文化の融合

 目の前に広がった巨大な絵画。その力強い筆致へ僕らの視線が吸い込まれていく。

 文化の融合、と名付けられたその作品には、中央の空をまたぐように、大きな虹がかけられており、眼下には神間らしき街並みと様々な国籍の人々が描かれていた。その、街並みに佇むそれぞれの人からは、白い煙のようなものが上がり、空に向かう過程でひとつの白い狼煙として束ねられている。その一筋の狼煙には、僕らの知る、ひらがなやアルファベットが隊列を組んでおり、虹に向かってゆらめきながら合流していた。

「これ、ですよね。絶対に…。すごい」

彼女は声を漏らす。そう断言できる理由は、描かれた虹にあった。地上の人々から伸びる白い狼煙の溶け込む先、すなわち虹にも、同じようなアルファベッドとひらがなの文字列が並んでいるのだ。

 そして何よりも、この絵画が古文書と関係する最たる理由は作者名のプレートだ。プレートに記された名は、リチャード・G・アースナルド。その名は、古文書の表紙に書かれた文字と完全に一致している。

「見つけちゃいましたよ…私たち」

こちらをみつめる双眸は潤んでおり、感動、興奮。そういった湧き上がる感情がひしひしと伝わってきた。

「これだね…絶対に」

この感情をどう言葉に表すべきか、僕の持つ語彙では表現が難しい。これまで僕らは、何一つ手がかりのない暗闇のような中で、歴史やこの街の文化から紐解こうとしてきた。言うなれば、外堀を埋めるような取り組みだった。それは、期待や推測によって、一喜一憂する、風によってかき消えそうな揺らめく灯火のような感情だった。

それがどうだろう。こうして、それだと断言できるヒントを初めて目の当たりにした僕の心には、燃え上がる松明のようなあたたかな炎が灯っていた。僕らが調査に費やした時間は無駄ではなかったんだ。僕らの予測は間違いではなかったんだ。証明されたことで、期待が自信に変わり、強く燃えるような感情が湧き上がっていた。

 僕らは、絵画の細部にわたって写真を撮っていった。一番重要な”虹”の部分。おそらく変換元の”狼煙”。街並みと人々。できるだけ、絵画から得られる情報を取り込もう。そんな気持ちが二人を無言にさせていた。

 細部を写真に収める中で、右下に、何やら文字が書かれていることに僕は気づいた。

「"Time flies, but unites.”…どういうことだ?」

時間が流れるのはあっという間だけど、僕らは協力していける、というような意味合いだろうか。金の油具で、斜めに走り書かれたその文も撮影した。

 写真を撮り終え、僕らは立ち上がる。休憩する気が無くなってしまった僕らは先ほどまでいた部屋へと戻っていった。


「いい線、いってたってことですね。私たちの推理」

スマートフォンで撮影した”虹”の文字列をノートに書き写しながら、梨沙ちゃんは言った。心なしか声のトーンが上がっている。

「そうだね。まさか、こんな早く見つかるなんて思ってなかったよ」

僕もノートに文字の対応表を書き写していく。

「この絵から察するに、この、白い煙が変換元の文字列、ですよね?」

変換元の文字列はアルファベットとひらがなで構成された文字列がゆらめきながら虹に向かって合流している。

「そうだね。そして、変換先の文字列は、描かれた虹の各色にも描かれている六種類。白色と、各色それぞれに対応してるってことになるんじゃないかな。おそらく、ページそれぞれが、この六色のどれかの並びを鍵として復号できるんだと思う。通りで見た目の文字列だけで解読することが難しかったわけだ」

古文書の各ページで暗号のアルゴリズムが異なる、それも六種類もあるのであるならば、僕らのような素人では解読が容易ではないことは納得できる。

「でも、どうして虹の数が六色なんでしょうか。普通は七色じゃないですか」

梨沙ちゃんはつぶやいた。確かに、日本において一般的には、虹を構成する色は七色であることが多い。

「虹の数がそもそも六色、なのかもしれないね」

「どういうことですか?」

「虹の色の捉え方っていうのは、国によって違うんだ。だから、虹を六色として捉える国があるのかもしれない」

僕はそういってスマホを取り出し、ネットで虹について調べてみる。

「あった。六色と言われている国は…」

「国は?」

「アメリカとイギリスだ」

「アメリカとイギリスですか! ということは、私がさっき紹介した資料で出てきた国と合いますね。えっと、明治三年に日本にやってきた外国人の国籍には、イギリス、アメリカがありました! そうなると、六色というのは作者のお国柄、ということでしょうか」

