第12話(最終話)



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 北林と顔を合わせた次の日、実家で見つけた備忘録を鞄に潜ませて、通っていた高校の図書室を訪れた。本当は西宮と行こうと思っていたのだが、今は少し予定があり、それが終わった後からなら合流出来るかもしれないと言われたので、図書室にはとりあえず一人で向かうことになった。


 自分たちが図書委員を務めた時期からおよそ四年近くの月日が経っていたが、図書室の先生は変わらず東山先生で、よほど自分たちのことが印象的だったのか、顏を合わせた時に「南沢さんじゃない」と言われた。



 覚えてもらっていることがこんなに嬉しいとは思わなかった。本当は北林も、こんな風に親友と再会したかったのかもしれない。



 北林が病室に来てくれたと言った親友たちの中に、おそらく自分に昔話として語ってくれた初めの親友とやらもいたのだと思う。その親友は、北林と顔を合わせるなり、泣き出してしまったのだという。驚いて理由を尋ねてみると、その親友は泣きじゃくりながらも語ってくれた。



 あの日、北林と親友の二人に起きた出来事の真意と、真相を。



「中学に上がる前だったかな。あの日、転校したはずのお前が俺の家の前にいた時、本当はお前だとちゃんと分かっていたんだ」


 その日はトレーニングのために外を走り終えた帰りだったという。

 一通り走り終えて家に帰ってくると、家の前にかつての親友の姿がいて、酷く驚いたのだそうだ。

 なんでここにとか、来るならあらかじめ知らせてくれたらよかったのにとか、色々な感情が湧いたものの、久しぶりの親友との再会に嬉しく思った。


 あの頃の自分たちは、よく冗談を言い合っては、二人して笑っていた。だから、あの時とっさに、ふざけて知らないふりをしてしまったのだという。

 それで、冗談キツイぜとでも一度笑い飛ばされてから、今の近況や、思い出話に花を咲かせようとしたのだと。


 でも、目の前のかつての親友はそれを冗談だと受け止めなかった。

「すみません、間違えました」と走り出した背中。それ以降、北林は姿を現すことはなかったのだと言う。


「――だから、俺とどうにか連絡を取ろうとしたらしいんです」


 しかし、手元にあった北林の連絡先はすでに過去のもので通じず、北林の行方を知る当てもなかったため、今の今まで連絡を取ることが出来ずにいたのだ。

 ようやく北林の家族から連絡があり、現在の北林の状況を聞いて慌てて駆けつけたのだという。


「それがずっと気がかりだったんだ」と、現在は社会人をしていて、どうにか休みを縫って北林の元に来たのだというかつての親友は涙を流した。でも、記憶のない自分には何の話か分からなかったのだと北林は言った。


「――でも、それでも俺は思い出せなかったんです。小学校の時の親友との話なので、高校で会った南沢さんは、知らないと思いますけどね」


 そう他人行儀のように笑った北林に、どうしてだか理不尽な悲しみが湧いた。


「――――南沢さん?」

 東山先生の声で、我に返る。どうやら思いを馳せるあまり、図書室の扉の前で立ち止まってしまっていたらしい。


「何か気になることがありました?」

 東山先生が微笑みかける。


「……何でもないです」

 そうやって取り繕うのも、上手くなった気がする。


 東山先生に笑いかけ、懐かしさの詰まった図書室のカウンターに足を踏み入れた。


「私が推薦したの。委員の代理はあなたがいいんじゃないかって」

 帰り際、東山先生は相変わらずの優しい口調で、あることを教えてくれた。


「……東山先生が?」

「西宮くんが入院する前に、委員の仕事について相談してくれたの。自分がいない間の仕事を誰に引き受けてもらうかについて、ね。私はその時、よく図書室に来てくれていたから、あなたの名前を挙げたの。普段からこの図書室を利用している生徒の方が勝手も分かると思ってね。……でも、彼は『自分からは誘えない』、『こんな時にだけ頼るのは都合がよすぎる』って言っていたから、てっきり声をかけていないと思っていたけれど……」


 ――ああ。本当に西宮は、律儀で真面目な男だった。


 あの頃から変わらない真面目さや、北林のことを聞いた時に真っ先に自分に教えてくれた律儀さを持つ西宮に対し、もう何の感情も湧いていないと言えば嘘になるが、西宮は誰に対してもそういう男だと割り切ることが出来たことで、気持ちに上手く整理はつけたような気がする。


「それからしばらくして、北林くんが来てくれて。でも、彼がもうすぐ転校することは知っていたから、自分の代わりに引き受けてくれる人を探していたみたいで、他に誰かいないか聞かれたの。だから、西宮くんとの話をしたら、二人で当番をするってことになったでしょう。だから驚いて……」


