【第13話】 誰がために鐘は鳴る その5

「僕を……食べないで!?」


 剛には少年の言葉の意味がすぐには分からなかったが、クシャリと聞きなれない音が剛の耳に届く。

 ふと気付くと、少年の力は弱まっていた。

 正面の母親は信じられないという表情をしている。

 ローズマリーはうれしそうに目を輝かしている。

 そして、剛の耳にもう一つの音がリズムよく鼓膜をたたく。


 ぴちょん――ぴちょんっと。


 視線を地面に向けるとそこには、赤い赤い小さな血溜ちだまりができていて、徐々にその面積を拡大させていく。

 この血はどこから? 位置的にいえば、剛か少年だが少年から付けられたものなんて、わずかな打撲程度だ。

 鮮血を伴うものではない。

 となると、少年からとなるが押さえつけている間にけがでもさせてしまったのか?


「剛くん、なにが起きてるのかぁ気になるのならぁ、その子を前に向かせて見なさぃ」


 ローズマリーに促されるままに、剛は少年を自分の方へ振り向かせた。

 そこには――服の上からでも分かるほどの不自然な膨らみがあった。



 服をめくると、少年のおなかからひょっこりと顔をのぞかせる生物がいた。

 真っ赤な顔に、肉を裂いたのか口元の鋭い牙にはなにかの繊維が残っている。

 その生物を一言で表すなら魚だった。

 パッと見て形状的にも魚だ。


 その魚は少年の体にできた穴からパクパクと口を動かすと、大海原へ帰るように転進、少年の体へ入ってく。

 同時に少年が叫び声を上げて、悲痛な面持ちで剛にすがる様に声を掛けてきた。


「お……お兄ちゃん、ぼ、ぼく……どうなる……の…………? 体中が……痛……いんだ。きっと……お魚さんが……はぁ、ぼ……ぼくを……食べてるんだ! お……お兄ちゃん、た……助……けて!」


 涙を流し訴える幼い願いに剛はなんといえばいいのか分からずにいたが、なんとかフォローしようと言葉を発した。


「魚が食うって気、気のせいだろ? んなことより、オメ、けがしてんだからあまり動くなよ」


「気のせいなんかじゃない! ほ、本当に……痛いんだ」


 目からぽろぽろと流れる涙は留まる事を知らぬかのように、流れ落ち今も流れ落ちる赤い鮮血と共に地面で砕かれ赤い池に混ざって行く。


 出血量からしてもいつ死んでもおかしくない状況だった。

 そして、剛の耳に不快な音が届く。


 それは、ザリザリ、ザリザリと聞いてるものに不安を抱かせるような、音の出所は――少年の体から聞こえた気がした。


「お、俺にはどうすることもできねえからよ。べ、別のやつに頼みな。母親とかよ」


 無理難題を押し付けているのを百も承知で、会話を終わらせるために少年を無理やりに元の正面へ向かせる。


「そ、そんな……お兄ちゃん……ママも身動き……とれない……だ。お兄……ちゃんも……同じ人間で……しょ……? たすけ……てよ」


 嗚咽交じりの必死な救いを願う声に、剛はどうしようもない無力さを責められてる気がして、それが苛立ちに変わっていることに気付かずに声に出した。


「っせぇな! 同じ人間? 違うっつーの! 俺は異界人エトランゼだぜ! おまえらと一緒にすんなよな。第一、自分の体のことなんだから自分で何とかしろよ。ガキだからって、誰でも彼でも助けてくれると思うなよ!」


 少年の顔は見えない。

 だが、声だけは確かに聞こえた。


「ひどい……よ。お兄ちゃん、ぼくだって……うぐぅ」


「セーレ! あなた、あなただけは許さない! 絶対に許さない!」


 母親は鬼の形相で見開いた双眸そうぼうに射殺すかのごとく殺気が閃く。


「オイオイオイオイ! なんで俺のせいになってんだよ! もとはといえばおまえが子供もろとも捕まるのが悪いんじゃね? それ俺のせいじゃないよな? な!? それくらいもわかんないの? こっちの人間はさー」


「ふざけるな! 人の心に人間の区別なんかいるもんか! セーレ、セーレ! 待ってて! ママがすぐに助けてあげる!」


 母親はどうにか拘束を破るために全身に力を入れて抗うも、椅子の効力きょだつの支配下にいるせいか状態はなにも変化しない。


 それを見ていたローズマリーは


「助けて見せて欲しいわねぇ」


 と、ポツリつぶやいた。


「うぐあああああ! 体中が痛い~~~! いたいよぉおおおお!!!」


 少年の体から至るところから鮮血が飛び散った。

 身に着けていた白い服は腹、肩、胸と瞬く間に真っ赤に染まり、紺色のズボンも同様にドス黒い赤の染みを作っている。


 これはもう死んでしまったんじゃと考えよぎる剛に何度目かの弱弱しい声が聞こえた。


「おにい……ちゃん、助け……られない……のなら……もう、ぼくを……殺して……いたいの……もう……いや…だよ……」


 驚いた。

 剛は本当に驚いた。


 生きていることに、そして、こんな年端もいかない少年から殺してくれと頼まれたことに。

 その衝撃のせいか考えることなく、自然とその言葉が出た。


「できねえよ。殺すことも生かすことも俺にはなにもできねえ。わりいな」


 顔は見えない。

 見えていたらこのせりふは言えてないのかもしれない。

 だが、少年の次の言葉は


「そう……なんだ。……なら……しょうがないね」


 どんな顔でつぶやいたかは嫌でも想像できた。

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