第9話
「信久って、なんで×と親友になってくれたの?」
そう俺に尋ねてきたのは、何番目の「親友」だっただろうか。
思い出そうとしても、顔の部分が黒く塗り潰されてしまっていて、上手く思い出せなかった。一人称すら思い出せない。
でも、少なくとも南沢ではないことだけは分かった。アイツは俺のことを、信久とは呼ばないから。
それくらいでしか判断がつかなかったのは、自分でもどうかと思ったけれど。
あの時の俺は、なんて答えたのだろうか。
その時の気分によって返答は変わっていただろうから、定かではない。
ただ、相手にとって満足のいく答えはしたのだろうと思う。
何かしらの返答の後、相手の「そっか」という声は、少しだけ嬉しそうだったように、俺は記憶していたから。
――――――――――――――――――――
北林が崖から転落して病院に搬送された。
その知らせをもたらしてくれたのは西宮だった。
西宮とは、北林の転校後に連絡先を交換していたから、それを知った時に北林と交流のあった自分に知らせてくれたのだろう。
西宮から聞いた北林の容態は、今すぐ命にかかわるような酷いものではなく、一時は昏睡状態だったものの、現在は意識を取り戻してすでに退院もしていたらしい。
しかし、よかったとほっとしたのも束の間だった。
ただ、と一度前置きして、西宮はその先を口にした。
数日したら、北林と北林の母親は、自分達の地元から近いホテルに泊まって、一時的にこちらに来るという話だった。
父親は現在でも転勤族で仕事に忙しく、しかしついこの間まで入院していた北林一人で行かせるのも心配だということで、付き添いで母親が一緒に来ることになったのだという。
西宮からの連絡の最後には、「もし時間が合えば、北林の元に会いに行ってやってくれないか」という言葉と、「その場合は北林の母さんと連絡を取れるように計らうから」という言葉が添えられていた。
西宮から北林の話を聞いたその時点で、ちょうど地元に帰る予定があったので、帰省している間ならおそらく大丈夫だと返した。
数時間後、北林たちが今いるというホテルの電話番号と、泊まっている部屋番号が送られてきたので、その情報を元に、ホテルの受付から電話を取り次いでもらい、北林の家族と連絡を取った。
数日後、通っている大学近くの寮から地元に帰省したので、少し実家で落ち着いてから、同じようにこちらに来ていた北林たちのいるホテルへと足を運んだ。
あらかじめ北林の家族から聞いていた、北林のいるホテルの部屋の扉をノックすると、自分と同じくらいの年齢の青年が扉を開けて出迎えてくれた。あれから四年の月日が経っていたが、それでも当時の面影は残っていた。
「北林」と、思わず声に出る。その声でこちらにゆっくり視線を合わせ、目が合った瞬間に青年はにこやかに笑った。
「初めまして……では、きっとないんですよね。いつの同級生の方ですか?」
西宮から聞いていて、分かっていたはずなのに、ゾクリと、嫌な汗が噴き出た気がした。
約四年ぶりに顔を合わせた北林信久は、頭を打った衝撃で、記憶を失っていた。
皮肉なものだ。あの日忘れて欲しくないと泣いてまで拒んでいた北林自身が、全ての記憶を忘れてしまったのだから。
「……本当に、記憶がないんですね」
思わず他人行儀な言葉になってしまったというのに、北林はそれについて何も言わなかった。ただ、申し訳なさそうに目を細めただけだった。
「……そうですね。すいません、わざわざ来てもらったのに。あなたのことも、記憶にないんです。それで、いつの……」
「高校の時。高校一年の途中から、二年の半ばぐらいまでだったかな」
「……ああ、その頃の。じゃあ四年ぶりくらいですね。お久しぶりです」
申し訳なさそうに微笑んで、北林は頭を下げ、部屋に招いてくれた。
あの頃の傍若無人な北林の面影なんて跡形も見られない。そんな北林の姿を見て、なぜだか少しだけ、悲しく思えた。
北林が記憶を失ってしまったので、北林が落ちた経緯や理由は分からないままだ。
だから、その場の状況証拠や目撃情報から割り出すしかなかった。
