パーティー
パーティーの買い物を終えたのち、僕は、山あいの高級住宅街にあるレヴィーの家へ向かった。
事前に、レヴィーからパーティーに関して言われたことは、次の三つだった。ひとつめ。ホームパーティーだから、服装は気にしなくてよいこと。ふたつめ。参加費がない代わり、自分で作った料理か、この街の自分が好きな食べ物を持ち込むこと。みっつめ。いつも通りの拓郎で来ること。
服装に関しては、正直悩んだ。普段、学生や、せいぜい大学関係の人としか会うことがなく、僕には、このようなパーティーの参加経験がない。そのため、どうしたものかとクローゼットの前で考えあぐねた。既に、レヴィーの立派なお屋敷を見てしまった、というバイアスにより、ホームパーティーと言われつつも、貴族の社交パーティーのようなものが開催されるのではないか、というイメージが頭をよぎっている。スーツの方が良いのではないか、いや、ホームパーティーという字面だけで判断するならば、アメリカの庭付きの家で行われているようなバーベキューパーティーのようなラフなスタイルもありえる。さて、どうしたものか。
フォーマル、カジュアル。どちらかに極振りすると、失敗したときの浮きっぷりが半端なくなってしまう。悩んでいると、不意に、サークルの、今年引退した先輩の話を思い出した。就活の話を聞いていると、服装の話になった。最近の就活では、昔から話題になっている、服装自由というオーダーは、割と嘘ではなくなってきている、というものだった。というのも、時代の流れにより、均一性を求められる傾向よりも、個性を社会が求めるようになってきた結果、ビジネスカジュアルスタイルでの面接スタイルが最近では広く一般でも認められるようになったため、とのことだった。また、崩しすぎず、遊びすぎない感じのほうが、適度に緊張もほぐれて面接もうまくいった、という話もしてくれた。今回も、そのケースが当てはまるのではないだろうか。僕はクローゼットから、ハンガーを取る。ビジネスカジュアルっぽい装いにすることにした。これなら、みっつめの、いつも通りの自分っぽさもある程度出るし、レヴィーの条件は満たせるだろう。
そして、持ち込む食べ物。単純に、会費制でないことはありがたかった。単純に、一体いくら包めばいいんだろう、という恐ろしさもさながら、一介のしがない、貧乏学生であるという現実を思い知らされてしまうからだ。加えて、勝手な予想だが、金持ちほど、お金の管理が大変だという認識だ。経費だろうと何だろうと、お金の授受はなるべく避けたい、という理由もあるのではないだろうか。
出せるような料理を作ることができないため、僕の選択は購入一択だった。今日の午前の時間帯。近場で買いに行けそうな食べ物で、僕が心からお勧めできる食べ物は何だろう。僕は思案した。そして、その時、天から降りてきたアイディアが、この携えた紙袋というわけだ。
立派な邸宅の門戸に到着する。扉は開いていた。邸宅へと視線を移動させる。僕は改めて、邸宅の気品と壮観に圧倒される。 正面の小高い丘の上に建築された焼煉瓦造りのイタリア式洋館。丘の斜面の洋風庭園。丘に向かって伸びる左右の手入れされた花壇。どれを取っても一級品だ。
偶然だっただろうが、数日前まで縁のなかった人間が、街を知りたい、という小さな行動へとうつした結果、こんな素敵な邸宅のパーティーに招待してもらえるなんて。まるでバタフライエフェクトだ。そんな、不思議な気持ちを抱きながら、道の真ん中をずかずか歩かないように意識しつつ、建物へと向かった。
玄関先に到着すると、奥の方から、ざわざわとした談笑の声が響いてきた。既に、まあまあの人数が居そうな雰囲気だ。どんな人たちがいるんだろう。期待と不安に胸が踊る。
「こんにちは」
「あら、拓郎さん。ようこそ、いらっしゃいました」
挨拶をすると、ハンナさんが出迎えてくれた。昨日同様、黒ワンピースにロングの白エプロン姿。受付に立っているようだった。
「こんにちは、ハンナさん。今日はよろしくお願いします。これ、買ってきたものです。お渡しして大丈夫でしょうか」
僕はハンナさんに紙袋を差し出す。
「はい。大丈夫です。テーブルにのせておきます」
「もうたくさんいらっしゃってるんですか?」
「ええ。主役はまだご到着されていませんが、勝手に始まるのがいつものパターンなんです」
「そうなんですね。会場はどちらですか」
「奥の大広間です。声のする方に向かってください」
「ありがとうございます」
僕は、響いてくる談笑に向かって歩いていく。
大きな窓が印象的な部屋だった。陽光が注ぎ込み、きらきらと部屋を照らしている。天井には、シャンデリアだろうか、真鍮で装飾された小さな電球と、大きな球状の照明が編み込まれていた。部屋の端のテーブルには、食べ物、飲み物類が並べられおり、立食形式になっていた。部屋には、白のテーブルクロスが敷かれたテーブルが島のように並べられており、テーブルを囲んで談笑する人々、飲み物片手に談笑する人々。合計で、四から五個ぐらいの塊ができていた。
