第一章 水の懇願

偶然の出会い

 一瞬の浮遊感の後、光が消えた。

 そして懐かしい力を感じ、ゆっくりと目を開ける。



 ──俺の視界に映った景色は、先ほどまでいた教室ではなかった。




 どこかの室内にいるらしく周囲を確認するために辺りを見回す。

 石造りの壁に木の床、傍には木で作られた教卓のような物が一つ置いてある。

 少し離れた場所には長椅子がいくつも並んで置かれており、真ん中を通る通路を挟んで右と左に整然と並んでいた。

 通路の奥に目を向けると、少し複雑な模様が描かれた大きな木の扉が閉じられている。あれが出入り口のようだ。



「ここは……教会、か?」



 一見、教会と思われるこの場には俺以外誰一人いない。

 日向達が召喚される時、魔法陣に飛び込みここに来たのだから彼らも近くにいるはずだが、見当たらない。

 ということは俺だけ違う場所に来てしまったのだろうか。


 召喚の魔法陣に無理矢理入り込んだんだ。

 俺は所謂イレギュラー、異質な存在。そうだとしてもおかしくはない。



 思考を巡らせていると色鮮やかな光が上から射し込んでいるのに気付き、不思議に思い上を見上げる。

 そこには外からの光に照らされて輝いているステンドグラスがあった。



 何処かの戦場、だろうか。

 荒廃した戦場のような背景に赤、青、緑、茶、紫、黄の六色の光が中央に向かって伸びており、中央には白い光が降り注いでいる。

 何を描いているのかはよくわからないが、俺はつい食い入るように見てしまう。


 何故だろうか、どこかその景色に見覚えが──



 ――ガァンッ!!



 突然教会の扉が派手な音を立てて開き、臨戦態勢を取れば何かが凄まじい勢いで飛び込んで来た。

 そしてその勢いのまま転がり、教会の真ん中当たりでようやく止まる。



「か、は……っ!」



 転がって来たそれは人だった。

 ステンドグラスに意識を向けていたのもあって反応が遅れてしまったが、急いで駆け寄り声をかける。



「おい、大丈夫か!?」



 転がり込んで来た人物は俺の記憶にある神官に似た服装をした明るい青色の髪の青年で、怪我をしているのか白を基調にした服のあちこちに血が滲んでいる。

 血の量からして深い傷は無いようだが、痛めつけるような傷が多いようだ。

 すぐにどうなるというわけではないが、このまま放置すれば危ない状態なのはすぐわかった。



「神父様!!」


「オイオイ、随分しぶといじゃねぇか神父サマよぉ?

