つなげることのは

風見鶏と少女

 翌日。目覚めた僕は、薄ら眼で手元のスマートフォンに眼を向ける。表記は土曜。毎日の講義がなくなってしまったこともあって、冬季休業に入ってからというもの、曜日感覚と生活習慣が完全に狂ってしまった。

 適当に朝昼兼用のブランチを食べ、気づくとネットの海に飛び込んでいた。あれよあれよというまに、太陽と時計の短針は沈み始め、時刻は午後三時を回ろうとしている。

 突然、手元のスマートフォンが鳴動した。画面には、登録したばかりの「レヴィー・センブルグ」の名前。僕は着信を取る。

「もしもし」

『も、もしもし、拓郎か?』

電話越しの少女の声は浮ついており、何やら嬉しげな様子だ。

「ああ。こんにちは、レヴィー。どうしたの?」

『今日は暇かしら?』

「暇だよ。どうしたの?」

『よかった。ちょっと、おつかいを頼みたかったの』

「おつかい?」

『うん。今からうちに来れない?』

「大丈夫。三十分後ぐらいだけどいい?」

『わかった。じゃあ、まってるわね』

がちゃり。一方的に電話を切られた。何やら慌てている様子だった。考えられるに、何か大きなイベントがあり、準備で人手が足りないといったところか。それなら、早めに行ってあげたほうがいいだろう。僕は電話を切った流れで支度を始め、最低限の貴重品を持ち、原付でレヴィーの家へと向かった。

 チャイムを押すと、エプロン姿のレヴィーが門から顔を出した。

「来てくれてありがとう、拓郎!」

「どういたしまして。それで、おつかいって?」

「実は、明日歓迎パーティーを開くことになったの。それで、人手が足りないの! じゃ、これ。お願いね」

質問する間もなく、彼女は僕に一枚の紙切れを握らせると、すぐさま家に戻ってしまった。

「忙しいんだな…」

門扉の向こうへと消えゆく彼女の背中を目で追いながら、僕はつぶやいた。

 渡された四つ折りのメモを開き、内容を確認する。

「花を受け取ってきて。花屋の名前はflow。センブルグで予約してるから。拓郎に代わりに受け取ってもらうことは伝えてあるから大丈夫。場所はココ」

そう書かれたメモの下部には大雑把な地図が描かれていた。多分、あの大通りだ。念のため、スマートフォンの地図アプリで場所を確認する。どうやら、思っていた通りの場所だ。花の数によっては、原付では花を持ちきれないだろうし、花屋の場所も遠くない。僕は歩いて花屋に向かうことにした。


 しばらく道なりに進んでいくと、信号に差し掛かった。淡く赤らんでいく空に、区画整備された美しい街並み。彫刻が施された街灯が点り始める様子は、どこを切り取っても洒落ている。交差点を流れていくサーチライトよそに、赤信号が変わるのを待っていると、後ろから声がかった。

「あの」

振り返ると、背中に長細い布筒を携え、肩に学生バッグを担いだ女子高生が立っていた。その制服姿と校章バッジには見覚えがあり、近くにある女子校の生徒であることがわかった。

「はい?」

僕は戸惑いながら彼女を見る。なぜ、ただ歩いているだけの自分が、女子高生に引き止められたのか、僕には何の思いあたりもなかったからだ。

「あの、それってもしかして、”風見鶏"ですか!?」

彼女は僕の脇腹あたりを指差し、少し目を輝かせながら言った。

「えっ?」

「見たことあるなと思って、これです、コレ!」

彼女は自分のバッグを裏返し、キーホルダーを見せた。

「ああ、これか」

自分のバッグに取り付けられた風見鶏を確認する。先日、ロベルトさんへのチョコレートを買いにレヴィーに付き添った際、購入したチョコのエッグの中から出てきたものだ。デザインも良く、作りも悪くなかったため、あの日、自分のバッグに取り付けていた。

「持ってる人、珍しくて。つい、声かけちゃいました…」

我にかえった彼女は、少し恥ずかしそうに言った。確かに、出現するおもちゃの中では、シークレットらしいことがわかっていたけれど、そこまで珍しいものだったのか。

「確かに、他の人が持ってるのを僕も初めて見たよ」

「確か、10個限定って噂で聞いたような気がしたので、つい…」

「えっ、そんなに少ないんだ」

僕は驚き、思わず声を漏らした。確かに、あんなにたくさんあって、しかもあの場所だけで販売されていないことを考えると、たしかに相当レアだ。そうなると、同志的みたいなもので、声をかけたくなるのもわからなくはない。

