アースナルドの古文書

 花屋flow(フロー)の店内は、植物のみずみずしい匂いとほのかな花の香りで満ちていた。色鮮やかな花が壁一面に並べられ、賑わいをみせている。部屋の壁面は赤煉瓦のタイル。淡い肌色の照明が落ち着いた雰囲気を演出する。カウンター奥にはビニール包装の花束が並べられ、壁掛けの黒板には日付と花の名前、本数が書かれていた。

 僕はこれまで、花屋のお世話になったことがなかった。そのこともあって、目に映るものすべてが新鮮で、僕の表情は自然とほころんでいた。以前の印象は、妖花の生い茂った森の箱庭、という印象だったが、花だけでなく、インテリアもオシャレだということあり、いい意味でイメージを壊された。

「ただいまー」

梨沙ちゃんは奥に座る老齢の女性に声を掛けた。物腰のやわらかそうな、素敵なおばあさん。そんな印象を受ける。彼女の手元には、古書だろうか、表紙のぼけた本が開かれており、それに目をやりながらメモを取っているようだった。梨沙ちゃんの声に、おばあさんは額をあげる。直線上にいた僕と目があった。

「あら、おかえり。そちらの方は?」

「帰り道で知り合ったの。お花を買いに受け取りに来たんですって」

「あらあら、そうですか。それはそれはありがとうございます」

そう言いながら、おばあさんはメガネをかけ直す。何かを確認するように、おばあさんは今一度、僕を見回した。

「おや、どこかで会ったことはありませんでしたか?」

訝しげに、というよりは、どこかで一度知り合っている、そんな良い方の印象を持ったニュアンスでおばあさんは言った。

「僕、ですか」

僕はというと、全くと言っていいほどおばあさんに覚えがなかった。何しろ、この街に来て一年すら経っておらず、学内で出会った人間以外と喋る機会なんて滅多にないわけだから、おばあさんと会ったことがあるならば、記憶にないわけがないのだ。

「いいえ。初めてじゃないかと思います。この辺りは学生も多いですからね。多分、他の学生と見間違えたんじゃないでしょうか」

今一度僕を見ると、

「そのようね。ごめんなさいね」

申し訳なさそうにおばあさんは言った。

「いえいえ、とんでもないです」

そんな会話をしていると、奥の方の扉が開いた。

「いらっしゃいませ」

奥からもう一人の女性が出てきた。

「あら、梨沙。おかえり。お客さん?」

「ただいま、お母さん。お花、受け取りに来たんだって」

「受け取りね。どなただったかしら」

お母さんはその言葉に、カウンター裏のクリアファイルを漁り始めた。

「センブルグさんのところのお花を受け取りに来ました。お話が言っているかと思いますが、代役です」

僕はその背中に向かって伝えた。

「ああ。センブルグさんのところの。ってことは霜月さんね。ちょっと待っててね」

お母さんは伝票を手にし、奥の方へ入って行った。

「準備に少し時間もかかりますし、お茶でもどうですか? せっかく同じキーホルダーを持った人に会ったんです。お話も聞いてみたいし」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「そこ、座って大丈夫なんで使ってください。お茶入れてきますね」

「ありがとう」

梨沙ちゃんに促され、客用のソファーに座った。彼女はお盆の上に、ティーポッドとティーカップを三つ載せて戻ってきた。ティーカップはシンプルな白一色。ポッドは透明タイプで、ほんのり赤みがかった成分がポッドの中で上昇気流のように滞留していた。彼女はテーブルにカップを並べると、軽くポットを揺すった。

「お茶、入れますね」

ポッドの雪口から手先、そして手首へと視線が流れ、茶を注ぐ彼女の腕が目に映った。華奢なのにもかかわらず、ソーサーを持つその二の腕が、彼女に不釣り合いなほど筋肉質だった。

