【第5話】 持ちつ持たれつ

 ローズマリーが指定した場所、ヒゲンカ草が巻き付く椅子の近くで、剛は凛を抱えたまま、立ち尽くしていた。


「うっ! 気色悪っ。なんだ、これ?」


 先刻見たこの食人植物に食べられてた女性の姿は既になく、何かを覆いつくしたヒゲンカ草だけがウネウネとまるでイソギンチャクの触手のようにうごめいていた。


「気色悪いかもしれないけど、よーくヒゲンカ草の周りの匂いを嗅いでみなさぁい。その娘の体は近づけたらダメよ。食べられちゃうから」


 ローズマリーが背後から指示を飛ばす。


「分かりました」


 剛は返事をすると、顔を前に突き出し、くんくんと鼻を鳴らし周囲の空気を嗅いでみる。

 正直にいえばこの部屋は既に血と汗、恐怖のあまり排出された糞尿、皮膚が焦げた匂いなどの臭気が蔓延まんえんしてる中で、空気を吸い込むなどご免被りたいところだが――なんだ? この匂い? 剛の鼻腔びこうに触れたのは不快感を抱く匂いではなく全くもっての真逆、清涼感伴う未知なる香りだった。


「な、なんだこの匂い? こんな香り初めてだ」


 まるで腹を空かせた犬のごとく、鼻を鳴らしながら部屋中の空気がごちそうといわんばかりに息をはき吸い込む。


「剛くん、前を向きなさい!」


「え? うわっとぉ!!!」


 いつの間にかヒゲンカ草のすぐ側までにまで近寄っていたみたいで、触手の一本がやりのように鋭く、剛が抱える凛を目掛けて襲ってくるのをなんとか自分の腕で防ぐ。


「あいてっ」


 腕にチクリと痛みが走り腕を乱雑に振ると、触手は諦めたのかするりと根城にしている椅子の方へ戻っていった。


「剛くん、大丈夫ぅ? み切られてなぃ?」


「あ、大丈夫ッス! 歯形の後は付いてますけどそれだけです」


「そう? よかったわぁ」


 自分の心配をしてくれているのか、ローズマリーの予測外の反応に剛は思わず気まずさを感じた。


「すみません。心配掛けてしまったみたいで」


「本当にそうよぅ。ヒゲンカ草に男の人の肉が混じると汚物の臭いしかしないんだから気をつけてねぇ」


 なんてことはない。

 商品の心配であって自分の心配をしてくれたわけではないのだ。


 剛の心配といえば凛だ。

 また狙われても適わない。

 この位置はヒゲンカ草の攻撃範囲外みたいなので凛の体をそっと地面に下ろす。


勿論もちろん、剛くんの心配も含めてねぇ。私は治癒ちゆ魔法は使えないけどぉ、お薬の調合には自信あるからあとで処方してあげるわぁ。今はこれで我慢して頂戴ねぇ」


 ローズマリーがまれた剛の指先にふーっふーっっと温かい息を吹きかける。


「だ、だ、大丈夫れす! はい! はい!」


 剛は顔を真っ赤にして数歩、よろめき後退すると即反転、手で顔を覆った。


「ウッハー! なんだこれ! っベェー! これヤッベェーぞ! 空前絶後にドキドキしちゃってんぜ!」


 ボソボソとなにかをつぶやく剛を心配そうにローズマリーは見る。


「これが新たな恋ってやつか!? ローズマリーさん、冷たく見えっけど俺にだけは優しい気がするし、これってもしかしてもしかするんじゃね!? 種族を超えた愛、マジで速攻トゥルーラヴ的なのキてんじゃね?」


「本当に大丈夫ぅ?」


 再度のローズマリーの声掛けに剛は正面を向き上ずった声で返事した。


「だ、大丈夫です!」


「そぅ? ならいいけどぉ、ヒゲンカ草は女性を好んで食べるのも、あの香りで餌をおびき寄せるためなのぉ。あの香り自体がまき餌みたいなものなのねぇ。けど、基本的にあの香りは人間一人食べれば永続に続くからその娘は過食になってしまうのよぅ」


 言いながら、ローズマリーはヒゲンカ草の側に行くとガバリと音を立ててヒゲンカ草をまるで子供がくるまる布団のように引っぺがした。

 ただ、ヒゲンカ草の中にいたのはかわいらしい子供などではなく、椅子の上で積み木みたいに折り重なる白い骨があり、多数の白骨の上にはこちらをジッと見ている首から下がない俗に言う生首がそこにあった。


