唯一への想い

 先ほどまで感じなかった人の気配を感じ取り、脱いでいた服を手に取る。

 魔法で洗い、乾かしたそれは柔軟剤の香りなどは無いが綺麗に仕上がったようだ。

 洗う前に見た汚れが消えているのが確認できた。


 ちゃんと乾いているかもう一度確認し、袖を通していく。

 ついでに汗も流しておいたからすっきりしたな。アリシアが帰ってくる前に乾ききって良かった。




 マーク神父の治療を終えた後、魔力も回復し時間を持て余した俺は部屋で魔法を使い、手早く汗を流していた。

 治療だけでなくディルと手合わせも行っていた俺は随分汗を掻いている。風呂に入っていないのもあって、臭いが気になったのだ。

 制服もこちらに来る前からずっと着ているのもあって少々気になり、ついでだからと魔法で水や火や風を操り、手っ取り早く洗濯・乾燥を行ったというわけだ。



 魔力を大量に消費した後なので着替えるのが一番良かったのだが、いかんせん俺は今着ている物しか持っていない。

 街に行ったら服も何着か買い揃える必要があるな。せめて外套か何かは買っておかなければ。




 魔法で洗濯も乾燥もすぐに行えるので、別にすぐ買わなくともいいかとも一瞬思ったが、それはそれで問題がある。

 問題というのもこれが制服であるという事だ。


 視界に見知った服装をした人間が入り込めば、見間違いかと思っても視線を向けてしまうだろう。

 異世界に召喚されるなどという経験をした少年少女ならなおさらそうなってしまうはず。

 制服姿の俺がちらとでも日向達の視界に入れば、俺がそこにいると気付かれてしまうやもしれん。

 そこから追いかけられて合流する破目になるのは避けなければ。



 服を買うかは資金に余裕があるかないかで決めるとして、今はアリシアを出迎えるとしよう。

 マーク神父の事も伝えなければならないので、俺は上着を羽織りながら少しだけ急いで部屋を出た。




 人の気配を追って教会の裏口の方へと向かえば、さっきまで無かった手押し車から何か運び入れている男性二人と、それを手伝っているアリシアの姿を見つけた。

 聞けば二人はラタリス村の人間で、収穫した作物を教会に運んでくれているそうだ。



 見た限り、教会の近くには畑は無かった。

 俺も村で暮らしていた頃は、魔物退治をする代わりに食物や資材を分けてもらっていた。

 きっとこの教会と村もそのような関係なのだろう。


 ここで世話になっている以上、俺も彼等に分けてもらった物を口にしている。

 名を名乗って礼を言い、手伝いを申し出れば、二人は少し驚いた素振りを見せたが快く受け入れてくれた。




 手押し車の荷物を全て運び入れ、二人を見送る。

 しきりに頭を下げて去って行く二人の姿が見えなくなって、俺は自然と詰まっていた息を吐く。



 どうやら俺が盗賊を倒したというのは既に村中で知られているようだ。

 運んでいる最中、繰り返し何度も何度も礼を言われ、少し気疲れしてしまった。

 マーク神父やディル達のようにすっぱりと終わってくれるならいいのだが、ああいう風に礼を言われるのはどうも苦手だ。


 そんな俺を見てアリシアは小さく笑っていた。






「そうですか、神父様はお休みに……」


「疲れているのに俺が色々と話を聞かせてもらったりしたからな。

 無理をさせてしまった。すまない」



 荷物の整理を手伝いながらマーク神父が部屋で眠っている事を伝えると、アリシアはどこか安心した様子で頷いていた。

 意外に思ったが建前として考えていた理由も伝えれば、むしろ良い事だとばかりに手を振る。



「いえいえ、むしろ部屋で寝てくれてる方が安心です。

 以前、疲れてるのに無理して出かけようとしたのか、教会前の広場で倒れてた前科がありますからね。すごいでしょう?」


「それは、すごいな」



 何とも言えない話を聞き、思わず苦笑いを零す。

 彼はそこまで無茶をしていたのか。あれほどの炎症を起こすのも納得が行く。

 俺がここに来ていなければ治療云々の前に死んでいたんじゃなかろうか。その前に出会えて良かったと心底思う。



「あの、キョーヤさん」



 その後もアリシアに指示を仰ぎつつ整理を進めていくと、後少しというところになって突然アリシアが俺の名前を呼んだ。

 作物が入った箱を抱えようと腰を屈めていた体勢のまま彼女を見上げれば、アリシアはパンの入った紙袋を胸に抱き、視線を泳がせている。



「どうかしたのか?」



 村で何かあったのだろうか。

 屈んだままアリシアを見上げれば、紙袋を握る手の力を少し強め、意を決したかのように泳がせていた視線をこちらに向けた。



「その、ディルさんからキョーヤさんは明日この村を発つって聞いたんですが……本当ですか?」


「あぁ、その事か」



 妙に緊張している様子だったから何か重大な事かと思ったが、俺の事とは。

 アリシアにもきちんと話すつもりだったが、村というのは本当に話が回るのが早いな。



「盗賊の件でディルと話していて、色々と目途が付いたんだ……っと。

