浄化の光

 教会から森へと足を踏み入れると異様な気配を感じた。

 教会の中や近くに居た時は感じなかったそれは、教会から離れるにつれて濃く、深く感じ取れる。

 決して良い物では無い気配に、注意を払って慎重に森の奥へと進んで行けば、やがて何か黒い霧のような物が漂っているのが見えて来た。



「……これが邪気、か」



 触れないように距離を保って立ち止まり、宙に薄っすらと漂うそれを見つめる。

 特徴からしてこれがアリシアの言っていた邪気という物だろう。

 気配からして瘴気と似た物のようだが、瘴気に触れた時とは僅かに何かが違うように思える。

 何が違うか正確にはわからないが、こんな物がそこら中に漂っていれば精霊達の力が弱まるのも頷ける。


 これはどう見ても命を持つ存在にとって毒にしかならないだろう。

 実際に見て感じて、良くわかった。

 これは瘴気と同じ、全ての終わりを望む存在だ。



 精霊達にこの世界について聞けるか確認するために森に入ったが、ここにはあまり長居すべきではなさそうだ。手早く事を済ませよう。

 そう決め、俺は魔力を喉に集めて言葉を発した。



「──《精霊よ、どうか力を貸してほしい》」



 それは普通の人間には聞こえない、精霊の声。

 声は魔力と共に広がっていくが、それに答える存在は現れない。



「──《頼む、探している人がいるんだ。姿を見せてはくれないか》」



 もう一度強く声を発するが、やはり誰も答える事なく邪気の広がる森へと消えていく。

 おそらく周囲に立ち込めるこの邪気のせいだろう。

 それならついでに確かめてみるか。


 声を発するのを止め、袖を捲りながら邪気の漂う少し開けた場所へと足を進める。

 地肌が十分に出ているのを確認してから手近にある木の枝を折り、魔法陣を描き連ねていく。

 計五つの魔法陣を間違えないよう、丁寧にかつ素早く描き連ね、それらが崩れないように気を付けながら魔法陣の中央に立った。



「さて……使えると良いんだが」



 邪気と瘴気は驚くほど似ている。

 というより根本が同じというべきか、そのような気配がする。


 彼女と共に居たから、彼女と契約していたから使えた魔法。

 俺の仮定が正しければ、死んで生まれ変わった俺でも今ならば使えるかもしれない。



 軽く息を吐いてから魔力に意識を集中させる。

 そして足から地面へと魔力を流し、地面に描かれた魔法陣を順番に魔力で満たしていく。

 五つの魔法陣が薄っすらと輝きだし、正常に発動準備を終えたのを見て、最後に頭上に魔法陣を展開させた。


 魔法陣は魔法を持続させたり、安定させたりといった風に魔法の補助のために使われる。

 今回は使えるかわからないこの魔法を、確実に広範囲へと発動させるために用いている。

 地面の魔法陣は魔法を広範囲へ広げるために、頭上の魔法陣は今から使う魔法を確実に発動させるためだ。



「【浄化の光】」



 俺の意思に反応して頭上の魔法陣が白い輝きを放つ。

 それに連鎖する形で地面に広がる五つの魔法陣が発動していった。

 白い仄かな光が俺を中心に発し、光は魔法陣によって見えない距離まで遠く広がって行く。

 魔法陣の効果が届く範囲全てに光が行き渡ったのを見計らって、俺は浄化の光を消した。



「……上手く行ったか」



 地面に残っている魔法陣を足で消してから森を歩いてみる。

 先ほどとは打って変わって邪気は見えず、そう言った気配も感じない。

 むしろ清浄な雰囲気に満ちている森が広がっていた。

 これなら長時間居ても問題はない。



 やはり俺は浄化の力が使えるようだ。

 それも俺の知る浄化と寸分違わない、同じ力を。



 俺の知る浄化は他の魔法とは勝手が違う。

 他の魔法は努力次第で誰でも使えるようになるが、浄化は浄化の力を持つ者だけが扱える。

 あの世界ではその力を持った存在は彼女だけだった。

 他にその力を持っていたのは、彼女の力を分けられた存在でしか在り得なかったんだ。


 だが、マーク神父は「女神の加護によりこの世界に召喚された者は浄化の力を与えられた」と言っていた。

 ならば俺にもその力があるのでは、と思いやってみたわけだ。



 結果は見事成功。

 とはいえ疑問が残る。


 それは俺が使ったのは、あくまでもカリアから教えてもらった浄化の力だという事だ。