 それは間違いなくヒゲンカ草に最初に食べられていた女性である。


「やっぱり残しちゃうかぁ。ヒゲンカ草は人間の脳味噌いわゆる脳漿のうしょうをひどく嫌うのよ。好き嫌いはいけないのにねぇ」


 ローズマリーは楽しそうに笑うと椅子の側に置いてある青い箱を開け、そこにヒゲンカ草を納めこんだ。


「あの、大丈夫なんですか?」


「なにがかしらぁ」


「ローズマリー様がそれを触って、女性を襲うんですよね?」


「ああ、ごめんなさいぃ。説明が足りてなかったわねぇ。ヒゲンカ草はねぇ人間だけ襲うのよぅ。それをいうとさっきの剛くんは危なかったのよぅ」


「え? それってどういう――」


「ローズマリー様、実験は順調ですかな?」


 剛の言葉は町長の上機嫌な声によって上書きされた。


「あら? ええ、町長さん、剛くんのおかげもあって実験はそつがなく進んでおりますわぁ」


 ローズマリーの言葉に町長は自分のことのようにうれしそうに頬がほころんだ。


「それは重畳ちょうじょうでございますな。剛もご苦労、引き続き頼むぞ。さて、ローズマリー様、本日のメインのお話ですが今、よろしいですかな?」


「ええ、大丈夫ですわよぅ」


「ありがとうございます。実験体の恐怖の鮮度、肉体の消耗具合的にも頃合いかと思い、お声を掛けさせていただきました」


「本当に町長さんは人間の目利きがすごいわねぇ。さすがは生産者ですわぁ。私にはそこまでの洞察力はありませんよぅ」


 ローズマリーは感慨に打たれたのか深くうなづく。


「それは褒めすぎですが……お言葉ありがたく頂戴いたします。単に一つの部屋に男女を閉じ込めておるだけですよ。あとは生まれた子供に名前を付け、立派に育て上げたあと商品として売り出すだけですから……まぁ、こちら側で商品とするのは骨が折れますがね」


 町長はちょっとだけ皮肉めいた笑顔でローズマリーの表情をチラリとうかがった。


「ええ、エルクリフ様の条約の中で町長にはご負担を掛けているのは私も重々承知ですわぁ。なので、今回も謝礼は多めにさせていただきますねぇ」


 町長はローズマリーの言質に酩酊めいていしたかのように顔を紅潮し、喜色満面で御礼を述べた。


「こちらこそありがとうございます! いやぁ~、良きパートナーとはまさにこのことですな。それでは早速、今後の互いの発展を願ってメインの実験を行いますか」


「ええ、町長さん、お願いしますねぇ」


 互恵関係を今後も継続できる喜びのためか、き物でも落ちたかのように晴々しい顔をした町長は劇場の支配人ざまに大きく会釈をし、声高々に第二幕のカーテンを開けるための準備を要求する。


「フランク! 今日のメインであるあの小僧を連れて来い! 早急にだ! 大切な商品だから慎重にだぞ!」


 町長がでっぷりとした太目の天使に向かって声を張り上げる。

 が、聞こえていないのか、それとも、無視を決め込んでいるのかフランクと呼ばれた天使は行っている実験を中止することなく、むしろ没頭していた。


「ヶヒャッヒャ、オメエラ人間は汚いからなぁ。オデは優しいからこうやってオメをキレイキレイにしてやってるんだぞぉ~。感謝の言葉でもいったらどうなんだぁ~?」


 フランクは空に浮かびながら、楽しそうに人間の足を両手につかみ、長方形の四角い水槽にジャブジャブと激しい音を立てながら、足の持ち主である人間を上下に浮遊しながら沈めて行く。


「おい! オデは御礼を言えっていったんだぞ!」


 いまだに上半身を水槽に沈めながら、フランクは誰の目から見てもむちゃな要求を行う。

 その間にも、町長の怒声は響き続けていた。


「あやつめ! せっかくの気分を台無しにしおって! 剛、今すぐあのトンチキを呼んでこい!」


「わ、分かりました」


 主である町長の機嫌を損ねることないよう、返事をするなり剛はフランクのもとへ駆け出した。

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