「そうなんですよ。すごい偶然だなーって。少し興奮しすぎてしまいました…」

そういう彼女は、顔を赤らめながら、照れ笑いを浮かべる。

おなじみの鳥の鳴き声が鳴り響く。信号が青に変わったようだ。僕らは並んで横断歩道を渡り、通りを下っていく。

「同じ方向なんですね。どちらに行くんですか?」

彼女も向かう先は同じらしく、僕の様子を伺いながら尋ねた。別れのタイミングを見失ってか、声をかけてくれる。あれだけ勢いある形で話しかけてくれたのだからなおさらだろう。なんだか気を使わせてしまっているようで申し訳な否と思いながらも、僕も言葉を返す。

「これから、花を受け取りにいくんだ」

花、という単語に少しピクリとすると、

「もしかして、フローですか?」

と少し先ほどのテンションが戻ったように、期待の眼差しで僕に尋ねる。風呂? なんのことだかわからず僕は聞き返す。

「ふ、フロー?」

「お店の名前ですよ!」

「えっと、なんだったっけ」

僕はとっさにメモを取り出し確認する。

「あぁ。そのフロー、だと思う」

そう言うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

「そこ、うちのお店なんです! …あ、名前、名乗っていませんでしたね。私、吉村梨沙(よしむら りさ)って言います。気軽に梨沙って呼んでください」

「これはご丁寧に」

「お兄さんは?」

「霜月拓郎(しもつき たくろう)っていうんだ。冬の草花に降りる、霜に。お月様の月で霜月」

「素敵なお名前ですね」

「ありがとう」

「お呼びするには、霜月さん、というより、拓郎さんって感じですね。優しい雰囲気というか、親しみやすい感じで」

「そんなこと、初めて言われたよ」

「ふいにそんな風に思っちゃいました」

女子高生の、話したらもう友達という感じに少し戸惑う。

「親しみやすいって思われるなら嬉しいね」

僕が言うと不思議そうに彼女は首をかしげた。

「あれ。拓郎さん、イントネーションが違いますね。もしかして神大生ですか!?」

僕の年齢と、言葉の抑揚から、地元の人間ではないことに気づいたようだ。

「わかっちゃうよね」

「見た目の年齢と、言葉が違うってことは大学生かな、って思ったんです。それに、この辺を手ぶらで歩いているってことはこの辺に住んるってことでしょうし、それなら、神大生だと思って。何学部なんですか?」

「文学部だよ」

僕は素直に答える。

「へぇ、文学部なんですね。実は私も神大受験しようと思ってて。先輩ですね!」

嬉しそうに彼女は言った。

「梨沙ちゃんは、向こうの女子高だよね?」

「そうなんです。だから、少し変わってるって言われます。こんなに男の人と抵抗なくベラベラ話すタイプは」

「確かに、女子校の子でハツラツな子はなかなかいないね。でも、いいことだと思うよ。誰とでも話せるってことは」

「そう言ってもらえると嬉しいですね」

「でも、夕暮れ時に話しかけるのは、ちょっと危ないかな」

「そう言われると、返す言葉もないです」

彼女は苦笑いを浮かべる。

 話しながらしばらく坂を下っていくと、二階建ての軒先が見えてきた。店の看板が二つ確認できる。一つは、花屋。一つは、雑貨屋。花屋の方は、先ほど名前があったように、アルファベッドの横書きでflowと書かれている。ここが目的の場所のようだった。店の前まで来ると、彼女は階段を二、三歩駆け上がり、振り向いた。

「どうぞ。うちは二階なんです」

彼女の手まねきに吸い寄せられ、花屋の入り口横の白い螺旋階段を上っていく。

 木製ドアを開けると、ちりん、とドアベルが鳴る。ふわりと漂ってくるフローラルな香りに懐かしさを感じた。昔、一度は嗅いだことのあるような、花畑の香り。どこか心地よく、優しさに満ちた香り。嬉しくなる気持ちを抑えつつ、僕は彼女の後を追った。

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