山羊の企み

「アケディアをどう思うかぁ?」

 ルクスリアが手にトランプを持ったまま怪訝な顔で反復する。グラもまた――ガスマスクに顔の下半分を覆われていて分かりにくいが――不思議そうな顔でスペルビアを見ていた。

 アジトの一角、ルクスリアが勝手に占領している小部屋は、スペルビアとグラを度々招いての賭博場と化している。三人は、友人などという甘っちょろいものでは無いと互いに思っているが、集って愚痴合ったりゲームに耽る程度には、険悪なわけでもなかった。

「そんなのスペルビアが一番近くに居るんだし、人に聞くまでもなくない?」

「外野から見た印象を聞きたい」

 首を傾げたグラにそう端的に告げると、あーね、と分かっているのかいないのか曖昧な返事を返して、手札を弄る。「アケディアねぇ、」とルクスリアが空を仰いだ。

「お前以外に興味ゼロだしなーあいつ。あー、滅茶苦茶独占欲は強いんじゃね? スペルビアと話してる奴のことすんげー目で見てるしさぁ」

「……僕がかつて相手にした女達を殺していたと聞いたが」

 スペルビアは基本的に、かつて交合った女の事は忘れる事にしている。だから、穏便に別れられればそれで終わりで、その後何かしらの干渉をすることはほぼ無い。だからその後どうなろうと知らないことで、他の男と幸せになっていようが独り身だろうが、生きていようが死んでいようが興味のない事だった。だが、アケディアがそこに関わっているとなると話は別だ。

 ルクスリアがあぁとぼやいて、頭を掻いた。

「その話は確かだぜぇ。まー流石にセフレだのの全員捕捉して殺してったわけじゃないだろうが、少なくとも恋人になった女は皆殺しだったはずだ。お前が別れた後にな」

 気になるなら調べてみろよ、とルクスリアは欠伸混じりに告げた。

「……話を聞く限りでは、アケディアは随分と過激だな」

「逆にスペルビアの前では過激じゃないの? あいつ大分自由人だと思うけど」

「寧ろ大人しすぎるくらいだ。何も要求してこないし、欲を出さない」

 頷くと、へぇー、とグラが意外そうに零す。ルクスリアがにまにまと嫌らしく笑ってスペルビアを見ていた。

「なんだよぉスペルビア、お前アケディアに甘えてもらえないわけ?」

「……」

「睨むなよぉ、こええなぁ」

 怖いと言いながらその声は弾んでいる。語尾にハートマークでもつきそうな声音で、ルクスリアはスペルビアをにやにや眺めた。

「アレじゃね? 甘えたら襲われるからじゃね?」

「……いや、違うだろう、甘えるって身体的に擦り寄るだけじゃないだろう……恋人同士なのだから、もう少し、我儘を出してくれてもいいじゃないか……」

 極稀にアケディアから控えめに擦り寄ってくることがある。その控えめさがいじらしくて可愛らしくて、ついつい押し倒してしまうことは否定出来ない。いやまさかそのせいであいつは僕に本音を出さないのだろうか。

「スペルビア、思ったよりベタ惚れなんだね」

 思考の海に沈みかけたスペルビアを引き戻したのはグラの声だった。その方を見ると、彼は意外そうに目を丸くしている。

「そもそもアケディアが下なのも驚いたけど。スペルビア、我儘な女とか嫌いだったじゃん? アケディアには我儘してほしいわけ?」

「……まぁ、な」

 やはり外から見ると己が女役に見えるのか。等という不満は置いておいて、確かに今まで我儘な女は嫌いだった。しかし、アケディアの従順さは何だか違う気がするのだ。それはアケディアの本質ではないと思う。アケディアの、本当のところも含めて愛したい。

「まぁさぁ、やっぱ本音がダダ漏れになるのって酔っ払ってる時だと思うんだよな」

 そう言うルクスリアは、やはり嫌らしく笑っていた。常人より長い舌で己の唇を舐め上げる。

「賭けをしようぜスペルビア。このゲーム、負けたら罰ゲーム、勝ったら俺の秘蔵の酒をやるよ。そりゃもう、あのワク野郎もオトすようなドギツイ奴」

「……いいだろう、乗った」

 そんなやり取りの横で、グラは人知れず溜息をついた。



 月見酒をしよう、とスペルビアの仮家に呼ばれたアケディアは、到着するや否や寝室に連れて行かれて首を傾げた。

「リビングじゃなくていいのか?」

「あそこじゃ月は見えないからな」

 確かにスペルビアの仮家にある寝室には天窓があり、そこから月がよく見える。だが、月見酒をするのならばベランダでもいい気がする。やけに上機嫌なスペルビアについても首を傾げつつ、しかしスペルビアの望みならアケディアに逆らう気は無かった。