 ……あ? んだてめぇ、教会のモンじゃねぇよなぁ」



 青年の怪我の具合を診ていると、頭に赤い布を巻いた髭面の男が中に入って来た。

 髭面の男から離れているが、後ろには身体のどこかに男と同じような赤い布を巻いている男が十人近くいて、それぞれ剣など武器を持っている。

 その男達のうちの一人に捕まれ、動くことができずこちらに向かって叫ぶ金髪の少女がいた。

 少女は青年と似た服を着ており、叫んだ言葉からして二人ともこの教会の関係者なのだろう。


 しかし何か、妙だな。

 違和感を感じるも、ゲラゲラと笑う男にその違和感を意識の端に追いやった。



「……まぁどうでもいいな。女と一緒にコイツも売りゃあいい。

 黒髪はめったにいねぇし高く売れるだろうなぁ!」


「逃げ、て……ください……!!」



 髭面の男が気持ち悪い笑みを浮かべて一歩一歩、こちらに近付いてくる。

 リーダー格なのだろう。髭面の男の言葉を肯定するように周りの男達がゲラゲラと笑っている。

 その光景に神父は痛みに顔を歪ませながらも、別の部屋に通じる扉を視線で示して俺に逃げるよう言ってきた。



 気配からして教会の外は囲まれてはいるようだが、俺一人ならば逃げることもできるだろう。

 だが、神父と呼ばれたこの青年は軽く確認しただけでも身体中に打撲や切り傷などの怪我をしている。

 血も多く流しているため顔色が悪い。



 このまま逃げれば、彼の命は無いだろう。

 そんな人が目の前にいるというのに、俺一人逃げることはできない。


 俺にはそんなこと、許されていないんだ。



「……」



 ここに来た時感じたあの力、今も俺の中に感じるこの力が俺の知る物だとしたら……彼を救い、この状況を一転することができるだろう。

 だが、もし使えなかったら……?


 神父の苦しそうな息づかいが聞こえる。

 自分が何かしなければ消えそうな命が目の前にある。


 やるしかない。迷っている暇は無い。

 俺はすぐさま両手を神父の胸の当たりに向け、目を閉じて体の中心へと意識を向ける。

 俺の中から暖かく懐かしい力が溢れてきたのを感じ取り、それが身体を十分に満たしたところである言葉を唱えた。



「【聖なる祈りシア・マリーティオ】!」



 唱えた瞬間、光が俺の両手から放たれ、俺を中心に強い光の波動が来るものを拒むかのように広がり、優しい光が神父の全身を包み込んでいく。

 神父の体を包む優しい光は、傷がある場所に多く集まり、傷を覆い隠す。

 少しすると光がポツポツと小さな光の粒を残して散り、傷は光と共に消え去っていった。



「くそっ! 魔法だと!?」



 光の波動に阻まれ、近づくことができない髭面の男がイラついたように叫ぶ。

 俺はそれを見て、俺の中から溢れる力――魔力を強めることで光の波動の威力を高め、髭面の男を教会の外へ弾き飛ばした。

 髭面の男は教会の外の木に勢いよくぶつかり、軽く脳震盪でも起こしているのか動けなくなったようだ。

 周囲に居た数人の男が慌てた様子でぐったりとしている髭面の男の元へと駆けて行ったのが見えた。




 使えた。

 間違いない。


 これは、この魔法は──カリアが教えてくれた癒しと守護の魔法だ。




 魔法を使えたことに込み上げてくる喜びを無理矢理抑え込む。

 俺が知っている魔法が使えるということは、ここは……この世界は…………だが、心から喜ぶにはまだ早い。

 先にこの状況をなんとかしなければ。


 軽く息を吐き、治療の方へ魔力を集中する。

 今はただ、目の前の命を救わなければ。




 魔法を使いながら神父の身体を診ていくと、魔力を流す魔力管の炎症が酷いのがわかった。

 まるで幾度も焼き続けているような状態に思わず顔を顰める。

 魔力管の状態から随分前からのようだが……命に関わるものでは無い。今は身体の傷を治す方に魔力を注ぐべきだろう。



 俺が使っているこの【聖なる祈り】は、治癒魔法でありながら防御魔法でもある特殊魔法だ。

 この魔法が使えたのだから、あの男達を倒す程度の魔法は勿論、後でこの魔力管を治療する魔法も使えるだろう。



「あ、あなたは一体……?」



 驚いたように目を見開き、こちらを見てくる神父。

 その表情と言葉を聞き、ようやく違和感の正体がわかった。

 口の動きと俺が理解している言葉が一致していないのだ。



 今彼は明らかに日本語の動きではない口の動きをして俺に疑問を伝えてきた。

 だが脳内では日本語として聞こえている。

 原因として考えられるのはあの魔法陣だが、何かそう言った魔法でも仕込まれていたのか?

