【第4話】 モルモット

「おい! そこのおまえ!」


「は、はい。わ、私ですか?」


 声を上げた男は目立ちたくないのだろう。

 もしかして、自分ではないのかもという思いでもあるのか周囲をきょろきょろ見渡すも、剛の声と視線が間違いなく自分を指していることに観念を抱いたのか、弱弱しく立ち上がる。


「そう、オッサンだよ。ちょっとあそこの水槽から水をもらってきてよ。なるはやでね」


「み、水ですか? どれくらいの量が必要ですか?」


「うんなことも分からねえのかよ。人の頭がすっぽり収まるくらいだよ。はい! ダッシュ!」


 剛の有無を言わさぬ態度に辟易へきえきしながらも、中年の男性は老夫婦が放り込まれた水槽へ走り出す。


 水槽の中は二人の老夫婦が力尽きたのか水底へと沈んでいた。

 定まったルールでもあるかのように皆、そのことに気付いても助けようとも動こうともしない。


 ああ、もう見慣れた光景だ。

 剛は視線を凜の方へ移す。


「凜、死ぬ前に言うことはあるか?」


「……そんなのたくさんあるわよ! このクズ! 外道! 鬼畜! あなたなんて! あなたなんて死んじゃえばいいんだわ!」


「……ハハッ、好きなコにそこまで嫌われると逆に清々するな」


「やめてよ! あなたなんかに告白されてもうれしくない! 気持ち悪いだけ! あなたなんてきっとアニタちゃんがやっつけてくれるんだから!」


 凜の言葉が本心なのか自暴自棄からくる言動なのか剛には図る余裕など当然ない。


「そうかよ。あいつがいても状況は何も変わらねえよ! むしろ、あいつができないことを俺がやってやってるんだ! アニタもおまえも感謝しろよ。そうだよ! あいつの代わりを俺がしてやってんだ」