「そうだね。おそらくこの、アースナルドさんがどちらかの国、ということだろうね。どちらも英語だから、アルファベットが文字列に使われているのも納得できる」

「そうなると…この、六種類の変換手段は、ページのどれと対応しているんでしょう。ほら、六つのそれぞれに対応するようなヒントが、この古文書のページにはないですよね。そうなると、自分たちで、1ページずつ調べないといけないんでしょうか」

彼女は、白色の文字列と六色の文字列の間の矢印にはてなマークを描く。

「いや、それはしなくて大丈夫だと思うよ」

「えっ、何かアイディアがあるんですか、拓郎さん」

「日付と六種類に対応するものがあるんだ。…曜日だよ」

「曜日? 曜日だとずれませんか? 七種類ですし」

梨沙ちゃんは不思議そうに首をかしげる。

「これも旧暦なんだよ、多分」

「え、曜日にも旧暦があるんですか!?」

「ほら、大安吉日って聞いたことない? その大安っていうのも旧暦の曜日なんだ。確か、旧暦は六曜…内容は」

僕は少し前かがみになってテーブルに上半身を突き出し、手元のスマホの画面を梨沙ちゃんに見せた。

「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口。ぴったり六種類。そして、この時はまだ旧暦。だから、その曜日と対応づくならば、自然だ」

「なるほど。それは可能性が高そうですね!」

「旧暦のアプリはないかな…あった」

僕は変換アプリをインストールし、立ち上げた。

「最初のページの日付が、どの曜日と対応づいているか、調べてみよう。旧暦の、この日の曜日の候補は、先勝、先負、仏滅、大安…」

僕はとりあえず、虹の上から順に六曜に対応づいていると仮定し、一番上が先勝の変換先として、最初のページの数文字を変換してみた。

「これは…『た・だ・し・く』。『正しく』ということだ。変換できたね」

僕は、ページの先頭に書かれた四文字を虹の変換列に当てはめ、文字を変換した紙を彼女にみせた。

「ホントだ。すごい!」

「あとは、対応順に変換していけば、解読できると思う。手分けして解読しよう」

僕らはページを割り振って各ページを各々のスマホで撮影したのち、ページの解読を始めた。


「できました!」

梨沙ちゃんの声で僕らは視線を上げる。

 どのくらい手を動かしただろう。僕らは古文書の前半後半で手分けをし、各ページを解読していった。

「早かったね。六時までに終わるかギリギリだったよ」

スマホを確認する。時計は五時半時を回っていた。

1ページあたりの文字数が多すぎなかったことが功を奏し、なんとかほぼ同じタイミングで古文書を解読しきることができた。

「もうすぐ閉館時間ですもんね」

「とりあえず、軽くお互いに解読したページを眺めてみようか」

「そうですね。一旦見渡す感じで」

記載されていた内容を要約すると、このような会話が書かれていた。


『正しく記述できているでしょうか。きっと情報が価値を持つようになる時代になりつつあります。アースナルドさんには感謝しています』


『はい。書けています。その通りです。このために絵を描いてくださったのですから、うまく活用していきたいですね。最初は慣れないかと思いますが、たくさん書いていければと思っています』


『到着した頃は荒涼として何もなかったこの場所が、徐々に街のかたちに姿を変えつつあります。建物や衣食住のかたちで、日本の文化に新しい文化が芽吹いていく様子は春を思わせます』


『素敵な表現ですね。私もこの街が開花するよう尽力していきたいです。体制や規則にについて様々な問題が増えていますが、手を繋いでいきましょう』


『最近、近所の日本人の方からイースターについて尋ねられることが増えました。神の復活を祈る催事ですが、庶民の間では祭りのようになりました。卵を再生の印としてお祝いをするんです。ご存知でしたか?』


『いいえ。イースター、素敵な文化ですね。ぜひ、日本でも行事として楽しんでいきたいです。外国の文化を学ぶ良いきっかけになると思います』


『今日は各国の方々との晩餐会に参加してきました。国によってドレスの柄や色が違っていて面白いですね。やはりそれぞれの国の文化が色濃く出ていて勉強になりました』


『先日、外国人同士の揉め事があったとお聞きました。幸いにも暴力などの問題に発展しなかったそうですが、どうぞ、お気をつけて』


『はい。だんだんと居住者が増えるようになり、文化の違いによる口論が増えてきたようです。軋轢が生まれないように、領事館と役所で方針を話し合うことになりそうです。これで解決すればいいのですが』


