第6話



 ――俺の親友になってくんない?



 そう言った北林の真意が、考えても分からなかった。


 だから、まだ図書当番として北林といられる内に、直接尋ねてみようと思ったのだ。

 自分から何か行動するのは、久しぶりのことだったように思う。

 そのことに抵抗がなかったわけではなかったけれど、それよりも分からないままにする方が、どちらかといえば嫌だったから、あの日北林に理由を尋ねたのだ。


 そうしてあの日、自分と北林は、親友になったのだと思う。



 ――――――――――――――――――――



「――北林、ちょっと話したいことがあるから廊下に出ないか?」


 意を決して、周りに配慮しながら小声で北林に声をかける。

 声をかけられた北林は、どこか訝しげな表情をこちらに向けて口を開いた。


「いいけど、ここじゃダメなのか?」

「話すなら、図書室の中より廊下の方がいいだろ」

「……まあ、そうだけど」


 不思議そうな顔をしながらも、北林はこちらの後に続いて図書室から廊下に出てきてくれた。


 何回か北林と図書委員として過ごして、気付いたことがある。

 北林はおそらく、聞かれたくないこと、やりたくないことをそれとなくかわすことが、とんでもなく上手い。

 自分といる時だけじゃない、それはクラスメイトに囲まれている時だって。

 必要以上には口にせず、かつそれだけで言いたいことが伝わるように、北林はいつも誰かと話をしていたし、行動していた。


 ――南沢、覚えてるよな? 今日の放課後の当番。


 随分と省略され、倒置法みたいだと思ったあの言葉も、そうして吐き出された言葉だったら納得がいく。

 そして、その後クラスメイトに、どこか行くのかと聞かれた時の言葉も。


 ――信久、南沢とどっか行くのか?

 ――図書室。


 それに、明日世界が終わるならの話をした時も。


 ――そういう北林はあるのかよ。明日世界が終わるなら何をしたいか。

 ――ある。……何かは言わないけどな。俺にはある。


 こちらが聞く前に、北林は「何かは言わない」と意思表示をして、それ以上踏み込ませないようにしていた。

 いつだって北林は簡潔に、大事なことはそれとなくかわし、本心を悟らせようとしなかった。

 それならもう、多少強引な方法でも聞き出すしかないのかもしれない。


「……で、何だよ」


 廊下に出て数歩進んで立ち止まった自分に対し、北林が問いかける。

 北林に向き直り、一度大きく息を吸ってから、口を開いた。


「北林、どうしてあの時自分に声をかけた」


 こちらの問いに、北林の表情がわずかに動いた。

 でも、それだけだった。真顔だったはずの表情はいつの間にかへらりとした表情になっていた。


「それは、あれだよ。西宮の代理で来ていた時に、たまたま南沢を見たから」


「違う、それも少しはあるのだろうが、他にも何か理由があるんだろ?」


 北林の目が、驚いたように大きく開く。


「……思えば出来すぎていた。どうしてお前は西宮から頼まれた時、すぐに断らなかった? 図書に詳しくないと断ればよかったじゃないか。でも、それをしなかったのには理由がある。違うか? 北林」


 それまでヘラヘラ笑っていた北林から、表情が消える。

 三日前、当番のことで念を押された時にも見た、あの顔だった。

 どうやら図星だったらしい。その顔を見ていると、何か気に障ることをしたのではないかと思ってしまうから、正直止めて欲しかったが、わざわざ口を挟んで会話の流れを断ち切りたくなかったのでそのまま黙っておいた。


