いつか君に捧げる備忘録
そばあきな
本編
第1話
これは、忘れたくないあの日の思い出を書き留めた備忘録である。
備忘録なんてカッコよく言っているけれど、要はメモ書きのノートだ。書いた自分にとっては、思い出した時に見返しているだけのノート。しかし、誰かに読まれる時になって初めて、このノートの効力は発揮されると思っている。それまでは根気強く書き続けていくつもりだ。
これらの記録は全て、高校時代の友人であった北林
そんな関係ではあったけれど、それでも言いそびれた話題や言葉が今でもいくつも思い浮かぶのだ。タイミングを逃したり、あの時は言う必要もないかと脇によけてしまったりした話題が、今さらになって頭によぎることが増えた。
それらを羅列し、丁寧に書き込んだのがこのノートだ。いつか君に捧げるためだけに、今日もこのノートを広げて文字を綴っている。
拝啓、北林信久へ。
君は今一体、どこで何をしていますか。
――――――――――――――――――――
何を探しているでもなく、図書室の本棚をただ見て回っていたあの時間が、たまらなく好きだった。
高校生の時なんかは、暇があれば図書室に出向き、ついこの間も見た新着資料のコーナーを覗いた後、雑誌コーナーに並ぶ色とりどりの表紙を見るだけで戻ることもあった。中学生の時も一応図書室には行っていたけれど、それほど何度も来たいと思える空間ではなかった。特定の誰かが騒がしいわけじゃない。おそらく一人一人の声が積み重なって、総合的にうるさいと感じたのだろう。
だから中学時代には、ただ本を借りて返すだけの場所として利用していた。
対して高校の図書室は、落ち着いた雰囲気で好きだった。自称進学校の肩書きも伊達じゃない。図書室で騒ぐような学生は居らず、いつ来ても静かで快適な空間だった。テスト期間が近くなると、放課後に鞄を下げて行き、教科書やノートを広げテスト勉強をしていたものだ。
高校で生まれた本との出会いは数知れない。昔の友人が紹介してくれたこともあったし、新着資料で気になって手に取るような出会いもあった。その中でも、本棚を何となく見ている最中に手に取った本は、惹かれた理由が何かあるはずだった。
思い出すのは、アイツとの出会い。出会ったきっかけを全部遡ると、ある一冊の本に集約される。
――そう、確かそれは高校二年生の時の話だ。
いつものように何となく本棚を眺めていると、ふと、他の本より奥に押し込まれ、窮屈そうにしていた本が目についた。何度かこの本棚も見ていたはずなのに、今まで気がつかなかったなと、指を掛けて本棚から本を取り出す。ほんの少しだけ古本独特の、あのツンとした紙の匂いを感じた気がした。
取り出した本をジッと眺める。見た感じ、かなり古そうな本だった。いかにも、ひと昔前には流行っていたが、今では誰も手に取らなくなった本という印象だった。もしくは、今まで段ボールの中にあったのに、ちょっとした気まぐれで出してきました、といった雰囲気。
その背表紙には『明日世界が終わるなら』と書かれていた。
パラパラとページをめくり、何となくどんな本なのか把握する。どうやらハウツー本の類らしい。発行年が古く、本自体もかなり傷んでいる。さっきの例えも、あながち間違いではなかったらしい。
ハウツー本というと、その時代に流行ったテーマで書かれることが多いのでは、という偏見があったので、この時期にはこういう本が流行っていたのかもしれないなと推測する。
そこまで考えて、一つの考えが思い浮かんだ。もう一度発行年を確認して、考えは確信に変わる。
――ああ、そうか。この発行年って。
納得する。この本が発行されたのは、一九九九年。いわゆる、ノストラダムスの大予言で地球が滅ぶと騒がれていた時期じゃないか。
結局地球が滅ぶこともなく健やかに今日まで成長することが出来たので、予言が外れてよかったと思う。そもそも、考えてみればどんな根拠があって地球が滅ぶなんて言われていたのだろう。
今なら馬鹿だと一蹴されそうな内容だったけれど、それでも当時の人たちは、本気で地球が滅ぶと思っていたのかもしれない。だからこんな内容の本が出回っていたのだろう。
状況が状況だから、当時と本気度は違うけれど、ジャンルとしてはハウツー本だし、今読んで通じる部分もどこかあるかもしれない。
そんな経緯で、何となく気になって借りてみることにした。ちょうど読む本もなかったし、数日あれば読み切れそうな厚さだったのも理由の一つだったのだろう。
当番の委員が座るカウンターに目を向けてみると、何人か順番待ちをしているのが見えた。もう少しこの辺りで時間を潰しておこうと、再び手に取ったハウツー本に目を移すことにした。
ふと、なんでこんな本が高校の図書室にあるのだろうと疑問が浮かんだ。昔在籍していた先生の寄贈本だったりしたのだろうか。開いた本の一番後ろに貸し出しカードが挟まっていたので、ポケットから取り出して眺めてみる。残念ながら寄贈本かどうかは分からなかったが、興味を引いた部分はいくつかあった。
どうやら、過去に職員以外にも何人かの生徒が借りたことがあるらしい。もう何年も前の日付で記録は止まっているから、今の貸し出し状況がどうなのかは分からない。