驚いたのが人々の多様性だ。服装も人種も様々。外国の方が大半だけかと思いきや、日本人もそれなりに居り、この街らしさと呼ぶべきか、国際色豊かな空間が広がっている。
すでにいわゆるゼロ次会は始まっているらしく、時折、ハンナさんや他の給仕担当がウェルカムドリンクを振舞っていた。自分は、初めての参加で、それも飛び込み参加。知っている人がいるはずもなく、知らない人ばかりの輪に入っていくほどのコミュニケーション能力を持ち合わせていない。
入り口近くでどうしたものかと辺りを見渡してみる。すると、輪の中に知っている人を発見した。ロベルトさんだ。ジャケット姿に身を包むロベルトさんと目があうと、こちらの方に歩いてきた。
「やぁ、拓郎くん。来たんだね」
「はい。お邪魔してます」
自分がおどおどしている様子が伝わってきたのだろう、ああなるほど、とロベルトさんはつぶやき、
「こういうのは初めてかい?」
少し気を使ってくれた。
「はい。そうなんです」
「それは、緊張するのも仕方ない」
「ロベルトさんはレヴィーと一緒じゃないんですか」
そういえば、まだレヴィーと遭遇していない。まだ準備をしているのだろうか。
「ああ、あの子なら向こう。こういうときは、しっかりセンブルグ家の顔をやってるよ。裏ではめんどくさいなんて言ってるが、こういうところはしっかりしてる。人との付き合いの重要性は心得ているようだよ」
ロベルトさんの指差す先には、着飾った彼女が、大人たちの輪の中で談笑していた。
「ドリンクでも取りに行こうか」
「そうですね」
話しながら、僕らは食べ物のあるブースへと歩いていく。
テーブルには、さまざまな品が並べられていた。ミートパイ。クリームチーズのクラッカー。サーモンマリネ。白身魚。バゲットにクロワッサン。それに、サラミやチーズ。パーティーでよく見かける、一口サイズの定番料理から、みるからに中華っぽい揚げ物に、ボルシチのようなスープ料理まで。和洋中、様々な料理が並んでいた。加えて、昨日いただいたビーフシチューももちろん並んでいる。ドリンクも含め、改めて、普段の学生飲みとの違いを思い知らされた。唐揚げや揚げ物、巨大なビールのピッチャー、シーザーサラダ。鍋。ジャンクで脂っこくて、大味でな日々の食事とは違って、どの料理にも形の繊細さや彩り、調和といった美意識を感じる。
「拓郎くんは何を持ってきたんだい? お姫様からオーダーがあっただろう」
「はい。僕のはあれみたいですね」
僕が指差す。早速、ハンナさんがテーブルに並べてくれたようで、それは綺麗に盛り付けられていた。ちゃんと隣にタイマー式のオーブンも備え付けてくれたようだ。
「みたことないな。肉まんかい?」
その見た目は、大福のように白く丸みをおびつつも、肉まんのようなもっちりとした表面の艶が出ている。
「近くにある和菓子屋さんのビザまんなんです」
そう。僕が持ってきたのは、近所の和菓子屋が出しているピザまんだ。
「へぇ、和菓子屋のピザまんか。初めて聞いたな」
「皇子公園の方に住んでるんですが、週末だけ出してる珍しいものなんです。和菓子屋が、ピザまん、というのも珍しいんですが、味は本物です。一部の熱狂的ファンの支持で、昼過ぎにはなくなってしまうんですが、今日は朝一で行ってきたので買うことができました。オーブンで温めると、とろっと溶けて美味しいですよ」
最近歩くようになって改めて気づいたが、この街には隠れた名店、と呼ばれる店が本当にたくさんある。ガイドブックで名の知れた美味しいお店もたくさんあるが、本当に美味しいお店ほど、地元の人々のみに知られていることがよくある。
今回のお店も、友人から教えてもらったお店で、普段の通学経路と反対方向に数百メートル歩いたところにあったが、つい最近まで知らなかった。それもそう。ウェブ掲載されておらず、お店のホームページもない。あるのは、地元の人々からの熱い支持。それは、よそ者だった僕が知ることができないのも納得だ。初めて頬張ったその時から、僕の胃袋を掴んで離さない。
「では、一ついただこうかな」
「ぜひ、温めて食べてみてください」
ロベルトさんはトングで一つ掴むと、オーブンに放り込んだ。
「それはそうと、パーティーは楽しめてるかな、と言いたいところだが、まだ誰ともコミュニケーションは取っていないようだね」
「ええ。知ってる方が居ないものですから」
僕は苦笑いを浮かべる。
「せっかくだ。みんなに紹介してあげるよ」
「ほんとですか。助かります」
ロベルトさんには感謝しかない。
「何かと、顔見知りになっておくといいこともあるだろうしな…さてさて、できたかな」