 表情からして疑問を投げかけているのは合っているだろうが、果たして正しく翻訳できているのだろうか。


 ……とにかく今はこの状況をなんとかする事に専念すべきか。



「俺は……響夜だ、俺の言葉はわかるか?」


「わ、わかります! お願いです! アリシアを、あの子を助けて下さい……!!」



 男に捕まっている少女を助けるよう掴みかかる勢いで俺に訴える神父。

 伝わっているのなら言語については後回しで構わないだろう。

 元々助けるつもりだったので頷き、神父なだめて安静にさせる。

 傷がほとんど癒えたとはいえ、大量の血を失っているんだ。あまり動かないほうがいい。



「あの男達は盗賊、で良いか?」



 経験から言ったが盗賊というのはほとんど変わらないようだ。

 確認のため聞くと、神父が何度も頷いたので魔法を解く。

 すると俺達を守っていた光の波動と神父を包んでいた光が、白い光の粒子を残して同時に消え去った。

 ここまで来させる気は無いが、念のため神父にある程度強度のある結界を張り、結界の中から出ないように言ってから教会の外へ向かう。



「っ……てめぇ! よくもやってくれたな!?」


「なんだ、もう動けるのか……案外丈夫だな」


「こんっ、クソガキがぁ!! 野郎ども! このガキ逃がすなよ!!」



 教会の前は広場なのか何も無い広い場所になっていて、男達が俺を逃がさないように囲んで来た。

 髭面の男は少し離れた場所におり、アリシアという少女を捕まえている男もその傍にいる。


 ニヤニヤと笑いながら徐々に近づいて来る男達。

 どうやら相手が一人だと思って油断しているらしい。



 まさに油断大敵、だな。



「【ディバンス】【閃光】」



 魔法を使えば闇が俺と離れている少女の目を覆い、一瞬で視界が夜になったように暗くなる。

 その瞬間に光の玉を生み出し、空中で爆発するように発光させると、いつもと同じような視界に戻った。

 それは闇で視界を守った俺と少女、それから結界に守られている神父だけだろう。



「くそっ目が!!」


「何にも見えねぇぞ! どうなってんだ!!」



 男達は目を抑えて悶えており、皆似たようなことを叫んでいる。

 目潰しが効いている内にに少女を捕まえている男に走って近づき、男の顎を蹴り上げ気絶させた。


 突然男から解放されて戸惑う少女を抱き上げて教会の中へ戻り、神父に張った結界の中へ入れてやる。

 少女も神父も急な事に驚いていたようだが、少女は神父の元に来れた事に安心したらしい。

 泣きながら神父に抱き付く少女を見届けると同時に【閃光】の効果が切れ、再び視界が暗くなったので【ディバンス】を解いた。



「お、女がいねぇ!!」


「あそこだ! 教会の中だ!!」


「な……いつの間に!!」



 後で人質にされると厄介だ。

 それに先に少女を助けた方が俺も気兼ね無く戦える。


 お互いの手を取り合って俺を見てくる二人に軽く頷き、盗賊達の方へと向き直る。

 そして全身に魔力を行き渡らせ、使い慣れた方の【身体強化】を発動させた。



「てめぇ何しやがっぁふ!?」



 教会の床を蹴り、一気に教会の外へ駆ける。その勢いを殺さずに、教会の正面にいた短剣を持った男の腹を右手で殴り、そのまま頭を左手で叩き落とした。

 叩き落とした際の左手と勢いを利用し、地面を蹴って軽く空中で一回転しながら短剣を持った男の左側にいた細身の男に踵落としを食らわせる。

 勢いがつきすぎたらしく、男の頭が地面に半分以上埋まってしまったが……死んでない……よな?