それによると、どうやらそこは、北林が住んでいたいくつかの場所の一つだったこと。当時通学路だった近くの商店街で、北林らしき青年が目撃されていたこと。崖から落ちる前に、親友だった同級生に会っていたこと。北林が落ちた場所には、昔その親友と作った秘密基地があったが、今はジムの施設が出来ているということ。
本人が証言したわけじゃないから、全て憶測でしかない。
それでも自分には、北林があの賭けの答え合わせをしようとして、思い出の地を巡っていたように思えた。
――明日、世界が終わるなら、俺は今までの親友に会いに行きたいんだ。南沢が親友になってくれたら、お前のところにもいつか会いに来るよ。
お前が会いに行くって言ったんだろ。なんでこっちが会いに来ないといけないんだよ。
本当は会った瞬間にそう毒付きたかった。しかしそんなこと、今の北林に言っても仕方のないことだった。
話を聞くに、北林は記憶喪失後、どうにか記憶を取り戻してくれるようにと、家族の計らいでこれまで暮らしていた各地を回っている最中とのことだった。
その過程で、歴代の親友の何人かとも、すでに顔を合わせたらしい。この場所に北林たちが来たのも、そういう経緯があったからだった。
けど、どうして親友が何人もいるのだろう、と北林はホテルのベッドに腰を下ろしながら他人事のように口にしていたのを、ふいに思い出した。
おそらく記憶を失う前にも、賭けのために各地を巡っていたのだと思う。
北林は記憶を失う前、親友の誰かによって賭けに満足出来たのだろうか。
それを知る術は、今の北林には存在しなかった。
「今日、会いに行った。本当に記憶がないみたいだ」
北林の元を訪ねたその日の夜、同じく地元に帰省しているという西宮に電話をかけた。
「……言っていた通りだろう」と、西宮は寂しげに返事をした。
「親友だったことも、忘れていたらしい」
「……そうなのか。でもさ、あれを持っている南沢なら、どうにか出来るんじゃないかと思ったんだ。南沢はさ、まだあれを持っているか?」
「……あれって、何のことだ?」
ピンとこなかったので何のことかと聞くと、西宮が少し咎めるような口調ながらも、しっかりと答えてくれた。
「ほら、南沢つけていただろ。備忘録」
高校時代に一度だけ、西宮の入院している病室に足を運んだことがある。
北林から転校の話を聞いた次の日の金曜日の放課後のことだ。
あらかじめ担任から聞いていた部屋番号の扉を開けると、西宮は何をするでもなくぼうっと窓の外を見ていて、自分の姿を見るととても驚いた様子を見せた。
しかしすぐに姿勢を正し、「図書委員のこと、北林に聞いた。代わりに仕事をこなしくれてありがとう」と深々と礼を述べていた。
几帳面な性格は相変わらずだなと、少しだけ懐かしくなった。
北林に一つ、言っていなかったことがある。
自分には中学の時、西宮と親しかった時期がわずかに存在していた。好きな本が同じなことを、ある日偶然に知ったのだ。
中学校の頃、図書室で本を借りる時には、貸し出しカードに名前や学年を記入して受付に渡すシステムだった。
今はもう通っていた中学校でもデジタル的なシステムに移行してしまったのだろうけれど、あの頃はまだアナログな方法で本が貸し出されていたのだ。
貸し出しカードの一番上に書かれた「南沢奏」の名前を見て、西宮はある日自分に声をかけてきたのだ。
「南沢も、このシリーズを読んでいるのか?」
そう言って、真面目な優等生だと思っていた西宮が興奮気味に話しかけてきたので、ひどく驚いた記憶がある。
その本の作者には、とても有名なシリーズの作品があった。対して、西宮が持っていたその本は、有名なシリーズの影に隠れ、ほとんど注目されないシリーズの最新刊だった。
中々話題にも上らないその本を、他に読んでいる人を初めて見た。現にその本を自分が借りた時、白紙の貸し出しカードの一番上に名前を書いたはずだった。
その後、西宮が借りようと思い、本を取って貸し出しカードを見たら、知っている名前が書かれていたので、思わず話しかけに来たらしい。
