第2話


 あの頃の俺は、生き急いでいたのだろうか。

 いつか誰かの記憶に残れるようにと、色んな人と関わった結果がこれだというのか。

 今まで関わってきた人たちに申し訳なくて、顔向けできないなと思ってしまう。


 特に南沢には、申し訳ないことをしてしまった。

 俺と関わるまで、南沢はずっと一人で生きていた。

 そして、そのまま誰とも関わらずに人生を全うして死ぬような、一人で完結する穏やかな人生を過ごすつもりだったように思う。

 そんな南沢を、俺が無理やり「親友」に命名してしまったのだろう。



 ――明日、世界が終わるなら。



 あの日、南沢が借りた本のタイトルが、ふと頭に浮かんだ。

 ノストラダムスが唱えた大嘘。彼の唱えたその嘘は、世界にどれだけの影響を及ぼしたのだろう。


 俺は、南沢に一つ嘘をついた。その嘘が、いつかの南沢に多大な影響を及ぼしてしまうことを、俺は知っていた。それなのに。



 なあ、南沢。

 明日世界が終わるなら、俺は――――。



 ――――――――――――――――――――



「――なあ、南沢。お前今暇か?」



 クラスメイトの北林信久の口から出たその言葉に続くのは、どう考えてもロクなものじゃないように思えた。確実に面倒なことに違いないと本能が叫んでいた。正直な話、今すぐにでも逃げ出したかった。

 しかし、北林の掴んでいる袖口を振り払って逃げ出すことは、自分の運動神経ではほとんど不可能に思えた。

 そもそも振り払おうにも、見た目からして体育会系の北林と、家に引きこもって本ばかり読んでいる自分とでは、力の差が歴然としていて、決着は最初から見えていたのだ。


 袖を引きちぎって逃げるわけにもいかず、諦めて北林に、自分の出来る最大限のドスの利いた声で威圧しておくことにした。


「……暇じゃない。他をあたってくれ」


 しかし、北林は意に介していないようだった。聞いているのかいないのか、一人でうんうん頷くと、また話をし始めた。


「つれないな。仮にもクラスメイトだろ?」

「記憶している限り、アンタと話した覚えはないから、実質今日が初めましてみたいなもんだろ」

「……それは一理あるな」


 意外にも、北林はそこで腕を離して自分を解放してくれた。突然の解放に驚き、しばらく動けないままでいると、今度は北林が驚いたようだった。


「……逃げないのか?」

「……いや、今から逃げる」

「一歩も動いてないように見えるんだが?」


 北林の言う通り、なぜだか自分は一歩も動くことができなかった。

 さっきまでカウンター越しに腕を掴んでいた北林は、そんな自分の様子を見て、立ち上がってカウンターを回り込み、ゆっくりとした足取りでカウンターの外に出て、正面から自分を見据えた。

 このまま行くと、面倒なことに巻き込まれると思った。何か言わなければいけないと思考を巡らせた結果、よりによって自分の口から出てきた言葉は「仕事を放っぽりだしてんじゃねえよ」だった。

 思わず天を仰ぎたくなったがもう遅い。言われた北林も、眉をしかめて驚いているようだった。

 しかし、次の瞬間北林は、踵を返してカウンターの裏へと戻っていった。

 しめた、と思ったのも束の間、北林はカウンター裏の「図書準備室」の札が掛けられている扉を開き、「先生、俺ちょっと席外すので、受付お願いできますか」と言って、扉を閉めてこちらに戻ってくる。

