど、あちこちで不作が続いてるって事はそういう事でしょ」



 カラムが答えてくれた内容に、ジェシカがしみじみと呟いた。


 俺の経験上、ジェシカの予想は合っているだろう。

 邪気が瘴気と似たような存在なら、邪気が増えたのにはきっと水龍が邪気に堕ちた事が関係している。

 前世の世界で強い力を持つ存在が自国を守っていたが瘴気に呑まれてしまい、その際、彼女が抑えていた瘴気がその国を滅ぼしかけた事があった。

 あの時は幸い、俺とカリアが駆け付けたため滅びはしなかったが、それでも犠牲者は少なくなかった。



 水の精地を古くから守り、人々からは守護龍とも呼ばれていた水龍。

 そんな存在が邪気に堕ちたのなら、邪気が増え、魔物が活発化するのも在り得ない話では無い。



「そうだよなぁ……うちも一時期酷かったからなぁ」



 どこか遠い目をして呟くカラムに、俺は水差しから茶を注いで気付かないフリに徹する。

 幸い、本人が気付いてくれたのか一瞬焦った様子で俺を見てきたが、俺は何も気付いていないフリを続行させる。

 これで本人が気付けていなければ、後でディル辺りから叱られていただろうな。



 『一時期酷かった。』それはつまり、今はマシだという事だ。

 脳裏に青い髪の青年が過ぎるも、俺は無反応を貫き通して茶を啜った。




 カラムは自警団に所属しているとはいえ、本質はただの素朴な村人だ。

 言葉の全てに気を払わなければならないなんて、滅多に無い事だろう。ボロが出かけるのも無理はない。


 まぁ、今回の場合は注意深く気にしてなければ気付かない程度だ。

 俺さえ黙っていれば問題無いだろう。



「キョーヤは勇者について何か知っているか? この際、どんな些細な事でも良いから知っておきたいんだ」



 合間を取り繕うように問われた言葉はディルの物だった。

 流石に勇者と同郷の者だとは言えず、俺はコップをテーブルに置いてから口元に手を当てた。




 この国の貴族達が勇者達の行動に関わってくるのなら、俺の存在は一種の爆弾のような物だ。

 日向達が俺が来ていると知っているかはわからないし、仲が良かったわけでもないが、学友である事に違いはない。

 突然異世界に連れてこられたただの子供が、他にも同郷の者がいると知れば頼りにしないわけがないだろう。


 それに、俺も自身の力量は把握しているつもりだ。

 勇者の学友であり、即戦力にもなる。

 そんな存在がいれば、手柄を得たい貴族連中は俺を探し出そうとするだろう。

 俺を勇者の元へと連れて行きさえすれば、大した損害も無く勇者に貢献できるのだから。



 求められるのには慣れているが、まだ目的を果たせていない今、日向達の元へは行けない。

 俺が優先するのはカリア達だ。日向達では無い。




 マーク神父とアリシアは状況が状況だったので話したが、あまり知られると誰の耳に届いてしまうかわからない。

 黙っていてくれと言えば黙っていてくれるだろうが、こんなに良くしてくれた彼等に厄介事を与えたくはない。


 とはいえ、何も話さないというのも少々気分が悪い。

 これだけ世話になっている以上、何かしら返しておかなければ俺の気が済まない。

 ……確証の無い噂話としてあの国の事を話す程度なら良いか。



「……勇者は、争いの無い平穏な国から来た、という噂なら聞いた事がある。

 とても裕福で喧嘩さえも滅多に無い国、だと」


「そんな方が勇者様になったの?」



 信じられないとばかりに目を見開くジェシカ。

 それは俺も同意だが、こればかりは召喚に関わっている女神とやらが決めた事だろう。

 加護を与えるにも相性があるはず。

 大方、日向達はその相性がとても良かったのだろう。だから勇者などに選ばれてしまった。



「浄化の力は神から与えられる才能だ。きっと凄まじい浄化の力を与えられたんだろうさ」



 この世界において、それは運が良いのか悪いのか。

 機嫌の悪そうなディルの言葉に何とも言えず、俺は再び茶を啜った。

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