 彼等が明日、盗賊をギルドへ引き渡すのは聞いたか? それに便乗させてもらう事になったのさ。

 元々長居させてもらうつもりはなかったから、丁度良いと思ってな」



 重い箱を抱え、頼まれた場所へと運びながらそう返す。

 どさりと音を立てて置かれた箱から零れた作物を拾って箱に入れ、手に付いた土を軽く払い、アリシアを見れば、彼女は心配そうな様子で俺を見ていた。



「どこに向かうんですか? キョーヤさん、勇者様達とはまだお会いしないつもりだって言ってたのに……」



 彼女の様子と言葉から読み取れる限り、どうやら心配されているようだ。

 この世界へ何も持たず召喚されたのに日向達以外に行く当てはあるのか、というところか。

 マーク神父といい、アリシアといい、この村の人達は優しい心根をしているんだな。



「当面は水の精地に向かうつもりだ。

 やる事が片付いたら日向達に会いに行くのも視野に入れているよ」



 この世界にカリアはいるか確認すれば、その後は考えるまでもない。

 彼女がこの世界にいるなら会いに行くし、いなければ日向達の手伝いをしながらあの世界に帰る方法を探す。それだけだ。

 そういえばアリシアにカリアの事を聞いていなかったなと思い、口を開こうとした時、先にアリシアが言葉を発した。



「やる事って、探している人が見つかったら、ですか?」


「そうだが……それもディルから聞いたのか?」



 今まさに聞こうとした事を先に聞かれ、驚きを感じながらも頷く。

 まだカリアの事は言っていなかったのに、ディルから聞いたのだろうか。

 単純に疑問に思いそう問えば、アリシアは一拍の間を置いてから首を横に振った。



「礼拝の時、キョーヤさんが精霊達に呼びかけているのが聴こえたんです。

 探している人がいる、この世界について教えてくれって」


「聴こえたのか? あれが?」


「私、見るのは苦手だけど聴くのは得意なんです。村にいた水の精霊とも友達だったんですよ」



 普通、精霊の存在を認識できる者は少なく、俺のように姿を見たり声を聴いたり、その手に触れたりできる者はそれほど居ない。

 俺の家族だった彼等のように、力の強い精霊であれば認識できない者達にも認識できるよう存在を明らかにする事はできるが、そんな精霊も少なかった。


 極稀に、限定的に精霊の存在を認識できる者もいるとは聞いていたがアリシアはその類なのか、どうやら彼女は精霊の声を聴く事ができるようだ。

 それに苦手という事は努力すれば見る事も出来るのだろう。



 友達だったという精霊の事を思い出しているのか、眉を下げて微笑むアリシアはどことなく寂しげだ。

 精霊はそれぞれの精地へと戻っているはず。という事はその友人もそうなのだろう。



「その友人も、精地に?」


「はい、キョーヤさんが来る一週間前ぐらいに……あの、キョーヤさんにお願いがあるんです」


「お願い?」


「もし、もしもでいいんです。私の友達に、ラス君に会えたらで良いんです。

 「私達は大丈夫だよ」って、伝えて欲しいんです」



 胸に抱いている紙袋がカサリと音を立てる。

 アリシアの瞳は揺らいでいて、その瞳からは切実な願いを感じる事ができた。




 精地は邪気に満ちている。

 そんな状況で、精地を守るために精霊は精地へと戻って行った。

 聞いている邪気の特性と、朝感じ取った感覚からしてそれは間違いなく命懸けの行動だ。


 精地に向かった精霊がまだ生きているかはわからない。

 それを彼女も理解している。



 わからなくとも信じるしかない。

 彼女もきっと、そうなのだろう。



「わかった。だが、ラスという精霊に会えるかはわからない。それでも良いか?」


「っは、はい! ありがとうございます!」



 パッと顔色を明るくしたアリシアは、よほど嬉しかったのか持っていた紙袋を思い切り抱きしめる。

 その際、案の定中から潰れるような音がして、慌てて中身を確認するアリシアに俺は笑うのを堪えることはできなかった。






 火にかけられた鍋からコトコトと音が聞こえ、僅かに開いている蓋から食欲を誘う良い匂いが漂ってくる。

 別の野菜料理を仕上げているアリシアの鼻歌を聞きつつ、バゲットに似た棒状のパンをアリシアの指示通りに斜めに切り終える。

 少々へしゃげていたので不格好に仕上がったが、食べられるので問題ないだろう。


 さて、アリシアの方ももう終わるようだし、そろそろマーク神父を起こしに行くか。

 パンを皿に盛りつけた所でアリシアに声をかけてから軽く手を洗い、俺は食堂を後にした。




 アリシアの願いを聞いた後、俺は夕食の時間までアリシアの仕事を手伝いながら色々と話を聞いた。

 どうやら朝に浄化を行ったのが関係するのか、村では色々起きていたようだ。

 体調不良を訴えていた村人が元気になっていたり、枯れていた井戸から水が湧き出ていたりと、アリシアの話は尽きなかった。


 カリアについてはこれといった情報を得る事は出来なかったが、マーク神父に教えてもらった話の他にも様々な話を聞く事ができた。

