もしも、未来に残すなら。
「正直驚きました。ちょっと昔の本、ぐらいの気持ちだったんですが、こんなにも古い書物だったなんて」
梨沙ちゃんは話を続ける。
「これで、この古文書が書かれた期間の末尾がわかりました。では、期間の頭はいつなのか。こちらはすぐに分かりました。いつ、神間が諸外国に向けて、門戸を開いたかを調べればわかる話です。
ネットで調べてみましたが、神間の開港は1868年一月一日、とのことでした。明治二年のことです」
「となると、古文書が記述された期間は、神間が開港した年から、暦が変わった年をまたいで記述している可能性を考慮して、太陰暦が終わった年プラス一年、つまり1868年から1873年の間、の可能性が高そうだね。よく調べられたね」
「はい。最近、開港から百五十周年の節目の年だったので、色々まとめられた資料が見つけられたことも幸いでした。それらのおかげです。
あと、古文書に記述された文字列は、アルファベットとひらがながまざった文字列ですので、古文書を記載している二人の筆者のうち、ひとりは日本語のわかる外国人であることは間違いないと思います。加えて、外国の方が長きにわたって書いたのだとすると、交換日記だったとしても、頻繁にもう一人とやり取りする必要があるので、その期間に神間に居住していた外国人である可能性が高いです」
「少なくともその期間に神間に在留していた日本語のわかる、外国人、ってことだね」
「はい。実は、当時の外国人の居住に関する資料も見つかったんですが、これらの条件から、どの国の方が書かれているかももう少し絞れそうなんです。
資料にはいつ、どこの国の方が居住されたかという記載がありました。どうやら、明治三年の十一月に、イギリス、アメリカ、オーストラリア、オランダの方に最初に雑居地を貸し出していた、とのことです。加えて、明治十九年には百五十近くの雑居地に外国人の方が居住していたという記載もありました。つまり、開港して間も無くから居た外国人で、英語を話す方々という条件であれば、ここに記載された国出身の方が古文書を書いていた可能性が高いと思います。
私が調べてきた内容は以上です」
思いの外、梨沙ちゃんが調べた内容は深く、多岐にわたっていたため、僕は驚いてしまう。むしろ、僕の方が調査から得られたものが少ない。その点に関しては申し訳なく感じてしまった。
「説明ありがとう。梨沙ちゃんの話からすると、古文書の暗号を解く鍵は、古文書が書かれた期間にあるものや起こったものが関係しそうだね。問題なのは、その鍵、文字の変換表のようなものが今も残っているのか。そして、残されていたとして、どのような形態で残されているか、ということになるね」
「はい。いちばんの問題はそこですよね。暗号が残っていなければ、私たちでは解くことが簡単じゃありませんし。できることなら解きたいですが」
「もしも、暗号の鍵を未来に残すなら、梨沙ちゃんだったら、どのように残す?」
僕は投げかける。
「どのように、ですか」
「古文書の内容が他人に見せるようなほどの内容ではない可能性を一旦置いておくとして、未来の、それも数十年、百年先の人が解読し、読んでもらえるように暗号を残すとしたら、梨沙ちゃんならどうする?」
そうですね、と彼女は少し腕を組みながら視線を落とし、口を開いた。
「そもそも、そこまでして伝えたい内容だったとするなら、書物を暗号化せずに、公的文書みたいなかたちにすると思いますけどね。その方が、確実に残ります。いつの時代も、個人で管理しているものは、その個人がいなくなれば簡単に紛失してしまいそうですし」
「他人に見せたいものなら、暗号化しない、か。確かにそうだけど、それだと、不特定多数の、つまり、暗号化した書物をターゲットを絞らずにみせる、ということになるんだ。それだと、文書を暗号化し、内容を秘匿化したことと矛盾してしまうんだ」
「そう言われてみると、そうでした。軽率でしたね。ごめんなさい。でも、少なくとも、無くさない、と言う観点では、暗号化に必要な鍵を個人として持たずに、わかる人が気づける場所に置くと言うのはありえるかなって思います。昔の平均寿命を考えると、個人で暗号の鍵を持っている方がリスクですし」
「そうだね。おそらく、古文書が必要な人の手に渡っているのであれば、その古文書を知っていれば、気づける場所に鍵を残していると思う」
「そう考えると、百年たっても消えない可能性の高い場所、を選ぶことは大事なんじゃないかなって思います。例えば、そうですね。さっき言いましたが、市役所、みたいな公的な場所。人が生きている限り必要となる場所なんていうのはどうでしょう?」
「可能性はあると思う。ただ」
「ただ?」
「梨沙ちゃんもわかると思うけど、今のところ、この古文書から得られた情報からは、隠し場所が市役所、というアイディアがひらめかないんだ」
「確かにそうですね。あくまでも、鍵の保存に適切な場所はどこか、と言う観点で、今まで古文書を調べてわかったことから、市役所は連想されていませんね」
難しいなぁ、と梨沙ちゃんは頭を抱えた。
「拓郎さんはどう思われますか? 暗号を未来に残す方法について」
「そうだね。僕は、価値のあるもの、情報、だからこそ、そう人々が思いつくことが可能な場所に保存しておくんじゃないかなって思ってる」
「どういうことですか?」
