第8話
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北林の言葉で、まだ自分が人と関わろうとしていた時のことを思い出した。
「奏ちゃんって、変なの」
当時はまだ友達らしき友達がいた。しかし、ある日その子から言われたのだ。自分が変だと。
何が、と問いかけると、そのクラスメイトは面倒くさそうな顔をした。
そういえば最近、彼女はそういう顔をすることが多かった気がする。
「分かるでしょ、それくらい」
分からなかったから聞いたのに。でも、その言葉すら彼女には受け入れられなかった。当時一番仲がよかったその子が離れてしまったことで、自分は一人になった。
人の気持ちを推し量るように。人に気に入られるように。
どうもそれが、自分は人よりも苦手だったらしい。
関わらなければ、向こうからも話しかけられることはない。結局、同性とは上手く馴染むことが出来なかった。かと言って異性と馴染めたというわけでもなかった。結果、一人が一番楽だと感じるようになっていった。
同性が相手であろうが異性が相手だろうが、悪口は何倍かに返し、やられたらやり返すくらいの気持ちで過ごすことにした。
本しか友達がいないと陰口を言われた時も、相手はそこそこに体格のあった男子だったが、構わずに突進し、結果相打ちになって両方悪いと怒られるようなこともした。
しかし、年が経ってさらに体格差が出来てからはそれもしなくなり、より誰とも関わらず一人でいるようになった。
その頃から「私」と言わなくなり、何かものを書く時も無意識に自分を指す言葉を使わなくなったように思う。
しかし中学の頃、西宮和仁と関わった短い日々で、自分の中にわずかな変化が生じた。
そして結果的には、自分の一人でいたいという生き方に拍車をかけていったのだろう。
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「――お前と西宮の間に何があったのかは知らないよ。でも、お前ら多分凄く気が合うよ。一年と数か月しか関わっていなかった俺でよければ、保証だってする。なのに、互いに相手が近くにいるにも関わらず、何も行動しないお前らが見ていてムカついたのも事実だ。だからデートなんて言って連れ回したし、事あるごとに西宮と話せと言ってきた。でも、もう終わりだ。だって俺の『世界』は、明日で終わるんだからな」
そして、北林は自分の両肩に手を乗せて俯いて顔を伏せてしまう。
「俺さ、来週はもういないんだ。それはお前と関わるずっと前から決まっていたことで、もう変わらないことなんだ。だから、もし来週になっても西宮が戻ってきてなかったらさ、図書委員よろしく頼むわ」
両肩を痛いほどに掴んで、北林は口にする。
「だから、一生のお願いでいいから、俺の願いを聞いてほしい」
俯いていたから表情は分からない。それでも自分には、北林が泣いているように聞こえた。
「なあ、奏。俺の親友になってくれ。そして俺のことを、忘れないでいてくれ」
日が落ちてきて暗くなり始めた部屋の中で、壁に映った自分の影が半ば反射的にうなずくのが見えた。
「……ありがとう」
肩越しに聞こえた声を聞きながら、やはり北林は泣いているのではないかとぼんやりと考えていた。
「取り乱して悪かったな。……肩、大丈夫か?」
しばらくすると、北林も落ち着いたようで静かに離れ、申し訳なさそうに肩の調子を聞かれた。
実のところ、さっきまで北林に強く掴まれていた肩は若干痛かったけれど、変な心配をされるのも嫌だったので平気なふりをしておいた。
「……大丈夫だけど」
「……それならよかったけど。でも、加減出来てなかった。女子の親友は、久々だったから」
北林の女子という言葉を、一度頭の中で反芻させる。
女子とのいざこざがあって、女子は面倒だと思った頃、自分の「奏」という名前すら嫌になったことがあった。
その頃、女子に多く使われる「私」をなるべく使いたくなくて、誰かと喋る時、もしくは何かものを書く時も、無意識に自分を指す言葉を使わなくなったように思う。
でも、さっき北林に奏と呼ばれた時も、そして今女子だと言われた時も、特に何も感じなかった。
今までに本を多く読んだことで、有名な文学作品の中で男主人公の一人称が「私」ということだってあるじゃないかと、そうやって割り切れるようにもなったのかもしれない。
