第7話
――明日、世界が終わる話をしよう。
その一瞬だけは真面目な表情をしていたものの、北林はすぐに姿勢を崩し、おどけたように笑った。
「……やっぱ無理だな、雰囲気だけでもそれっぽくしようと思ったのに」
「そう思うなら止めればいいと思う」
「相変わらずつれないな」
目を細めて笑った北林は、テーブルに置いた古ぼけた本の表紙をなぞり、もう一度こちらを見た。
「……ああ、その前に電車で読んでいた本の感想でも話すかな。南沢って、本のネタバレとか気にしないタイプ?」
「……ミステリーなら殺すが、ハウツー本なら別にいい。おそらく今後も読まないだろうし」
「殺すって、穏やかじゃないな」
まあいいや、じゃあ感想なとすぐに切り替えて北林は口を開いた。
「一言で言うなら、チープだった。ありきたり、に言い換えてもいい。内容が薄い上に、俺でも思いつくようなことばかり書かれていた。……でもまあ、この当時の状況を考えたら仕方ないのかもしれないな。ノストラダムスの大予言が、日本で信じられていた頃だもんな。当時本気で読んだ人もいるだろうし」
スラスラと感想を口にする北林に、少しだけ感心する。
表情に出ていたのか、北林の苦笑した声で我に返った。
「……なんだよ。こう見えて、小学生の時に書いた読書感想文の評価は結構よかったんだぜ」
今はあんま読まないけどさ、と付け加え、北林はこちらに本を差し出す。
おそらく返すという意味だと思ったので、受け取って鞄の中にしまっておいた。
鞄にしまいファスナーを閉め終えたと同時に、北林は話を再開する。
「……まあ、最終的に俺の感想は、最初にお前に言ったことに落ち着くかな。タイトルはいいと思う。『無人島に何か一つ持っていくなら何にする?』と同じくらい、答えによってその人らしさが出てくる問いだからな」
言われてから気付く。確かに無人島の問いも、明日世界が終わるならの問いも、人によって答えは変わってくるような問いだ。
北林と目が合い、挑戦的な笑みを浮かべられる。
「前にも聞いたが、もう一度聞くぜ。――南沢は、明日世界が終わるなら何をしたい?」
明日、世界が終わるなら。あの時も少しばかり考えたが、もう一度考えてみることにする。
もし、明日世界が終わってしまうなら。
そこで思い出したのは、バッティングセンターで北林に言われた言葉だった。
――お前も、もし明日世界が終わるってくらいの危機にならないと、声はかけられないのか。
西宮に声をかけろと言われて渋った時に言われた言葉だった。
どうして北林がそこまで西宮にこだわるのかは分からなかったけれど、確かに西宮とは、何か大きなことが起きない限りずっとこのままの関係で、クラスが離れてしまえばそれっきりになるような気がした。
――西宮くんに近づかないでよ。
あの時、クラスの女子からの嫉妬が怖くて、その通りにして逃げだしてしまった。
あれから随分時間が経ったはずなのに、今でも西宮と話すのも、それを見られた時の周りの目を考えるのも怖かった。
だからこれからもずっと、一人で生きていこうと決めていたのに。
でも、もし明日世界が終わるなら。
そこまで時間に切羽詰まっていたなら、今まで怖気づいて出来なかったことも出来てしまうのだろうか。
だって、どうせ次の日なんて訪れないのだから。
そこまで考えて、北林の意図らしきものに気付く。
「全部手遅れになる前に後悔しないように生きろ、って言いたいのか」
その言葉を聞き、北林は満足したように笑った。
「……そりゃそうだろ、だって時間は有限だからな。でも、明日世界が終わるなんて忙しい日にまで先送りにせず、早めに行動するべきだと思うけどな」
まるで先生みたいだな。思ったことをそのまま口にすると、北林は一瞬キョトンとした表情を浮かべた。
「……まあ、お前よりは遥かに色々経験してるからな」
お前も同じ年じゃないかと思ったけれど、実際にその通りなのだとも思った。
転勤族だと言った北林は、自分より遥かに多くの人と関わってきただろうし、色んなタイプの人と過ごしてきたのだろう。
あまり想像出来ないが、きっと、自分とよく似た人にだって会ったことにあるに違いない。
誰に対しても北林が上手く対応出来るのは、きっとそういうことだと思う。
先ほど本をしまった鞄を見ながら、口にする。
「それを言うためだけに、この本を借りさせたのか」
北林の性格的に、それもあり得そうだと思ったが、どうなのだろうかと口にする。