「梨沙ちゃんって剣道とかやってるの?」

「よくわかりましたね! そうですよ」

「帰り道に背中にかけていたの、なんだろうってずっと考えてて。剣道かなと思って」

さすがに、腕のすじばったところから、なんて告げようものなら変に受け取られると思い、気をつけて返答する。

「なるほど。その通りです」

「すごい偏見かもしれないけど、家がお花屋さんってことは、花道もやってたりするの?」

そう尋ねると、彼女は笑みを浮かべて首を振った。

「いえ、私は。実は、花屋に関しても、年が離れた兄がつぎたいとのことで、私より兄の方が詳しかったりします。あ。もちろん手伝いはしてますよ!」

そう言いながら、ゆっくりと注がれた紅茶の上には、最後にゆらりと花が浮かべられた。

「へぇ、お茶に花を浮かべるんだ」

「うちではいつもこうやってお出ししているんです」

「初めて飲みました。いい香りだね」

「いいでしょ。おばあちゃんが教えてくれたんです」

そう言うと、梨沙ちゃんはおばあさんの方に視線を向ける。おばあさんは相変わらずデスクに向かい、テーブル照明の下で何かを書き取っていた。

「おばあさんは何をされてるの?」

「何かの書き取りみたいですね。普段、下の骨董屋にいるんですけど、値札とか、記録とかは明るいところでやりたいらしくて。値付けをしてるんじゃないですかね」

「へぇ、おばあちゃんは下の方の骨董屋さんなんだ。じゃあ、今は他のひとが店番を?」

「こんな時間なら、誰もこやしないからね。空けてるよ」

とおばあさんはこちらを向くことなく言った。聞こえていたようだ。

「そうなんですか」

「それに、用件がある人はブザーを押すようにしてもらってる。そういう人たちは盗みをしないからね」

なるほど、信用の下になりたつ店、ということか。なんだか、ジョンさんみたいだなと思った。

「さっきから何か書き写されていますが、何をされているんですか?」

僕は尋ねる。

「これかい。ちょうどいいタイミングだ。ちょっとこっちに来てみてくれないかね」

立ち上がり、おばあさんのデスクに近寄る。テーブルの上に広げられていたのは、古びた一冊の本だった。

「なんですか、これは?」

「アースナルドの古文書、と私は読んでいる。表紙にそう書いてあるからね」

そう言っておばあさんは指差した。古文書のサイズはよく見るノートとだいたい同じ。少し古ぼけてはいるが装丁はしっかりしており、表紙には刺繍で何かの草花がデザインされている。それらが表紙のプレートを支えるようにまとわりついており、プレートには、古い刻印文字だろう、アルファベッドでアースナルドと彫り込まれていた。

「何が書かれているんですか?」

興味本位で僕は質問する。しかし、その言葉に反し、

「それが、全くわからなくてね」

おばあさんは困惑した様子で本を開いた。ページをめくると、文字が書かれている様子で、適当なページを開いて僕らに見せた。

 ページを見つめる。パッと見たところ、日本語とアルファベッドの手書き文字が並んでいた。しかし、見たことのある単語は並んでいない。加えて、日本語単位、英語単位で並んでいるのではなく、ひらがなとアルファベッドが不規則に連なっていた。

「最近は合間合間にこれを眺めて調べているんだけどね。規則性のようなものをまだ見いだせていないんだよ」

「暗号、ですかね」

「多分、そうじゃないかね」

「現時点で他にわかっていることはあるんですか?」

「見たらわかる通り、筆記体でない手書きなんだよ。日本語の文字も、英語も。あとは、見開きの左右のページを見たらわかってもらえるだろうけど、左と右で、書いている人物が違う。この二つぐらいだね」

確かに、どちらのページの文字も懇切丁寧に書かれているようだが、左右の文字で特徴が異なっていた。

「さっと見た感じ、僕にも見覚えのない並びですね。ひらがなとアルファベッドを使って書く言葉も見たことないですし」

隣のページもめくらせてもらう。僕の目で見て考えられることは、とにかく読みやすいように綺麗に書こうと心がけている、ということぐらいだった。この場だけじゃ、調べるのは難しそうだ。

「そうだ。霜月くん、だったね。あなた、見たところ大学生のようだけど、神大かい?」

「はい」

「それならちょうどいい。この謎、解いてみないかい?」

おばあさんは少し嬉しそうに僕に言った。

「え、私もやりたい! 面白そう」

その言葉に合わせ、梨沙ちゃんも言った。

「梨沙もかい。ちょうどいいね。二人で解いてみたらいい」

「わかりました。僕もこういうの好きなので、調べてみます。ついでに、その本の写真も撮らせてもらっていいですか」

「ああ。もちろん」

表紙や裏表紙、特徴的な箇所の写真を何枚か撮らせてもらった。加えて、筆記体で読みにくい部分をおばあさんが書き写したプリントのコピーをもらう。そうこうしていると、両手いっぱいの花束を携えて、お母さんが戻ってきた。

「準備できましたよ。運べる?」

そう言って、お母さんから花の入った袋を受け取った。袋も大きく、それなりの重さがあったので、確かにレヴィーでは持ち運びが難しい量だということがわかった。

「ギリギリ大丈夫そうです」

花束を覗く。名も知らない紫の花からは、とても癒される香りがした。

「じゃあ、気をつけて。梨沙。外まで送ってあげて」

「はーい」

と、僕らは階段を下り、外に出た。

「見送りありがとう」

「いえいえ。…そうだ。一緒に調べることになったんだし、連絡先交換しておきません?」

「そうだね。何かわかったら連絡するよ。手が、空いてないから登録してもらっていいかな」

僕はスマートフォンを梨沙ちゃんに渡した。

「パスワードは?」

「特に設定してないよ」

そういうと彼女は笑い、

「私より不用心じゃないですか。知らない人に拾われたらひとたまりもないじゃないですか。今時、リアルよりも、ネットの方が危ないことの方がいっぱいなんですから」

と僕に注意を促した。

「そう言われると何も言えないね」

「はい。メッセージアプリに登録しておきました!」

さすが女子高生。ものの数秒で連絡先を登録し、僕にスマートフォンを返した。

「ありがとう」

「では、また! お気をつけて」

梨沙ちゃんに見送られ、僕はセンブルグ邸へと踵を返した。

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