世界の異変



 ――今にも消えそうな彼が、酷く悲しそうな顔をして俺に謝る姿を今も鮮明に思い出す。

 世界の狭間での僅かな時間だったが、彼は俺に何度も謝罪し、感謝の言葉を述べた。


 「私を止めてくれて、世界を救ってくれてありがとう」と――――




 助けられなかった。

 力が足りなかった。


 彼の魂を消滅から切り離す事はできなかった。

 彼の対である女神以外、誰も。



 俺達は彼を救うことができなかったんだ。

 たった一人で戦い続けていた彼を。




 動揺を隠せず俺は机に肘をつき、手で顔の下半分を覆うように口元を押さえた。


 俺の知る魔法が使えた。

 それは魔法を構築する理が同じだという事だ。

 だからこそ、ここは前世の世界なのだとばかり考えていたというのに……違うのか?



 だが、理が同じでも異なる世界など在りえるのか?

 しかしこの世界には女神がいる。

 前世の世界は女神に捨てられた。この世界があの世界と同じならば、女神はいないはず。


 女神が世界に戻って来ているだけ? それとも、この世界はあの世界ではないのか?

 一体どうなっているんだ……?



「キョーヤ様、どうなさいました?」


「あぁ、いや……少し戸惑ってな、気にしないでくれ」



 息を吐き、緩く首を横に振りながら顔を上げると、心配そうにこちらを見るマーク神父とアリシアの姿が目に入る。

 ……彼らに心配をかけないようにしないと。



 落ち着いて考えれば、俺が御影響夜として転生して17年も経っているんだ。

 別の世界とはいえあの世界にも少なからず時が流れているはず。


 その上、世界中が壊滅状態に陥るほど荒れていたあの後だ。

 新たに国がいくつか建国していてもおかしくはないだろう。

 ……女神も、俺が居ない間に世界に戻っていたのかも知れない。



 邪龍についてはよくわからないが……この世界があの世界とは別の世界なのか、同じ世界なのかはまだ決めるのは早い。

 こういう時こそ落ち着いて全てを見通し、判断しなければ。

 例え、俺の望まない結果になったとしても。



「二人共、聞きたい事があるんだが構わないか?」


「えぇ、私たちでわかる事でしたら何でも聞いてください」


「答えれる事は全てお答えしますよ!」



 何やら張り切っているアリシアと青白い顔で微笑むマーク神父。

 本当ならすぐに休ませたいんだが……知らなければならない事が多すぎる。申し訳ないが付き合ってもらおう。



「そうだな……まずは邪龍について教えてくれないか?」


「邪龍、ですか……そうですね、何からお話ししましょうか」


「キョーヤさんは邪龍について女神様から何も聞いていないんですか?」



 アリシアの疑問に首を軽く横に振る事で返す。

 それを見てマーク神父は伏し目がちに「私も詳しくはわかりませんが……」と前置きをしてから、暗い表情で話し始めた。



「邪龍が現れたのは今から3年ほど前の事です。

 場所はユニエルの東にある国で、当時その国では内乱が起きていました。戦火で荒れ狂う王都の上空に、邪龍は現れたのです。

 それは、ほんの僅かな時間でした。

 上空に何かが現れたと思えば、大地を揺るがすほどの咆哮が人々の動きを止め、空から闇が落ち、上か下かもわからなくなるほどの衝撃が襲い……気付けば王城は跡形も無くなっていて、王都は壊滅状態になっていたそうです。

 『何もかもを埋め尽くす様な黒い身体に、遠くからでもわかるほど不気味に輝く深紅の瞳』

 ……邪龍の姿を見てなんとか生き延びた方がそう話していました」


「邪龍は、今もその国に?」


「いいえ。

 邪龍によって王都が崩壊してすぐに【英霊】と呼ばれる6人の精霊が現れ、暴れる邪龍を結界へと閉じ込め、大陸の中心にある山の頂上の神殿へと封印してくださいました。そのおかげで、あれ以来邪龍は姿を現していません。

 ……突如現れ、すぐさま封じられた邪龍についてわかることはほとんどありません。教会の上層部なら何か知っているかもしれませんが……私が知っているのはこれだけです」



 そう締めくくったマーク神父。

 アリシアもそれ以上は知らないのか、静かに頷いていた。


 わざわざ異世界から人間を召喚するほどなので、もっと被害が多いのだとばかり思っていたが違ったな。

 話を聞く限り、邪龍の被害は東の国の王都だけのようだ。

 被害が少ないのは良いことだが、少し身勝手過ぎないか?



