願いの行方
黄昏時。
俺は自分が通う高校の校舎の三階で、放課後の少し静かな廊下を一人歩いていた。
廊下は窓から射し込む夕日の光によって赤く染め上げられていて、どこか寂しく感じる。
なんとなくいつもより遅く歩いていると、廊下の窓越しに沈んでいく夕日が目に入り、俺は足を止めて窓を開けた。
丁度グラウンドではサッカー部の友人がシュートを決めているのが見えた。
他校との試合が近いと聞いている。それに向けて練習をしているのだろう。
シュートを決めて笑みを見せた友人と目が合い、軽く手を振る。
友人は手を軽く上げて返した後、すぐさま試合へと戻って行く。
その様子を少し眺めてから夕日に染まる空を見上げた。
空は沈んでいく夕日に呼応するかのように、鮮やかな朱から少しずつ夜の闇へ色を変えていた。
風に流されていく雲は夕日の光に染められ、様々な表情を見せながら空を渡っていく。
もうしばらくすれば日は完全に落ち、星の輝きが見えるようになるだろう。
星、と言っても街の光や排気ガスなどで遮られて、あの世界のような満天の星空では無いが。
「空、か……」
俺が御影響夜ではなく、ジークだったあの頃、カリアの背に乗って何度もあの世界を飛んだ。
雄大で、美しいあの世界を。澄み渡った青い世界を。夕日に染まる赤い世界を。
何度も何度も彼女の背に乗って飛んだ。
『ジーク、美しいだろう?』
だからだろうか、空を見るといつも思い出す。
一つとして同じ空が無い、あのどこまでも続くような高く広い世界を。
その世界を自由に飛ぶ、銀色のドラゴンのことを。
一度息を深く吐き、視線を自分の手のひらに落とす。
考えても仕方の無いことだ。まだあの世界に戻る方法は見つかっていないのだから。
俺はずっとあの世界に戻る方法を探している。
正直そんな方法は無いのかも知れない。
だが探さずにはいられない、諦めるわけにはいかないんだ。
彼女は俺の全てだ。
それは生まれ変わった今も変わらない。
顔を上げ、空をもう一度見て窓を閉めようとすると、一羽の鳥が空を羽ばたいて行った。
カリアは今、何をしているのだろうか。
あの鳥のように空を飛んでいるのだろうか。
鳥が空の彼方へ飛んで行くのを眺めてから窓を閉め、元のように鍵を掛けてから教室へ向かった。
記憶に残る銀色に輝く彼女の姿を思い浮かべていると、すぐに目的の教室についた。
中からは誰かの話し声が聞こえてくる。
昔からの癖でつい気配を消してしまったが、すぐに普段に戻す。
そして少しだけ息を潜めて扉の窓から中を覗くと、誰かまでは判別できないが中で四人の生徒が楽しげに笑っている様子が窺えた。
腕時計を見ると時計の針は午後五時過ぎを指している。
この棟の教室のほとんどは放課後クラブ活動では使われないので、遅くまで残って勉強したり友人と話したりする生徒が多い。彼らもそういった集まりなのだろう。
今入れば確実に視線が集まるだろうが仕方ない。
教室の扉を開けると、ガラッと思いの外大きな音をたててしまい、中にいた生徒が一斉にこちらを向いた。
「御影君? 帰ったんじゃなかったっけ?」
教室にいた男子が俺を見て驚いた顔をして話しかけてきた。
頼まれごとをしていた、と軽く話しながら誰だったか思い出そうとしてみるが、周囲と必要最低限の関わりしか持っていなかった弊害か、全く思い当らない。
クラスで見たことがあるので同じクラスだと思うが、クラス替えをしたばかりだ。関わりが無いと同じクラスでも誰が誰だかわからないな。
身長は俺より少し低く、色素が薄いのか日本人にしては明るい茶色い髪と瞳をしている。
あまり関わりが無いはずの俺にも人懐っこい笑みを見せていて、なんというか……犬に見える。
それだけではわからず、一緒にいた女子三人を見て、ようやく友人達が話していた「ハーレム野郎」と男子生徒から呼ばれている日向(ひゅうが) 勇斗(ゆうと)だと思い出した。