オーブンからビザまんを取り出すと皿に載せた。大福をほおばるように、人差し指と親指で両脇からホールドすると、パクリとピザまんにかじりつく。大福のように、上下からもちっと潰れ、中身のピザあんのチーズがびろーんと伸びた。
「ん!」
大きく目が開かれ、口元に手を添えた。もぐもぐと残りを口に放り込み、味わうように目を閉じた。
「こりゃうまいな! 塩味と酸味、それにバジルの鼻を抜ける香り。すばらしい」
ロベルトさんは親指を立てる。
「今度、ぜひ連れてってくれ。ファンになってしまった」
「ええ、ぜひ」
「じゃあ、俺らで談笑していても仕方がないし、顔、出しに行こうか」
たくさんの人に自分を紹介してもらう、という経験は初めてだった。貿易商、宝石業、観光課の方、地域のお店の人、レヴィーたちのように、邸宅を一般向けに解放している方、駐日の職員をされている方。本当に様々だった。特徴的だったのが、彼らは友人として互いに接しあっていた。言うなれば、街の一員。昨今、都心部では人と人とのつながりが希薄な中で、皆が皆、手を取って生きているんだなぁという雰囲気を感じ取った。
ロベルトさんは、僕という人間を、丁寧に、かつ簡素に、説明してくれた。僕が神大生であること。最近レヴィーの家庭教師を始めたこと。そして、この街をちゃんと知ろうとしている姿勢、行動。反応は上々で、それならここも行ったほうがいい、ここは食べに行ったか、このイベントは知っているかい、などと一度に覚えきないほどたくさんのことを教えてくださった。
「どうだった?」
「すごい方ばかりでした」
年齢が三倍近く離れていたり、素晴らしい肩書きの方も多く、緊張もあってか、うまくコミュニケーションが取れていたのかが不安だった。一方、ロベルトさんは相当喋り慣れているらしく、それぞれの方々に合わせたコミュニケーションのスタイルを確立していた。冗談を言い合ったり、人を立てたり。とても信頼されていることが伝わってきた。
「そんなに緊張することはないさ。彼らもこの街の住人であることには変わりない」
ロベルトさんの言葉にハッとする。これまで交わることがなかったとしても、彼らも僕と同じ地、神間に住む人たちなのだ。
「そうですね。皆さん同じ、街に住む人々、なんですよね」
「もしかしたら、どこかであってるかもしれないし、間接的に力を貸してたり、借りてたりするかもしれない」
「貸してることはないかもしれませんが…」
「そうだ。ひとつ有益な情報…アドバイスだな。しておこう。お姫様の家庭教師をやっていると紹介しただろう」
「はい」
「その時の反応、覚えてるか?」
それぞれの方に挨拶をする際に、ロベルトさんは、僕がレヴィーの家庭教師をしていると紹介してくれている。
「はい。大体が、僕のことを褒めてくれるか、大変だね、とかガッツがあるね、といった感じでしたね」
「ああ。今拓郎くんが言ったように、人によって反応が二分されていただろう。君の優秀さか、君への気苦労への労い」
「それがどうかしたんですか?」
「君への反応を通じて、お嬢様がその人に対して、”お嬢様”としての側面しか見せていないか、粗暴な振る舞いを見せているかがわかる。君が苦労するだろうことを知っていて労っているのは、レヴィーと俺との関係性を知っているからってことだ」
「ああ、なるほど」
「つまり、前者は、センブルグ家のご子息として振舞っている方、後者は、素の彼女で居られる親しい方ってことですね」
「そうだ」
なるほど。それは面白い。他者を通じて他者と他者の関係性を慮ることができるというのは、初めての経験だ。
「つまり何が言いたいかというと、レヴィーが誰に対して、素の自分を見せているのか、一族の代表として接しているのかを頭に入れておくと、今後のコミュニケーションに役立つかもってしれないことだな」
その理論でいうと、一番素を見せているのは…。口から出そうになったが、我慢をする。
「なるほど。アドバイス、ありがとうございます」
「君もきっと、彼女の特別な存在になるだろう。いや、もうなっているはずだ。しっかりとみてあげてほしい」
ロベルトさんは微笑む。子を見守る親のような無垢な笑顔だった。
僕はレヴィーと教会に行ったときの光景、そしてセリフを脳裏に思い出していた。
『わたし、拓郎のこと、好きよ』
少女であり、幼くも一族を既に背負っている彼女。そう言ってくれた彼女に対して、ただの家庭教師ではなく、友人、そして仲間として。ロベルトさんのように、彼女を見守る必要が僕にもあるのだ。
「ええ。もちろんです」
「たのむよ」
そう言って、僕らは盃を交わした。
そんな話をしていると、入り口のほうが騒がしくなった。
「おっと、主役がお出ましのようだな」
ロベルトさんがグラスを片手に振り返った。みると、レヴィーのお父さん、ジョンさんとそのご一行が広間へと入ってきた。
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