「あー……それもちょっとある、かな。でも一番は、俺が読んでみたかったからだ」
マグカップのコーヒーを一度すすり、北林は口を開いた。
「南沢、俺さ、明日世界が終わるんだ」
「…………どういうことだ?」
うまく意味を飲み込めなかった自分を見て、ちょっと詩的表現すぎたかな、と北林が照れくさそうに笑う。
「さっき俺が読んだ本でいう『世界』はおそらく、地球全体のことだろう。人類が滅ぶなんて大それたことが書かれていたし。……でもさ、それが地球なんて広い場所じゃなく、学校の中の教室の一つであったとしても、そこで一日の何分の一かを過ごして、勉強して、人付き合いをしながら必死に生きているというなら、言わばそれも一つの『世界』だと思わないか?」
北林の言葉は、多少回りくどくはあったが理解は出来る。
確かに、学校や教室で蔑ろにされたり、立場が危うくなったりした際、もう生きていけないと思う人は一定数いるのだろう。
自分はそういうタイプではないが、理解はしている方だ。
それはつまり、その人にとっての学校や教室が、地球で生きていると同じくらいの意味を持っているということなのだろう。
「……言いたいことは分かった。確かにそうかもしれない。でも、明日で世界が終わるってのはどういうことだ」
こちらがなんとなく意味が飲み込めたことを確認して、北林は再び口を開く。
「だから、そのままの意味だよ。俺はさ、この週末で引っ越して、来週から別の学校に通うことになる。だから実質、今日と明日でここでの生活が終わるんだ」
だから、俺の「世界」は明日で終わるんだと北林は笑った。
その言葉で一瞬、世界が止まったかと思った。
「……部屋に入った時、結構すっきりしてると思っただろ? 荷造りのために色々整理したんだよ。物は元々少なかったから、片付けること自体は楽だったけどな。どうせ数年しかいないのは分かってたし。でもまあ、物が少なくても荷造りなんてそれなりに時間がかかるものだから、しばらくはそれにかかりきりで、あんま自由な時間はなかったんだよな」
――いや、いいよ。俺にはゆっくり本を読む時間がないからな。
いつかの日、北林に「本を読めば」と言った時の返事が、頭の中によみがえった。
そして、北林の家に入った時のことも思い出す。
隅々まで掃除が行き届いた玄関。あまりにも物が少ない室内。部屋の隅に積み置かれた段ボール。
それが意味することに対する答えは、そう多くない。
加えて、北林の親は転勤族であることを考えるなら、北林が再び転校することも、予想出来る範囲だったのだろう。
でも、そんな、あと一日しかいないなんて。
動揺する自分をよそに、北林はさらに次の話を語っていく。
「あと、本を借りても転校するまでにちゃんと返すことを覚えていられるか分からなかったし。借りっぱなしは、流石に向こうに迷惑がかかるから。だから、南沢の名前で借りてもらった。少しだけさ、中身に興味があったんだ。あんま役には立たなかったけど」
――ん、じゃあ南沢、これ借りてくれ。
本を差し出した時の北林の顔は、そんな思惑なんて微塵も感じられなかった。
でも、それら以外の言葉にもすべて、北林なりの理由があったのなら。
「だからあの本に、興味があったんだ」と北林は言った。
「俺も明日ここでの生活、ここでの『世界』が終わるから。もしかしたら、俺にとって何かしら有意義なことが書いてあるかもしれないと思ったんだ。でも、ダメだったな。だって規模が違うもんな。俺にとっての『世界』と、地球全体なんて比べちゃいけないよ」
そして、わざわざ借りさせてすまないなと北林はこちらを見て笑った。
「……なんだ、思ったより転校に対しての反応が薄いな」
北林はどこか拍子抜けしたかのように呟く。
「いや、驚いてる、けど」
そう言って一度北林から目をそらす。当番で顔を合わせていたとはいえ、教室ではほとんど会話もしていない。話をしていないと、ここまで情報も伝わらないものなんだなと、その一瞬では思った。
「……全然気付かなかった。クラスメイトも、そんな雰囲気なかったし」
「いや、クラスでは言ってない。そもそも転校自体、だいぶ前から決まってたけど、今日まで誰にも言ってなかったし。だから、南沢に初めて言ったよ」
「――は?」
色んな感情が入り混じった「は?」だった。
その言葉を受けてか、元からそうしようとしていたのか、北林の目が皮肉っぽく細まる。