友人達が言うには、金髪で緑の瞳をしたいかにもお嬢様という感じの女子が九条(くじょう) 真琴(まこと)で、目が緑なので九条葱、と覚えろと言われたな。
九条葱とは主に関西で栽培されているネギだそうだ。関西出身の友人が言っていた。
女子にしては随分短い髪をした女子は風間(かざま) 維緒(いお)で、確か陸上部に所属していて何かで全国大会に行っていたはずだ。
去年の終わりごろ朝礼で表彰されていたからまだ覚えがある。
黒い髪と瞳でメガネをかけているおとなしそうな女子が柳田(やなぎだ) 彩(あや)で、このクラスの図書委員に決まってすぐにプリントを配っていたから記憶に新しい。
そう言えば何故か委員長ではないのに委員長と呼ばれていたな。
この女子三人は日向に好意を寄せており、日向の気を引こうとしては時折周りに迷惑がかかってしまっているようだ。
迷惑とは言っても、日向の周りに集まっては他の生徒も通る通路を塞いでしまう、といった些細な物だと聞いている。
若いのだしそれぐらい許してやってもよさそうだが、同い年で異性から好かれたいと力説している男子達にしたら羨ましい限りなのだろう。
俺にはわからない感覚だが、普通の男子生徒はそういう物なのだと力説された。
そういえば「あまり関わるな」とも言われていたな。
良く分からないが、俺のためにならないらしい。
数少ない友人の忠告に従うべく、さっさと去るために友人の田中の机へと向かう。
軽く椅子を引き、手に持っていた次のテスト対策ノートを突っこんだ。
このノートは田中以外のサッカー部員に土下座して頼まれ作った物だ。
何でも赤点を取ると試合と補講が被ってしまうそうで、騒ぎを聞きつけ駆け付けたサッカー部顧問の教師にまで頼まれた。
断るつもりは元々なかったのだが、そうまでされては全力でやるしかないだろう。
満点ではなく赤点回避を優先したノートをコピーする順番はくじで決めたらしく、一番目は自力でできるようになったが今回は赤点を取るわけにはいかない言っていた田中だ。
教室の机の中に入れておいたらクラブが終わってから取りに来ると言っていたので、これでいいだろう。
田中は去年留年しかけたのを付きっきりで勉強を教えてやり免れたことがあり、それ以来自分でなんとかしていたのだが、今度の試合はそれほど重要なのだろう。
「じゃあな」
「またね、御影君」
椅子を元に戻して日向に当たり障りのない挨拶をし、教室の扉へと向かおうと歩を進める。
向こうも対して俺に興味は無いのだろう。すぐに日向達の楽しげな声が聞こえてきた。
僅かに視線をずらしてそちらを見ると、楽しそうに話す日向達が目に映り、その景色に笑みを浮かべる彼女達に対して羨望の感情が湧いた。
──恋しい人が近くに居るのは、やはり羨ましいな。
今度こそ教室を出ようと歩を進めると、背後から強い光と気配を感じた。
何事かと思い振り向けば、日向達が少し浮かびながら青白い光に包まれていた。
光の原因と思われる彼らの足下には、この世界に存在するはずの無い――魔法陣が青白い光を発していた。
「な……っ!!」
見れば魔法陣にはこの世界の言葉では無い言葉が書かれている。
それを見た瞬間、俺は考えるよりも早く邪魔な鞄を放り投げて足を動かしていた。
──あの言葉は『召喚』を意味する言葉だ。
ジークとして生きた、カリアのいるあの世界の言葉だ。
俺の望んだ、探し続けたあの世界へ行く方法が今、目の前に存在する。
魔法陣はまだ発動しきっていない、今ならまだ、召喚に割り込めるかも知れない。
魔法陣の光がだんだん強くなっていく。
俺が魔法陣に飛び込んだ瞬間、光は今までで見たことも無いほど強い光を発する。
眩しさに思わず目を閉じれば、どこかに引っ張られるような感覚に襲われた。
――必ず、何があっても君に会いに行く。どうか、俺を彼女のいる世界へ……――
魔法陣は俺と日向達と共に、何事もなかったかのように教室から消え去った。
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