外編:砂糖とミルクと、甘い愛を

 スペルビアは甘いものが好きだ。

 その美麗な顔に相応しいのは、美しく整えられたビターでシックなスイーツ。

 だがそういったものよりも、ふわふわのスポンジにたっぷりのクリームを塗りたくって乗せられるだけの果物を乗せた、子供が誕生日に思い浮かべるようなものが好きだ。見目に気を遣う彼は人前では見た目から想像されるような洒落たものしか食べないが、個室のある店などでは嬉々としてふわふわの甘いものを頬張っている。その様を、アケディアは素直に可愛いと思っていた。

 だからこそ、アケディアは己の手で、スペルビアが好むようなふわふわでとろりと甘いそんなケーキを作ってみたかった。


 ――その結果が、目の前の物体である。

 辛うじてクリームは何となく形になったものの、スポンジと果物が駄目だった。本来はふっくらと焼き上がるはずのスポンジは真っ黒になって穴だらけで妙に凹んでみすぼらしく、果物は力加減が上手くいかずにぐちゃぐちゃのソースと化している。

 常日頃雑だとか、大雑把だとか、力が強すぎるだとか言われている身ではあるが、ここまで酷いとは。そう考えて、アケディアは頭を抱えた。料理は食べられたらいいの精神で大雑把にでも不可能ではないが――なおルクスリアから「食えるかこんな暗黒物質」と言われていることは置いておく――、菓子作りはそうもいかないらしい。思ったより綿密で繊細な作業だった。

 兎も角、生み出してしまった物体はどうにかしなければならない。溜息を零して、アケディアは机の上の散乱した道具達とみすぼらしい産物を見下ろした。道具は片付ければいいし、ソースと化した果物は簡単に捨てられる。しかし、問題はスポンジ(になりたかったもの)とクリームだった。丸ごと捨ててもいいが、きっとスペルビアに見つかってしまう。それはなんとなく、居心地が悪いから、避けたいことだった。

 しかも、ここはスペルビアの仮家である。今は留守にしているだけで本来このキッチンはスペルビアの領域なのだから、上手く処分しなければならない。アジトにキッチンが無いのだから仕方ないとはいえ、スペルビアの仮家で作業を行ったことを少々後悔した。

 さてどうするか――そう思案しかけたところで、アケディアは時間が無いことを察することとなった。スペルビアの気配を察知したのである。

 この家から5m程先だろうか、彼が真っ直ぐ帰ってくるのを感じる。彼の長い脚ではそう時間はかからないだろう。考え事をしていないでもっと早く気付けばと後悔しても遅く、アケディアは慌てた。慌てて、どうにかしようとして――スポンジが乗った皿とクリームの入ったボウルを掴んだ。



「お、かえり、スペルビア……」

「ただいま」

 どこかぎこちなく出迎えた恋人に、スペルビアは首を傾げた。

 仮家の鍵は渡しているのだから、アケディアがこの家にいる事になんら疑問は無い。ただ、その様子がいつもと違って何か慌ただしい。いつも怠惰的で、出迎えにものっそりと動く彼にしては実に奇妙である。

 それに、彼のからだから甘い匂いがする。眉を寄せて、扉を塞ぐように立っているアケディアを見上げた。

「……アケディア、僕は部屋に入りたいのだが?」

「そ、とから帰ってきて、汗とかかいただろ……風呂、先に、入ったらどう……?」

 その発言もまた奇妙で、スペルビアの眉はさらに寄せられる。アケディアの喋り方が挙動不審だ、というどころではない。

 アケディアは匂いフェチだ。特に、スペルビアの汗の匂いが大好きだ。スペルビアが汗だくになったり、忙しくて数日風呂に入れなかった時など、理性をかなぐり捨ててスペルビアに擦り寄り潔癖症である彼を困らせたりする男だ。そんなアケディアが、風呂を提案するとは。

 やはり怪しい。そして、甘い匂いは部屋――キッチンを含んだダイニングスペースである――に繋がる扉の向こうからも漂っている気がする。

「風呂は後ででいい」

「……っ! す、スペルビア、待って……!」

 泣きそうに止めるアケディアを振り払い、扉を開ける。迷わずにキッチンの方へと歩を進めると、そこにあったのは、スペルビアが家を出た時のような整理整頓された光景ではなかった。

 机に散乱した砂糖やベーキングパウダーなどの袋やバターの箱。計りなどの道具。その散らかりは流し台にも渡っており、乱雑に水につけられた――明らかに菓子作りに使われたであろう道具達。

 それを見れば、ここで何をされていたのかは一目瞭然である。また、誰がそれをやったのかも。だがここで行われていた行為によって発生するはずの『結果』が見当たらない。

「……アケディア」

 一言。その一言で、背後のアケディアがビクリと震えた。大きな図体に似合わない怯えようは可愛らしいが、それは追及をやめる理由にはならない。

「作ったものを出せ」

「……つ、つくったものなんか、何も」

「出せ」

 アケディアの赤い瞳が潤んだ。その様にスペルビアの加虐心が擽られるが、それは隠してアケディアに詰め寄る。その顎を掬って、アケディアと目を合わせた。

「君が出さないなら僕が見つけようか?」

「……っ!」

 びくんと震えて、アケディアの目が泳ぐ。

 アケディアは、スペルビアには嘘をつけない。それをスペルビアは熟知していた。その泳ぐ赤色が、スペルビアの質問に答えていた。

「机か」

「っ、あっ」

 アケディアから手を離し、踵を返して机へと向かう。テーブルクロスで覆われて、机の足は見えない。それを掴み、捲りあげた。

 その下にあったのは、ボソボソと穴の空いた形の悪いスポンジらしきものが乗った皿と、白いクリームで満たされたボウルである。全て合点がいって、スペルビアは鼻を鳴らした。

「作ったのか、これ」

「……す、捨てる、から……」

 震える手で恐る恐るといったように皿とボウルを取り上げようとするアケディアの手を払い、スペルビアはそれらを拾い上げて机に乗せる。そして、まずはスポンジを一掴み、ちぎって口の中に放り込んだ。噛むとスポンジにあるまじき固さで、スペルビアの歯に反発する。

「うん、不味いな」

「……っ、だから、捨てるって……!」

 最早涙声になったアケディアの訴えを無視して、今度はクリームを指で掬って舐めてみる。プロのそれには遠く及ばないが、甘みと口触りは悪くなかった。

「こっちは及第点。裸の君に塗りたくって舐めてもいいかもな」

「!?」

「まあ折角スポンジケーキを焼いてくれたのだから、ちゃんとこっちに塗って食べるさ」

 そう笑いかけて、スペルビアは指をアケディアの髪に滑らせた。

 目元を赤くして、眉を寄せ、口を引き結び――そんな変な顔をしたアケディアを見上げて、スペルビアはまた噴き出す。笑われたアケディアは、更にむっすりと顔を顰めた。


「腹壊しても知らないぞ」

「その時は君が看病してくれ」

「不味いのを食う気になる気が知れない」

「君が美味しくしてくれてもいい、勿論口移しで」

「……馬鹿」

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