「……へえ、そう。で、その上で何が聞きたいんだ」

「理由を教えて欲しい。どうして自分と、親友になりたがっているのかを」

「……嫌だ、って言ったら?」

「無理矢理にでも聞き出す」

「……手荒だなあ」


 こんな空気に耐えられない、といった感じに北林は苦笑して、すぐに鋭い目つきに戻る。


「……じゃあ、もう分かってんだろ。どうやって決めるのか、くらい」

「分かってる。だから、廊下に出てもらったんだ」


「…………どういう」


 北林がその意味に気付く前に、大きく息を吸う。



「じゃーんけん!」



 張り上げた大声に、北林がびくりと肩を上げる。

 自分でも久しぶりにここまで出したなと思った声量で、どうやら北林の意表をつくことには成功したようだった。

 ほとんど無意識に出したであろう北林の拳に、自分は勢いよくパーを突き付ける。


 北林とのじゃんけんでの初めての白星は、初めてコイツとじゃんけんをした時にされた、同じイカサマすれすれの行為でだった。

 信じられないという表情で、北林はこちらを見る。


「……おい、南沢」

「……卑怯なんて、言えないよな?」


 北林の言葉に被せ、してやったりという顔をする。

 すぐに理由が思い当たったのだろう、途端に北林が悔しそうな表情を浮かべた。


「それは、そうなんだけど……」


 珍しく歯切れの悪い北林は、あちこちに視線を彷徨わせて、ようやくこちらに顔を向ける。



「――なんで、こんな時にお前は勝つんだよ」


 北林はそう言って、くしゃりと顔を歪ませた。



 じゃんけんも終えたことだしと、再び図書室の中に戻っていく。

 カウンターを回り込み、席に戻ろうとしたところで、制服をふいに掴まれ振り返ると、普段の表情に戻っていた北林が「あのさ」と口を開いた。


「あのさ、南沢が前に借りていた……何だっけ、『明日世界が終わるなら』だっけか。あれってどこにあんの?」


「借りるのか?」


 まさか北林の口から本のことが出るとは思わなくて、思わず驚いてしまった。

 でも、前に内容を気にしていたし、ついに読む気になったのかもしれない。


「まあ、とりあえずどこにあるか教えてくれよ」


 それならとカウンターに戻るのを止め、以前本を見つけた本棚へと足を運ぶ。

 相変わらず両隣の本に押し潰されていて可哀想なその本を指さすと、北林が「おお」と小さく声を上げた。

 人差し指でその古ぼけた背表紙の本を取り出した北林は、そのまま流れるような動作で自分に本をつきだして口を開く。


「ん、じゃあ南沢、これ借りてくれ」

「……は?」


 意味が分からなくて、思わず聞き返してしまった。


「だから、これ借りてくれって。別に貸し出しの上限ギリギリまで借りてる訳じゃないだろ? なら、一冊くらい増えても問題ないはずだぜ?」

「いや、そうじゃなくて……」


 なんで自分で借りないんだよ、という言葉は、次に言った北林の言葉で完全に行き場をなくした。



「――南沢、明日世界が終わった時の話をしよう」



 色々言いたいことがあったはずなのに「……本気か?」と、それだけが口に出てきた。


「本気だよ。南沢がじゃんけんで初めて俺に勝ったからな、お前の期待には応えるつもりだぜ。


「……この本が、何か関係あるのか?」

 差し出された本の表紙を見つめ、疑問を口にする。


「どうかな。でも、借りて損なことはないと思うぜ」


 どうにも掴めない北林の意図に、諦めてため息をついた。


「……一回借りたんだけどな」

「一章しか読んでないって言ってたくせに、よく言う」


 よく覚えているなと思いつつ、仕方なく『明日世界が終わるなら』と書かれた本を持ってカウンターに向かうと、東山先生がニコニコした表情で貸し出しの受付を済ませてくれた。


「――じゃあ、さっき指定した通り、放課後玄関前に来いよ」


 そして、いつものように、北林は不敵な笑みを浮かべた。



「お、ちゃんと来たんだな。正直来ないと思ってたわ」


 授業が終わった後、言われた通りに玄関前にやって来ると、北林は自分の顔を見るなり失礼なことを言ってきたので、近くに誰もいないのをいいことに思い切り不快感を露わにした表情を向けておいた。

