第11話

「南沢、俺さ、明日世界が終わるんだ」


 随分と詩的表現だっただろうか。

 転校のことを伝えても、南沢の反応はあまり変わらなかったように見えた。人と関わっていないせいで感覚が麻痺しているのかコイツは。

 そんなことを思ったけど、口にはしないでおいた。


「だから、明日はデートなんて言って誘わないから安心しろ」


 デートの言葉に、南沢が眉をひそめる。

 その仕草が、昨日「南沢と何をしに行ったんだ」と尋ねてきた西宮の姿と重なった。

 やはり二人は似ていると思う。一体二人に何があったのかは知らないけれど、相手が近くにいるのに、何も行動しない南沢と西宮は、二人して臆病で、そして危機感がないと思う。


 だって、相手に向けているものが友情であれ愛情であれ、何年もすればそんな感情を抱いていたことすら忘れてしまうものだ。


 そのことを俺は、よく知っている。



「――――俺たち、ずっと親友でいような」



「親友」と仲を深めるたび、思い出す言葉がある。

 その言葉を思い出すたび、俺の心はざわついて仕方ない。

 どれだけ「親友」を作り続けても変わらない。ふとした瞬間に重ねてしまうのは、いつだって最初に作った「親友」の姿だった。



 南沢に話した昔話は、そのまま俺の実体験だった。


 小学六年だった当時の俺は、中学に上がる前の春休みの期間を使って、小学校の時の「親友」に会いに行ったのだ。

 いきなり行って驚かせようと思って、俺は連絡もなしに数年前まで暮らしていたその土地に降り立った。


 外出中だったら嫌だなあとか、急に来て驚いてくれるかなあとか、色々なことを思いながらチャイムを押そうとしたその時、背後から声をかけられた。


「俺の家に何か用?」


 振り返った時に見た、まるで初対面の人間と接しているような「親友」の表情。かつての「親友」は、俺のことを覚えていなかったことを悟った。


 四年の月日は、俺の存在を忘れるには十分だったらしい。

 それまで俺が信じていた何かが、音を立てて崩れていった気がした。



「すみません、間違えました」とだけ口にして、俺はその場を離れた。「親友」は俺を追っては来なかった。それが答えのように思えた。



 それから俺は、転校する度に「親友」を作り続けるようになった。


 まるで、何かに憑りつかれているかのように。


 ――北林にとっての勝ちは、一体何なんだよ。


 あの日、南沢に言われた言葉を思い出す。

 唯一、俺の身勝手な賭けを知っている「親友」だった。

 顔見知りになるのがまず遅かったから、アイツと過ごした日々は随分と短かったけれど、俺の中に少しばかりの傷を残したように思う。


 ――分かるかよ。じゃんけんで親友を決めようとする奴のことなんか分かる訳ないだろ。そんな風に選ばれた親友が、嬉しいなんて思う訳ないだろ。


 南沢の言っていたことは、おそらく正しい。

 唯一無二であるはずの「親友」を量産するなんて、どう見積もってもいいことであるはずがないのだから。


 いつか訪れる別れを考えるなら、俺は誰ともかかわらず、一人で生きるべきだったのだろう。

 それこそ、俺と関わる前の南沢がしていたように。でも、俺には無理だった。

 だから、南沢の指摘を受けても、俺は変わらず転校先で「親友」を作り続けていたのだ。



 今までの「親友」たちは、元気にしているだろうか。

 小学校の時、プロフ帳を交換したクラスの女の子。

 中学の時、部活が同じだった別のクラスの男友達。

 高校では南沢が一番印象的だったが、その前後に通っていた学校にも一人ずついた。


 でも、と俺は半ば諦めている。

 大学生になった今では、もう俺のことなんざみんな忘れてしまっていることだろうと。

 


 大学生になってからは随分と楽になった。一人暮らしを始めたことで安定した地に腰を下ろすことが出来たし、取った授業によって受けているメンバーも違うから、それぞれの関係性も高校までとは薄いものになった。

 それまでのように「親友」を作ろうという気も、次第に薄れていった。


 でも、振り返ればいつだって、俺が作ったあの賭けは目と鼻の先にあった。


 だから大学三年の夏、時間と旅費を作って俺は旅立った。四年はさすがに自分も向こうも忙しいと思ったから、三年の夏にした。



 学生時代に設けた、意味の分からない賭け。

 それの答え合わせに、行こうと思ったのだ。



何件か「親友」の元を回った俺は、むなしさとやるせなさに、ため息をついた。

 会えなかったというわけではない。連絡が取れなかった「親友」や、向こうも引っ越していて住所が分からなくなっていた「親友」など、会えなかった「親友」も何人かいたけど、何人かの「親友」とは連絡を取ることが出来た。しかし、連絡を取れた「親友」たちも、ああ、そういえばそんな奴いたなみたいな反応ばかりで、満足感が得られなかったのだ。

