青の意思

 一通り話を聞き終え、俺とマーク神父はほぼ同時にすっかり冷めたお茶へと手を伸ばす。

 覚える事が沢山あるとは聞いていたが、ここまで多いとは。

 短時間で詰め込み過ぎたか若干頭が痛む気がする。

 その量の知識を与えてくれたマーク神父も後になるにつれて声がかすれていた。大丈夫だろうか。



「他に話す事はあったでしょうか……」



 あぁ、大丈夫のようだ。流石神父というべきか。

 普段から人々の嘆きを聞き、相談に乗る事が多いと言っていたし、日頃から鍛えられているんだろう。

 顎に手を当てて考えてくれているマーク神父を横目に、俺は背もたれへ体重を預けた。




 マーク神父の話によると、今この村に精霊は一人も居ないそうだ。

 精霊達にとって命の源である精地を邪気が侵し、崩壊の危機にある。

 精地が崩壊すれば精霊達は死に絶え、間違いなく天変地異が起き、この世界が終わってしまう。

 それを防ぐため、精霊達は六つあるそれぞれの精地に戻って行ったのだと教えてくれた。



 通りで呼びかけても誰一人答えてくれないわけだ。

 前世の世界でも精霊達の集う場所は世界にとって重要な場所だった。

 魔力には水、火、風、土、光、闇の六つの属性があり、精霊達はそれぞれの属性を持ってそれぞれの精地から生まれる。

 そうして精霊達はそれぞれ自由に世界を巡り、それと共に魔力を世界に巡らせていたのだ。


 世界の理が似通っているからか、この世界にも水、火、風、土、光、闇の六つの精地があるようだ。

 話には出てこなかったが、もしかしたら精霊達の役割も同じような物なのかもしれない。



 そう考えるとこの世界がどれほど危険な状態なのかが良く分かるな。

 前世の世界と同じように考えれば、精地が一つでも崩壊すればこの世界は終焉を迎える事になるだろう。

 だが、精地が崩壊しなくともこのままでは邪気によって生命が絶えてしまう。


 まさにこの世界は崖っぷちという状況だ。

 この世界の女神が介入するのは当然なのかもしれないが……果たして平穏な国で過ごして来た高校生が立ち向かえる問題なのだろうか。



「精地、か……」



 そういえば日向達も準備ができ次第精地へ向かうはずだと言っていたか。

 もしかしたら精地で会う事になるかも知れない。

 それはまだ避けたい。俺の目的を優先するためにも彼等の動向について調べておくか。



「……本当に、精地に向かわれるおつもりなのですか」



 不意にマーク神父の声が聞こえ、視線を上げる。

 見ればマーク神父は顔を顰めて強張った様子で俺を見つめていた。

 その表情からは不快といった感情では無く、俺を心配しているのが読み取れた。


 話を聞くにあたって精霊にカリアの事を聞きたいと言ってある。

 だから俺が何を考えているのか見当がついているのか、彼は俺が精地に向かうのに反対しているようだ。



「精霊達は皆、精地に集まっているんだろう。

 なら精地に行けば精霊に会える。違うか?」


「それは、そうかもしれませんが……先ほど話した通り、精地は邪気に侵されています。

 精地を守っておられた水龍様が邪気に堕ち、狂ってしまわれたとも聞いています。

 いくら浄化の力を持っているとしても、近付くのは命を捨てるようなものではありませんか」


「もちろん行く先々でも聞いてみるつもりさ。

 だが、闇雲に探すより精霊達に力を借りる方が早い」



 はっきりと告げる彼の口ぶりからして、精地では余程の事態が起きているのだろう。

