旅の始まり

 静かで清らかな空気が満ちる朝。

 マーク神父やアリシアと共に朝食を終えた俺は、爽やかな印象を与える浅葱色の服へと袖を通していた。


 大して身長差も無い彼のお下がりとあって問題無いようだ。

 最後に茶色いブーツの紐をしっかりと結ぶ。



「どうでしょうか?」


「丁度良いみたいだな」


「それは良かった」



 様子を見ていたマーク神父の言葉に、軽く腕を回したり大げさに動いてみたりしたが特に支障は無い。

 他の服も同じ大きさだと言っていたから試さなくとも大丈夫だろう。

 机の上に畳んで置かれている他の服に一度視線を向けて、改めてマーク神父の方へと視線を戻した。



「でも、本当に貰ってしまって良いのか?」



 俺が今着ている服は、目の前にいるマーク神父のお下がりだ。

 何でも仕舞い込んでいた服が数着あったようで、わざわざ昨日の夜に引っ張り出してくれたそうだ。

 彼もこの制服姿は目立つと思ったらしい。今着ている服の他に上下合わせて三セットほど用意してくれた。



 服は勿論、ブーツまで貰ってしまったし、どれもまだ新品だと思えるぐらい綺麗だ。

 神父として働いているとこういった一般人が着る服や靴は使う機会が無いとは聞いたが、本当に良いのだろうか。

 そう思って聞いてみるが、マーク神父は服を渡してくれた時と同じように微笑むだけだった。



「えぇ、私にはもう必要ない服ですから、どうぞお使いください」


「……ありがとうマーク神父。ありがたく使わせてもらうよ」



 彼の善意に感謝を告げ、今まで着ていた制服を畳んで異空間を開く。

 そして中に入れていた飴が消えていないのを確認してから、制服と他の服を一緒に中へと仕舞った。




 ここを去る前に改めて部屋を見直し、無いだろうが忘れ物が無いかを確かめ、マーク神父と共に部屋を出る。

 村の正門へはマーク神父とアリシアが見送りをしたいと言ってくれたので、一緒に行く事になっている。

 そのため一度食堂の方へと戻れば、アリシアは風呂敷のような布で何かを包んでいた。



「アリシア、準備はできましたか?」


「はい神父様、ぴったりです!」



 村で仕事でもあるのだろうか。

 そんな事を考えながら二人のやり取りを見ていると、二人は示し合わせたかのように同時にこちらを見る。

 首を傾げた俺に対し、アリシアは満面の笑みを浮かべてその包みを差し出してきた。



「キョーヤさん、これをどうぞ」


「これは……」


「村から街に着くまで半日はかかりますから、お弁当です。

 お腹が空いた時にでも食べてくださいね」



 半ば押し付けるように渡してきたアリシアは「中身はサンドウィッチです。沢山詰めましたよ」と誇らしげだ。

 腕に乗る重みからして、彼女の言う通り沢山入っているのだろう。

 隣で見守るように微笑んでいるマーク神父にちらと視線を送れば、彼は俺にも同じように微笑んで頷いた。



 どうしてこの二人は、こうも俺に与えてくれるのだろう。

 昨日見た限り決して余裕ある生活を送っているわけではなかった。

 それなのに、何も持たず何も返す事の出来ない俺を泊め、こうして様々な物を与えてくれた。


 この二人はどれだけ優しいのだろう。



「……ありがとうアリシア。大切に食べるよ」



 これは、断れないな。

 俺は包みを両手で抱え直し、自然と浮かぶ笑みをそのままに感謝の言葉を口にした。







 二人と共に教会を発ち、村の正門へと向かう。

 その道中見た村の風景は驚くほど平和なもので、畑にも森にも小川にも、村にある自然には邪気が広まっているとは思えないほど生命に満ちていた。

 これが彼のしてきた努力の結果なのだろう。