 精霊に呼びかけたのを聴いていたというのもあるだろうが、アリシアは聡い。

 俺が浄化したと気付いているようで、その事について核心には触れないようにしながらもどのような影響が起きているかを教えてくれたのだ。



 細やかな気配りができ、何を口にして良いかを瞬時に悟り、世間話を介して必要な情報を提供する。

 あのように聡い少女に隠し事が通じるとは思えないのだが……彼は気付いているのだろうか。



「マーク神父、起きているか?」



 マーク神父の部屋の前に辿り着き、扉をノックして声をかけたが返事が無い。

 三回ほど同じことを繰り返すと、ようやく中で動く気配を感じた。



「マーク神父?」



 動く気配は感じるのだが返事が無い。

 仕方なく断りを入れてから中を覗けば、マーク神父はベッドの上で上体を起こし、ぼんやりと自分の手を見下ろしていた。


 わざとらしく足音を鳴らして中に入り、マーク神父に近付く。

 するとマーク神父はゆっくりと俺へと視線を向けた。



「痛みはあるか?」


「……痛みは、ありません……あれほどの痛みが、全く……」


「違和感は?」


「……強いて言うなら、痛みが無い事に違和感を感じます……これは、本当に私の身体なのですか……?」


「……あんたの身体以外の何物でもないさ」



 自分の身体に起こった変化に理解が追い付かないらしい。

 あれほどの炎症を一気に治したのだから無理もない。

 俺は混乱しているマーク神父の手を取り、ちゃんとこちらを認識してもらうために強めに握り締め、視線を合わせてしっかりと頷いた。



「大丈夫、あんたの身体は治ったんだ」



 精神の揺らぎは魔力の揺らぎを生む。

 できればそれも避けておきたいので、俺はそうはっきりと告げた。


 とはいえ俺もここまで酷いのは初めて治療したからな。

 大丈夫だとは思うがもう一度診察しておこう。




 握ったマーク神父の手に微量の魔力を流し、一番酷かった腕の魔力管の具合を確かめる。

 長らく無理をしていたから少々弱っているようだが、この程度なら問題ない。

 流していた魔力を消し、手を離すとマーク神父はその碧の瞳を揺らして俺を見上げた。



「一週間は魔法を使わないように。ほんの少しなら大丈夫だろうが、あの力は何があっても使うなよ? 再発しかねない。

 それから食事と睡眠はしっかり取ること。そうすれば自然と治っていくだろう」



 俺の言葉に頷くマーク神父に食欲はあるか聞けば、少し間を置いた後にまた頷く。

 食欲があるのは良い傾向だ。時間も丁度良い頃だろう。

 アリシアが待っていると告げ、今だどこかぼんやりとしているマーク神父に手を貸して食堂へと連れて行った。




 食堂に着く頃にはマーク神父も普段の調子を取り戻したようで、心配して駆け寄ったアリシアを微笑みながら受け流していた。

 マーク神父の様子を見つつそれからの時間を過ごしたが、特に異常は見当たらなかった。

 違和感があるのか動きにぎこちなさを感じる時はあったものの、それだけだ。問題は無いだろう。


 これで俺も安心して出発する事ができるな。




 二人と夜の挨拶を交わし、自分に当てられた部屋に戻る。

 灯りとして借りた魔道具を机に置き、スイッチとなる部分に触れて灯りを消せば、部屋は窓から射し込む月明かりだけが照らしている状態になった。


 明日は早い。

 特に準備する必要も無いんだ。さっさと寝よう。



 おぼろげな光の中、上着を椅子にかけてベッドへと近付き、靴を脱ぐ。

 そしてベッドの上に横になれば、案外疲れていたのかすぐに眠気がやって来た。



 ──目を閉じ、意識が半分眠りへと落ちかける中、俺が思うのはカリアと精霊達の事だった。




 カリアは、みんなは無事だろうか。

 会いたい、会って話したい、会ってまた、みんなで一緒に過ごしたい。



 カリアの背に乗って、みんなで次の目的地を考えて、誰にも縛られずに自由に日々を過ごす。

 そうできたのは僅かな時間だったけれど、それでも俺は幸せだったあの日をずっと求めている。



 思い出すのはあの景色。

 みんなと飛んだ、あの空の世界。




 カリア、君は今、どこで何をしている?

 命を奪う邪気が広まるこの世界に、君は、お前達はいるのか?



「……カリア」



 小さな俺の呟きは、誰にも届く事無く夜の静寂へと消えていく。



「アリル、ダルク、セラ、ヴォル、フィン、ガイ……」



 忘れる事の無い、常に傍にいてくれた家族の名前を呟いても、誰も応えてはくれない。

 この世界の精霊は皆、精地にいるのだから。




 必ず、会いに行く。

 例えこの世界に君が居なくとも、誰も居なくとも。

 どんな方法を使ってもみんなのところへ行くから。



 ──だから、もう少しだけ待っていて。




 愛する彼女と、大切な家族の姿を思い浮かべながら、俺の意識は眠りへと落ちていった。

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