 俺はこの世界に渡る際、女神に何かを言われた、何かを授けられたといった記憶が無い。

 そのためカリアに教わったやり方で浄化を行ったのにもかかわらず、成功してしまったのだ。

 単にやり方が同じだった、というだけの事かもしれないが……こうまで同じだと、やはりあの世界とこの世界の理は全く同じか近い物だとしか思えない。

 使えるならば使うだけだが、やはり精霊に話を聞きたい所に変わりは無い。




 それにしても精霊達はどこにいるのだろうか。

 一応病み上がりのため全力とまではいかないが、できる限り広範囲を浄化した。

 森の雰囲気からして精霊が現れてもおかしくないのだが、耳に魔力を纏わせても聞こえてくるのは変わらぬ静かな森の音だけだ。


 まさかこの森には精霊が居ないのだろうか。

 そうなると……参ったな。どうしたものか。

 邪気のせいで何か起きているのかもしれないし、精霊については後でマーク神父かアリシアに聞いてみるとしよう。




 出来ない事は仕方ない。

 次は魔法の確認でもしよう。


 そう思って瞬きをした瞬間、不意に殺気を感じた。



 昨日の盗賊達とは比べ物にならない程鋭い殺気。

 随分久しく感じたそれに、一瞬身体に不必要な力が入る。

 その瞬間を狙ったのか、背後から風を切る気配がし、俺は瞬時に地を蹴る。


 地に着いた片足を軸に身体を反転させて見えたのは、木漏れ日を受けて鈍い輝きを持つ剣先だった。



 相手は剣を持っている。しかも相当の手練れと見た。

 魔法が使えるとはいえ、まだ本調子というほどでもない。


 一歩目の勢いをそのままに距離を取り、何があっても対応できるよう体勢を整える。

 そして相手を見れば、そこに居たのは一人の男だった。




 飾りなどは一切無い動きやすさを重視した服。

 日に焼けているのか元々なのか、色の濃い肌。

 真紅の髪は短く切り上げられ、若葉色の瞳と目が合う。



 先ほどまで感じていた殺気は何だったのか。

 既に男には殺気は無く、むしろ交差する視線からは好意的な意識を感じる。


 どうやら一連の行動は俺を測るための手荒い歓迎のようだ。

 立ち振る舞いやその目からしてただ者ではなさそうだが、村の人間なのだろうか。



「やるな」


「あんたこそ」



 前世の俺と同等か、それ以上か。

 俺は魔法を使って戦う事が多かったため、純粋な剣の腕はそこまで立たなかった。

 そのため剣士としての経験はそう多くは無いが、それでもわかる。


 この男、確実に今の俺より腕が立つ。



「なぁ君、俺と手合わせしないか」



 そう言って笑う彼は持っていた剣を投げ、俺の近くの地面へと突き刺す。

 どうやら彼は俺の実力を正確に測りたいらしい。

 見れば腰に下げていたもう一本の剣を抜いていた。



 今の俺は鈍りに鈍っている。

 その上相手は確実に格上だ、勝てるとは思えない。


 だがこの申し出を受ければ今の俺がどれほどできるか把握できる。

 それにこれ以上になく良い実戦経験を積む事もできるだろう。

 俺には喜ぶべき申し出だ。




 俺の雰囲気に察したのだろう。

 先ほどまで笑みは消え、若葉色の瞳が真剣味を帯びていく。

 ゆっくりと剣を構える彼に対し、俺は一歩踏み出し左手で剣を抜き取った。


 逆手に持ったその剣は刃が潰されていた。

 以前騎士団の訓練に参加させてもらった時を思い出す。

 あの時借りた訓練用の剣とそっくりだ。



「あぁ、こちらこそ頼む」



 逆手に持っていた剣を振り、振り心地を確認しつつ右手へと持ち変える。

 剣を前へ構え、左足は後ろ、右足は前に出す。

 重心は低めにし、空いている左手はいつでも使えるように緩く構える。

 視線は相手の動きを全て捉えられるように真っ直ぐ。



 あぁ、やはり相当な実力者のようだ。

 一切隙の無い様子に、前世で世話になった騎士の姿が重なる。


 彼はあの戦いの果てに死んでしまったが、傍で見届けた彼の剣は俺の魂に刻まれている。

 この肉体がどこまでついて来れるか俺でもわからないが、彼のためにもそう簡単には負けられない。



 気を引き締めて剣を握り直す。

 息を整え、集中力を高める。


 身体強化は使えない。

 まだ調整を行っていないんだ。