「今日はいい酒が手に入ったんだ。君に是非飲んでほしい」

 にっこりと笑って、スペルビアがアケディアの杯に酒を注ぐ。疑問点は多くあるが、兎も角注がれた酒を煽ってみた。


 アケディアはスペルビアに関してはガードが実に脆い。言葉巧みに酒を飲まされ続けたアケディアは、見事に潰れた。

 量もあるだろうが、あのアケディアをこうも酔っ払わせることが出来るとは。と、スペルビアは空になったルクスリア秘蔵の酒を眺め下ろす。そうでも、酔わせるのにそれなりに大きい酒瓶一本分丸ごと使わなければならなかったのは流石アケディア、と言うべきか、そこらの酒では何本空にしようが顔色も変えないアケディアを一本で潰すこの酒に恐れを抱くべきか。

 ルクスリアから勝ち取った酒は、持ち主曰くには、別に度数の高い酒ではない。ただ、魔力を蓄える性質を持つ、ルクスリア手製の代物だ。彼自身はそれに己の魔力を入れて媚薬にすることが多いらしいが、今回についてはスペルビアの魔力を注いで飲ませるように言った。

「この酒に俺の魔力はまだ入れてねーからな、正真正銘お前の魔力一色の酒が出来るぜ。アケディアにはそこらの度数高い酒より抜群に効くだろ」

 その言葉は正直半信半疑だったが、こうも上手くいくとは。それにしても寝室で飲ませてよかった。流石に202cm135kgの筋肉男をベッドに運ぶのは骨が折れる。物理的にも。

 そう思いながら、スペルビアは顔を真っ赤に染めてぽやぽやと潤んだ瞳を惚けさせているアケディアの髪を撫ぜた。

「……すぺぅびぁ……」

 呂律が回っていない。真っ赤な顔と潤んだ瞳も手伝って、まるで情事中のようで、スペルビアにも込み上げるものがある。しかし今回の目的はそれではないと自分を律した。

 アケディアはといえば、へにゃへにゃと緩み切った笑みでスペルビアの手に擦り寄っている。体温の低いスペルビアの肌は酒で火照った体には心地良いのだろうか。

「……へへ、すぺぅびぁ、しゅきぃ……」

 ……今すぐ襲いたいほど可愛い。いやだから、今回の目的はそれではない。さっさと聞き出してしまわないと色々と危ういと察したスペルビアは、懐に隠した『仕込み』を起動させつつ、寝てしまいそうなアケディアの顔を掬いあげた。赤く蕩けた瞳が、不思議そうにスペルビアを見ている。

「アケディア、君、僕にしてほしいことは無いのか? 何でもいいぞ」

 きょとん、と、赤い瞳が瞬いた。

「……なんれも?」

「ああ、何でも」

「……じゃぁ、ねぇ……だっこ、して……?」

 予想外の要求にスペルビアは固まる。抱っこ。それはつまり、スペルビアにアケディアを抱え上げろと言うのだろうか。20cmも身長が高く、体重などは二倍に近いこの大男を。その動揺が伝わったのか否か、アケディアは続ける。

「あたま、なでて、ほしぃ……し、なまぇ、よんでほしぃ……すぺぅびぁの、におい、だいしゅきらから、いっぱいかぎたい、し……

……あと、ねぇ、おれだけ、みててほしい、なぁ……、すぺぅびぁが、ちがうやつのこと、かんがえへるの、やらぁ……」

 蕩けた赤に、スペルビアの目を見開いた顔が映っている。アケディアがへにゃりと笑った。

「すぺぅびぁ、こまった……?」

「……あ、いや」

「うん、らからねぇ、いいんら、よ……?」

 その言葉に、またスペルビアは固まる。アケディアはといえば、己の顔に触れるスペルビアの掌に、愛おしそうに頬擦りしていた。

「おれ、おまぇがね、また、おれといへくれて、うれしぃ、から……らからねぇ、もぉ、いいの」

 へにゃへにゃと笑って、本当に幸せそうに、アケディアは言う。


「ぜんぶ、がまん、するから……もう、おれのこと、きらいにならないで……」


 それだけ言い残して、アケディアは完全に夢の世界へと落ちてしまう。

 スペルビアは黙って、その頭を撫でていた。

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