それからしばらく、西宮とその本の話で盛り上がった。主人公が巻を追うごとに成長していく姿がやっぱり熱いとか、伏線の回収の仕方が鮮やかだとか、今までの中でどのキャラが一番好きだったかとか、色々な話をした。
その交流は、クラスメイトの彼女に嫉妬の目が向けられるまで続いていた。
「ところで、南沢がこんな場所に来るなんて珍しいな。何か俺に用でもあるのか?」
思い出したように西宮は尋ねる。
その言葉を受け、肩にかけていた鞄からいくつかの本を取り出して西宮に差し出した。
「……入院中、暇かと思ってさ。本を何冊か持ってきたんだ。ざっと見た感じ、興味がなさそうな本があったら、遠慮なく返してくれ。持って帰るから」
昼休みに図書室で借りてきた本を大事そうに受け取った西宮は、本の表紙をしばらく眺めた後、笑みを浮かべてこちらに頭を下げた。
「そんなことはない。正直に言うと、することがなくて退屈していたところだ。全てしっかり読ませてもらうよ。ありがとう、南沢」
本当に律儀で几帳面な性格は相変わらずだった。
しかし、本を裏返した西宮の表情が途端に曇る。
「……って、これ図書の本じゃないか。又貸しはよくないぞ。……気持ちだけ、受け取っておくから」
うっかりしていた。昨日北林の代わりに本を借りていたので、又貸しのことがすっかり頭から抜け落ちてしまっていたようだ。
結局自分は何をしに来たんだ、と心の中でツッコミながら、西宮から本を受け取り、鞄にしまっておいた。
また後日返しておこうと、鞄のファスナーを閉じながら考えていると、ふいに発された西宮の「やっぱり趣味が合うよな」という言葉を、危うく聞き流してしまいそうになった。閉じ終えた後、再び西宮に向き直る。
「……どれも、読んで面白かったおすすめの本だからな」
「南沢が読んで面白かったのなら、信用出来る」
「……あまり買い被らないでくれ」
「中学の時は、南沢のおかげで知れた本も多い」
「……それは」
こっちだって同じだ、と言おうとして西宮のまとう入院服が目に入って、口を閉ざしてしまう。
「……病気がちだったんだな。知らなかった」
「小さい頃はな。今はもう、だいぶ身体も強くなっている。でも、周りが心配するから、時々こうやって何日かかけて検診を受けているんだ。要らない心配をかけたくないから、友達の中でも余程親しくないと話していない。だから、俺が休んでいることについては、周りはきっと悪い風邪を拗らせたとでも思ってくれているのだろうな」
「……ああ、そうだな」
西宮のいなかった教室での授業の様子を頭に思い浮かべ、返事をする。
「……でも、今回は少しばかりタイミングが悪くかった。数日前から、あまり体調が良くなかったんだ。だから検査の結果も良くなくてさ。大事を取って、いつもよりも入院が長引いてしまっている。委員を任せた南沢たちには、申し訳ないことをしてしまったな」
「……そういえば、この前学校で話そうとしていたことは何だったんだ?」
なんとなく、ずっと疑問に思っていたことを口にしてみる。
西宮が入院する前日、つまり二日前の水曜日、帰ろうとしていたところを西宮に呼び止められた。
しかし、西宮が他の誰かに呼ばれた隙に自分が帰ってしまい、次の日から西宮は学校を休み始めたので、結局聞かずじまいだったのだ。
「……ああ、別に大事な話でもない」
ふいと西宮は顔を逸らした。珍しい西宮のその反応に首をかしげる。
それは礼を言いそびれた気まずさからではないかという風に、自分は解釈した。
「もしかして当番に対しての礼か? 相変わらず律儀だな」
「……南沢はよく、俺のことを律儀だと言うよな。俺からしたらそうでもないと思うが。本当に律儀なら、頼んだその日に礼を言いに向かうだろ」
「元々は北林に頼んでいたんだから、こっちに礼を言う義理はないと思うけど」
「……いや、でも南沢にもちゃんと礼を言うべきだったと思うよ。ありがとうな」
北林との不意打ちじゃんけんで負けたという経緯で一緒に代理を勤めていた身としては、西宮の感謝の言葉は、なんだか素直に喜ぶことが出来なかった。
代わりに、もう一つ疑問に思っていたことを口にしておいた。