 相手が相手なのもあって、使ってしまえば手加減などできないだろう。



 数秒の静寂の後、俺と彼の間にある木から木の葉がひとひら落ちていく。

 それが地面に落ちた瞬間、互いに地を蹴った。



「っ、くぅ……!」


「っはは! 今のを防ぐとは、やはり相当の手練れだったか!」



 剣と剣がぶつかり合い、金属の鈍い音が響く。

 ガリガリと剣が削れるように互いに合わせた刃を押し合う。


 おそらく純粋に戦闘を楽しんでいるのだろう。

 凄まじい速さで放たれた初撃を防がれて鍔迫り合いになった状態だというのに、目の前の彼の表情には笑みが浮かんでいた。



 合わさった剣からは魔力を感じない。

 だと言うのに徐々に押されつつあるという事は、相手の方が力が上だという事だ。

 力任せに切り込んでも押し負けるだけだ。



「はぁっ!」



 剣を傾け身体をずらし、潰しにかかって来ていた彼の剣を横に流す。

 剣と剣が擦れ合い小さく火花が散り、彼の剣は横に逸れていくがすぐに反応を示される。

 だがその前に剣に力を込めて弾き、その勢いを活かして身体を回転させ、彼の空いている腹部へ横薙ぎに剣を振るう。

 しかしそれは剣を逆さに構えて受け止められた。



「っ、と」



 さっきの鍔迫り合いからして単純な力勝負では勝てない。

 ならば手数で勝負する他ない。


 剣が弾かれる前に地面を蹴って一旦距離を取る。

 そして彼が体勢を整え切る前に持てる最高速度で剣を突き出した。




 防がれ弾かれる度、その反動を利用して次の一撃へと繋げる。

 時に別方向から。時に距離を取って。

 そうやって動作をずらし、手数を増やして反撃の隙を与えないように。



「く……!」



 今の、ただの俺としてできる限界の速さで連撃を叩き込む。

 しかしそのどれもが剣によって防がれ、決定的な一撃とはいかない。

 それに今だに薄っすらと笑みを保ち続けているという事は、まだ対処できる程度の速さという事だ。



 もっと速く。もっと鋭く。もっと強く。



 弾かれた反動をそのままに、左手を地面に着き、軸にして宙返りしながら飛び退く。

 息が荒れ、汗が額から噴き出ているのがわかるが、今それを気にしている余裕は無い。

 思ったよりも飛んでしまい僅かに隙ができてしまった。

 彼はそれを逃さず剣を振るってきている。


 だけど、それも見方によってはこちらの好機でもある。


 こちらへと斬撃を放たれようとしているそこへ、自ら飛び込む。

 俺へと振り下ろされようとしている剣にすれ違うように俺は身体を回転させて、振り下ろされてがら空きとなっている彼の懐へと滑り込ませ────



「何してるんですか!」



 ────ようとした瞬間、茂みから一人の女性が現れて大声で怒鳴られた。

 それに思わず身体が反応し、反射的に振りかぶった手を止めて彼と距離を取ってしまう。

 それは俺だけでは無かったようで、見れば彼も後ろに飛び退いていて、罰の悪そうな顔で女性と俺を交互に見ていた。



 亜麻色の長い髪に灰色の瞳をしたその女性はどうやら彼の知り合いらしい。

 女性は酷く怒った様子で彼へと詰め寄って行った。



「礼拝から抜け出したと思えば……ディル? こういうのは控えてくださいと何度言えばわかるんですか?」


「こ、今回は相手の了承も得ている!」


「それは普通です! そもそも彼は神父様とアリシアさんを守ってくださった恩人ですよ?

 それを何ですか。今の一撃、止めなければお互いに怪我してましたよね?」


「ちゃんと訓練用の剣だ。悪くても打ち身ぐらいで」


「最後、本気で切り込んでたのを見ましたが」


「うっ……それは、彼が思っていた以上に強くてだな……つい……」


「ついもなにもありません。以前それで団員に怪我させたでしょう。

 あの時大変だったんですからね?」


「いやぁ……」



 どうやら彼の名はディルというらしい。

 先ほどまでの好戦的な彼はどこへやら、詰め寄って叱ってくる女性にタジタジといった様子だ。


 これはもう手合わせという状態ではなさそうだな。

 額の汗を腕で拭い、軽く息を整えてからチラチラと助けを求めてくる彼の元へと近付いて行った。

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