そんな気持ちを知ってか知らずか、鍋島は続けた。

「まあ、それでも何とか今までやって来たけど、純子ももう二十四で、そのうち結婚の話が出てくるやろう。その時になったらいよいよ母親のいてへん、男所帯の頼りなさを思い知らさせることになると思う。せやから俺は、美雪ちゃんを智子から引き離すような話にはみすみす賛成でけへんのや」

「おふくろが美雪の母親がわりになるって言うてくれてる」萩原は言った。

「それでも実の母親とは違うんやって。それに──こう言うと語弊があるけど、おまえのおふくろさん、もうすぐ還暦やろ。美雪ちゃんが嫁に行く頃には幾つになってはる?」

「……そうやな」

「智子が再婚を決心したのも、逆に男親の必要性を感じたからと違うか」

 萩原は溜め息をついた。そして、麗子を上目遣いで見た。

「おまえ、どう思う?」

「勝也とまったく同感ね」と麗子はあっさり言った。「それにあんた、美雪ちゃんを引き取ったらそれこそそう簡単には再婚なんて考えないことよ」

「そうやな。智子が再婚することよりもっと難しいやろな」

「豊。ここは自分の気持ちはちょっと脇に置いといて、美雪ちゃんのことだけを考えてあげなくちゃ。女の子には、女親の必要な時期がたくさんあるものなのよ」

「……分かってる」

「一度その再婚相手って人に会ってみるのもいいかも知れないわ。決心がつくかも知れないし」

「そう、それも一つの考えかもな」と鍋島が言った。

「今はあかんわ」と萩原は首を振った。「とても冷静でいられる自信がないんや」

 鍋島と麗子は顔を見合わせ、深いため息を漏らした。

「可愛くなってるんでしょうね、美雪ちゃん」

 麗子がぽつりと言った。


 やがて萩原は今日のような休日でも仕事絡みの用事があるのだと言い、もう少し退屈そうな鍋島の相手をするのに残ると言った麗子を置いて帰っていった。

 そんな彼を見送りながら、麗子も鍋島もやはり彼が娘を引き取るのは難しいことだと、それぞれの胸の内で結論づけた。


 鍋島と二人になったとき、麗子はさっきの発言を謝った。

「ごめんなさい。さっきあたし、あんたに悪いこと言っちゃったわ」

「何を?」と鍋島は顔を上げた。

 窓の外を見ていた麗子は振り返った。「分かってるんでしょ?」

「ああ──両親が揃ってる方がいいって話か」

「やっぱり引っかかってたんだ」と麗子は溜め息をついた。「ほんとにごめんなさい」

「ええって。別に偏見があって言うたわけやないんやろ。あいつを説得しようとしてただけで」

「そう言ってくれると助かるわ。でも、デリカシーに欠けてたのは事実よ」

「もうええって、しつこいぞ」と鍋島は笑った。「これ以上病人に気ィ遣わせんなよ」

 麗子もバツが悪そうに微笑んだ。が、またすぐに真顔に戻ると、今度はもっと臆病な眼差しを鍋島に投げ掛け、そして言った。

「──ねえ」

「うん?」

「真澄から聞いた?」

「何を」

「……あたしの話よ。つまり──真澄と喧嘩した理由」

「ああ。そういや、何か言うてたな」

「どう思った?」

「どうって」鍋島は腕を組み、ちらりと麗子を見た。「おまえもやっぱり普通の女やったんやなって」

「茶化さないでよ」

「ごめん。でも、そこからなんで真澄と喧嘩になったのかが分からんけど」

「……そうね」

 麗子はベッドのそばの椅子に腰掛けた。鍋島の顔は見ず、膝の上に乗せた両手を見つめていた。真澄が自分と鍋島の関係を激しく嫉妬したからだとは言えなかった。言えば、大切な何かがきっと失われてしまう、そんな気がしたからだ。

「けどもう大丈夫なんやろ?」

「何とかね。結局は這い上がるしかないもの」

「ま、いろいろあるて」鍋島は麗子を見た。「俺かて、こんなアホな目に遭わされてる」

 麗子は顔を上げた。

「もうちょっとで這い上がれへんままに終わるとこやった」

 そう言った鍋島の顔は真顔で、しかもいくぶんかの恐怖に強張っていた。

 麗子は思わず息を呑んだ。

「勝也──」

 怖かったのね、と言いかけて麗子はその言葉をのみこんだ。本当はその言葉を言ってしまいたいのは鍋島の方で、けれども彼は決してそうはせずに、ただじっと我慢しているのが分かったからだ。

「そうなってたら、せっかくのおまえのアホ話の感想も言われへんとこやったな」

 彼はやっとと言う感じで言うと頬を緩めた。

「……バカ」

 麗子はその細く白い手で握りこぶしを作ると、布団の上から鍋島の足をめがけて小さく打ちつけ、ベソを掻きながら笑った。

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