 途端に北林は「怖い怖い」とおどけてみせる。

 一瞬だけ、このまま帰ってやろうかと思ったけれど、せっかくじゃんけんに勝ったのだからと、どうにか思いとどまった。


「……てか、北林の方こそすっぽかすかと思ってた」

「ひでえなあ。俺は約束を破らない男だぜ。約束するまではめちゃめちゃ渋るけどな」


 それはそれでどうなんだと思いつつ、北林のいで立ちに目を向けると、靴はすでに上履きではなくなっていて、いつでも学校を出て帰れるような恰好をしていることに気付いた。


「またどこかに行くつもりか?」と尋ねてみると「まあな」と返事が来る。

 何だよまあなって。行き先を教えろよと少しだけイラついてしまう。

 しかし、これもどうにかこらえておいた。


「……前回は、バッティングセンターだったな。じゃあ今回は、どこに行くつもりなんだ」


 教えてくれるとは思ってなかったけど、一応尋ねてみる。

 返ってもせいぜい「着いてからのお楽しみだ」とかだと思っていた。だから、まさかちゃんと答えてくれるなんて思っていなかったのだ。


「俺の今住んでいる家」


 その言葉に、自分はどんな表情をしていたのだろう。


「なんだその反応。俺に家がないとでも思ったのか?」

「そうじゃないだろ。なんで――」

「大丈夫だ。そこまで遠くない。きっと夕飯までには帰れるさ」

「距離の心配をしてる訳じゃない」


「親友になろうとした理由、聞きたくないのか?」


 次々と言葉を被せられてしまい、思わずため息をつきたくなった。

 どういう意図があるかは分からないが、北林について行かなければ教えてくれる気はないらしい。

 その場で言ってくれたら解決するのに、と思ったが、負けたはずの北林にすでに主導権を握られてしまっているのだからしょうがない。


「……わかったよ。最後まで付き合うから、ちゃんと教えろよ」


「理解が早くて助かるよ。じゃあ行こうぜ」


 先に行ってしまった北林の背中を見て思ったのは、誰かに姿を見られたら厄介なことになってしまうだろうから、どうか誰にも見つかりませんようにということだった。



「なんか、駆け落ちみたいだよな、俺たち」



 北林についていくように歩いていくと、普段自分が使わない路線に乗ってしまったので、そのまま自分も乗車し、二人して北林の家とやらに向かっていく。

 目的地に着くまで手持ち無沙汰なのか、北林が隣にしか聞こえないような小声でこちらにそんなことを呟いてきた。

 この時間はちょうど人が少ないのか、それとも元々この路線の乗車人数が少ないのかは分からないが、車両には自分と北林以外、数人の乗客しか乗っていなかった。

 しかし、人が少ないからといって口にしていい言葉ではない。最低限の動きで回りを確認してから、隣に座る北林にだけ聞こえる声でたしなめた。


「誰かに聞かれたらどうすんだ。冗談言うなら帰るぞ」


「冗談って分かってくれるから言ってんだよ」


 冗談が分かんない奴ならそもそもこんなこと言わないよ、と北林は笑う。

 その目がどこか寂しげで、それ以上何も言えなくなってしまった。


「南沢、さっき借りた本を貸してくれ。着くまでに読んでおくよ」


 その目のままで弱々しく差し出されたその手に、先ほど借りた『明日世界が終わるなら』を置く。


「……サンキュ。後で内容をかいつまんで教えてやるよ。南沢も、どうせ何かしら本を持ってきてんだろ。駅に着くまでまだ時間かかるから、何か読んでおけばいいと思うぜ」


 その言葉を最後に、北林は古ぼけたその本のページを開き、黙って読み進めてしまった。

 自由な奴だと思いながら、仕方ないので自分も、鞄から借りていたミステリー小説を取り出し、栞を挟んだページを開いた。

 そのまま目的地のアナウンスが聞こえるまで、二人して黙々と本のページをめくりながら席に座っていた。


 電車の中で本を読んで時間を潰すことには慣れていると思っていたが、隣の誰かが何を考えているか分からないせいで、中々内容が頭に入って来ず、目的地に着くまでの時間が随分と長く感じた。



 北林の「ここで降りるぞ」という声を聞き、本に移していた目線をあげる。

 電車の上部に設置されている電光板に目を向けると、自分が一度も降りたことのない、随分遠い場所の駅名がそこには映されていた。

 電車が停まり、扉が開いたのが見えたと同時に、いつの間にか立ち上がっていた北林は、そのまま先に降りてしまった。慌てて自分も電車を降りて北林の背中を追っていく。

 いつもこの駅を利用しているのだろう北林は、迷うことなく駅の中を進んでいくので、見失わないよう必死についていった。


 そのまま駅の改札をくぐり、駅の外に出ると、軽やかな足取りで北林は地面に立ち、こちらを振り返った。


「ようこそ……なんて、別に俺の所有地でもないけどさ」


 北林と同じように、おそらく初めて降りたと思うその駅の地面に立つと、北林が物珍しそうにこちらの顔を見ているのが気になった。


「……何だよ、北林」

「いや、この場所にいる南沢っていうのも、なんか不思議だなと思ってさ」


「だから、記念に」と自然な動作で制服のポケットからスマートフォンを取り出すのを、自分は見逃さなかった。

 北林からスマートフォンのカメラを向けられ、思わず顔を逸らす。写真にいい思い出はなかった。だから気付いた時には顔を背けようと努めているのが、どうやらここでも生かされたようだった。