「今日さ、南沢がじゃんけんで勝っただろ。本当はさ、誰にも言わずに去るつもりだったんだ。行こうとしていた場所も、本当は別にあったし。でも、せっかく南沢が俺に勝って、親友にしようとした理由を聞いてきたじゃん? その理由ってさ、俺が転勤族なのと少し関わってるんだよな。だから、俺の家に急遽変更して、転校のことも教えてあげたんだよ。どうだ、じゃんけんで勝った相手にするにしては、結構なサービスだろ?」
でも、転校のことを誰かに言ったら絶交な、と北林の目が三日月型に細まる。
「――で、どうして親友にしようとしたか、だよな。それを話す前に、一つ昔話を聞かせてやるよ」
どこか懐かしそうに目を細めて、北林はそれから昔話とやらを話し始めた。
「――昔々、あるところに一人の少年がいた。小学生だったその少年には、とても仲がいい親友がいた。でも、その少年はある日転校することになったんだ。親友だけでなく、周りもとても悲しんでくれたよ。そして、転校した後も絶対忘れない、いつか会おうとかたく握手して、その親友とは別れた。……それから数年が経った、ある春休みのことだ。その少年は、内緒で親友に会いに行くことにしたんだ」
でもさ、と北林はあっけらかんとした笑みを浮かべる。
明らかに北林の実体験に思えるその思い出に、もう区切りをつけてしまい、まるで、今ではもうどうでもよくなったみたいにして。
「……覚えてなかったんだ、ソイツ、その少年のこと」
その言葉に、何も言えなくなってしまう。そんな自分を見てか、北林が「そんな顔すんなよ」と笑われてしまう。そして「話はここからだからさ」と真面目な顔を向けた。
「……ここからって、どういうことだ」
尋ねると、北林は再び口を開き語り始めた。
「……そういう過程があって、その少年は友達とか親友とか、つまり友情自体に信頼を置かなくなった。成長するにつれて、広く浅い付き合いをすることも覚えていって、誰かからも束縛されることなく、楽な人生を送れるようになった。……でもさ、それだと人生がずいぶんとつまらないだろ? だから、その少年はもう一度友情を信じるために、ある賭けを始めたんだ」
「……賭け?」
不意に出てきたその言葉をオウム返しに尋ねると、人差し指を口元に持っていき、北林は目を細めた。
「相手が、その少年のことを覚えてくれているかを確かめる賭けだよ。そのために、親友がいるんだ」
もう冷めてしまっただろうコーヒーを再び口に含んで、北林は笑う。
「まずな、次に引っ越すまでに、その場所で親友を一人作っておくんだ。そして、何年経ってでもいいから、いつか再会出来た時に、自分を覚えているかを尋ねて、相手に答えてもらおうって思っているんだよ。だから各地に親友がいるし、ここでも欲しいんだ。……なあ南沢、俺は……明日、世界が終わるならさ、俺は今までの親友に会いに行きたいんだ。そして、俺はこの場所での親友に、お前を選ぼうと思っていたんだ。南沢が親友になってくれたら、お前のところにもいつか会いに来るよ」
いつの間にか「その少年」を「俺」に変えた北林が、こちらを指さしながら、笑みを浮かべる。
「……なんで」
「この賭けってさ、一応俺の中で勝ち負けみたいなものがあるんだよな。覚えているなら相手の勝ち、覚えていないなら相手の負け、みたいなものがさ。賭けに正確性を出すために、俺は色んなタイプの親友を作ってきたんだ。南沢みたいなタイプの親友は、今まで作ってなかった。だからお前にこの前声をかけたんだ」
あっけらかんと笑いながら話す北林の言葉を聞きながら思ったのは、まるでゲームみたいだということだった。
だから、北林の行動には違和感だらけだったのだ。
多くの友達に囲まれているのに、時々どこかつまらなそうに無機質な目をしていたのも。自分と親友になりたいと言うくせして、断られてもそこまでへこんだ様子を見せなかったのも。そしてあの時、バッティングセンターの帰り、自分に親友になろうと言った時に、じゃんけんなんて方法で決めようとしたのも。
負けても、別の奴を探せばいいと思っていたから。
北林にとっての親友は、賭けのための駒でしかないから。
酷い言い方をすれば、親友は自分でなくても、よかったのだから。
「――なんだよ、それ」
その言葉で、北林の目が一瞬鋭くなったように見えた。
「……何がだ」
「そんなことのために、親友になろうとしたっていうのか」
