心満たされる夕食を、三人で。
戻る頃には陽は落ち、寒さが肌を刺す気温になっていた。チャイムを鳴らすと、先ほどよりも上着を一枚多く羽織ったレヴィーが出てきた。
「おかえり、拓郎」
慌てて出てきたのだろう、ファー付きのダウンのチャックが開かれたままだった。
「ただいま。花、中まで持っていくよ」
僕は花の入った両腕の紙袋を彼女に向け、ちょっと掲げる。
「うん。わかった」
彼女はそう言い、紙袋を持った僕が通れるほどに門扉を広げてくれた。僕が通り終えると、再び扉を閉めて、少しだけ前を歩き、僕を先導する。
「取ってきてくれてありがとう」
僕を横目に、白い息を上げる。
「大したことないよ。それにしても、僕におつかいっていうのが意外だった」
彼女の家にはメイドのハンナさんや、彼女の介抱役であるロベルトさんもいる。なんなら、配達だって可能だったはずだ。なのに、僕をお使いに送り込むということは、そんなことすら忘れるほど慌てていたんだろう。
「明日の準備で忙しくて。それで、お花の予約のこと、すっかり忘れてて。思い出した時に、パッと浮かんだのが拓郎だったの」
彼女の声に耳を傾けながら、気づいたことがある。彼女から美味しそうな匂いが香ってくるのだ。冬の乾いた空気もあってか、嗅覚の感度を上げているのだろう。彼女の歩みに合わせ、香りがふわふわと上下してやってくる。
「なんか、いい匂いがするね。料理してたの?」
初めて会った際、僕はアップルパイを食べさせてもらっている。そのこともあり、彼女が料理できることは知っていた。彼女はダウンをめくり、着込んでいる服の匂いを嗅いでこちらに顔を向ける。
「匂いする?」
「うん。なんか、美味しそうな匂い」
僕は微笑みながら声を掛ける。
「匂い、付いちゃったみたいね。ハンナと明日の仕込みをしてたの」
「ハンナさんと料理してたんだ。仕込みって言うぐらいだから、結構準備の大変な料理?」
「ううん。どちらかというと数と量ね。明日、引っ越してくる友達のパーティを開くのよ!」
「へぇ、パーティー開くんだ。それは確かに大忙しだね」
「立食なんだけどね。で、今日は煮込み料理とか、時間のかかる料理ってわけ。あ、そうだ。せっかくおつかいしてきてくれたんだし、晩御飯、食べていかない? ちょうど出来立てよ!」
「パーティーに出すのに、いいの?」
一人暮らしにとって、晩御飯にありつけると言うのは、とてもありがたいことだ。料理に疎い僕が、自宅で作れるものといえば、炒めただけの肉野菜に、ベタッとしすぎたチャーハン。正直、誘いに乗らない理由の方が多いのだ。そのうえ、真冬の休暇期間に一人で食べる晩御飯ほど寂しいものはない。
「いい! さぁ、入って」
彼女は二つ返事で僕を屋敷に招き入れてくれた。
「拓郎、戻ってきた!」
玄関扉一枚を抜けただけなのに、優しい温かさが僕を包んでいく。エプロン姿のハンナさんが入り口で待ちわびていた。
「こんばんわ、拓郎さん。お手数をおかけしました」
「いえいえ。大したことはありませんよ」
手のひらを横に振りたい衝動にかられるも、両腕の紙袋が制止した。
「そちら、お預かりしますね。重かったでしょう」
僕は、ゆっくりとハンナさんに花の入った紙袋を渡した。
「いいえ。このくらいなんてことは。今日はお二人だけなんですか?」
僕は尋ねる。
「ええ。お父様、お母様ともに出張されておりまして。ロベルトさんも仕事のようで。ですので、私がお嬢様に付いて、明日の準備をしておりました」
「ロベルト、いつも必要な時にいないのよ。先に拓郎が思い浮かんでよかったわ」
彼女は腕を組んでむすっとする。ロベルトさんも相変わらず大変な役回りを担っているんだなと僕は心で苦笑いを浮かべる。
「それで人手が足りなかったわけですね」
「ええ。お嬢様は料理ができますが、まだ小学生ですからね。火を扱う際には、必ず大人が付くことになっておりまして」
確かに、子供一人の料理ほど怖いものはない。熱湯による火傷や、調理器具で怪我をする可能性は否定できない。
「そろそろ一人でもいいと思ってるんだけどね。パパとママがダメ、ってうるさいの」
レヴィーが口を挟む。
「でも、ハンナと料理をするのは好きだから、一緒なのはいいの」
そう言って、彼女はハンナさんの腕に抱きつきにいく。
「あらあら、嬉しいですね。では、夕食にしましょうか。二人とも、手を洗ってきていただけますか」
僕はレヴィーと並んで手を洗ったのち、テーブルクロスの引かれた長テーブルへと案内された。
「何か、手伝うことはありますか?」
せかせかと準備を進めるハンナさんに声がけする。が、杞憂だったようで、彼女はわざわざ手を止めて、僕が座るように黒色の木製椅子を引いた。
「何をおっしゃりますか! お使いを頼んでいるのに、これ以上お手伝いまでしてもらうなんて失礼に当たりますよ。どうぞ、こちらにおかけになっていてください」
「わ、わかりました」
「お嬢様もお座りになって」
「はーい」