 きっと村人達もその事はわかっているのか、彼等はマーク神父やアリシアを見ると笑みを浮かべて手を振っている。

 中にはまた後で何か持って行くという人も居て、互いに助け合い補い合おうとする良好な関係が窺える。

 昨日見ていたのでわかっていたが、助けてもらうだけ助けてもらって、自分達は何もしないという村もあるのを知っていたので少し安心した。




 やがて木でできた建造物が見えてきた。

 門は開かれているようで、奥に整備された道が続いているのが見え、近くには馬車が二台あり、それぞれ二頭の馬が繋がれている。

 その傍でディルとナタリアが地図のような物を手に話しているのも見えるので、あそこが村の正門なのだろう。



「ディル、おはよう」


「おぉキョーヤ、神父殿とアリシアもおはよう」



 ディルに声をかけ、ナタリアとも挨拶を交わす。

 丁度最終確認が終わったところだそうで、ディルは地図を畳み、服の中へと仕舞う。

 それを自然と視線で追った先で、彼の手に一本の長剣が握られているのに気付いた。


 今腰に下げられている使い込まれた形跡がある剣とは違い、それは新品同様なのか使った跡が無い。

 アリシアも気付いたようで不思議そうな顔をしている。彼の剣では無いのか。



「神父殿、頼まれていた物だ」


「ありがとうございます」



 俺達の反応に気付いているのかいないのか、ディルはその剣をマーク神父へと手渡す。

 マーク神父はそれを受け取り、鞘から僅かに抜き放ち、刀身に日の光を当てた。

 その瞬間、剣から魔力を感じ取り、思わず僅かに見える刀身へと意識を集中させた。



「少し、鈍りましたか」


「長い間使っていなかったんだ、無理もないさ」



 どうやらあれは魔剣の類のようだ。

 魔力を宿す鉱石から作られる、特別な剣。それが魔剣だ。

 普通の剣とは違って、魔法に慣れていない者でも魔剣を媒体にする事で魔法を放つ事ができる代物だ。


 魔剣に付加された魔法陣によって能力が変わるのであれがどのような力を持った魔剣かはわからないが、二人の会話からして若干力を失っているらしい。

 それでも感じ取れる魔力は魔剣としては十分な強さを持っている。余程の業物か。



 村にとって重要な存在である教会が襲われる事態が起きたんだ。

 戦えなくとも弱くとも、魔法が使えるのと使えないのでは大きく違う。

 多く魔力を持っているようだからマーク神父が持っていればこれ以上と無い護身になるはずだ。

 何故前もってマーク神父が持っていなかったのかが少々不自然だが、彼の事だ。何か理由があるんだろう。



「キョーヤ様」



 不意に名を呼ばれ剣からマーク神父へと視線を写せば、彼は剣を鞘へと戻していた。

 そして、まるで神への供物のように丁寧な動作で剣を横にし、地面と平行になるように両手で剣を支える。

 一体何事だろうかとマーク神父に向き直ると、彼は微笑みを浮かべて洗練された動作で剣を上へと持ち上げ、頭を浅く下げた。



「【──気高き魂の人よ、遥かな旅路に就く人よ。

  光は輝き、闇は眠り、水は巡り、火は栄え、風は止まず、地は続く。

  永遠に続く世界を歩み出す貴殿の旅路が良き物となる事を願い、これを授けよう──】」



 魔力が籠った神聖な響きを持った声が響き、剣に淡い光が灯る。

 何も言われずともわかる。

 これは彼が籠めた祈りの輝きだ。

 祈りの輝きが融けるように消えると、マーク神父は顔を上げ、剣を俺へと差し出した。



「どうかお受け取りください。

 古く、力も弱まってしまった物ですが、きっとあなたの旅に役立つはずです」



 祈りを可視化できるほど強く籠められるなんて、聞いた事が無い。