「……あのさ、なんで最初北林に図書委員を任せようと思ったんだ?」
尋ねると、一度天井を見上げて思案するそぶりを見せた西宮は、すぐにこちらに向き直った。
「……ああ、他の友達は別の委員会に属していたり、部活で忙しかったりと、頼むにはちょっと都合が悪くてな。どうしようかと思った時に、北林のことを思い出したんだ。北林は、何も役職がなかった記憶があったから」
確かに、北林には自分と同じように何も役職がなかった記憶がある。
今思うに、その内転校するかもしれないことを考慮して、引継ぎなどがないよう役職につかなかったのではないかと思う。
「まあ、北林からしたら迷惑な話だっただろうな」
苦笑いを含んだ表情で、西宮は口にする。
「……でも、北林の方も別の役職のないクラスメイトを巻き込んでいたけどな」
目の前にいるその巻き込まれたクラスメイトを見て、西宮は困ったような笑みを浮かべた。
「……俺も北林から聞いた時は驚いたよ。北林はきっと、一人でやりたくなかったんだろう。だから南沢も巻き込んだんじゃないかな」
「……なんてはた迷惑な」
「そういうことは、思っていても口にするべきじゃないぞ。南沢の悪いところだ」
西宮に釘を刺され、思わず苦笑してしまう。
見ると、西宮も笑っているようだった。
西宮の笑みを見て、少しだけあの頃の淡い想いを思い出した気がした。
会話の節々から。行動の随所から。
――ああ、もしかしたら自分は、西宮のことが好きなのかもしれないと思うことが、何度かあった。
でも、その感情を手放しであの頃の自分は喜べなかった。
西宮だから、じゃない。自分は女で、西宮は男だからじゃないのか。そういう生物的な理由で西宮のことを好いていないと、どうしてもあの頃の自分は断言出来なかった。
今まで人と関わって来なかったから、友情か愛情か分からなかったというのもあった。
そんな折に、クラスメイトの女子から呼び出されて言われたのだ。
西宮のことが気になっているから、近づかないで欲しいと。
どう見ても西宮とその女子じゃタイプが違うような気がしたけど、西宮は男女平等に接する男だったから、どこかで向こうに惚れられる行動をしたのかもしれない。
あのクラスメイトは気付いていたのだろうか。だから、ライバルを蹴落とす意味で、あの日自分に釘を刺しに来たのだろうか。
その真意はもう確かめようもないが、あの時彼女に呼び出されたことで、自分の感情を咎められたような気がした。
言われてから、初めて西宮に向ける感情に恐怖を感じたのだ。
怖かった。自分自身の変化も、無視した場合に起こるであろう彼女からの報復も、自分の感情に気付いた時の西宮の反応を想像することですら。
そして、まだ後戻りできるその内に、西宮から逃げてしまったのだ。
後悔していないと言えば嘘になる。
でも、あの時の自分にはそれしか出来なかった。
その後、二人がどうなったのかは知らない。
あれ以降、どちらとも話はしなかったし、ほとんど視界に入れないようにしていたから。
ただ、クラスでの雰囲気を見た限り、二人の間には結局何もなかったんじゃないかと思う。
そうして今までやってきた。
自分の数少ないクラスメイトとの交流は、そうして断たれたのだ。
喧嘩別れをしたわけではないから、話そうと思えば話せたのだろうし、西宮の性格から考えても無視されることはないとは分かっていた。
分かっていたはずなのに、今の今まで話さなかったのは、端的に言えば自分が臆病だったからだ。
奇しくもその機会は、中学時代の自分たちを知らない北林によって、再びもたらされたということになったのだけれど。
「……南沢は、北林と仲が良かったんだな。知らなかったよ」
西宮の穏やかな目から顔を反らし、小さく答える。
「……完全に不本意だから、あんまり言わないでくれ」
「そうなのか? でも、今の話だと……」と、西宮は首をかしげる。
でも、それも無理もないのかもしれなかった。つい先ほど、西宮には北林と親友になったことを告げたのだから。
そして、今週末に北林は引っ越し、来週からいなくなることも、親友を作り続ける彼の賭けのことも。
