くっついてから本編に至るまでの小話

獅子の不満

 スペルビアとアケディアが名実ともに『恋人』という関係に収まってから、早くも半年程経過した。

 女と恋人になっても、彼女等のスペルビアの外面しか見ていないような軽薄さに失望して縁を切り、それでも諦め切れないように温もりを求めてまた恋人を作る。そんなことを繰り返していた頃は1ヶ月も続けば奇跡のようなものだったが、アケディアと居る半年はあっという間に過ぎた。

 アケディアと恋仲になってから、スペルビアは満ち足りていた。ルクスリアのみならずグラにさえ「最近ずっと上機嫌」と称される程だ。

 だからか、過去のことを冷静な目で見ることが出来る。あの頃は、心のどこかに穴が空いていた。『自分達』に、『目覚める』前の記憶は存在しない。そのせいなのか、それとも違う理由か、それは分からないが、スペルビアにはずっと、穴が空いたような、ずっと大事にしていたものが失われてしまったような虚無があった。その虚無を埋めたくてどれだけ肌を重ねても、汚い行為はただ吐き気を催すだけだった。表面のみを見て、己の闇属性も知らぬ女が囁く愛は、白々しくて反吐が出た。穴を埋めたかったはずの行為は逆に穴を広げ、それに苛ついて、虚無と苛立ちに苛まれる日々を送っていた。

「スペルビア!」

 平常時よりも弾んだバリトンが己の名前を呼ぶ。その声に追憶に沈んだ思考は引き戻された。アジトの廊下の向こうから、仕事から帰ってきたらしいアケディアが駆け足でこちらへ向かってくる。

「スペルビア、どこか行くのか」

 近くまで駆け寄ってきたアケディアが、そう尋ねて首を傾げた。相変わらずフードと長い前髪に隠れた無表情は、多くの者に威圧を感じさせるだろうか。だがアケディアの、それらの奥にある赤い瞳は、スペルビアにだけは甘く蕩けているのだから、スペルビアは最早怯えることは無い。かつてアケディアを疎んでいた自分はこの目に気付かなかったのだろうか、苛立ちというものは随分と、視界を狭めるものだ。

「スペルビア?」

 黙ったまま自分を見上げるスペルビアに訝しんだのだろう、アケディアが眉を寄せる。昔の自分ならば、その心配を不機嫌と勘違いして、恐れただろうか。

 そう、ぼんやりと考えながら、スペルビアはアケディアの頬に手を伸ばした。するりと撫でると、アケディアは一瞬驚いたように目を見開くが、すぐにその赤を細めてスペルビアの手に擦り寄る。赤い瞳が愛しさに溶けている。その瞳が、スペルビアは好きだった。アケディアはスペルビアをよく見ている。スペルビアの知らないスペルビアの本質でさえも彼は見通しているのではないかとさえ思う。スペルビアの全てを見た上で、彼の瞳は雄弁に愛おしさを語る。その瞳が、スペルビアの虚無を埋めるように注がれるのが、スペルビアは心地よかった。

 アケディアは体温が高い。豊富な筋肉のせいだろうか、少し温くなった湯たんぽのような温度だと思う。触れると体温の低いスペルビアの指を温める。スペルビアは暑いのが嫌いだった。だが、アケディアの温さは嫌いではなかった。