 どうして俺にそこまでしてくれるんだ。




 湧き上がる感情に唇を噛み締め、促されるままマーク神父から剣を受け取る。

 そのまま数歩下がって距離を取り、ゆっくりと剣を抜き放った。



 陽の光を受けて白く輝く刀身は鋭く、歪みは無い。

 そういう加護でも与えてくれたのだろうか。

 重さも、握り心地も、不思議と全てが手に馴染む。



 ここは教会でもなければ神聖な場所でも無いだろう。

 彼の祈りに対する作法とは違うかも知れない。

 それでも応えなければ。彼の祈りに、俺のできるやり方で。



 長年使って来たかのように手に馴染むその剣を構える。

 これでも一度銀龍に選ばれた者として色々な国を旅した。

 その中で得た短い剣技を、この魂はまだ忘れずに覚えている。


 周囲で静かに見守っている彼等に当てないよう、注意を払いながら丁寧に、素早く剣を振るう。

 手首を軸に、指を軸に剣を回転させ、空を斬る音を奏でながら流れるように腰元で構えた鞘へと戻し、強めに鞘と柄をぶつけて最後の音を立てた。



「貴殿の祈りに、感謝を」


「……こちらこそ、あなたとの出会いに感謝いたします」



 深く頭を下げた俺に、マーク神父はそう応えてくれた。






 マーク神父の話によると、昨日、アリシアが村に行った際ディルへこの剣を用意するよう頼んでいたそうだ。

 元はマーク神父の持ち物だったが彼は使わない上に手入れの仕方がわからない。

 そのため剣の扱いに長けているディルに預けていたとのことだった。


 更にディルは俺のために剣帯も用意してくれ、剣帯に剣を収めてから改めてディルにも礼を言った。

 マーク神父もディルも「これは礼だから」といっていたが……本当に、感謝しても足りないな。




 そうこうしているうちに教会の方角から鐘の音が聞こえて来た。

 ディルが鐘の音を出発の時間にするように、村にとって重要な基準の一つなんだろう。

 鐘が鳴った途端、近くの家から数人の村人が出て来たりしている。


 あの鐘には魔法がかけられていて時間になれば自動で鳴るよう設定されているそうだ。

 時間があったので見せてもらったが、教会が建てられた時からの物らしく、古い魔法陣が鐘に刻まれていた。

 マーク神父が定期的に手入れをしているので、不備も無い。



 だからこそもう出発なのかと思ったが、どうやら何か問題が起きているらしい。

 ディルが苦笑いを浮かべ、気まずそうに頭を掻いていた。



「あー、すまんキョーヤ。

 実は二人寝坊しててな……今呼びに行ってもらってるんだ。

 悪いがもう少し「「遅れてすみませぇぇぇええん!!!!」」……来たみたいだ」



 ディルの言葉を掻き消すように、離れた所から誰かの叫び声が聞こえて来た。

 重なり具合から二人叫んでいるようだ。

 声のした方を見れば、三人の人影がこちらに向けて走っている。



「そうだよな、黒髪だからあの人だよな!?」


「きっとそうだよカラムにぃ! 絶対そうだよ!」


「良いから走りなさいよもう!」


「寝坊助兄弟、興奮してないでさっさとこっちに来い」



 黒髪は俺しか居ないので間違いなく俺の事だろう。

 走りながら青年と少年が興奮した様子で話していて、前を走る女性が二人に向けて怒っている。

 ディルはそんな三人に向けて手招きをし、呆れた声色で声をかけていた。




 ディルの横に並んだ三人は息を切らしたまま姿勢を正して俺の方を向く。

 特に右の青年と少年二人から向けられる視線は突き刺さるようで、好奇心に満ちた目をしているから歓迎されていないわけではないだろうが、少々居心地が悪いような気もする。まぁ、村の外の人間に対する視線なんてそんな物か。