「女神とその精霊達がいるなら、召喚なんてしなくてもこの世界の中だけで何とかできたんじゃないのか?」



 要するに、正体のわからない敵が現れたから異世界から適当な誰かを連れてきて倒してもらおう、という事だろう?

 俺はカリアに会えるかもしれないので構わないが、勇者として呼ばれた日向達は突然異世界に連れてこられて戦う事を求められている。


 彼らは日本という平和な国で産まれ育ったんだ。

 教育として戦争の話は知っていても実戦など知るはずがない。

 それに喧嘩すらした事があるかわからないような、そんな穏やかな生活を送っていたはずだ。

 俺のような存在ならまだしも、剣も魔法も使ったことが無いような彼らを戦わせるのはどうかと思うが。



「……そうですね、それができれば良かったのですが……」



 腕を抑えて言葉を詰まらせたマーク神父。

 何か不味い事を言ってしまったのかと思っていると、その続きをアリシアが話し出した。



「今、この世界には邪龍の生み出す“邪気”という物が広まっていて、女神様と精霊達の力が弱まっているんです。

 精霊達の力が弱まる事で自然の力の釣り合いが崩れ、各地で様々な災害が起きています。

 その上、女神様の力が弱まっていて世界の調和を保つ事ができない今、私達だけではどうする事もできなくて……」


「……邪気?」



 わからない言葉に首を傾げると、アリシアは思い出すように説明してくれた。



「邪気っていうのは、見た目は黒い霧みたいなもので、邪気に侵されれば最悪の場合死にいたります。

 中には邪気に侵され自我を失い、命を削られながら手当たり次第、破壊の限りを尽くしてしまう方もいるんです……」



 アリシアの表情からして、その様子を見た事があるんだろう。

 蒼い瞳に溜まっていく涙からして酷い有様だったようだ。

 ……辛い事を思い出させてしまったか。



「邪気はあらゆる命の源である魔力を奪い、日に日に増えています。

 浄化の力を持つ者はいるのですが、今この世界を救えるほど強い力を持った者はいません。

 ……このままでは邪気によってあらゆる命が死に絶えてしまう。そう思われていました」



 手を強く握り締めてそう話したマーク神父の表情は暗く硬い物だった。



 聞いていて思ったのは、邪気とやらは俺の知る瘴気によく似ているという事だ。

 この世界の状況も全く同じと思えるほどよく似ていて……妙な感じだ。

 瘴気は前世の世界で邪気と同じように広まり、災厄をもたらし、世界を滅亡へと誘った。

 あの時はカリアや精霊達の力と、俺の命で大元を浄化したので最悪の結末にはならなかったが……この世界はあの時と同じように滅亡へと歩を進めている。



 「誰かを犠牲にしてでも生きたい」

 この世界も、あの時の人々と同じなのだろうか。



「邪気をどうする事もできず、人々が混乱の中、ユニエルの巫女に女神様から御告げが来たそうです。そして、女神様の御告げを元に、勇者召喚の儀が執り行われました。

 私はその場に居なかったので大まかな事しか知りませんが……召喚の儀によってこの世界に召喚された方々には、女神様の加護によって個人差はあれどとても強い浄化の力が授けられたようです」


「浄化の力をか?」


「はい。

 おそらくですが……勇者様方には各地に存在する精霊の住み処、精地へ赴いていただき、各地の浄化をし、精霊達の力を取り戻してから邪龍との戦いになるかと」


「精地を浄化しないと邪龍を倒す前に天変地異で世界が滅びかねないですから……」


「そうか……日向達が今どこにいるかわかるか?」


「そうですねぇ……ここは王都から遠いのでそういった知らせは少し遅れて届くんですけど、出発したとは聞いていませんし、まだ王城にいらっしゃると思いますよ」


「王城、か」


「………王城に行かれますか?」



 日向達の事を聞き、黙りこんだ俺にどう思ったのかマーク神父がそう問いかけてきた。

 少し下げていた視線を上げると、マーク神父はどこか申し訳無さそうな表情をしていた。


 ……罪悪感でも感じているのだろうか。

 確かに俺達を召喚したのはこの世界の者達だが、マーク神父は直接召喚の儀に関わっていないようだし、別に彼がそういった物を感じる事は無いと思うが……彼から見れば、そういうわけにはいかないのだろう。



「いや、俺は俺でやることがあるんだ。王城へは今は行かない」



 まぁ今の俺の状況は関係無い異世界の問題に巻き込まれて、その上一人放り出された、といった所か?

