【第8話】 頻迦の声

「うわ! うわぁー! 何してんっスか!?」


 剛はこのままでは食われてしまうと思い、腕に力を込めて全力で振りほどこうとする――が、体に巻き付いたヒゲンカ草はビクともしなかった。

 逼迫ひっぱくした状況に抗おうとするも、意思に反して体には力が入らず、虚脱感に見舞われている気がした。


「暴れちゃダメよぅ! 治療できないでしょう?」


 ローズマリーが困った患者さんを見る様に、唇を尖らせる。


「そんなことを言われても、力が入らないし、俺このままじゃ食われちゃうんじゃ!」


「なんで、患者さんの剛くんにそんなひどいことするのぉ? 私は医者だよぅ? もっと信用して欲しいなぁ。力が入らないのはこの椅子の魔法効果だから安心してぇ」


「椅子の……魔法効果?」


「そうよぅ。この椅子は座った人がリラックスできるように虚脱効果が付与エンチャントされてるのぉ。今は剛くんには正しい使い方だけどぉ、実験のときはこうでもしないとぉ、もしかしたヒゲンカ草の拘束解いちゃう人もいるかもしれないしぃ」


「そ、そういうことですか。 もっと早く言ってくださいよ。心臓が止まるかと思った」


 剛が炭酸が抜けきったジュースのように安堵あんどの息をつくとそれを見たローズマリーが小悪魔的な笑みを浮かべて謝った。


「ごめんごめん。説明より行動を取るのは私の悪い癖だねぇ。現実問題、説明する時間も惜しい切迫した患者さんとかいるからさぁ。この癖は抜けきれないよぅ」


「あ! いえ、俺こそナマ言っちゃってスンマセン。あの、けど、これってどういう治療なんですか? 俺、食べられたりしないんですか?」


 剛が安心したといっても、こんな未知の生物に包まれているのが恐ろしいのか、それとも、食べられた女性を思い出したのか不安げに質問した。


「それは大丈夫よぅ。ヒゲンカ草はもう死んでるしぃ、生きてるのなら剛くん、今頃絶叫してるわよぅ。ヒゲンカ草の口って鋭利だから肉ごと引き千切るしねぇ」


 ローズマリーの物騒な物言いに剛は思わず体が震える。


「けど、ローズマリー様は食べられるのに痛みはないと言ってましたよね?」


「えぇ、あの女性のときはねぇ。けどぉ、剛くんがさっきまれたとき痛みを感じたでしょう?」


 剛は凜をかばった際に、腕をまれた時のことを思い出した。


「ああ、あのときの。スゲー痛かったッス」


「あれはヒゲンカ草に付与エンチャントしてた私の魔法効果が切れたってことなのぉ。だから、あのときは危なかったのよぅ。もっと近づいていたら剛くん、今頃体中穴だらけよぅ」


「はは、マジで危なかったんスね」


「マジで危なかったんスよぅ。剛くんも知ってると思うけど、無機物と違って生物には付与エンチャント効果は無限じゃないからねぇ」


 ローズマリーの口調に思わず、普段通りの感覚で時折、しゃべってしまっていることに剛は気付いた。


「あ! すみません。俺、調子に乗ってまた、失礼な言葉を」


「いいのよぅ。私は気にしていないわぁ。それもあなたたち異界人エトランゼの文化でしょう? 文化は大事よぅ。文化をひも解くことで解ることもあるしねぇ。それに患者さんがリラックスしているいい証拠だわぁ」


 ローズマリーの実験に対する人を楽しむ愉悦も混じったような悪魔の言動とまるでその姿を見たままに表現した女神のような慈悲。

 剛にはどちらが本当のローズマリーなのか計りかねていた。


「それにしても、最初はこのヒゲンカ草の粘液、気持ち悪かったんですけどなんか今は気のせいかこのぬるぬる感が気持ちよかったり、それに硫酸の痛みも引いてきたような気がします」


「話し方は普段の剛くんのままでいいわよぅ。といってもぉ、私が帰った後、剛くんが町長さんに怒られちゃうもしれないかぁ」


 その通りであると剛はうなづきそうになる。


「まぁ、それは置いといてぇ、治療がうまくいっている傾向ねぇ。硫酸はねぇ、掛かったらすぐに患部を大量の水で洗い流さないとダメなのよぅ。皮膚が溶けてただれてきちゃうのぉ。痛いわよぉ、見た目もひどいしぃ」


 ローズマリーのモッサリしたしゃべり方ではいまいち、ピンとこなかったが中年男性の姿を思い出し、背筋を震わせる。


「ヒゲンカ草はねぇ。大量の水ではないけど、皮膚を活性化して古い角質も全て取り除き、肉体を全盛期にまでよみがえらせる事ができるのぉ。若い剛くんじゃあまり実感は湧かないかもしれないけどねぇ」


「気持ち悪い植物でしたけど、実はすごいんですね。この植物」


 剛は感心したように自分を覆うヒゲンカ草をまじまじと見る。


「そうよぅ。すごいのぉ、けど、作るのに手間と費用が掛かるから一部の患者さんにしか行き届かないのが悩みねぇ。表立って作ることもできないしぃ」


「あ! それじゃこれって超貴重なヤツじゃ!」


 確かにこれを作られた経緯を見た剛にはこれがどれだけ高価なものか嫌ってほど理解できた。

 ここにいる人一人に対しても、場所や器具、掛けてる手間を踏まえて、ローズマリーが町長に大金を支払っているのは百も承知だ。


 金を払って、対価を得らなきゃいけない立場なのに、金にもならない自分を助けてなんになるというのか。

 もし、この件で町長に請求がいけば自分も間違いなくこの実験を受ける側として参加させられてしまうのではないか? 最悪な事柄が頭を占める中でローズマリーがそっと優しく剛の耳元で囁いた。


「大丈夫よぅ。剛くんは今は大切な患者さんだからお金の心配なんてしなくていいわぁ。もちろん、町長さんにも請求しないわよぅ」


 ローズマリーが甘い香りと共に続きの言葉を紡ぐ。


「ただ、もしよければいつか私のペット専属になってくれることへの手付金みたいに思ってくれればうれしいわぁ。もちろん、断っても見返りは求めないから安心してねぇ」


 ローズマリーの言葉が耳から入り込み、胸の中にまで甘く浸透していく。


「なります! いえ、ならせてください! すぐにでもいいです!」


 剛は迷いなくその話に食い付いた。


「ちょっとぉ、静かにぃ。し~~~! すぐには町長さんも困るでしょう? 大丈夫ぅ! 剛くんがこの屋敷で過ごしやすくなるよぅ、町長さんには私の方でぇさっき口を聞いてあげたからぁ。ちょっとの我慢よぉ。ネ」


 ローズマリーがぞくっとするほどの艶かしい色気を漂わせながら、いたずらめいた笑顔で軽くウインクする。


 剛は町長の言動の変化に納得いき、こくこくと了承の旨を伝えるように首を上下に振った後、感極まった声でローズマリーに問う。


「あなたが女神様ですか?」


「いいぇ、私は天使の医者ですよぅ」


 おっとりした優しい口調のささやきに合わせて、嫣然えんぜんと無邪気なほほ笑みに剛が骨抜きにされた瞬間だった。

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