「キョーヤ、紹介する。

 彼女がジェシカ、そっちの寝癖がカラム、寝癖その2がトリス。今回同行する自警団の団員達だ」


「ジェシカよ。見苦しい所を見せてしまってごめんなさい。教会の事は本当にありがとう。短い間だけどよろしくね」


「カラムです! 寝坊してすんませんっした! よろしくっす!」


「トリスです! 寝坊してごめんなさい! お願いします!」


「キョーヤだ。よろしく」



 差し出された手を順番に交わし、それぞれの人となりを簡単に見る。

 赤茶色の髪を一つに纏め、少しきつい印象を与える茶色の瞳をしたジェシカは、ナタリアと同じぐらいだろうか。

 剣を腰に下げている姿に違和感はない事から、それ相応の経験を積んでいる事が窺えた。


 カラムという青年は、寝癖なのかぴょこぴょこと跳ねている短い茶色の髪をそのままに思い切り下げたかと思えばパッと顔を上げ、茶色の瞳を輝かせながらブンブンと俺の手を振る。

 年は今の俺と同い年ぐらいで、交わした手はまだ頼りない。まだまだ成長途中と言ったところだろう。


 次に握手を交わしたトリスという少年はカラムと兄弟なのだろう。同じ髪と瞳に、とても似た顔立ちをしている。

 剣や槍といった武器を持っている様子はないし、まだ10にも満たない年だろうにこの少年も自警団なのか。



「さて、時間も押しているんだ。すぐ出発するぞ」



 手を叩いてディルが出発を告げる。

 すると自警団の面々はすぐさま行動を起こした。



「了解です」


「トリス、お前は二台目な。大人しくしてんだぞー」


「はーい」



 ジェシカとカラムが馬を操るようで、二人はそれぞれの御者台へと向かって行く。

 トリスはカラムに言われた通り二台目の荷台へとよじ登ろうとしていたので、脇の下に手を入れて持ち上げて乗せてやる。

 急に身体が浮いた事に驚いたトリスだったが、後ろに俺がいるのに気付けばすぐに笑って礼を言ってくれた。素直な子だな。



「キョーヤ、お前もトリスと一緒に乗っててくれ」


「わかった」



 ディルが前の馬車へ向かうのを見てからトリスの横へと乗り込む。

 馬車の中には木でできた小さな檻のような箱の中に拘束されて転がされている盗賊達が数名と、荷物が色々と積まれていた。

 檻の中にあの髭の男が居ないという事は、二つの馬車に分けて運ぶのだろう。

 アリシアの作ってくれた弁当を空いている場所に置き、世話になった二人と別れの挨拶をするため、馬車の荷台に乗ったまま下にいる二人の方へと近付いた。



「マーク神父、アリシア。本当に世話になった。短い間だったがありがとう」



 二人へと順に差し出した手に、マーク神父は微笑みを浮かべて、アリシアは目に涙を浮かべて同時に握ってくれた。



「こちらこそ、本当にありがとうございました。この御恩は一生忘れません」


「またラタリス村に来てください! 私達はいつでも歓迎しますからね!」



 大きく少し硬い手と小さく柔らかい手の二つの優しい温もりを忘れないよう、この瞬間を記憶に刻み込む。



「あぁ。二人共、どうか元気で」



 タイミングを計ってくれていたのかディルが出発の合図を出す。

 動き出した馬車に巻き込まないように離した手が遠ざかっていく。

 小さくなっていく二人はそれぞれ手を振ってくれているのが見える。



 もし彼等と出会わず、別の場所に召喚されていたら今頃どうなっていたか。

 もしもなんてあまり考えたくないが、そうなっていたら俺は彼女を探しに行けたかも危うかったかもしれない。



 腰にある懐かしい重さをもたらす剣に手を掛ける。

 確かにあるこの剣は、彼等がくれた優しさの証だ。



 心優しい彼等に、心からの感謝を。




 馬車に揺られながらその姿が見えなくなるまで、俺はその姿を記憶に焼き付けた。

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