「ほら、僕らは、この古文書をみて、価値がありそう、と感じたよね。だからこそ、暗号の鍵も同じように、価値があると考えている。これだけ時間が経っても価値があると感じられるものならば、同じように、時間が経っても、価値の高いものを鍵として扱う可能性はあるんじゃないかな」
「なるほど。時間が経っても、価値があり続けそうなもの、ですね」
「うん。例えば、百年前から残っている、価値の高いものって何があるかな?」
「そうですね。神間で考えると、歴史的建築物、例えば神社、寺や教会などでしょうか。あとは、重要文化財、天然記念物、例えば樹木や滝、新幹線の駅の裏手にある滝なんかもそうですね。そういうものは神間にたくさん残っています。拓郎さんは他に思いつくものはありますか?」
「あとは、目には見えない価値の高いもの、これは若干詭弁っぽいかもしれないけれど、全国的に流行した言葉や歌。そういうものもあるかもしれないね。かごめかごめ、なんてのもいまだに歌われてるわけだし。大昔から消えずに口伝されているということは、価値がある、残り続ける可能性も高いんじゃないかな。例えば、学校の校歌なんてのもかなり長い間残っている。
でも、確実性を求めるなら、目に見えないものは除外するべきかもしれないね。なぜなら、見えないからこそ、変容する可能性が高いから。民話なんてものは、時代が経つごとに様々な地域で変化したとも聞くし、時代に即さなければ語られることがなくなってしまう可能性も高い」
「そうですね。毎年の流行語なんて、だいたいが一年経つとみんな忘れちゃいますし」
「そう考えると、梨沙ちゃんが言ってくれた場所やもので考えてみるべきじゃないかな。
暗号のありか、もしくは暗号が場所やものだとすると、さらにいろいろ考慮するする観点があるね。例えば、ずっと室内にあるものか、なんていうのも結構重要なんだ。今まで神社やお寺に行った時に見たことがあると思うけど、石碑なんかは風雨に晒され続けると、表面がじわじわ雨水なんかで溶けたり侵食されて、読めなくなってしまう。あとは、頑健性。地震の多い日本では、耐震性や耐火性の低い建物であれば倒壊、全焼する可能性が高いから、その辺も考慮して残すことを考える必要があると思う。
話をまとめると、暗号の鍵を保存するのにふさわしい場所の条件は、この本から想起ができること、人類が百年後も必要とする場所であること、頑健な場所の屋内であること、これらの条件を満たしている可能性が高いんじゃないかな。そうであるなら、暗号の鍵は建築物、もしくは、芸術品、が関係しているんじゃないかなって思ってる。
僕の個人的な推測だと、手書きの文字で暗号で会話することの過酷さから、変換表が別に用意されていることは確かだと思う。加えて、その変換表はある程度、二人が共通で目にする場所にあって、仮にメモしたりしていても、そのメモをなくした際にすぐにリカバリーがきくような保存性の高い場所にあると思うんだ。そうでなければ、これだけの期間、交互に暗号でやりとりを続けるなんて、容易ではないからね。そう考えると、後世まで伝わるであろう建築物や重要文化財になり得る美術品を調べる価値はあると思うんだ。
どうかな。まずは、その期間から既に存在していた、この街の美術品か建築物について調べてみるのは」
「そうですね。いいと思います!」
「オッケー。じゃあ、手分けして本を集めよっか」
「はい!」
「ふぁあ」
積み上げられた本のタワーを半分ほど崩したところで僕らはため息をついた。本棚から書籍をかき集めてから二時間。時計は三時半を回っていた。
「どうです、何か見つかりましたか?」
タワーの隙間から彼女は顔を覗かせた。
「残念ながら。梨沙ちゃんも?」
「私も。関係しそうな記述は見つかりませんでした」
僕らは顔を見合わせる。
「…休憩しよっか」
「そうですね。行き詰まっちゃいましたし」
僕らは立ち上がる。
「歴史館の方、見にいってみませんか。もしかしたら、職員さんとか、何か知ってるかもしれませんし」
「いいね。休憩がてら、見学してみよっか」
僕らは部屋を出た。
絵画の飾られた廊下を遡り、僕らの入ってきた文化センターの正面玄関へと戻っていく。歴史館の入り口は一階にあるため、入ってくるときに登ってきた大きな石階段に向かった。
階段のある、大きな空間に出た。空間に閉じ込められた空気はすーっと冷たい。二階からは眼下に玄関口を見ることができる。
そこから視線を上に進め、二階の対岸に目をやった、その時だった。不意に視界に鮮やかな色を捉えた。
「虹…?」
僕は声を漏らした。対岸の廊下の壁面に、色の五線譜、と表現すべきだろうか。虹らしきものが描かれた絵画が目に映った。
「ほんとだ。何かありますね…」
よく目を凝らす。虹のそれぞれの色にノイズのような、くすみのような、傷のような曲線がつけられている。いや、傷ではない。あれは、もしかしたら…。急に心臓が早鐘を打つ。半信半疑の期待の高まりは、階段を下っていた僕の足を翻させ、対岸へと足を急がせた。
「ど、どうしたんですか。拓郎さん!」
戸惑った様子の梨沙ちゃんが僕を追いかけてくる。
「アレかもしれない」
「えっ、どういうことですか」
僕らは急ぎ、その巨大な絵画の前に立った。コードをちりばめた一面の虹。それは、僕らの足を止めるには十分すぎる光景だった。
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