『最近、流入の拡大に伴って、不法入国者や不法移民摘発されるようになってきました。一部の国の商人がかくまっているようだと私たちの間でも問題になっています』


『その状況は、私たちからもみとめられるようなものではありません。各国の領事館にも取り締まりを強化するよう通達する必要がありそうですね』



梨沙ちゃんの解読した前半部は、開かれた街が文化に花開くことの喜びと、街をよりよくしようとする二人の苦悩が日記として綴られていた。問題は僕の担当した後半部分だ。


『突然で驚きましたが、こよみが変わるそうですね。そうであるにも関わらず、街での事件は増える一方です。困ったものです』


『開港の祭りが各所で開かれるようになり、嬉しく思っています。港も整備されて、この街の港であることを見違えるようです』


『最近、文化財の盗難が増えてきたとも聞きます。とりわけ、この街に関係あるものが多いようです。おもちでしたら、どうぞ、戸締りはお気をつけください』


『どうやら今起こっている出来事は記録として残しておいたほうがよさそうですね。なるべくこの本にも書き残すようにしましょう』


『街の人々も疑心暗鬼になっているようです。嘘や誹謗中傷が増えているようでした』


『そのようです。観測されない地震が増えてきました。まるで、幻を見せられているようです。もう、すぐそこまで災いは来ているのかもしれません』


『どうぞお体にはお気をつけください。私たちはまだ死んではなりません。危険なことがありましたら警備をつけるようになさってください』


『もちろんです。私たちがこの問題を解決できなければこの街と文化を未来に残すことはできません。対策をとります』


『覚悟はできました。街を守ります。それが私の役目だったんです』


『街を守るためです。私は鎖になります。あなたが海の神になろうとも私は愛しています』



後半部は徐々に現実からかけ離れていくような内容の日記へと変容するのだ。比喩表現なのかわからないけれど、明らかに前半で使われていた表現とは異なる、特徴的な表現が使われている。

そして、数ページの空白ページを得て、最後のページにはこう記載されていた。


みらいの子供達へ

時間の先端で

この本を読むのなら

どうか繰り返さないでほしい

街を救ってほしい


 僕らは、この古文書、いや、二人の日記をどう解釈すれば良いのだろうか。読み上げた後、僕らはお互いを見つめ合い、数秒の間、言葉を失った。

 日記の最初は、当初の予想通り、交換日記のような内容だった。イースター文化について記述している様子、開港当時の居住者の国名から、片方の筆者は、アメリカ、またはイギリス人。となると、もう片方の筆者は、記述されている言語が日本語であり、とても流暢な様子から、日本人であることは明らかだろう。二人の間で綴られる、新しい街の始ま理に対する喜びや期待。他文化を取り込みながら街を発展させることの苦悩。それらを感じ取ることができた。国々の文化の違いによるトラブルに不安を感じながら、書き手の二人は手を取り合い、美しい街とすべく奔走している様子だった。

 だが、後半にいくにつれて、徐々に、交換日記の中身が現実を逸脱し始めたかのように、表現が変化した。街が拓かれていくことで、はびこっていく犯罪や事件。どういう理由なのか、頻発する謎の地震。これらに伴う住人たちに募る不安。二人が気づいている何らかの災いの予兆と迫り来る危機。表現するなら、街に巨大な闇が覆っていくようだった。

「どう、読み解けばいいんでしょう…」

梨沙ちゃんは困惑している。

「読めるようになったけど、理解しなければならないことが山のように増えちゃったね」

僕らは気づいていなかったのだ。暗号の解読がゴールではないことに。本来解読すべきことは、この日記に綴られた内容なのだ。

 解読したことで溢れ出した、情報の濁流。文字から文字、二次元的な解読だけでよかったものが、それら文字列の意味がわかったことで、歴史や文化、人物、出来事。三次元、いや、四次元的に解読する必要が生まれてしまった。

 どこから手をつけるべきか。ページをめくっていると、梨沙ちゃんが一言漏らす。

「最後の日記なんて、何かを決意する前の、遺書、とも取れますよね。それに、最後のページ。どういうことなんでしょう。…街を救うって何なんですか。これから何か起きるとでも予言しているんでしょうか。それに、この人たちのその後も気になります。何かが起こったんじゃないですか。…いろいろわからないことがありすぎて混乱します」

梨沙ちゃんが頭を抱える。

 アースナルドの古文書、改め、アースナルドの交換日記。暗号として、その内に堰き止められていた未知の神秘。解読とともに決壊した莫大な謎は、僕らの目の前に巨大な波として立ちはだかったのだった。

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