ドアを開けて中から出迎えた川辺明美は、真っ赤なトレーナーに黒のスパッツをはき、長い茶髪を無造作に頭の上でまとめていた。相変わらずの厚化粧だった。

「あら、男前の刑事さん」

「……どうも」

 芹沢はうんざりしたように答えた。こんな女に褒められても、ちっとも嬉しくなかった。

「何? 何かまだ?」女は手に持っていた煙草を口に咥えた。

「ええ。ちょっとお話が」

 明美は怪訝そうに芹沢を眺めていたが、やがて煙を吐くと言った。

「ええわ。どうぞ」

「失礼します」

 芹沢も彼女をじっと見つめたままで、ドアをくぐった。


 この部屋に入るのは初めてだった。つい昨日までは広い道路を挟んだ向かい側に車を停め、中からこの部屋のドアを眺めてばかりいた。その時はこの部屋の中がどんな感じなのか、彼女が普段部屋ではどんな格好をしているのか、まるで興味はなかった。

 それよりも、彼女が早く部屋から出てきて、さっさと自分たちを河村のところへ案内してくれることばかりを心待ちにしていたのだ。

 芹沢はリビングに通された。開け放たれた白い化粧扉の向こうで、明美がカップに紅茶を注いでいるのが見えた。

 聞き込みに行って部屋の中まで入れてもらっても、もてなしまで受けることは滅多になかった。堅気の人間は警官の訪問をあまり歓迎しないのが常識だったからだ。

 その点、この女は違うなと芹沢は思った。相手がヤクザでも警官でも、そんなことは気にならないようだ。凶悪犯だろうと何だろうと、平気でつき合えるらしい。かえってそういうキナ臭い人間に魅力を感じるタイプなんだろうと芹沢は考えた。しょせんは同じ穴のむじななのだ。河村もこの女も、そして芹沢自身さえも。

「はい、お待たせ」

 明美は両手にカップの乗ったソーサーを持って部屋に入ってきた。ソファに座っていた芹沢に一つを渡し、自分はその斜め向かいに置かれた籐の丸椅子に座った。

「おたくみたいないい男にお茶を入れるなんて初めてよ。刑事なんかやなかったら、もっと嬉しいのに」

「どうも恐れ入ります」芹沢は無表情で答えた。

「それで? まだ何か用? 昨日の事情聴取で終わったもんやと思てたけど」

「まあ、そう簡単にはね。昨日は川辺さん、まるで知らぬ存ぜぬを押し通された」

 芹沢はここで初めてにっこりと笑った。「こちらとしてもそれで引き下がるわけには行かないんです」

「あら、そう」と明美は肩をすくめると紅茶を飲んだ。「刑事さんもどうぞ。 えっと──」

「芹沢です」

「芹沢さんね」明美も笑顔になった。「飲んでよ、紅茶」

「いただきます」

 芹沢はカップを持ち上げ、一口飲んだ。「川辺さんは、河村とは二年ほどの関係でしたよね?」

「うん。そのくらいやと思うわ」

「じゃあ河村についてはたいていのことをご存じでしょ?」

「そうでもないわ。むしろ何も知らんかも」

「二年もつき合ってるのに?」

「だってうちら、割り切った関係やもん」明美は肩をすくめた。

「そんな風には見えなかったみたいだけど。信頼し合ってたはずだって、河村のとこの若い連中が言ってましたよ」

「あの子らまだ若いから」と明美は笑った。「一緒にいるときはそりゃ、うまくやってた方やと思うけど。でもそれだけ。会いたいときにだけ会うて、食事して、愉しいことして、それだけの関係よ。お互い他の日に何やってるか知らんし、興味もないし、せやからもちろん詮索もせえへんかったわ」

「ほんとかな」

「疑うんやね」

 明美はテーブルの煙草を取った。「吸ってもええかしら。おたくはやらへんの?」

「ええ、俺は」と芹沢は小さく首を振った。「どうぞ」

 明美は軽く頷くと、煙草を口に運んだ。

「芹沢さん、あんた彼女は?」

「話題のすり替えはやめましょうよ」

「その手には乗らへん、ってわけや」

「まあね」

「刑事やもんね。そう甘くないか」

 明美は自分の吐いた煙に目を細めた。「それで? うち何か疑われてるの?」

「どうして俺たちが何を担当する刑事か気にしたんです?」

「……何の話?」

 女の瞳に警戒の色が現れた。芹沢はそれに気づいたが、構わずに続けた。

「十月二十七日の昼前、ここへ管理人の横山さんが来たでしょう。前日の夜にこのマンションの駐車場で起きた喧嘩騒ぎの件で警察が来るかも知れないって、ご親切にもあなたに忠告をしに」

「──せやったかしら」

「その時あなたは、俺たちがどこの課の刑事かを知りたがっていた」

「覚えてないわ、そんなこと」と早口で言うと明美は煙草を灰皿に打ち付けた。「あの管理人がそう言うてたの?」

「ええ」

 当初、あれほど警察を毛嫌いしていた横山だったが、麻雀屋の一件の後、指名手配された河村の写真を捜査員から見せられた途端、まさに手のひらを返したように協力的になった。そして十月二十七日の明美との会話も、 鍋島と芹沢が立ち聞きしていたとも知らずに事細かに喋ってくれたのだった。

「よう覚えてへんけど、たいした意味はなかったんと違うかしら」

「河村の何かを知っていて、俺たちの素性に見当がついてたんじゃないですか」

「あの人が隠し持ってた拳銃のこととか?」

 明美は指に挟んだ煙草に視線を留めたままで言った。

「ええ。でもそれだけではないはずです」

「他に何がある?」

「河村の口利きで『ドルジェル』に入った山口紫乃のこととか」

「──彼女がどうしたん?」

 明美は相変わらず細い煙の立ち上る煙草を見つめたままで、芹沢を見ようとはしなかった。しかしその口調に、芹沢の言葉に関心を示している気配が確かに感じとれた。

「ご存じでしょう? このあいだ、瀕死の状態のところを発見されて、病院に運び込まれたってこと」

「……そう言えば、お店のママが言うてたっけ」

「誰かに相当痛めつけられたみたいだけど」

 明美は微かに眉をひそめた。あと一押しだな、と芹沢は確信した。

「あの女、何者なんです?」

「……知らんの? 警察は何も」

「河村と個人的付き合いのあった、シャブ中の女とだけしか」

 芹沢は突き放すように言った。わざとそんな言い方をすることで、明美の女としてのプライドをくすぐったつもりだった。

「……そう、それだけよ」

「まさかとは思うけど川辺さん、あなたが誰かに頼んで彼女を傷つけさせたんじゃないでしょうね」

「冗談言わんといてよ」と明美は真顔で芹沢を見た。「うちが何でそんなことせなあかんの?」

「嫉妬とか。彼女も河村と関係があったんだし」

「アホらし。そこまで落ちぶれてへんわ、うちは」

 明美は憤慨したらしく、赤い顔で早口に言った。しかしすぐにもとの表情に戻ると、煙草を消してふうっと大きく溜め息をつき、芹沢を真っ直ぐに見つめた。話すつもりになったらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る