 平常時の温もりも勿論だが、平常時でない、もっと熱を持った時の温度も、そう。

「アケディア」

 指でアケディアに屈むよう示す。20cmの身長差ではスペルビアから出来ることは限られるのが少しばかり悔しいところだ。

 アケディアは頭に疑問符を浮かべつつも、素直に従って腰を曲げる。頬に添えた手はそのままに、スペルビアはアケディアの耳元にくちを寄せた。

「……今夜、僕の寝室においで」

 その声に、秘められた熱。それをアケディアは即座に察知したらしい。かれの顔が、瞳と同じように赤く染まっていく。

 それに満足して、スペルビアはあっさりと彼を解放し廊下を軽い足取りで歩いていった。



「スペルビア、貴方、アケディアと恋人になったの?」

 インウィディアがそう訊ねてきたのはその数日後のことだ。

 今更か、と思ったが、彼女には他のメンバーとの交流がほぼ無いことを思い出して納得する。殺生を好まないインウィディアはこのアジトでは異端だ。生来なのだろう臆病も相まって、彼女は他メンバーとの接触を避けていた。スペルビアとて別に殺生を好む戦闘狂という訳では無いが、必要とあらば殺せるし、そこに今更躊躇いや恐怖はない。だが殺した経験もないインウィディアは違う。彼女は人を殺すことを、何より『人殺しになる』ことを、酷く恐れていた。そして、平然と人を殺せる他のメンバーを恐れ、嫌っている。

 とはいえ、ある程度話が通じるスペルビアはまだマシなのだろう、彼女は時折スペルビアの部屋を避難先に選んだ。とはいえスペルビアの傍に寄るでもなく、部屋の隅で毛布を被って黙っているだけだ。歳下に多少甘いところのあるスペルビアは、それを好きにさせていた。

 そして、今日は彼女の避難の日であった。仕事のために調べ事をしているスペルビアと、部屋の隅で毛布を被って座り込むインウィディア。それがいつもの構図で、会話など無い。いつもならば、無いはずだった。

 それが、インウィディアから話し掛けてきた。しかも話題は、彼女がアーリマンに並び恐れているアケディアについてだ。珍しい事もあるものだと、スペルビアは一時作業を止めてインウィディアの方へ椅子を回して顔を向ける。インウィディアは毛布を被ったまま、膝に顔を埋めていた。

「それがどうかしたか」

「……意外だわ、貴方、アケディアのこと避けてたじゃない。アケディアはずっと貴方の事見てたから、好きだった、ってことには驚かないけど……」

 その言葉に意外だったのはスペルビアだった。半年前スペルビアがアケディアを苦手視して避けていたのは確かだ。そこではなくて、アケディアがスペルビアを好きだったとインウィディアが知っていたのか、と。

 インウィディアは顔を埋めたまま、言葉を続ける。

「……でも、大丈夫なのかしら? だって、アケディアって、横暴で、傍若無人じゃない……」

 その言葉にも、スペルビアは目を瞬かせた。

 アケディアが、横暴。傍若無人。それはスペルビアの知るアケディアの姿には当てはまらない。彼は、いっそ心配になるほどに従順だ。スペルビアの言葉に逆らわず、スペルビアの望む通りに動く。アケディアの本意を聞いたのは、初夜が最後かもしれない。行為中の静止の懇願を除いて、だが。

「……例えば、どんな所が?」

 だからそう聞いてみた。インウィディアは顔を上げて、首を傾げる。

「色々あるけど……アケディアって、スペルビアと話してる人のこと、凄い怖い目で見てるのよ。少し前まで、貴方、いろんな女の人と遊んでたじゃない。あの女の人達、スペルビアが縁を切ってから、一人残らず殺されたって……ルクスリアが話してるの、聞いたわ」

 そう、途中からは顔を俯かせて、インウィディアは話した。怯えか、悲しみか、或いはその両方か、彼女の体は小さく震えている。

 見知らぬ人間の死で悲しんでいるようでは彼女にこのアジトは息苦しかろう。そうは思うが、彼女もまたお父様の『所有物』である。スペルビアにはどうしようもないことだ。哀れみつつも、それを憂慮しても仕方が無い。だからアケディアの事に考えを向けることにした。

 横暴なアケディア。傍若無人なアケディア。従順なアケディア。スペルビアに何も望まないアケディア。

 周囲と自身の認識が食い違っている。自身の知らないアケディアを、周囲は知っている。それが何となく、面白くない。

 恋人同士なのだ。少しくらい、甘えてくれてもいいんじゃないか?

 そう、ここにはいないアケディアに、内心でぼやいた。

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