だから、別に女子扱いされることが嫌だというわけではなかったけれど、デート場所にバッティングセンターを指定してくるような男にも、一応女子だとは思われていたんだなとは思った。
日も随分と落ちてきたからとそろそろ帰るよというと、「送っていくよ」と北林は立ち上がった。
何かを言う間もなく、北林は先に出て行った自分の後に続いて外に出てきてしまったので、まあいいかと思い何も言わないでおいた。
扉の鍵をしめ終えた北林と共に、駅までの道を歩いていく。その帰路の途中、北林が思い出したようにポツリとつぶやいた。
「……俺さ、お前みたいな生き方に、ちょっとだけ憧れてたんだよ」
薄く笑った北林が、本当にちょっとだけな、と念を押して続きを口にした。
「『たかが数年の付き合いになるような奴に、好かれようと努力することに意味があるとはどうしても思えない』。少し前、南沢はそう言ったよな。お前がそう言った時さ、俺は確かにと思ったんだ。それより短い期間で転校していく俺にとっては、尚更そうだと思った。でも、俺にはどうしても一人で生きていくなんてこと、出来なかったんだ」
目線が交差し、北林が寂しそうに笑う。
「……その点、南沢は凄いと思うよ。全部一人でこなして、誰にも迷惑をかけずに生きようとしている。俺にはきっと真似出来ない」
北林に誇れるほど、自分は出来た人間じゃない。そう思うのに、北林にかけるべき言葉が見つからない。
「……だから、かな。南沢と顔を合わせた時、コイツしかいないと思ったんだ」
泣きそうな表情になった北林が、その先を口にする。
「『そこまで親しくはない、でも知らない顔ではないクラスメイトなら、委員会の仕事なんて面倒な役目、罪悪感なく押し付けられる』。俺は西宮のことをそんな風に言ったけどさ、俺も南沢に同じことをやろうとしていたんだ」
最低だろ、と北林が息だけで笑う。痛々しすぎるその表情は正直、見れたものじゃないと思った。
「あのさ」
駅に着き、見送りの役目は終えたとばかりに背を向けて帰路につこうとした北林に、とっさに声をかける。
「何だよ、南沢」
振り返ってこちらを見た、北林の底なし沼のような暗い瞳に、一瞬ゾッとする。
北林を助けてやりたかった。わずかな期間関わっただけなのに、どうしてこうも感情移入をして勝手に辛くなるのだろう。
それもこれも全部、あの日北林と目が合ったせいだ。だからもう、覚悟を決めてやろうと口を開いた。
「……さっき、いつか親友に会いに来るって話してたと思うけど。いいよ、いつか会いに来いよ。それで、北林の気が済むのなら」
「……オッケー、そりゃあ楽しみだ」
そう言って、北林は振り返ることなく帰って行ってしまった。
家に帰って考える。
自分はどうするべきなのか。北林は自分に何を望んでいたのか。
いくら考えても、答えは出てこなかった。
でも、とついさっきの情景を思い出す。
駅に向かうまでに、自分が北林に尋ねたあの場面のことを。
「……なあ、北林」
「なんだよ、南沢」
「……親友の前に、自分たちは友人だったかな」
その言葉に、北林が困ったような表情を浮かべた。
「そんなことを、本人を目の前にして聞くなよ……俺は割と友人くらいには思っていたけど、逆に南沢はどうなんだ? これだけ関わっても、南沢にとって俺は、ただのクラスメイトの一人だったか?」
若干引き笑いで聞き返されたその声が。
「……これだけ関わってたら、他のクラスメイトよりは関係が深いと言わざるを得ないだろ」
「つまり?」
「……友人だ、と思う」
自分にしては、珍しく素直に伝えられたあの言葉で。
「……驚いた顔すんなよ」
「……いや、まさかそんなストレートに言われると思ってなくて」
驚きから丸くしていた目を、「でも」と言って細めた北林の顔が。
「……そっか、俺、南沢とちゃんと友人だったんだな」
そう言って心から嬉しそうに笑っていたその表情が。
それらがまだ記憶に残っている内に、どうするべきなのか考えなければいけないと思っえたのだ。
次の日の金曜日、『明日世界が終わるなら』の本を返しに図書室に向かった。
受付には東山先生しか居らず、見たところ他に利用客もいなかったので、返す時に東山先生に北林のことを尋ねてみた。
「先生は、北林の転校のことを知っていましたか」