 数秒後、本を借りる時によく顔を合わせる図書館司書の先生が図書準備室から出てきて、カウンターに座った。

 座る前に、こちらに向かって礼をしてくれたが、返すほどの余裕はその時の自分にはなかった。


 ……もう打つ手がない。よほど渋い顔をしていたのか、北林が自分の顔を見て一瞬だけニヤつき、そして口を開いた。


「残念だったな、南沢。とりあえず場所を移そうぜ。図書室で騒ぐのは厳禁だからな」


 そして、さっきまでしていたように、北林は自分の袖口を掴むと、大股で図書室の出口へと足を進めていく。

 袖口を再び掴まれた自分は、抵抗する気も起きなくて、成すがまま北林の後をついていった。



「勘違いしているみたいだから言うが、うちのクラスの図書委員は俺じゃないぞ。俺は頼まれて代理で来てんだ」


 図書室から出て、廊下途中で立ち止まった北林は、開口一番にそう断った。

 そう言われて納得する。なるほど、だから貸し出しの手続きがどこかたどたどしく、そのせいで受付にあれだけ人が並んでいたのだろう。

 しかし、それなら元々の図書委員は誰だっただろうか。考えても出てこなかったので、目の前の北林に尋ねてみることにした。


「元々の図書委員は誰だったんだ?」

「お前、図書室の常連じゃねえの? どんだけ人に興味ないんだよ」


 北林は呆れ顔になりながらも、一人のクラスメイトの名前を言った。


「西宮だよ。西宮和仁かずひと


「……ああ、西宮か」


 瞬時にクラスメイトの西宮の顔が頭に思い浮かんだ。

 真面目そうな見た目をしている西宮とは同じ中学だったので、他のクラスメイトよりは記憶に残っている。性格が変わってさえいなければ、今でも見た目に違わず真面目な優等生だったはずだ。

 西宮の名前を聞いても、ああ、そういえば図書室で見かけたなという思いは湧いてはこなかったが、確かにアイツなら、委員会なんて面倒な役目も率先して引き受けそうだと思った。


「名前で分かるのな」

 北林が感心したように呟く。どれだけ人に興味がないと思われていたのだろうか。


「名前くらいは覚えてるさ。あと、中学が同じだったし……で、その西宮は今日、どうしたんだ?」

「まだちゃんと周りには言ってないらしいけど、西宮は近々入院するらしい。だからその間、代わりに図書委員の仕事をしてくれる人間を探しているんだとさ」


 嫌な予感がした。


「断る」

「まだ何も言ってないだろ――なあ南沢」

「なんだ」


「じゃーんけん!」


 右の拳を突然振り上げ、北林はじゃんけんの掛け声を大声ではりだした。

 周りがギョッとして、こちらを振り向くほどの大声。

 さっき図書室を出ようと言ったのは、これを行うためだったのだ。ただ、この時の自分には、そこまで考えを巡らせることはできなかったわけだけれど。

 突然の北林の掛け声で、心の準備もできないまま、思わず自分も右手を出してしまう。


 ――急にじゃんけんを挑まれたら、何を出す確率が一番高いのだろう。

 統計を取ったわけではないから結果は知らないが、その時の自分は、突然挑まれたそのじゃんけんでグーを出した。

 北林はパーだった。結果を見た北林が、にやりと笑う。


「俺の勝ちだな。いっとくけどやり直しはないぜ」


 なんて奴だと思った。しかし、文句を言っても引き下がるような男ではない。

 北林に声を掛けられた時点で、既に運命は決まっていたのだろうと、自分はもはやヤケになり始めていた。


「……で、用件は」

 諦めて尋ねると、北林は待ってましたとばかりに答えてくれた。


「俺と一緒に図書委員の代理を務めてくれ。頼んでくれた西宮には悪いが、俺はあんまり図書には詳しくない。でも南沢は、教室で見ていたかぎりじゃいつも本を読んでいるし、こうして今日も図書室に来ているわけだから、図書には詳しいだろう? 西宮が戻ってくるまででいいんだ。南沢、俺のサポートをしてくれないか」


 ……正直、北林は全ての仕事を、自分に押しつけるものだと思っていた。全て押しつけて知らないふりをするつもりなのだと。

 そう思っていたのに、北林は一緒に仕事を請け負って欲しいと頼んできた。

 予想していたより軽い頼み事だったことで、少し気を許していたのかもしれない。


 肯定の印に頷いてみせると、北林は普段教室で見かけるような快活な笑顔を見せた。


「――じゃあ、これから一緒によろしくな、南沢」


 こうして、帰宅部員で委員会にも所属していなかった自分は、同じく無所属だった北林と共に、クラスメイトの西宮の代理で、しばらくの間図書委員を引き受けることになったのだ。




 

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