レヴィーも僕の向かい側の椅子にぴょこんと腰掛けた。テーブルのそれぞれの座席にはランチョンマットが敷かれ、左にはフォーク。右にスプーンとナイフが整列していた。中央には、白を基調とした大皿がきらりと輝いており、白化粧した木々が並ぶ雪原にトナカイが闊歩している可愛らしいデザインがなされている。左右には、大皿をはさむように小皿が並べられており、小学生の頃、理科の教科書で見た、水の分子のイラストを思い出した。
ハンナさんがカゴを持ってパンを小皿に乗せて回る。
「ワインにコーヒー。紅茶、ミルクティー、オレンジジュース。あとは、お水。拓郎さんは何を飲まれますか?」
トングを持った手のひらを指折り、僕に微笑みかける。
「お水にします。お料理の味を楽しみたいので」
せっかく料理を食べさせてもらえるわけだ。僕は、料理の味を邪魔しない水にしようと思った。
「わかりました。お持ちしますね」
台車に鍋を乗せてやってきたハンナさんが目の前の大皿を手にとって、盛り付けをする。
「おまたせしました」
大皿に盛り付けられたのは、ビーフシチュー。飴色に輝いたデミグラスソースをまとった、ごろっとした牛肉が盛り付けられ、その周辺を、人参やじゃがいも、ブロッコリーといった鮮やかな色味が彩りを加える。牛肉から流れ落ちる、生クリームの滝が料理全体のアクセントになっている。
「煮込んだばかりなので、まだ味が染みきってないですけど、美味しいですよ」
ハンナさんが席に座り、合図をする。
「それではいただきましょう」
「いただきます」
僕は手を合わせる。
まずはスプーンで、とろけた飴色のスープを一口すくい取る。舌上を流れるドミグラスソースの旨味がじんわりと広がっていく。旨味の中に存在する赤ワインのコクは味に深みを与え、バターの塩味と脂味が味を緩やかにまとめ上げる。次に、本命の牛肉。ほどよい一口サイズの牛肉にはきちんと焼き色が付いており、よくソースと絡められている。口に入れて、肉を噛みほぐしていく。赤身肉の、濃縮された旨味が噛めば噛むほどに溢れ、交わるソースがその旨味を加速させていく。食べるのが楽しい。しっかりと味わって飲み込んで一口水を飲む。いろんな語彙が溢れてくるが、まずはストレートな感想を伝えた。
「…おいしいです。とっても」
自然と表情がほころんでくる。
「だろう!」
ハンナさんのほうを見やる。彼女は肉がもう一回り小さくなるように器用に切り、ゆっくりと頬張った。瞬間、頬を緩め、幸福を表情で伝える。
「うん。よくできてます。お嬢様、またお料理が上手になりましたね」
「ほんと!?」
「味がしみたら、明日はもっと美味しくなってますよ」
「たのしみ!」
嬉しそうに掛け合う二人に、彼女たちが料理する姿が思い浮かびあがってくる。
「そういえば、レヴィーから聞いたんですけど、明日はパーティーなんですよね」
「ええ。お嬢様のお父様の、古くからのお友達、と伺っております。昔、日本にお住みになっていたとのことで、当時のお写真も拝見させていただきました。今回、またしばらく日本を拠点にされるとのことです。
お子様がいらっしゃって、何度かお嬢様ともお会いしています」
「アルト、って言うの」
「お嬢様と同い歳なんです。去年も一度、日本にいらっしゃっていて、その時も夕食を共にされました」
「へぇ、レヴィーと同級生なんだ」
「私のほうが、少しお姉さんよ」
彼女は少し嬉しそうに、少し自慢げに主張する。
「国も学校も違ってたけどね。手紙でもやりとりしてたの。で、今度、私の学校に転入するんだって。いろいろ教えてあげなきゃ」
「仲がいいんだ」
「ええ。でも、アルトくんといるときのお嬢様はいつも緊張されてるんですけどね」
ハンナさんは少しニコッとし、いじわるげに一言付け加えた。
「やめてよ、ハンナ。まるで私が照れてるみたいじゃない!」
そういって、両手を大きく振るレヴィーが可愛らしくみえた。
「ね、ねぇ。拓郎」
早く話をそらしたいらしいレヴィーは僕に声をかける。
「明日も空いてない? 拓郎のこと、アルトに紹介しようと思うんだけど。絶対仲良くなれるわ」
「明日は、えーっと」
僕は予定を思い返す。彼女と出会う前に決めていた元々の予定は、街の西エリアをぶらぶら歩き回ろう、というざっくりとしたものだった。まだまだ長い休みで十分に振り返られるので、彼女の誘いに乗ることにした。
「用事?」
「いや、別の日でも大丈夫なことだった。お邪魔にならなければ」
僕はハンナさんをちらりと見る。出会って間もないが、レヴィーは突発的なやりたいと思ったことを提案をするタイプだろうということがわかってきている。多分、この提案も周りに確認を取っていないだろうことが容易に想像がついたので、迷惑なのではという表情でハンナさんに尋ねた。
「パーティーは多い方が楽しいですからね。大丈夫です。一人二人が増えても私がなんとかいたしますよ!」
そのまばゆい笑顔とは対照的に、彼女の返事は心強いものだった。そして、彼女自身もパーティーを楽しみにしている、その気持ちが伝わってきたのだった。
「やった! 明日、来るの楽しみにしてるわね、拓郎!」
温かな食事を囲みながら、心も満たされていく夕食をとったのはいつぶりだろう。僕は高まる心を胸に、楽しいひとときを心ゆくまで楽しんだのだった。
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