 売り言葉に買い言葉といわんばかりに口角を広げ、唾とともに荒言が飛ぶ。


「ふん! どこまで自分を正当化するのに必死なのよ。本当に最低、こんなヤツに……!」


 凜のその先の言葉は嗚咽により、声になることはなかった。


「剛さん、お待たせしました。ご要望の水になります」


 バケツいっぱいに入った水をユラユラと波打たせながら、中年の男性が運んできた。


「ご苦労さん、じゃそこに置いといて」


「ここですね? どっこいっしょ、それじゃ」


「おい! オッサン、どこいくんだよ?」


 バケツを剛の指示した位置に置くなり、中年の男性は剛に背を向けて歩き出す。

 剛の声に反応するように、体を剛の正面に向けて、困ったように右手で頬をかく。


「はは、水をもらったあと、天使様に硫酸風呂に入れていただけることになりまして、はは、ははは」


「……マジかよ」


「ええ、マジみたいです。はは、ははは」


 中年男性は乾いた笑いを上げる。

 目に光沢はなく、あからさまな作り笑いは見るものに狂気を与えるものであった。


「ははははは……もとはといえばおまえのせいだろうがぁ!」


 中年の男性が笑うのをやめると、鬼の形相へ豹変ひょうへんするなり、剛へ駆け出す。

 勢いのまま、剛の顔面へ拳がのめり込み、そのまま剛は後方へ吹っ飛んだ。


「は? ふぇ? おま! 俺を!?」


「はぁはぁはぁ、おまえのせいで俺は今から死ぬんだよ! ガキが! てめえが一日でも早く死ぬことを願いながら死んでいってやるよ!」


「は? はぁ? 俺のせいじゃねえし、なんで俺のせいになってんだよ! ざけんなよ! てめえ! ぐはっ!」


 中年男性は倒れた剛の鳩尾みぞおち目掛けて、足で踏みつけ、かかとに体重を預け捻りこむ。


「どう考えてもおまえのせいだろうがっ! どうせこっちはもう死ぬんだ。てめえを道連れにして」


「それは困るわねぇ。剛くんにそれ以上のことをするなら、あなたの娘さんも今、ここに連れてきましょうかぁ?」


 ローズマリーが再び、闖入する。

 中年男性はローズマリーの言葉におびえ、剛の体から足を退けると顔色蒼然していく。


「ローズマリー様、それだけは! 娘だけはお許しを」


「それじゃ、剛くんにごめんなさいして、許してもらわなくちゃねぇ」


 ローズマリーの続けての言葉に中年男性は絶句するも、引きった笑顔を浮かべ、倒れてる剛に手を差し伸べた。


「た、剛くん、だ、大丈夫かい?」


「ごほっ! ごほ! てめえでやっといて大丈夫とか聞いてんじゃネェよ! テメエは絶対にゆる――」


「おっと、天使様が呼んでる。わ、私はもう行かなくては! た、剛くんも達者でな」


 中年男性は剛の言葉を遮るように、勢い任せに右手で剛の手を強引に引っ張り立たせると手を招く天使の方へ走っていた。


「チッ! クソが! 力いっぱい引っ張りやがって!」


「ダサいわね、剛。かっこわるいわよ。あなた」


「うっせえ! テメエも含めて、みんなどうせすぐに実験されんだ。少しでも生き残りたかったら俺の機嫌をうかがったらどうだ!?」


 凜は剛の恫喝どうかつを意にも介さないように告げる。


「あなたの機嫌をうかがう? 馬鹿じゃないの? 天使に尻尾を振るしか能がないあなたの機嫌窺ってどうするのよ?」


 剛は癇癪玉かんしゃくだまが破裂したかのように大声で怒鳴り散らした。


「もう我慢ならねえ! 今すぐ実験してやらぁ。謝っても絶対に許さねえからな! 覚悟しろよ!」


「謝ってもあなたの権限でどうにかなるものじゃないでしょう? 何度もいうけど馬鹿なの?」


 凜が人を食ったような笑みを浮かべる。

 それが余計に気に入らないのか剛はバケツに入った水を凜の顔目掛けてぶっ掛けた。


「ごぼっ!? ごぼぼ!?」


 次の瞬間、剛とローズマリー以外を除くその場にいた人間はなにが起きているのか分からなかった。

 凜に放った大量の水は液状の飛沫しぶきではなく、まるでボーリング玉の様にバケツから放られ、凜の顔をすっぽりと包んだ。

 それはまるで水でできたシャボン玉を頭から被っているみたいに見える。


 だが、水を固定するための器はなく重力に従い地面に流れることもなく凜の頭を中心に水の塊は綺麗な円形を保っている。


 凜は必死な形相で水をき出したいのか水の中に手を差し込み外側へとき出そうとするも、見えない壁にぶつかったように水は、しずくに成ることも飛沫しぶきもなく振動の余波だけを表すように波紋だけ広がった。


「無駄だよ! 無駄無駄! 俺の『万象普遍フラクチュエイション ・物質マター』で固体化したそれはもう強固な水のろう獄だ。まぁ、水だし飲まれたりしたらまずいんだけど、女のおまえにその量は無理だろ」


 剛が愉快そうに水を飲むジェスチャーをすると、それが伝わったのか凛は水をゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み始める。

 すると徐々に水は体積を減らしていくが凛の吸引力が急にパタリと止まると、剛はその様子を馬鹿にするように笑い始めた。


「本当に飲みやがった。ジジイとババアの出し汁でできた水をよ。それにしても、凛も馬鹿だよな。それはおまえの顔を基点とした水の性質を持つ固体だぜ」


 剛は自分の鼻の辺りをコンコンとつつく。


「それを溺れてる今のおまえが飲むと消化されることなく胃も肺も水で満たされていくってことだ。 意味わかるか? ば~か」


 これまでの凛の発言をそのまま返すつもりで皮肉じみた言い回しする剛に凜はなにかを伝えようと口を動かす。

 水の膜で覆われているせいで自分の声は伝わってないはずと剛は思うも、もしかしたらと考え、謝罪を入れたいのかも? 命乞いがしたいのか? だが、一度この魔法を発動してしまえば解くことができても、再使用には難がある。


 もとより、この魔法は本来、主である町長の許可がなければ使用できないものだ。

 一時の感情で思わず使ってしまったが、この件がばれてしまっては罰は免れない。

 再使用などもっての他である。


 ローズマリーがこの事を知っているか分からないが、知らないと考えるのは難しい。

 ――いや、いざとなったらローズマリーの指示でやったことにすればいい。

 ローズマリーは俺に任せると言ったのだ、なら、その指示に従い魔法を使ったとなれば町長も文句は言わないはず。


 だが、それでも再使用はできないな。

 リスクを跳ね上げることはこれ以上できないし、凛には悪いけどやっぱり死を受け入れてもらおう。

 だって、しょうがない。

 せめて謝罪くらいは受け入れてやろう。


 そう決めた剛は今にも力尽きそうな凛の側へと近づくと、


 パンっと音が響いた。


 凜は熱を持った自分の右手を見て満足そうにほほ笑むと、口を数回動かしパタリとその場へ倒れこんだ。


「な! なんだよ! この女! 人がちょっとだけ助けてあげようかなと思えば、俺にビンタしやがって! 助けてやろうと思ったのによ~! コイツ、本当に最後まで馬鹿だよな! な!」


 熱を帯びた頬をでながら、剛は恫喝どうかつ紛いの同意を周囲の人間に求める。

 周囲の人間はうなづくべきか迷っているのか、互いに顔を見合わせる。


「俺はよ! 助けてやろうと近寄ったんだぜ? なのに、こいつは拒みやがった。好きだったから、助けてやろうと思った優しい俺を拒んだコイツは最高に馬鹿だよな? な!?」


 再度の剛の癇声に対して一人うなづくと、連鎖するように周囲も首を縦に振る。

 それに満足した剛は「だろう」と言葉をはき、笑顔を作る。


「ローズマリー様、実験終了しましたことを報告するッス!」


 任務を完了したことを、自信満々に報告する新兵のように敬礼する剛をローズマリーは楽しそうに見つめる。


「ご苦労さまぁ。じゃあ、その実験体はあそこに持っていってねぇ」


 ローズマリーの指し示す場所に、剛が困惑の声を上げた。


「あ、あそこにですか?」


「そうよぉ。えっとぉ、剛くんたち風にいうとなるはやでねぇ」


「わ、分かりました」


 予想外の言葉に意表をかれた剛は、足早に凛の体の側に行くと物言わぬ骸と化した凛を抱き上げる。


「重い~。くそ! 最後の最後まで、俺を拒否しやがって。顔がかわいいからって調子に乗るからこうなるんだよ」


 他の人間に手伝わせようと思ったが、また、反抗されてはたまらないと考え、誰の手を借りることなくローズマリーの指定された場所へ歩き出す。


 その様子を見て、妖艶にローズマリーは笑う。


「本当にかわいいモルモットくんですことぉ。愛しい人を死に追いやっても新しい能力の覚醒めざめはなしなのねぇ。まぁ、彼はサブですしぃ、メインに期待しましょうかぁ」


 ローズマリーも剛のあとを追い、自身が指示した場所へと歩き出した。

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