 だが、こちらとしては一刻も早く彼女の手がかりを見つけたい。

 それにこの世界も精霊が魔力によって生きているのは変わらないんだ。

 邪気が魔力を奪って増えているならば、早く行かなければ精霊達が消えてしまいかねない。


 精地に行かず他の方法を模索している間に、彼女を知っている精霊が消えてしまう可能性だってあるのだから。



「死ぬつもりは無い。無理なら別の探し方を考える。

 だからマーク神父、ここから一番近い精地はどこか教えてくれないか」



 真っ直ぐと目を逸らす事無くマーク神父を見つめる。

 数秒の沈黙の後、マーク神父は緩く息を吐き、肩を落として目を伏せた。



「……この村から近いのは、隣国のラノールにある闇の精地か、ユニエル王都から北東にある水の精地です。

 街に行くのでしたら、ギルドで王都へと向かう商人の護衛依頼などを受け、王都を経由して水の精地へと向かうのが一番楽かと」



 机の上で手を重ね、呟くように答えてくれた内容に俺は頷く。

 なるほど。商人の護衛となると大抵目的地まで護衛した後は継続依頼をされない限り解散し、自由に行動できるようになる事が多い。

 街ならば馬を借りるなどもできるだろうが、手持ちの資金になる予定の懸賞金は旅の装備に当てるつもりだ。なるべく費用は節約したい。


 ギルドとは傭兵の支援組織だそうで、登録すれば各地にあるギルドの支援を受けられるようになるらしい。

 身分証になるギルドカードというのも貰えるらしく、街によっては入る際に身分証の提示を求められるため、日向達に会いに行かないつもりなら登録しに行くのを強く勧められていた。

 そのため元々行くつもりだった上、精地に向かいながら資金を稼げるのだ。理に適っている。



 そうなるとギルド登録は装備より優先すべき事項だな。

 防具無しでの戦闘も以前山ほどやってきた。しばらく防具が無くとも何とかできるだろう。

 鈍っている事を考えれば少々不安だが、背に腹は代えられん。何とかしよう。



「わかった、そうするよ」



 聞ける事は大体聞いた。これからの方針も決まった。

 後この村ですべき事と言えば……。



「マーク神父、あなたの身体について話しておきたい事がある」



 前世の世界に置いて魔力を持つ者は、血を全身に巡らせる血管のように、魔力を全身に巡らせる魔力管という物を持って生まれていた。

 彼もそれを持っているのは彼に【聖なる祈り】を使った時にわかっている。


 彼の魔力管は、盗賊に襲われた傷を治療する際に軽く診ただけでわかるほど酷い炎症を起こしていた。

 大抵の場合は魔力管の炎症は放っておいても治るのがほとんどのはず。

 それが治らずあの状態という事は、相当無理をして来たのだろう。

 これ以上悪化すれば二度と魔力を操れなくなる所まで来ている。



 自分の身体がどのような状態にあるのか把握しているのだろうか。

 確認のためにも聞いてみれば、マーク神父は一瞬目を丸くした後、唇を一文字に結び、顔色を暗くした。



「……この身体の事でしたら、存じております」



 自分に言い聞かせるかのような小さい呟きが届く。

 微かに笑みを浮かべられているが、それは決して明るい物ではなく、むしろ暗い、何もかも諦めたかのような表情だ。

 知っているなら話は早いが、まさか治らないと思っているのだろうか。



「差し障りなければ治療したいんだが、どうだろうか?」


「なっ……今、治療と言いましたか?