 普通の人間なら少なからずパニックに陥るだろうし、同じ世界から知り合いが来ているなら合流した方がいいだろうからマーク神父がそう思うのもわかる。



 転生してから実戦は全くして無かったが、今回の事で鈍ってはいるが十分戦える事がわかった。

 魔法はしばらくは無理だろうが、いずれ以前の様に使いこなせるだろう。


 彼らに会えば俺も戦力として一緒に行かされる可能性が高い。

 というよりも、確実に行かされる。おそらくマーク神父もそれをわかっているのだろう。

 だから王城へ行くか、と訊ねた。



 だが、俺が会いたいのはカリアだ。

 彼らに会いに行くとすれば、この世界が前世の世界とは違うと判断できた時だけだろう。



 この世界がカリアと関係の無い世界だとしても、こうしてマーク神父やアリシアと出会い、知り合った。

 もう黙って見ている事はできない。


 俺にこの世界の浄化の力があるかはわからないが、何かの助けにはなれるだろう。

 その後、別の世界に渡る方法を探せばいい。

 ……カリアも少し遅くなるくらいなら許してくれるはず。



「やること、ですか?」



 マーク神父の言葉に頷くと同時に、どこかから小さな鐘の音が聞こえた。

 カランカランと連続して鳴るその音に、アリシアがハッとした様子を見せる。マーク神父も何か思い出したようだ。



「あ、礼拝の時間!」


「……もうこんな時間ですか。

 申し訳ありませんキョーヤ様、実はそろそろこの村の礼拝の時間で」


「私先に行って準備してきますね、神父様はゆっくり来てください! まだ無理しちゃダメなんですから!

 あ、洗い物はそこの桶に入れておいてくれるとありがたいです!」


「わ、わかった」


「アリシア、あまり走らないように!」



 慌ただしく走って出ていくアリシアに声をかけたマーク神父だが、果たしてその声は届いているのか、バタバタと駆けて行く音が聞こえる。

 全く、といった様子で溜息をついているマーク神父に怒りの色は見えない。



「はしたない所をお見せしてすみません」


「いや、忙しいのに時間を取らせた俺のせいだ。すまない」


「時間より早く来られた方がいらっしゃるだけなので、大丈夫ですよ」



 「アリシアは少々落ち着いて欲しいものです」と言いながら食器を片付けるマーク神父の手伝うため、俺も席を立つ。

 二人でアリシアに言われた通り使った木製の食器類を水が張ってある桶に入れ、一度部屋に戻るというマーク神父を行かせるために扉を開けた。



「キョーヤ様はどうぞ、ご自由にお過ごしください。

 私たちは聖堂にいますので、何かありましたらいつでも言ってくださいね」


「わかった」



 軽く頭を下げてから部屋を出て、僅かに早足で歩いていくマーク神父を見送る。

 さて、これからどうしようか。



 本当はカリアの事も聞きたかったが、それはまた後でも聞ける。

 今する事といえばこの身体の確認ぐらいだろうか。


 魔力の確認と、身体強化をした場合の身体の使い方を確認しておこう。

 ……死人は出なかったようだが、あれではいつか厄介事を起こしかねない。



 ぐるりと部屋を見渡して、勝手口だろうか。

 外に繋がっている扉を見つけたので外へ出る。


 外に出れば、小さな井戸と朝特有の静けさを持った木々が目に入った。

 教会の周りは森にでも囲まれているようだ。丁度良い。



 ここがあの世界であればこういった自然には精霊がいるはず。彼らはどこにでもいて、特に自然の中で揺蕩うように在るのが摂理。

 世界のどこにでもいる彼らの力を借りれば、世界の事を知る事もたやすい。

 どうにかして精霊と会話を図ろう。


 そう考え、俺は躊躇う事無く森へと足を踏み入れた。

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