 若干心配して様子を見ていたが、慌てて錆びた斧を振り上げてきた男がいたので回し蹴りを食らわせて蹴り飛ばす。

 すると男は錆びた斧を落として離れた場所まで飛んで行き、木にぶつかり大きな音を立てて木が折れてしまった。


 ……だめだな、久しぶり過ぎて強化の力加減を間違えたようだ。

 相手は盗賊なのだから死んでも構わないだろうが、後始末が面倒だ。

 それにここは教会でもある。神聖な場で命を奪うのは避けた方が良いだろう。

 となると強化を少し弱めなければならないか。




 魔力を調節するために一旦後ろに飛ぶと、背後から男が二人飛びかかってきた。

 軽く吹き飛ばすつもりで風属性の中で一番威力の低い【フルード】を少し強めに放つと、男二人はまた吹き飛び、それぞれ別の木にぶつかり、二本の木が音を立てて折れた。

 ……感覚が鈍り過ぎててもう笑いが込み上げてきたんだが。一番威力が低い魔法でこれか。どうしたものか。



 残った頭以外の男が三人、それぞれ別の方向から来たので、少し先に来た左斜め前から来た男に蹴りを食らわせる。

 これでも強化は半分程度に弱めたんだ。吹き飛んでいるが気にしないでおこう。


 続いて右斜め前から来た男が刃こぼれした剣で斬りかかって来たので、最小限の動きで軽く避ける。

 そのまま鳩尾に肘打ちをしてすぐに下がり、後ろから来た男に向かって後ろ蹴りを食らわせて一息つく。

 後はあの髭面の男だけか。



「危ないキョーヤ様!!」



 神父の叫び声が聞こえた直後、悪意を持った炎が俺を襲った。






 **********






「やった……やったぞ!!」


「そんな………キョーヤ様……?」



 目を離さず見ていたからわかる、彼は避けていなかった。

 あんな炎をまともに受けたのなら、いくら盗賊を軽々と倒していった彼でも一溜まりもないだろう。



 私のせいだ。

 私が彼に助けを求めたから……私がここにいたから……!


 いまだに揺らめく炎から目を離せない、彼はさっきまで、そこに……!



「誰をやったって?」



 誰かの声が聞こえた。


 その声には聞き覚えがある。

 さっき聞いたばかりだ。忘れる筈が無い。


 この声は、私とアリシアを助けてくれた――――彼の声だ。




 燃え続けていた炎に変化が起きた。

 ただ燃えているだけだった炎が、徐々に形を変えながら空へ上がって行く。



「お前が詠唱してるのに気付いて無いとでも思ったのか?」



 炎が空に上がって行くにつれ、炎に包まれていたはずなのに傷一つ無い彼の姿が現れて行く。

 彼は右手を空に掲げていて、その手の上には形を完全に変えた炎のドラゴンが存在していた。



「魔力の練り方が甘過ぎる。その上質も悪い。これじゃ魔法の主導権を取られても文句言えないぞ」



 炎のドラゴンを頭上に従え、真っ直ぐ、堂々と立つ彼。

 少しだけ見える彼の整った横顔と、黒い瞳。

 その黒い瞳には炎が映り込み、飛び散る火花が彼の瞳を輝かせて見えて……その光景は何処か神々しく、幻想的で、私はその光景に見とれていた。



「行け」



 彼の言葉と共に、彼の手が盗賊の頭へ振り落とされる。

 炎のドラゴンはそれに従って盗賊の頭へ飛んでいき、大きな口を開けて呑み込んだ。



「わざわざ形態変化して威力弱めたんだ。ある程度は焼けるだろうが、死なないだけマシだと思え」



 聞こえて無いか、と言いながら指を鳴らして炎のドラゴンを消した彼。

 ドラゴンが居た場所には、体から煙を出す盗賊の頭が転がっていた。



 呻き声を出しながら彼へと手を伸ばす盗賊の頭。

 その手は彼に届くことなく地に落ちる。

 痛みから呻いているのが聞こえるため、盗賊の頭は意識を失ったのだろう。




 それを最後まで見届けた彼は、ようやく終わったという風に息を吐いて視線を空へと向ける。

 何処か懐かしそうに、何処か愛しそうに空を見つめる彼の姿に、私は息を飲んだ。



 彼の後ろ姿に、立ち姿に、その眼差しに、私はあの伝説の英雄の絵姿が重なって見えたのだ。





 ――――命を代償にこの世界を救ってくれた英雄、ジーク様の姿が。



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