 さっきまで話していた「親友」の反応を思い出しながら、俺はスマホのメモ帳に記録していた「親友リスト」に書かれた名前の一人にチェックを入れる。残りはもう、数えるほどしかいなかった。


 これだけで帰るのも旅費的に勿体ない。どうせだからと、当時遊んでいた場所へも赴いてみた。

 斜面を登った先、少しだけ崖のようになっていた場所に、昔「親友」と作った秘密基地があったのだ。

 しかし、昔秘密基地を作った空き地は、よく分からない施設になっていたので、すぐに踵を返した。

 場所は同じだが、こうも変化していたら思い入れなんて何もない。


 ――俺の家に何か用?


 あの時の「親友」の言葉が、頭の中でグルグルと回る。


 変わらないものなんてない。絶対なんて信じない。

 でも、どこかで俺は期待していたのだ。

 誰かは絶対、俺のことをしっかり覚えてくれているって。


 でも、この旅行で得たものは何かあっただろうか?


 釈然としない「親友」たちの反応。変わっていく景色。色あせていく思い出。


 人も、風景も、思い出すらも。みんなして俺に、全く変わらないものなんてないんだと突き付けているみたいで――――。


「――――――――え?」


 その時だった。踏んでいたはずの地面の感触が消え、重心が傾いたのは。

 そういえば道中に「崖崩れの恐れあり」と注意する看板があったことを今更になって思い出したが、道を踏み外してしまった今ではもう遅いのだろう。


 今までの思い出が頭の中で勢いよく駆け巡る。これまでの俺の振る舞い。


 記憶の中で嫌になるくらい目についた、「親友」を作っては別れ、行き着いた先でも狂ったように「親友」を作り続けた俺の姿が、たった今目の前に現れた気がした。


 ――あの頃の俺は、生き急いでいたのだろうか。いつか誰かの記憶に残れるようにと、色んな人と関わった結果がこれだというのか。今まで関わってきた人たちに申し訳なくて、顔向けできないなと思ってしまう。


 特に南沢には、申し訳ないことをしてしまった。俺と関わるまで、南沢はずっと一人で生きていた。

 そして、そのまま誰とも関わらずに人生を全うして死ぬような、一人で完結する穏やかな人生を過ごすつもりだったように思う。

 そんな南沢を、俺が無理やり「親友」に命名してしまったのだろう。


 ――信久って、なんで×と親友になってくれたの?

 分からない。それが誰だったかも、俺がどうしてソイツと「親友」になったのかも、どう答えたかも、俺には思い出すことが出来なかった。


 顔が黒く塗り潰されて分からなくなった、何人目かの「親友」と話す俺の姿。何年ぶりかに再会したにもかかわらず芳しくない「親友」たちの反応。「北林にとっての勝ちは、一体何なんだよ」という南沢の言葉。


 俺は忘れられたあの日からずっと、俺自身を忘れないでほしいと言いながらも、その相手については「親友」の枠で一括りにして、名前で呼ばずにずっと記憶にしまい込んできた。

 それは、本気で入れ込んでまた相手に忘れられたら、立ち直れなくなりそうだからという理由からだった、けれど。

 でも、相手からそんな俺はどう見えていたのだろう。


 ――俺自身が、正面から「親友」と向き合っていなかったのではないか。


 いつか忘れられると、最初から俺の方が距離を置いていたから。

 だから記憶が穴だらけで、どの「親友」とのエピソードなのかも分からない状態で、周りからの俺の印象も同じように薄れてしまっているのではないか。


 ――それならこれは、今までのツケだ。


 ようやくそのことに気付いた。気付くことが出来た。

 今からでも、まだやり直せるだろうか。

 これからは「親友」の枠の誰かとしてではなく、一人一人と正面から向き合えるように。


 死ななければ何度失敗してもやり直せる。

 俺は今、ようやく気付くことが出来て、やり直そうと思えたのだから。


 だから死にたくないと、とっさに頭を守ろうとした。

 結局その手が頭をかばうことが出来たのかは、よく分からなかった。

 ただ、結果としては失敗だったのかもしれない。



 強い衝撃と、何かが壊れてしまう音。

 それが、俺が「北林信久」として記憶していた、最後の記憶だった。



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