 治療できるのですか? この状態を……!?」


「あぁ。即刻完治とまでは行かないが、また酷使しない限り自然に治る所までなら持って行ける」



 どうやら本当に治療方を知らなかったようだ。

 驚いているマーク神父が不要な不安を抱かないように語気を強めにしてはっきりと答えると、マーク神父はただ呆然と自分の手を見下ろす。

 古い傷だとは思っていたが、治療法を知らなくてそのまま放置していたのか。



「……なぜ、わかったのですか……?」



 混乱しているのか何なのか、震える手を強く握り締めて呟くマーク神父。

 治療するにも本人が落ち着いた状態でなければ上手く治療できない。

 魔力が通うだけで激痛が伴うような状態だろうから早く治したいのだが、彼を落ち着かせるのが先決か。



「盗賊に負わされた傷を治療した時だ。

 傷を治すためにあんたの身体を一通り診たからな」



 黙り込んでしまったマーク神父に、俺は言葉を続ける。



「俺も昔似た状態になった事がある。

 大方、ここ数年の間に魔力が尽きるまで使い続ける日が続いて炎症が起きたんだろう。

 その時の傷が治っていないのにずっと無理をし続けていたんじゃないか?」



 図星なのだろう。彼は息を呑んで俺へと視線を向け、碧の瞳をこれでもかというほど大きく見開いている。

 僅かに開いた口は言葉が出てこないのかハクハクと小さく痙攣するかのように動いていた。



 この様子だと、今までずっと隠してきたのかもしれないな。

 症状が酷いのは彼の持っている力が関係しているのだろうか。


 大まかにしか診ていないが、彼の傷は古い物もあれば真新しい物も幾つもあった。

 恐らく何度もその力を使って来たのだろう。

 邪気からこの村を守るために。



「……誰にも言うなというなら言わないし、これ以上聞きもしない。

 だがこれだけは聞いてほしい」



 隠したいというならそうすれば良い。

 何か事情があってそうしているのだろうから、俺が口を出す事ではない。


 だが、これだけは伝えておかなければならない。



「そのまま放っておくと、死ぬぞ」



 俺の言葉にマーク神父が固まる。

 サッと顔色が青くなっていく辺り、この事は知らなかったのだろうか。



 彼のように、魔力管が何らかの理由で魔力を通せない状態になれば、体内で生み出された魔力はそのまま体内に留まり続けていく。

 入り切らない量の物を袋に入れようとして破れてしまうのと同じだ。

 本人の許容量を超えるほど魔力が留まってしまうようであれば命に関わる。


 魔力は命にとって必要不可欠な力でもあるが、過ぎた力は破滅しかもたらさない。

 それは神であろうと誰であろうと同じなのだから。




 外で鳴く鳥のさえずりが聞こえてくるほどの沈黙の後、マーク神父は俺から目を逸らし自身を落ち着かせるように深く息を吐く。

 そして心臓を抑えるように、祈るように胸元で両手を重ねた。

 傍から見てもその手には力が入っているのがわかり、俺は黙ってその様子を見守る。



「……治せると、おっしゃいましたね」



 険しい表情で結ばれた唇からか細い声が発せられる。

 再び向けられた視線にゆっくりと頷き答えれば、マーク神父は姿勢を正した。



「私は、まだ死ぬわけにはいかない」



 落ち着いた声色で呟かれた言葉は、一体誰に向けたものだったか。



「お願いします。治していただけますか」



 先ほどまでの混乱が消え、決意を宿した瞳が向けられる。

 一拍を置いた後、青い髪を揺らしながら深く、机に着くほど頭を下げられる。


 その姿に古い友人の姿が被る。

 死ぬわけにはいかないと俺に頭を下げた、古い友人に。



 そういえば、あいつも彼と同じ青い髪をしていたか。



 どこか懐かしい思いを抱きながらも、俺はその願いに対して了承の返事を返した。






 教会の仕事をあらかた終えたというアリシアも一緒に昼食を終えた後、俺は教会の広場で魔力操作の確認を行っていた。

 それぞれの属性で球体を作り、球体の状態を保ったままバラバラに操るだけだが、これには魔力を操る上で基礎となる事が全て詰まっている。


 これから行う魔力管の治療には、繊細な魔力操作が求められる。

 【聖なる祈り】を使えたから大丈夫だとは思うが、念には念を入れておかねば。



 何せ明日の朝には村を発つ予定なんだ。

 アリシアが居ない間に行うとすれば、チャンスはこれ一回だけだ。

 失敗はおろか、手間取る事も許されない。




 確認も十分に行った頃、背後で物音がしたため操っていた球体を全て消し去る。

 振り向くと同時に教会の扉が開かれ、中からアリシアが出て来た。



「キョーヤさん、ここにいたんですか」


「少しな。アリシアは今から村に?」


「はい、ちょっとお使いに。

 すみませんが私が居ない間、神父様の事をよろしくお願いします。

 神父様ったらまた何か良からぬ事を考えてますもん。私にはわかるんです。あの顔は絶対無茶するつもりです……!」


「そうか……アリシアはマーク神父の事を良く見てるんだな」


「あっ、その……み、見てないとすぐに無茶しちゃうんです! だから、その……!」



 急に隠すように慌てだしたアリシアだが、顔が赤い。

 ふむ、なるほど。何となくはわかっていたがやはりそうだったか。



「そうだな、彼はすぐに無茶をするようだ」



 何とも微笑ましい様子に噛み殺せなかった笑みが出てしまったが、アリシアの言い訳もあながち間違いではないのだろう。