今じゃほとんどの学校で、表面に貼られたバーコードで読み取って貸し出しをする方法が取られていることだろう。
貸し出しカードを使う学校はもう数えるほどしかないのではと思う。割合を調べたわけではないけれど、機械の方が明らかに便利だから、移行した学校は多いはずだ。
おそらくこの学校も、ある時期までは貸し出しカードを使い、途中でバーコード式の方法に移行したのだろう。
その証拠に、今はバーコード式の貸し出し方法なのに、目の前の貸し出しカードには過去に借りた人の記録が残っている。さすがに某ジブリ映画のように、借りた人の名前が分かるということはなかった。書く欄は一応あるものの、みんな空白で提出していたらしい。埋まっていたのは日付と学年だけだったけれど、それでも過去にどんな学年の人が借りたのかは分かってしまうのだから、今の時代だとプライバシーの侵害だと騒がれそうだと、いらない世話をしてしまう。
中学の頃に通っていた学校では、まだ貸し出しカードが主流だった。おそらくもう変わってしまっただろうけれど、読みたい本を開いて貸し出しカードを確認し、まだ誰も借りていない真っ白な状態だと不思議と嬉しくなったあの経験はもう出来ないのだろう。
古き良き貸出カードは、今じゃ挟まっていても見なくなった。機械の方が便利だろうし、プライバシーがないという言い分も分かる。
何年か前、有名な作家が学生時代に名前を書いた貸し出しカードが出てきて、他の貸し出し者の名前が隠されないまま新聞に載せられたりした話だってある。八割くらい新聞社側が悪いと思うけれど、まだ元気に存命しているその作家自身だって、まさか何十年も経った後に学生時代の自分の読書記録が公開されるなんて、思いもしなかっただろう。
そういえば自分の中学時代、貸し出しカードに学年と名前を堂々と書いていた覚えがある。
本が処分されていなければ、今でも中学校の図書室に残されているのだろうか。気にはなるけれど、中学生でなくなって久しいし、背もだいぶ伸びたので、多分入り込んだら気付かれて怒られる未来しか見えなかった。元々やる気があったわけではなかったが、諦めるしかなさそうだ。
プライバシーの保護を必要以上に主張する輩も多い昨今、もしかしたら、いつか記録を消すためだけに、この貸し出しカードのポケットごと外される時代も来るのかもしれない。
そんなことを考え時間を潰していると、いつの間にか順番待ちをしていた生徒がいなくなったので、古びた本を持ってカウンターに向かうことにした。委員が貸し出しの手続きをする様子をなんとなく見ていて、気付く。
……普段カウンターに立っていない人なのだろうか?
動きがどこかたどたどしい。これなら自分でやった方がいい気がしてきた。さっき人が並んでいたのも、ここにいる委員がモタモタしていたからかもしれない。
別に急いでいるわけではないから別にいいが、とりあえず顔は覚えておこうと思い見てみると、同じクラスの奴で少し驚く。
話した記憶はあまりない。ないとはいえ、立派なクラスメイトの一員だ。
どうやら手続きに手一杯で、目の前の利用客がクラスメイトであることには気が付いていないらしい。
とはいいつつ、知り合いだと何となく気恥ずかしくなるタイプでもないので、受付がクラスメイトであることに対して何か思うことはなかった。
ただ、完全に見た目の判断で申し訳ないけれど、図書室にあんまり似合わないなとだけ思った。どちらかというと体育館の方が似合う。……まあ、図書委員の当番をしているくらいだから、本は好きなのだろう。じゃんけんで負けたとかなら話は別だろうけれど。
何にせよ、自分以外の係に別に興味はないので、明日になったらきっと忘れる話だった。
どこかたどたどしい様子だった手続きがようやく終わり、「どうぞ」と差し出された本を受け取る。そこで初めて、目の前のクラスメイトが自分の顔を見た。
「あ」と小さな声が彼の口から洩れる。向こうもどうやら、目の前の利用客がクラスメイトであることに気付いたようだ。
しかし、ほとんどクラスでも目立たない自分の顔を覚えているとはと、少しだけ驚いた。
だが、それだけだった。踵を返して出入り口へと向かおうとする。
しかし足を進めようとした瞬間、突然後ろから引っ張られ、一瞬重力を持っていかれる感覚を感じた。
重心を立て直して振り返ると、カウンターから体を乗り出したクラスメイトが自分の袖口を掴んでいた。
ご丁寧に両手でしっかり握っている。
――器用だな。そう言おうとしたけど、どうしてか言葉にならなかった。どこか縋るような表情を浮かべた彼と目が合う。
「――なあ、南沢。お前今暇か?」
嫌な予感しかしなかった。しかめ面を浮かべたのに、向こうは手を離す気はないらしい。仕方なく図書室から出ることを諦め、カウンターの方へ少しだけ近づく。その様子を見て、ほぼ初対面みたいなクラスメイトは満足そうな笑顔を浮かべた。
それが、後に親友にまで昇格することになる、北林信久との最初の出会いだった。
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