東山先生は、一度驚いたような表情をして、言った。
「……もしかして、まだ聞かされてなかったの?」
その言葉で分かってしまった。どうして図書委員の代理を二人で行うなんてことが許可されたのか。
知らなかったのは、自分たちクラスメイトだけだったんだなと、今までひた隠しにし続けた北林の立ち回りや演技力の高さに、思わず肩をすくめて笑ってしまった。
「……ギリギリまで言わないつもりだったそうです。自分には、昨日じゃんけんで勝ったから特別に教えてくれたみたいで」
「そういえば、昨日の昼休みに廊下でかけ声が聞こえたわね」
聞こえていたのか、と少しだけ気恥ずかしくなる。
「……後悔しないようにね」
遠慮がちに、東山先生は口にする。
「…………はい」
自分を奮い立たせるためにも頷くと、東山先生は笑顔になった。
まだ貸し出し上限に余裕があったので、二冊ほど追加で借りて図書室を後にする。
図書室から教室に戻る途中、廊下で北林と数人のクラスメイトとすれ違って、一瞬北林と目が合った気がした。
転校するまでまだ一日の猶予があったことを、今日の朝、学校で北林の顔を見るまで完全に失念していた。
昨日あれほど忘れてほしくないと感情をむき出しにしていたくせに、今すれ違った北林は平気そうな顔で誰かと笑い合っていたのが嫌でも目についた。
――ああ、今、北林の横で笑っているあのクラスメイトは、一週間後も同じように、北林と他愛のない会話で盛り上がれると思っているのだろう。
そう考えると、そのクラスメイトがなんだか哀れに思えてきた。
嫌がらせに、学校で北林の転校の話を言いふらしてやろうかとも思ったが、よく考えたら言いふらす相手がいなかったのでやめた。
転校前日に声をかけたところを目撃され、いらない詮索をされるのが嫌だったので、放課後に北林が教室から出て一人で玄関に向かっているところを見計らって「北林」と声をかけた。
「……何だ、南沢」
振り返った北林が、こちらに笑みを向ける。
転校のことを自分は知っているはずなのに、目の前の北林にはそんな様子は微塵も感じられない。
でも、目が言っている。ここで転校のことを言ったら、絶交してやると。
だから、これだけに留めておこうと、口を開いた。
「…………またな」
また明日は、もうないから。だから「またな」という言葉を選んだ。
それくらいなら、北林も許してくれると思ったから。
「どうした急に……ああ、なるほどね」
最初は面食らっていた北林も、意味に気付いたらしい。
「――そうだな。またな、南沢」
手をヒラヒラと振って、北林は玄関に向かっていく。
それが、高校時代での北林との最後の会話になった。
週が明けると、西宮は学校に復帰した。
そして、代わりに一人の席が消え、北林信久という生徒は、何の前触れもなくこの学校から跡形もなく消えてしまっていた。
少なくとも自分の周りには、そう映っていたらしい。
別のクラスでも噂が流れるくらいには、北林の突然の転校は衝撃的だったらしい。
薄情な奴というのが、北林に対する周りの大体の印象らしかった。
たった一年と数か月だったとしても、あれだけ仲が良かったように見えたのに、転校のことを何も聞いていなかったのだから、無理もないのかもしれない。
数日間は「本当に誰か連絡先を知らないのか」と人捜しが行われた。
クラスのライングループはいつの間にか抜けられていたし、北林の家には誰一人として行ったこともなく、どこに行ったのか足取りが掴めなかった。しかし、誰も本当に連絡先も知らなかったのと、連絡先を知ったところで北林と何を話すのか分からなくなったのかで、一週間も経つと別の話題に移り、北林の話を誰もすることがなくなっていった。
季節は移り替わり、記憶は少しずつ薄れていく。
そのまま自分たちは三年生の受験期に入り、センター入試の結果に一喜一憂し、卒業式を迎えた。
北林の進学先も、今どこにいるのかも、結局聞かずじまいだった。でもアイツなら、きっとどんな場所でも上手くやっていくのだろう。
そう、思っていた。おそらく自分だけではなく、他のクラスメイトだって。
北林が崖から転落して病院に搬送されたことを知ったのは、大学生三年目の夏の日のことだった。
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