北林は高校一年の九月初めくらいに転入生としてやってきたから、結局この場所には一年と数か月ほどしかいなかったことになるのだろう。
「……でも、そうか。北林はまた転校する予定だったのか。分かっていたなら頼みはしなかったんだが、悪いことをしてしまったな」
「言ってなかったんだし、いいんじゃないか? 知らなかったんだからしょうがないだろ」
「そう言ってもらえると、少し心が軽くなる」
本心ではまだ引きずってそうだったが、西宮はそう言ってこちらに笑みを浮かべた。
「……でも、北林は不思議な賭けをしているんだな。まるで小説のようだ」
「おかしな賭けだとは思うよ。自分を忘れていないかを確かめる賭けなんて」
「南沢にも、いつか来るということなのか?」
「そういうことに、なるんじゃないかな」
「……自信がなさそうな顔をしているな」
西宮の言葉が図星すぎて苦笑するしかない。
「……正直、分からないんだ。北林のあの話を聞いたら、自分だけでも北林のことを覚えていてあげたいと思ったんだ。でも、人間の記憶なんて曖昧なものだろ。何年経っても覚えていられるのか、正直不安なんだ」
「……そうだよな」
二人して押し黙ってしまう。次に言葉を発したのは西宮だった。「そうだ」と口にした西宮は、こちらに笑みを向ける。
「――そうだ、南沢。備忘録を書くというのはどうだろうか」
「備忘録?」
「要はメモ書きだ。日記でもいい。今まで過ごした北林との日々を記録として残していれば、何年経っていたとしても、それを読み返せば思い出すことが出来るだろう」
「……それはちょっと、卑怯なんじゃないか?」
「『転校のことを言ってなかったからお互い様』、じゃないのか?」
被せられた言葉と西宮の挑戦的な笑みに、思わず吹き出してしまった。
家に帰り、適当に新品のノートを探して机の上に置いて考える。
――しばらく会ってない奴なんざ、その内記憶から消えて忘れ去られるんだよ!
そう言ったのは、北林じゃないか。だから、批判される理由はないと思った。
いつか、彼の親友の内の一人だった自分に、北林は確かめに来るのかもしれない。「俺のことを覚えているか?」なんて言って、ひょっこりと現れることがあるのかもしれない。
引っ越す前に親友を一人作る。そして、いつか再会した時に、自分のことを覚えているかを尋ね、答えてもらう。
それが、北林信久が作った賭けのルールだったはずだ。
ルールを知っている分、最初から自分は他の親友より有利だった。それに加えて、これから自分は北林のことを記録するというイカサマすれすれの行為をする。
でも、イカサマじゃないんだと北林に伝えたかった。
忘れるから記録に残すのではない。
覚えておきたいから、記録に残すのだ。
書き連ねる思い出は、いつか記憶の奥底で眠り、忘れ去られてしまう日々だ。
書いた自分にとっては、思い出した時に見返すだけだろう。
しかし、誰かに読まれる時になって初めて、このノートの効力は発揮されると思う。
その対象は、自分のことを「親友」だなんて呼んだ北林信久くらいしかいないだろう。
その日の夜は、ほとんど備忘録を書くことに時間を消費することになった。
――――――――――――――――――――
――これは、忘れたくないあの日の思い出を書き留めた備忘録である。備忘録なんてカッコよく言っているけれど、要はメモ書きのノートだ。――。
そんなうたい文句から、始めてやろう。
これは、いつか君に捧げる備忘録だ。
――――――――――――――――――――
西宮の言葉で備忘録の存在を思い出して実家の机を漁ると、ノートはすぐに見つかった。
久しぶりに見返して思う。この時の自分はなんて青臭いのだろうと。
たった数か月しか付き合いのなかったクラスメイトに対して、ヤケになって、張り合って。
今まで友達らしい友達がいなかったとはいえ、ずいぶん子供じみていたと苦笑してしまいそうになった。
でも、これが本当に効力を発揮する日が来るなんて、あの頃の自分は少しも思わなかっただろう。
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