 つまり、北林は知っていたのだ。自分と西宮の間に昔何かしらあったこと。知っていて、知らないふりをして当時西宮の話をしてきたのだ。


 じゃあ、あの日西宮の病室へ行こうとしていたのも、結局目的地が北林の家になったために、後日自分一人で行くことにして、再び西宮との関係を築くきっかけになったのも、全部。


 ……全部、仕組まれていたのだ。


 してやられた感がして腹立たしい。一人だったら盛大に舌打ちをしているところだったが、ここは図書室で、目の前に東山先生もいたのでどうにかこらえた。


「南沢さん、とても柔らかくなったわね」

 そんな自分をよそに、のんびりとした口調で東山先生は言った。


「……それは、いいことですか」

「そうね、いいことだと思うわ」

「……そうですか。それならよかったです」


 あの頃の自分は、変化が怖かった。だからずっと、誰とも関わらず一人でいようとした。

 でも、今はそこまで怖くない。

 あれだけ北林に振り回されていたのだから、今更何かが変わっても何てことはないように思えてしまったのだ。


 今は割と楽しく生きていると思う。同性の友達も少ないながら出来たし、西宮との友人付き合いは今でも続いている。それらはすべて、あの日北林と関わったことから始まったものだと思う。


 東山先生と別れ、図書室を後にする。そのままの足で、北林のいるホテルまでの道のりを歩いていった。


 図書室に行ったり、デートと称して外に連れまわされたり、自分から西宮の病室に出向くことになったり。思えば高校生活の何割かは、北林に振り回されていたように思う。



 でも、もう終わりだ。

 今度は自分が、北林を振り回してやろう。

 あの日綴っていた、自分たちの思い出を武器にして。



 一応北林の家族には連絡を入れていたが、北林本人にはどうやら伝わっていなかったらしい。

 日もあまり経たず再びやって来た自分の姿を見て、北林は最初戸惑っていた。

 しかしすぐに名前と顔を一致させたようで、「南沢さん」と穏やかな笑みで言われた。やはり他人行儀の北林には慣れないと思いながら、今回の目的を手短に済ませようと、挨拶もそこそこに鞄から一冊のノートを出した。


「……あのさ、これを読んでくれないか」

 差し出したノートを、北林は戸惑いながらも受け取ってこちらを向く。


「ありがとうございます。でも何ですか、これ」

「備忘録、かな」

「……びぼうろく? 何のですか?」

「……多分、北林のだよ」

「……俺のですか?」

 首を傾げた北林が、訝しげにノートを開く。


「……あ、その付箋の貼っているところから読んでくれないか」

「……いいです、けど」


 付箋を指でつまみ、北林はそのページを開いた。



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 久しぶりに開いた備忘録は、当事者ですら理解が難しく読み進めるのに苦労する代物だった。文章も拙く、今の自分の方が何倍も上手く書けると思った。


 幸いまだ白紙のページは残っていた。だから、備忘録に書かれていたメモ書きを元に、まず自分が内容を思い出し、その思い出を再びノートに書き直したのだ。なるべく克明に、情景が思い浮かぶように。読んだ関係者がすぐに「この話か」と思い出してくれるように。