「……お前に何が分かんだよ」
不愉快そうに、北林の表情がゆがむ。その変化に物怖じしかけるも、こちらも引けないと強気な態度で話していった。
「分かるかよ。じゃんけんで親友を決めようとする奴のことなんか分かる訳ないだろ。そんな風に選ばれた親友が、嬉しいなんて思う訳ないだろ。それに、親友が自分に何も言わずに転校したらどう思うかくらい分かるだろ。そんなことされて、よくもう一回会いに行こうなんて思えるな。どうかしてんじゃねえのか」
「お前こそ、分かってねえよ!」
突然の北林の咆哮で、思わず固まってしまう。そして、だってそうだろ、と北林はこちらが口を挟む間もなく話を続ける。
「生まれてからずっとこの土地にいて、周りがほとんど顔見知りで、卒業しても偶然どこかで会うかもしれないみたいな場所にいる南沢には分かんねえだろうけど、俺みたいに転校して、それから顔も見かけない奴が数年でどうなるかなんて知ってんだ! しばらく会ってない奴なんざ、その内記憶から消えて忘れ去られるんだよ!」
しばらく会ってない奴なんざ、その内記憶から消えて忘れ去られる。
そんな北林の慟哭で思い出したのは、いつかのクラスメイトにまつわる記憶だった。
小学生の時、学期の途中で転校することになったクラスメイト。そのクラスメイトのために、五時間目の授業の時間を使って、クラスでお別れ会をした記憶がある。
その時のことは、確かに出来事として記憶されているのに、転校したクラスメイトの顔や名前は、どうしても思い出すことができなかった。
言葉に詰まってしまった自分に、北林がさらに追い打ちをかける。
「どれだけまた会おうって言われても、手紙を書くって言われても、いつか忘れられて初めからいなかったように扱われるんだよ! そりゃそうだよな、だって長くても数年の付き合いだ! 人生百年時代なんて言われている中の、たった数年だ! そんなの、忘れられて当然だよなあ!」
一息に言い切った北林は、一度こちらを睨みつけた後に次の言葉を口にした。
「……なんでお前を親友にしようとしたか? そんなの決まってる。人に興味がなさそうだったからだ。元々誰かに興味もないような人間なら、いくらどこかへ連れまわしても心は痛まないと思ったんだ。けど、違うんだな。関わった時点で、もうお前は他人じゃないんだな」
初めから北林、いや人そのものに興味もなかった自分は、そうしてあの日選ばれたのだと、悟った。
「俺は明日でいなくなる。だから、明日はデートなんて言って誘わないから安心しろ」
三日前にも聞いたその単語を使い続けている北林に、頭に血が上りながらも、半ば呆れて言葉を返す。
「――だから、北林は一回デートって単語の意味を調べろと」
「男女でどこかに出かけたら、世間一般にデートって言われても仕方ないだろ」
淡々とした北林の言葉に、言葉が詰まる。
デートしようと言われた時、自分と行くなんて正気かと思ったこと。北林と二人で歩いていた際、廊下ですれ違ったクラスメイトに、「なんでこの二人が……」みたいな顔をされたこと。それに、ここに来るまでにも思ったじゃないか。
誰かに姿を見られたら厄介なことになってしまうだろうから、どうか誰にも見つかりませんようにと。
駆け落ちなんて言葉、誰かに聞かれたらどうするのだと。
それは、北林が人気者だからだけじゃない。北林が男で、自分が女だからという性別の違いからでもなかったのか。
でも、それを認めたくなくて、北林に反論する。
「……その原理でいうなら、これもデートになるじゃないか。それに、北林も言っていたじゃないか。別に自分たちは恋人同士じゃないから、デート場所にバッティングセンターを選んでもいいだろうと。互いに恋愛感情を抱いていなければ、男女で出かけてもデートなんて互いに認識しないだろ」
「……よく覚えてんな。でもそれは当事者間での話だ。その理論が周りにも通じるかって話だろ」
確かにそうだ。だから、あの時も。
中学の時、クラスメイトに西宮に近づかないでと言われたのも、彼女にとって自分が邪魔者に思われたから。
――西宮くんに近づかないでよ。
「そうだろ、南沢
――だから、分かるよね。奏ちゃん。
家族以外に呼ばれるのが久しい自分の名前で思い出したのは、小さな頃のクラスメイトとの些細な不和だった。
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