 あの状態で村を守るほどの力を使っているんだ。

 隠していたとしても傍にいるアリシアは心配が絶えない事だろう。


 アリシアには悪いが今回俺はマーク神父側なので、適当に宥めてから彼女を村へと続く道へと見送る。

 荷物を持って小走りで去って行くその後ろ姿が完全に見えなくなったのを確認し、俺は教会の中へと戻った。




 マーク神父を治療するに当たり、彼に頼まれた事が二つあった。

 一つはアリシアが居ない間にする事。

 もう一つはアリシアには絶対に言わない事だ。




 どうやらマーク神父は何が何でもアリシアにだけは知られたくないらしい。

 同じ教会の者だからかと思ったが、どうやらそうではないようだ。


 彼はただ、「彼女には背負わせたくない」と言っていた。

 その瞳には恐れの色は無く、慈しむような色だけがあった。

 教会に知らされる事を恐れているのではなく、純粋にアリシアを想っての事のようだった。



 詳しい事情は分からないし、こちらの教会についても話に聞いただけで、実際に見聞きしたのはこの村の教会だけだ。

 頼まれた事も前者は少々厳しい所もあるが不可能では無いし、後者に至っては俺が黙っていれば良いだけの事。


 きっと何か事情があっての事だろう。

 部外者である俺があれやこれやと口を出すより、本人の望む通りにしてしまう方が良い。




 教会の中に戻りマーク神父の部屋へと向かう。

 部屋の前に着き、扉を軽くノックすればややあってから返事が来た。

 中に入ればマーク神父は何か机に向かって書いていた所だったようだ。

 手早く片付けられたそれを視界に映しながらも俺はマーク神父の方へと近寄った。



「彼女は行ったよ」


「はい……では、お願い致します」


「わかった、始めよう」



 マーク神父にベッドへと寝転んでもらい、俺は部屋にあった椅子を引いてベッドの横へと移動させる。

 平常心を保とうとしているようだがやはり戸惑いはあるようだ。

 少し不安気に見上げてくる彼に目を閉じて楽にしているよう声を掛けた。



「なるべく落ち着いていて欲しい。深呼吸でもしていてくれ」


「……わかりました」



 軽く注意点を告げ、マーク神父が目を閉じたのを確認してから椅子に腰かける。

 そのまま椅子を少し動かして丁度良い位置へと調整し、一呼吸置いてからマーク神父の手を取った。

 腕の魔力管の状態を確認すればやはり酷い炎症だ。

 あまりの酷さに思わず顔を顰めてしまったが、この程度なら何とか治せるだろう。



「痛むと思うがあまり我慢はするなよ? 治せる物も治せなくなる。

 できる限り痛みは減らすつもりだが、耐え切れないほど痛むようならすぐに言ってくれ」


「はい」


「よし……それじゃあ、始めよう」



 一度意識して深く息を吐き、神経をマーク神父の魔力管へと集中させる。

 そして治癒魔法を発動させながら、指先の魔力管へと俺の魔力を流し始めた。



 普通の炎症程度なら外から治癒魔法でも使えば済む話なのだが、マーク神父の魔力管は状態が酷すぎる。

 治癒魔法を外側からだけ使えば、治癒した際に魔力管が閉じてしまう可能性がある状態だ。

 そんな事が起きれば元も子も無い。

 それを避けるには彼の魔力管に少量の魔力を流して魔力の流れを確保しつつ、治癒するしかない。



 幸いなのがそれをする必要があるのは両腕の魔力管だけだという事だろう。

 他の場所は治癒魔法だけで充分治せる程度だった。


 これが全身だったなら、たった一日でできるとは到底思えん。

 カリアでも無理だったろうな。




 ゆっくり、丁寧に、彼の負担を減らすように。

 それだけを考え、一本も逃さないよう細心の注意を払いつつ少量の魔力を流し、魔力管を補強する。

 それと同時に魔力を流している魔力管を包むよう、外側から治癒魔法をかけていく。


 こまめにマーク神父の様子も確認しているが、完全に負担を失くす事はできていないようだ。

 耐えるように眉間に皺を寄せ、震えながらもゆっくりと深呼吸を繰り返している。

 治療が右手首まで終わる頃にはマーク神父は額に大量の汗を浮かべていた。




 もっとゆっくり、もっと丁寧に、もっと彼の負担を減らすように。

 それだけを考え、身体を侵していた邪気も浄化しながら俺は治療を続けた。






 どれだけ時間が経っただろうか。

 左手の魔力管を全て治療し終え、俺はマーク神父の手を離した。



「……終わった……」



 身体に伸し掛かる疲労感に、椅子の背もたれへ体重の全てを預ける。

 自然と荒くなっていた呼吸を整えるために意識して呼吸を繰り返す。



 長時間集中し続け、更に想定していた以上の魔力を消費した。

 その結果がこのザマだ。酷使し過ぎたのか目が霞んでいる。

 目を閉じて休みたい所だが、先にマーク神父の容体を確認しなければ。




 気怠い身体を何とか動かしマーク神父の方を見れば、彼も相当疲れたようだ。

 ぐったりとした様子で眠っていた。


 呼吸は落ち着いている。

 手首に指を当てれば安定した脈も感じられる。

 汗を掻いているが顔色はそこまで悪くない。もう大丈夫だろう。



 そこまで確認したところで、俺は今度こそ体力を回復させるために椅子へと深く腰掛け、目を閉じる。

 しばらくして動ける程度に体力が回復したところで、俺はマーク神父に体力回復を目的とした治癒魔法を使い、部屋を後にした。

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