【第12話】 誰がために鐘は鳴る その4

 母親の声にだけ耳を傾けていると思っていた少年から、今まで誰にも聞かれたことない免罪符しょうがないを聞かれ、剛は――


「………………」


 なにも答えることができなかった。


「ねぇ! あなた! お願い! その子を逃がしてあげて! その子はなにも悪いことをしていないの! 優しく育ってくれたいいこなのよぅ。お願いだから、その子だけでも逃がしてあげてぇ~」


 狂乱のごとく叫び、暴れながら重く切実で純粋な願いが剛を襲った。



 逃がす? 誰を? この少年を? 誰が? 俺が? 冗談だろう!? 逃げ切る前に俺まで殺されちまうわ! そもそも捕まったおまえらが悪い!


 ああ、この女はずっとこの部屋に居たのだから自分がどうなるのか口ではなんと言おうと知っているのか。

 だったら、頼む相手を間違えているだろう? 俺が好きな女の子でも手に掛けるやつだってのは見ていただろうに。


 剛は心の中で自嘲するも、なぜかあの母親の顔を直視しづらく感じた。


「はい! 感動の対面の時間もこの辺で御仕舞いにしてぇ、お食事の時間にしましょう。その子もおなかが減っているでしょうしねぇ」


 場にそぐわない明るい声が響く。


「剛くんはその子をしっかり押さえつけててねぇ」


「は、はい」


 食事なのに押さえつける? そもそも食事というわりには、眼前には食卓はもちろんパンの欠片さえ見当たらない。

 そもそも指示を受けるまでもなく、この少年にはとても抵抗する余力すら残されてないのは明白だ。


 ローズマリーは椅子のそばにある赤い箱を開けると一匹の小さな魚を取り出した。

 アジだろうか? 見た限り決してゲテモノという印象はなく至って普通に食卓に並ぶ魚だ。


 母親もひどい食料を提示されると思っていたのだろう。

 予想外だったのか目を丸くして、ローズマリーの動向を見守っている。

 実際問題、栄養不足ゆえのあの体だろう。

 良質な食事を取るのはあの少年にとってもプラスになることはあっても、マイナスになることはない。


 ピチピチと生きの良さをアピールするように小魚の尻尾をつかみ、ローズマリーは少年のそばまで行くと少し屈み、少年の視線と合わせた。


「ほーらぁ! 活きがいいでしょう? これからこれを食べさせてあげますからねぇ。はい、あ~んしてぇ」


 ローズマリーが今にも少年の口に小魚を入れようとするところを剛は慌てて止める。


「ちょ、ちょっとローズマリー様、さすがにナマでは食べにくいかと。それに寄生虫とかいるかもしれないし」


 剛の抗議にローズマリーはムウっと頬を膨らませる。


「寄生虫とかそんなもの入ってません~。失礼なことをいうのねぇ。剛くんはぁ、もういいわぁ。はい! お口をあ~んしてぇ、あ~んよぉ」


 だが、少年は頑なに口を開くことはしない。

 前から聞こえる母親の指示だろう。

 「口を開けてはダメよ!」と必死に息子に呼びかけてる。


「もううるさいなぁ。おなかすいてるのでしょう? お口を開けてぇ?」


 天岩戸あまのいわとのようにその口が決して開くことはないように剛は思えた。


「剛くん! この子の口を開けてぇ」


 突然追加された命令に剛は戸惑う。


「え? でも」


「でもなにぃ?」


 きつく釣り上がった目線を受け、剛は「口を開けるんですね」と言葉を放つと同時に、少年の口を右手で開く。


「ありがとぉ。この子が食べるなりすぐに押さえつけるのよぅ。はい、今度こそあ~ん」


 ローズマリーの手から小魚は離れ、するりと少年の口の中へダイブした。


 生魚を食べた少年の喉がゴクリとなり、小魚が食道を通過した知らせとなる。

 今頃、あの小魚も胃の中だろうかと剛が思った瞬間、少年の体に異変が起きた。


 少年の体からは信じられない力で闇雲に暴れだしたのだ。

 剛は少年の肘で顔面を激しく打たれるもなんとか押さえつけることに成功する。


「だからいったでしょう? ちゃんと押さえつけといてってぇ」


「いや、確かに言われましたがこんなの予想外ですよ。急になんだっていうんですか?」


「そんなのさっき見てたじゃなぁい? お食事よぉ」


「それは見てましたけど、小魚食べたくらいでこんな馬鹿力を出すはずが! うぉ!」


 少年の暴れる力はドンドン加速しているのか、剛を振り施こうと我武者羅がむしゃらに腕を首を腰を振り回す。


「セーレ! セーレぇ! お願い私はどうなってもいいから、あの子を助けてあげてぇ」


 半狂乱に騒ぐ母親。

 その様子をローズマリーは母親と少年の間に立って熱心に観察していた。


「生命ってやっぱり、種族を超えてすてきねぇ」


「なにをのんきなことを言ってるんですか? こいつ、どんどん力が強くなって行ってるんですけど!」


「それはそうよぅ。だって――」



「うわーーーー! 僕を! 僕を食べないでえぇぇぇーッ!!!」



「いつだって命尽きる間際は美しいものでしょう?」


 神秘的ななにかたっときものを見るかのようにローズマリーはウットリとした表情を浮かべた。

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