 北林が諦めてスマートフォンを下ろしてから、口を開いた。


「……勝手に撮ろうとすんなよ」

「じゃあ今度から許可を取って撮るわ。今回は未遂だから許せ」


 相変わらずあっけらかんとした態度を取る奴だ。無視を決め込むと、北林が黙って歩き出したので後ろをついて行った。


 駅からしばらく歩いたところに、北林の家族が住んでいるアパートはあった。

 転校でこちらに来てからは、このアパートの一室を借りて暮らしているということだった。向かう途中、いつの間にか無視を止めたらしい北林からその話と、「父と二人暮らしだから狭いけどな」ということは聞かされていたのだ。母親の方は何年か前から実家で暮らしているのだという。

 アパートの階段を上り部屋番号の書かれた扉に立った北林が、鍵をポケットから出しながらこちらに問いかける。


「もしかして、誰かの家に入るの久々か?」

「……うるさい」


 図星すぎていっそ清々するほどのストレートな物言いにほとんど反射で答えると、北林の苦笑した声が聞こえた。


「ま、俺も家に誰かを呼ぶのは久々だけどさ」

 ……意外だ。毎日のように誰かしら家に呼んでいそうなのに。


 どうやらそのまま言葉に出ていたようで「俺の印象どうなってんだ」と北林に笑いながらツッコミを入れられた。

 北林がツッコミを終えると同時に鍵がカチャリと開く音がして、扉が開く。

 最後に出かけた人がキチンと電気は消しておいたのだろう、家に誰もいないことが人目で分かる薄暗い玄関が自分を迎えてくれた。


「ただいま」と、北林は小さく口にして、玄関で靴を脱いでさっさと廊下を歩いていってしまう。

 一人で取り残されてしまった玄関には、ついさっき北林が脱いだ靴が一足あるだけで、他に靴がないからか綺麗に見える。隅に埃がないことから、掃除自体がキチンと玄関まで行き届いていることが分かった。

 北林か北林の父親が綺麗好きな性格なのかもしれない。そこに自分の靴も追加して、先を進む北林の後を追っていった。


 ついてきたことを確認したかったのか、北林に一度横目で見られる。廊下の突き当りにあった扉を北林が開けると、リビングらしき場所が広がっていて、その中に通された。

 自分が入ったことを確認した北林は「適当に座ってていいよ」とだけ言って、隣の部屋に移動してしまう。通されたリビングは、当たり前だが自分の家のリビングとは全く違うものだった。

 入って最初に目に入ったのは、リビングの中心に置かれた小型の丸テーブルだった。おそらくここで食事などをしているのだろうと考える。テーブルの上には、テレビらしきリモコンや、箱ティッシュなどの小物も置かれていた。部屋の隅には、いくつか段ボール箱が積まれている。

 ここからだとよく見えないが、何かしらの行き先が書かれたステッカーも貼られているようだった。

 何が書かれているのだろうと、半ば好奇心で近寄ろうとした矢先、隣の部屋にいった北林に声をかけられたため、見ることは叶わなかった。


「コーヒーでいいか? 砂糖入ってるやつだけど」

「……お構いなく」


 どうやら向かった場所は台所らしかった。

 社交辞令的にお構いなくと答えたものの、北林はしっかり二人分のコーヒーを注いだようで、しばらくして両手にマグカップを一つずつ持ってきた北林がやってきて、テーブルの上にコトリと置いた。


 両手で包み込むようにしてマグカップを持ち、口元に持っていくと、バッティングセンターで飲んだ缶コーヒーよりは甘く、どこか懐かしい味が口の中に広がった気がして、缶コーヒーにはおそらく出せない味だろうと感じた。その様子を、北林は何が面白いのかじっと見ていて、少し居心地は悪かったけれども。


「じゃあ、話そうか」と、電車内で渡した古ぼけた本をテーブルに置き、北林はおもむろに顔をあげる。




「――明日、世界が終わる話を」

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