 北林が、これで思い出してくれるようにと、ノートを久しぶりに開いたその夜、すぐにペンを取って書き始めた。


 久しぶりに北林に会って、思い出した。タイミングを逃したり、あの時は言う必要もないかと脇に寄せてしまったりした話題たちのことを。

 どうせならとそれらも一緒に羅列し、丁寧に書き込んだ。



 いつか会いに来た君へ捧げようとしたそれを、今こそ突きつけるために。



 ――――――――――――――――――――



 付箋を貼ったページを開き、北林は書かれた文字を目で追っていく。


 これは、ほとんど賭けだ。これがダメなら、潔く諦めるしかない。


 そしてどうやら、その賭けは。


「……ずるいだろ」

 ノートから顔をあげた北林は、目に涙を溜めながらも自分のことを睨みつけていた。


 ああ、その目つき。さっきまでの目とは違う。強気で自信に満ち溢れたそれは、あの時の目にそっくりだった。


「……ノートに書き留めるのは反則だろ」

「反則だなんて言われてないからな」

「屁理屈だ。よりにもよって、なんでお前なんだ」

「さあ。親友に選ぶ人間を間違えたんだろ」


 指で目元を擦りながら「なんでお前が」を繰り返す北林に、わざと意地悪な笑みを貼りつけて尋ねてみる。


「なあ、賭けの結果は、どうだったんだ?」

 それを聞いた北林は、泣き笑いみたいな顔でこちらを向いた。



「そうだな、認めたくはないけれど――俺の負けだ」



 そう言って笑った北林は、涙を流しながらもどこか晴れやかな表情をしていた。

 ホテルのベッドの横に置かれた小さな腰掛け椅子を引いて座り、北林と目を合わせる。


「西宮ともうすぐ合流する予定なんだ。そうしたら、三人で話そう」

「……何の話をするんだよ」

「そうだな。全員が図書委員の経験があるから、昨今の図書館事情についてでも語り合おうかな」

「やらねえよ、馬鹿。……で、代わりと言ってはなんだが、お前らの思い出を聞かせてくれよ。俺がいなくなった後のお前らの話をさ」

「別に話すことはないんだが……まあいいや。じゃあ、北林の昔話と等価交換な」

「俺のなんか聞いても面白くないぞ」

「それはこっちが判断するんだよ」


 一通り悪態をつき終えたのを確認してから、忘れるといけないと思い、口を開いた。


「……あのさ、いつかでいいけど、最初の親友にまた会いに行った方がいいと思う。話を聞いた限り、色々後悔しているみたいだったから」


「……ああ、そうだな。心配すんな、アイツにはちゃんと会いに行く。他の親友にもな。今度はちゃんと、思い出話をするつもりだ。……あと、東山先生、だっけ。備忘録に書いてあった図書室の先生。あの人にもここにいる内に会いに行くよ。あの人には色々、世話になったと思う」

「そうだな。きっと喜ぶよ」


 そうやって話している途中で、部屋のドアをノックする音が聞こえて、反射的に入口の方を見る。

 北林よりは久しぶりではないながらも、彼もまた高校卒業ぶりに顔を合わせたので、反射的に笑みを浮かべていた。


 隣にいた北林が「本当に来た……」と声を漏らすのが聞こえた。嘘だと思われていたのだろうか。心外である。


「……何、俺のホテルの部屋、お前らの待ち合わせ場所にされてんの? ……まあいいや。久しぶりだな、西宮」


 すんなりと名前を呼ばれたことに驚いたのか、西宮の整った眉がピクリ、と動いた。


「……北林? 記憶戻ったのか? ていうか、なんで泣いた跡が……」

「記憶の無い時は、随分と迷惑かけちまったな。あとこれは南沢に泣かされたんだ」

「……南沢? 仮にも元病人に何をしたんだ!」


 ギョッとした顔で小さな子供を諫めるようにこちらを向いた西宮を見て、慌てて否定する。


「いや、違うんだ! これには訳があって……てか、西宮も共犯だからな! 備忘録を書くことを提案したのは西宮なんだから!」


「そういや、そんなこと書いてあったな。まさか西宮の差し金かとは思わなかったぞ……さてはお前、意外とあの時のことを根に持っていたな?」


「……あの時のこと?」


 首を傾げると、西宮が今度は慌てだしてしまう。

 その様子を見て、北林がおかしそうに肩を震わせていた。それで気付く。これでは北林の思う壺だ。コイツにかき回されてばかりだ。

 ちくしょう、覚えていろよ、と一度北林を睨んだ後西宮に向き直ると、さっきまでの咎める表情からは打って変わって、どこか優しげな目をこちらに向けていた。


「……まあ、南沢が理由もなく人を泣かせる訳もない。きっと北林の記憶が戻ったのと関係があるのだろう。よかったな、北林」


「……なんでそんな、順応性があるのかねえ」

 北林はどこか照れくさそうに頭をかく。高校時代の北林から考えると、照れている顔は珍しく感じる。その表情が見られたことに、なんとなく得した気分になった。


 一通り照れ終えた北林が、西宮の方を見て、空いている椅子を指さして口を開いた。


「西宮も座れよ。そして南沢とのことを話してくれ」

 後者の言葉に明らかに不審そうな顔をしながらも、西宮は空いていたもう一つの椅子に腰をかける。


 そのまま話を始めそうな勢いだったので、「一度家族に記憶が戻ったことを言った方がいいんじゃないか」と言うと、北林がそうだなと、割と淡白な返事をしてスマホで何かメッセージを送った。

 すぐに返信がきたようで、「とりあえず、二人が帰った後に色々やろうってさ」とだけ言い、北林はベッドに腰を下ろす。

 どうやらそれで家族への連絡は終わったらしい。自分たちが帰った後が大変そうだなと思う。

 でもまあ、忘れたままよりはいいに違いない。あんな他人行儀な北林は、出来るならもう見たくないと思う。


「もう崖から落ちるなよ」と冗談めかして言うと「当然」と、これまた冗談っぽい口調で返ってきた。やはり北林は、こうでないとなと一人頷いた。


 そして北林は、あの頃のようにどこか挑戦的な目つきでこちらを見てから口を開いた。



「――じゃあ、気が済むまで今から話そうか」



 その言葉に、西宮と二人頷く。君がいた時のこと。そして、逆に君がいなかった時のこと。

 互いにきっと、色々言いたいこともあるだろうから。


 そして語れなかった分は、またいつか集まった時に話そうと、効力を発揮し終えた備忘録を愛おしそうになぞってから北林は笑みを浮かべた。




 完


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